【『事業連30年・中央支所20年記念誌』より石黒 武重「全国共同仕入事業30周年中央支所発足20周年を祝して」】
全国共同仕入事業30周年、中央支所発足20周年の記念式典が茲に挙行されたことは慶賀に堪えない。殊に私の如き事業連創立当初から直接に之に携わり育て上げて業連創立当時と今日の生協運動の発展の情況を比べるとまことに感無量である。この成功はどうして獲ち得たか。その原因は幾つか数えられようが、今創業の頃のものから順序不同に主なものを挙げると、第一には創業の時期が、東協連の事業が破綻に終るとともに日協貿のソ連協同組合との貿易が順調に開始された直後であり、参加単協間の血盟の結束を実現できたのがよかった。又農協、漁協と異なり組織三段、事業二段の体制をとったこともよかった。更には事業連創立10年後に之を日生協に合併して組織内の意見の統一安定を図ったのもよかった。尚又かねて鶴岡生協内に発生した組合員の自発的な班組織の活動が漸次広く他生協に波及して日生協事業部の事業分量も増加しつつあったが、偶々昭和48年の(1973年)第一次石油危機により翌春にかけて狂乱物価時代が到来し、流通業者の中には千載一遇とばかりに所謂トイレット紙騒ぎが起きた時に、生協は消費者本位に公平な供給に努め、消費者の信用を一挙に高めたが、これは日生協の事業の発展に最も顕著な影響を与えたのであった。当時日生協は、商品試験室を設けて供給物資の品質に留意していたが、昭和51年(1976年)には大宮商品検査センターを開所し、この種の検査施設としては民間施設として最高級で地方庁の依頼を受ける程で品質に関する信用を高めておる。かくて日生協の物資供給は現在も年と共に増加拡大しつつある。しかし好況の頂点には兜角隠れた陥し穴が潜在するものである。私共は、今や消費経済のための存在意義が益々増大しつつある生協の責務をよく自覚し、之を果すべく謙虚に努力と革新を重ねてゆきたいものである。
(日本生協連名誉顧問)
以上
(1)中林貞男氏
(2)大竹清氏
(Mによる追記)
日本生協連第4代会長となられた石黒武重氏は官僚出身であることはわかっていたが、ネット検索をしてみたら、政治家でもあった。
ネット上の「百科事典ディスマス」の「石黒武重」の項は、Wikipediaからの引用になっているが、「昭和22年(1947年)に衆議院議員選挙に出馬し初当選。進歩党政調会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した」とある。
資料室には、石黒武重氏がソ連の協同組合との協同組合間貿易のために現地入りして尽力してくださった時の直筆の手紙が束になっていたのが見つかったので、1通ずつファイリングし直したりもしておいた。それまでも偉い方だということは聞いてはいたが、その手紙を読んで日本の生協への熱い思いを痛感したものだ。

【2010/07/26 00:42】 | アーカイブ
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