家庭購買組合『ホームユニオン』バラ保管分表紙.jpg
<Mより発信>
引き続き、『現代日本生協運動史』から家庭購買組合の店舗事業と組合員活動についてご紹介する。
【『現代日本生協運動史』より家庭購買組合の店舗事業と組合員活動の情報】
『現代日本生協運動史』上巻P50~
家庭購買組合は、大震災の翌年「10か年で組合員10万人」をめざす第1次10年計画をたて、意欲的な取り組みをはじめた。事業面では、組合員の生活に総合的にこたえるべしという藤田逸男専務(協同組合人物略伝はこちら)の考えから、ご用聞き制だけでは不十分だと生鮮食品を取り扱う店舗=組合式ストアの開設をはじめた。50坪(165㎡)のストアは「アンモニヤ冷蔵庫とガラス張の、そして内部に冷蔵設備を有った鮮魚の陳列ケース」を備えたもので、2~3間間口(1間は1.8メートル)の店舗が普通だった当時としては革新的だった。
1930~31年にかけて、50坪ストアを拡大・改善した店舗を阿佐ヶ谷、成城学園、渋谷、田園調布と次々出店した(注3:前出『生活協同組合経営論』)。
1936年以降の第3期計画では、1階食料品、2階呉服衣料、料理用キッチンつき集会室というスタイルの店舗になり、大曲ストアには家具陳列場ももち、どの店も“地域一番店”だった。
組合員活動の面では吉野作造の組合員を主人公とする“組合員主義”にもとづき、昭和初期に婦人会(押川美香委員長)を発足させた。婦人会は組合員啓蒙誌として『ホーム・ユニオン』を発刊したが、スマートで質も高かった。『ホーム・ユニオン』は1冊10銭で組合員に購読され、婦人会活動の財政を助けた。(Mによる追記:冒頭の写真は、在職中に亡くなった木下保雄専務(協同組合人物略伝はこちら)の遺した資料よりバラ保管されている分の『ホーム・ユニオン』2号分の表紙を並べたもの)
1925(大14)年に1,000人の組合員を集めて開催した組合員「団欒の夕べ」は毎年盛況で、昭和の最盛期(1933・昭8年)には日比谷野外音楽堂を1万人をこえる組合員で埋めつくし、講演、音楽隊、オペラ、コーラスなどを楽しんだという。37年には念願の組合員1万人を達成し、家政学校(“女中さん講習会”の発展)や青年学校、産業組合学校などを開校した。婦人組合員を主人公とする考えや文化、教育活動の重視は家庭購買組合の特色だった(注4:前出『消費組合小史』)。
(編注)家庭購買組合の世田谷の成城店は、戦後、砧生協に引きつがれ、現在コープとうきょう成城店として運営されている。
以上
下の写真は、資料室で合本保管されている『ホーム・ユニオン』1937年12月号の裏表紙に掲載された大曲ストアの写真。戦争に向かう時代に当局に弾圧されなかった組合の様子がよくわかる。
1937家庭購買組合「ホームユニオン」より大曲ストア①.jpg

【2010/06/24 19:33】 | アーカイブ
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 


トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック