【『追悼録 木下保雄』より追悼のことば】入間医療生協理事長 大島 慶一郎
木下さんとのおつき合いは41年。この間ただの一度もお互いの胸にオリを残すような事件を経験しなかった。これはもっぱら木下さんのお人柄によるものである。
思いおこすのは昭和4年、東大矢内原教授、九大中島教授などを中心に、富士山麓で全国の学生基督者社会主義運動のキャンプをやった時のこと。
彼は法政大学生、私は一高学生でお互いに若かった。朝夕一緒に祈祷したり議論をしたり歌ったりして暮した一夏だったが、彼の声は美しくてよく透った。キャンプも終りに近い頃、私が思想上の疑問をもち出して彼やみんなを困らせた。
矢内原教授の言われるように社会主義運動を「クリスト教化」するのが正しいか、社会主義運動に無条件で参加しきれないクリスト教の側に間違いがあるのか、お互いに若いせまい視野ではあったけれど、徹夜で議論した勢の赴く弾みで私は信仰を捨てると言い出し、そのまま譲らなかった。彼はひどく悲しい顔をして、私がクリスト教をすてても彼は一生涯私のために朝夕の祈りを止めないと言いはった。
爾来40年、私はとうとう「今も私のために祈りつづけているのか」と彼に聞く機会を持たなかった。
昭和28年入間医療生協の小やかな発会式に来てくれた時も、理事会や総会や日協連事務室などで会って、運動上のこみ入った話をする時も、一度も聞き損ねた。キャンプ当時と同じような気安さでお互いに信頼し合って話し合いはしたが、この事は一度も聞き損ねた。已に初老に達し、お互いの立場が今更変るものでない事を承知の上で続いた友情だった。もし二人で一緒に旅にでも出て、一晩共に語りあかすチャンスに恵まれたら、40年前の情熱をよみがえらせて、つっこんだ話ができただろうに、かえすがえすも惜しい。
木下さん、永い間、暖い友情ありがとう。
以上
(その1)山本秋氏の追悼のことばはこちら
(その2)中林貞男氏の弔辞はこちら
(その3)今村譲氏の弔辞はこちら
(その4)菊田一雄氏の追悼のことばはこちら
(その5)大野省治の弔辞はこちら
(その6)涌井安太郎氏の追悼のことばはこちら

【2010/07/18 00:28】 | アーカイブ
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