<Mより発信>
引き続き、『現代日本生協運動史』から昭和初期の灘、神戸、京都消費などの活動についてご紹介する。
【『現代日本生協運動史』より昭和初期の灘、神戸、京都消費などの活動の情報】
『現代日本生協運動史』P51~
3節 運動の広がりと戦時下の苦闘

2)関西での運動一灘、神戸、京都消費など
創業期に赤字で苦しんだ神戸消費組合は1924(大13)年、イギリスの婦人協同組合協会(婦人ギルド)に学び、婦人組合員の自覚をたかめ、自主的活動を推進するため“家庭会”(代表・小泉ハツセ)を発足させた。日本の生協で初めての婦人組合員組織の結成であった。翌1925年、組合員は1,500人をこえ、事業も軌道にのり、27(昭2)年には、初めて購買高利用割り戻し1%を実現した。
神戸消費組合は協同組合の理念と運動性を重視する考えから、1924(大13)年、名称を購買組合から消費組合に変更したが、29(昭4)年には定款の第1条・目的に「協同互助の精神を普及し、経済組織の改善を図り、洽く人類の福祉を益さんが為め」を挿入する変更をした。
1930年には組合員2,100人、供給高25万円となり、翌年の創立10周年には本部事務所、精米所などを新設、1933年には六甲支部に2階に組合員ホールをもつ店舗を開設、三輪自動車も初めて購入した。初めての店舗は「百貨店式に陳列して選択にまかせ」る方式をとり、野菜・鮮魚なども扱った(注5:コープこうべ『愛と協同の志 コープこうべ70年史』)。
1935年には「京阪神消費組合共同計画」として大阪の共益社、京都の洛友、西宮の各消費組合とともに組合員拡大運動を展開した。
翌年から高知消費組合も参加したこの取り組みは、戦争遂行のための国策=隣保制・隣組にちなんで「隣りも向かいも組合へ」を標語とし「隣保強化運動」と呼ばれ、毎年続けられた。
その成果もあり、1938年には組合員は7,000人をこえ、供給高も86万円となった(注6:前出『愛と協同の志』、前出『星をめざして』)
神戸消費組合にくらべ、経営が順調だった灘購買組合は1923(大12)年には自前の醸造所で造った醤油を発売し好評をえ、年度末には購買高割り戻し1%と出資配当5%を実現した。その発展に脅威を感じた小売業者は、1929(昭4)年「灘購買打倒」の運動をおこし、県知事に陳情するとともに組合本部の前にむしろ旗を立てて気勢をあげた。
そのようななか、潮購買組合にも家庭会が発足し、婦人のための経済講座などを企画するとともに、取扱商品についての意見交換会などを開催した。
創業10周年の1931年には組合員3,500人、供給高54万円となり、初めての店舗・組合ストアを芦屋に開設した。この組合ストアは肉などは対面販売であったが、菓子類などは利用者自身が計量して伝票に記入し、初めて購入されたNCRの中古レジで精算するセミ・セルフ方式だった。日本の生協では初めての試みであり、1933年に住吉の本部が新築されると、1階が生鮮、食料品、2階が化粧品、雑貨等の本部ストアが同様にセミ・セルフで開店した。
当時はご用聞きによる配達が中心で、住吉でみると月供給、配達2.5万円、店舗5,800円(1932年2月)であった。このころが灘購買の躍進期であり、精米工場などの建設、サービス事業の拡充(時計部、製靴部、図書取り次ぎ、洋家具部から葬儀部など)、物産展による産地との直結事業など事業の発展かはかられた。さらに1935年から36年にかけては組合員5,000人から6,500人へ、供給高105万円から124万円へと発展するが、1937年、日中戦争がはじまり、戦時統制の苦難の時代を迎える。
兵庫では昭和期に入り、姫路購買組合(1931年)、神港購買組合(1932年)、甲陽消費組合(1934年)、伊丹消費組合(1937年)が設立された。甲陽、伊丹の両組合は灘購買組合の事業区域認可をめぐる困難から別組織として設立されたものであり、3生協は姉妹関係として運営され、のち合併する。
京都消費など
京都では大正期に平安購買組合、旭購買組合についで京都購買組合が設立されていたが、1929(昭4)年、京都家庭消費組合(組合長・田原和男)が“新興消費組合の旗揚げ”として誕生した(注7:京都・くらしと協同研究所『協う(54号)-京都・歴史版』99年11月)。しかし、翌年、田原らが分かれて洛友消費組合を設立、さらに京都無産者消費組合と京都プロレタリア消費組合などが設立された。1930年に京都大学に、翌年同志社大学に学生消費組合が設立されたが、運動の統一を推進する日消連の支援もあり、それらの組合は1932年、京都家庭消費組合を中心に合併、京都消費組合(組合長・能勢克男※)が発足した。京都消費組合は日消連に結集し「米よこせ運動」などに取り組み、班を基礎にした運営や東北地方の消費組合を通じての白菜の産直など戦後につながる経験をつんだ。
以上
※能勢克男に関わるネット検索は以下を参照
※能勢克男に関わるネット検索
「ブログ照る日曇る日」:『京都生活協同組合編:デルタからの出発』より「生協運動と先覚者 能勢克男」

同志社生協50th
:... 京都家庭消費組合の理事長だった能勢克男(元同志社大学教授) ... なかでも、戦前の大学生協や地域生協にかかわった元同志社大学教授・能勢克男氏(1894〜1979、戦後は弁護士、洛北生協(現京都生協)初代理事長) ...



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「ブログ照る日曇る日」:『京都生活協同組合編:デルタからの出発』より「生協運動と先覚者 能勢克男」

同志社生協50th
:... 京都家庭消費組合の理事長だった能勢克男(元同志社大学教授) ... なかでも、戦前の大学生協や地域生協にかかわった元同志社大学教授・能勢克男氏(1894〜1979、戦後は弁護士、洛北生協(現京都生協)初代理事長) ...


【2010/06/25 23:11】 | アーカイブ
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