【『追悼録 木下保雄』より弔辞】厚生省社会局局長 今村 譲
謹んで木下さんの御霊前に申し上げます。
長い間私はいつも木下さんのお人柄に打たれ、生協運動への真剣な情熱というか気魄に圧倒されるものを感じて参りました。木下さんが生協運動を愛した、或いはこの運動に献身されたということではどうも私にはぴったり致しません。大学を出られ、家庭購買会に入られてから40年の間、本当に道一すじという御生涯は、木下さんの毎日毎日の御生活そのものが即ち生協運動そのもの、運動の歴史そのものであったといって過言でないと私は信じております。
私が木下さんに初めてお目に掛ったのは昭和27年のことでありました。消費生協の難かしい法律を担当することになって、当時の日協連の本部に挨拶に行ったときであります。それから16年程になります。その間断続はいたしておりますが、法の改正とか運動の前進とかで、常に木下さんと相談をし議論をし、時には激論に及んだことも度々でありました。29年の法改正のとき(*)、木下さん勝部さんと論争のすえ、確か三人で深夜ではありましたが、賀川先生のお宅まで押しかけ、賀川先生からじゅんじゅんとお叱りを受けたこともありました。
木下さんは筋を通すこと、理由のない妥協をしないことでは実にきびしい人でありました。然しその底には非常に暖かい、相手への思いやりがいつでも流れていて、当時年少客気の私などが、どんな議論をしかけても結局は木下さんの方へ傾いていくというのが常でありました。そういうのが木下さんのお人柄であったと私は思っております。そのお人柄が多くの単協を育て、危機にある多くの組合を建て直したものと考えます。又、今日の日協連という大組織の確立もその陰に木下さんの血のにじむような御努力が一つの大きなカであったものと信じております。
木下さんが常に描いておられた生協運動の壮大な夢、これが実を結ぶまでには、この日本にはいろいろの障害があります。しかし、本部には石黒先生を中心に多くの俊秀がおられますし、又地方にもこの運動のために日夜苦労しておられる多くの方々がおられます。皆さんが木下さんの明るくて倦むことのないお仕事振りを胸に大事に描きながら同じ道を前進していかれるのであります。
私共も及ばず乍らと存じております。木下さん、どうぞ安らかにお休み下さい。私共心から御冥福をお祈りいたしております。
以上
*昭和29年の法改正:1954年の生協法第6次改正。初の独自改正。前年から始まった反生協の動きが強まる中、名義貸し禁止(商店吸収組合規制)・官庁の監督強化などの規制内容が含まれたが、連合会の購買事業の地域制限(都道府県域を越えた事業連合組織の禁止規定)も撤廃された。それを受けて日協連は定款を卸売事業ができるように変更した。

【2010/07/14 23:17】 | アーカイブ
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