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<Mより発信>
引き続き、『現代日本生協運動史』から全消協と日消婦協の結成についてご紹介する。
【『現代日本生協運動史』より全消協と日消婦協の結成】
『現代日本生協運動史』上巻P65~
3節 運動の広がりと戦時下の苦闘

3.職域生協と、医療生協などと全消協
3)全消協と日消婦協の結成

すでに述べたように産業組合中央会は1925(大14)年から市街地購買組合=生協の実態調査を開始、その継続をふくめ従来の生協軽視の姿勢をあらためてきていた。1931(昭6)年には第1回全国消費組合協議会を開催した。それには1・8府県から35人の生協代表が集まり、全国消費組合協会(全消協)の設立を決め、創立委員に鈴木真洲雄(秋田消費組合)、藤田逸男(家庭購買組合)、沼口正男(東京・共同会)、笠原千鶴(西郊共働社)、矢上英太郎(京都購買組合)、北田輝(浪速購買組合)、福井捨一(神戸消費組合)と中央会の志立鉄次郎副会頭が選任された(注22:前出『産業組合発達史(第3巻)』65年)。満州事変のはじまった年に発足したこの協会は、関消連系組合も参加した初めての統一的な生協の全国組織であった。
しかし、関消連は翌1932年には既述のとおり全国組織として日消連を結成し、独自に国際協同組合デーを開催し「米よこせ運動」などを展開した。全消協はニュースの発行や研究会の開催などを行なったが、1935年の会員は53組合で「消費組合の有力な中央機関となるまでに至っていない」といわれる状況だった(23)。だが、全消協は40年ころから戦時経由統制が強化され、米穀などが配給制となることに対応し、配給権獲得運動を展開するなど困難期の活動をになうこととなる。
一方、活発化した婦人部、家庭会の交流は、先にみたように関西連合家庭会や関消連婦人部など共同、提携を強めていたが、1936年、東京の魚市場をめぐる婦人・消費者団体の共同行動のなかから日本消費組合婦人協会(日消婦協)が結成された。家庭購買組合の家庭会長押川美香を代表にするこの協議会は「消費組合の健全なる発展……平和の世界を、さらに母性の幸福と人類の福利増進を祈念」(結成大会宣言)するものであった。ただ、結成にむけ実務推進者であった関消連婦人部長勝目テルらが役員からはずされるといったことがあり、統一的な運動体としては問題があった(24)。しかも、2・26事件がおきたこの年から、情勢はその「宣言」にある平和への願いと逆に急速に悪化していった。
以上

【2010/07/02 13:27】 | アーカイブ
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