<Mより発信>
引き続き、『現代日本生協運動史』から昭和初期の不況と労組、労働者生協の動向についてご紹介する。
【『現代日本生協運動史』より昭和初期の不況と労組、労働者生協の動向】
『現代日本生協運動史』上巻P57~
3節 運動の広がりと戦時下の苦闘

2.労働者生協と学生消費組合の活動
金融恐慌にはじまる昭和初期の不況のもと、産業界は軽工業から重工業へとシフトをはじめ、企業合併と財閥形成などを進めた。その合理化策は労働争議を頻発させた。労働組合の組織率は、1927(昭2)年で31万人・6.6%、1930年で35万人・7.5%に過ぎなかったが、労働争議件数は1927年4.7万件、1929年7.7万件、ピークの1930年は8.1万件にのぼった。
一方で、労組組織は大正末から昭和初期にかけて全国組織の分裂、創立があり、労働者生協もその影響を受けることとなった。総同盟系(日本労働総同盟=野田、共愛消費、兵庫・共栄社などの消費組合)、評議会系(日本労働組合評議会=博文館、品川、田町共働社など)、全労系(全国労働組合同盟=兵庫・高砂消費組合など)、総連合系(日本労働組合総連合=向島、大森共働社、関西・消費者組合協会など)である。昭和期に入っても労働者生協づくりは、これら労組組織の支援のもとで続くが、地方別にみると次のような状況であった。
関東では、東京の蒲田共働社、石川島自彊購買、東京湾船員購買、購買組合自営社、芝浦河港購買、南葛消費、北郊消費など、神奈川の田島購買、製鋼購買、神奈川鉄工消費、千葉の宝信用購買、埼玉の川口消費などが大正末から昭和の初期(1925~32年頃)に設立された。
関西では、兵庫の購買組合共栄社、高砂消費、神戸共同消費、大阪の栗本共栄社、広島の因島消費相愛社、広工僚信購などが設立された。ほかに静岡の岳南消費、福岡の製鋼小倉購買などがこの時期に設立された。兵庫の高砂消費は三菱製紙の労働者により1927年に設立されるが、関消連傘下組合として後述の「米よこせ運動」などで関西の中心になった。
以上

【2010/06/29 19:00】 | アーカイブ
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 


トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック