<Mより発信>
1989年3月、事業連30年と日本生協連中央支所20年を記念した記念式典・祝賀会が開催され、当日配布の冊子と後日お寄せいただいた原稿を合わせて再整理した記念誌が発行されている(正式名称は『全国共同仕入事業30周年・中央支所20周年記念誌』であるが、私などは『事業連30年史』と省略して呼んでいる)。
この資料は実に貴重な資料で、連合会CO-OP商品第一号のバターや第二号のみかん缶詰に関わる嶋根善太郎氏の文章をみつけたことからヒアリングをお願いすることもでき、CO-OP商品誕生50年の今年3月に年表形式の資料『コープ商品のあゆみ』を発行することにつながっていった。
さらに、事業連の活動から日本生協連との合併後の全国の共同仕入事業までを当時の諸先輩方が寄稿されているのを1つ1つ読み取っていく中で当時の歴史が生きた言葉で実感できる有難い資料である。
中林貞男氏が「思うままに」という寄稿の中で、相棒だった木下保雄氏の人柄にも触れているので、この間のこちらの記事とのつながりで、一番にご紹介する。
【『事業連30年・中央支所20年記念誌』より中林貞男氏「思うままに」】
事業連発足30周年の集いの時であった。石黒さんは初代会長で相変らず元気でいろいろな想い出を語られ、また当時無理矢理に専務を押しつけられた石川島生協の大竹さんも奥さん同伴とはいえ出席して追憶談をされ楽しい一時であった。ただ立役者の次家さんがやはり健康の具合が悪く欠席で毒説が聞けなくて残念であった。出席していたら恐らく開口一番、この中林や木下に事業を委せたら日生協は何処へ行くか判らないとみんなの前でよく放言していた想い出を語っただろうにと、一人で寂しく思っていた。相棒の木下君はもう故人だが、準備会等の度毎その暴言を吐かれ、帰り二人でお茶を飲んだりしてどれだけ悔しい思いをしたかしれないと、殊に木下君は真面目なクリスチャンで家庭購買時代に家具を担当したこともあり、生協の事業感覚は次家流では駄目なんだとかんかんになっていた。特に木下君が薫陶をうけた藤田逸男さんは東大時代に吉野作造さん門下で、大正デモクラシーの影響の中で育ったクリスチャンで、卒業後直ぐ、家庭購買の運動に入った人だけに二人の意見の相違の中には今想うと興味深いものがあったような気がする。
結局、事業連は木下君や私の屯ろしている日生協とは別に設立されたのである。その後また組織論から65年に合併して、いまの日本生協連になった経緯がある。現在、組合員約1,250万、総事業量的2兆3千億で流通界屈指の存在になった訳である。戦後、日本では生協運動は物にならないと言われた当時のことを想起すると全く隔世の感がする。
私はパーティで古い先輩や多く仲間達となごやかな雰囲気の中でいろいろな話し合いをして是非こんな会合を時々持ったらと思った。
どうも日本では型にはまった議論が多過ぎる。殊にいまは国際化の時代でいろんな意味で転換が求められている時代だけにもう少しゆとりのある議論をする必要がるのではないだろうか。特にICAの場でいつも日本人の性格論を持ち出されたことを私は思い出している。よく日本人は一人よがりだと言われた。共同や連帯の思想を持っていないと非難された。最近いろんな点で私自身もそのことを痛感している。
(日本生協連名誉会長)
以上

【2010/07/07 23:59】 | アーカイブ
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