【『追悼録 木下保雄』より追悼のことば】灘神戸生協専務理事 涌井 安太郎
木下君の一生の、自覚的な出発は、S・C・M(学生基督者運動)から始まる。
S・C・Mは、社会主義を奉ずる基督者の運動という意味ではなく、「神における共同社会の完成をめざす、社会結合本位的」な基督教を表す宗教運動であった。
この運動の中で信仰の鍛錬をうけた木下君が、運動の指導者の一人でもあった家庭購買組合の藤田逸男先生を慕って、生協運動への道を選んだことは当然のことでもあった。
私自身も、ようやくにして神戸消費組合にたどりつくことができたが、当時、合法舞台で、信仰を生きてゆくためには、生協運動のみが唯一の道であるというのが私たちの信念であった。
けれども大曲支部(こちらの記事に写真あり)の二階にあった家具部の主任となっていた木下君と会った頃は、すでに日本は満州事変を経験していた。
間もなく、全国消費組合協会に出向した彼は、神戸をよく訪れるようになった。
神戸消費組合の戦争対応策が私たちの話題であった。彼は神戸に長期滞在して各方面に、消費組合の対応策を説きまわった。
戦後、日協同盟の旗あげとともに、またまた彼との討論が回復した。祖師ケ谷大蔵の彼の家で、神戸の狭い私の家で、夜晩くまで語り会った日のことを楽しく思い起す。
戦後の苦しい困難な戦いを経て連合会活動もようやく定着をみ、待望の生協会館も完成をみた日、忽然として彼は死を選んだ。
何といっても早すぎる。
生協運動の同志の一人として、痛惜の念に耐えがたい。
けれども、彼と私とが結びついている基督教の信仰からするならば、祁は、最もよき日を彼のために選んだのであろう。
ここに一人の戦士の完き生涯をこそ私たちは見なければなるまい。
以上
これまででこのブログで涌井安太郎氏に言及した記事はこちら

(その1)山本秋氏の追悼のことばはこちら
(その2)中林貞男氏の弔辞はこちら
(その3)今村譲氏の弔辞はこちら
(その4)菊田一雄氏の追悼のことばはこちら
(その5)大野省治の弔辞はこちら

【2010/07/17 00:34】 | アーカイブ
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