嶋根連載の賀川豊彦の写真

<Mより発信>
日本の生協運動の大先輩でいらっしゃる嶋根善太郎さんには、1960年に開発された日本生協連のコープ商品第1号の「生協バター」の当時の写真の特定などで、お世話になり、その時にお聞かせいただいた内容を『コープ商品のあゆみ』(年表、冊子あり)にも活用させていいただきました。電話で御礼とその冊子を送らせていただく旨をお話した際、職員有志で賀川豊彦の勉強会をしてきたこともご報告。
その際、嶋根さんが東京生協(合併してコープとうきょうに)の理事長時代、機関紙に「賀川豊彦生誕100年によせて」という連載(10回)をされて切抜きのコピーをつくってあるということで、それを送ってくださるということになりました。
手元に届いたその内容がとてもわかりやすいので、「JCCU協同組合塾」のブログでご紹介させていただきたいとお願いし、ご快諾をいただいた次第です。

皆様、これから10回にわたってこちらで紹介させていただくので、どうぞ参照してください。冒頭の写真は、嶋根さんの連載の第1回にあった賀川豊彦の写真を携帯で撮影したもの。日本生協連の会長をされていた晩年の写真と思われます。

「賀川豊彦生誕100年によせて」
:東京生協機関紙『虹の輪』に連載

(1988年6月~1989年3月までの間10回)
【第1回】
今年は賀川豊彦が生れて丁度100年目に当ります。
賀川豊彦は1888年7月神戸に生れ、1903年(16才)洗礼を受け宗教者としての道をすすみ、20才の頃肺結核にもかかわらず神戸のスラム街葺合の新川に住み伝道生活をはじめました。(この間の模様は、自伝的小説といわれる、当時の驚異的ベストセラー「死線を越えて」にくわしい)

第一次世界大戦(1914年)ロシア革命(1917年)など世界的に激変がつづき、国内的にも米騒動(1918年)とか小作争議や労働争議が頻発する中で、民主主義へのめざめがひろがりいわゆる「大正デモクラシー」といわれる時代を迎えますが、こうした時代、賀川豊彦は労働運動、農民運動、普選運動など社会改革の運動の第一線に立って、先駆的役割を果します。

しかし労働運動、農民運動、無産者政党はイデオロギーの対立から分裂や抗争をくりかえして彼を失望させ、人間と人間の相互扶助を基礎とする社会を建設するための社会運動は「協同組合運動」をおいてほかにはないと確信するようになります。

賀川豊彦により設立された組合は数多く、購買組合共益社(1919)、神戸消費組合・灘購買組合(1921)東京学生消費組合(1926)江東消費者組合(1927)中之郷質庫信用組合(1928)東京医療利用組合(1932) のほか、日本協同組合同盟(1945) 日本生活協同組合連合会(1951)の設立者でもあります。

また賀川豊彦は反戦論者として戦前、憲兵隊や警察にたびたび拘引留置されましたが、戦後日本生協連創立の時も、その創立スローガンをどうするか討論になった時「人間の幸福の前提は平和だ」と主張され、現在の「平和とよりよき生活のために」というスローガンが生れたという経過を中林日生協名誉会長から、度々聞かされたものでした。

その他、青年を愛され、戦前は「学消」の設立を指導されたり、戦後は日生協総会で私たち若者の青臭い発言を辛抱強くお開きいただいたり「思い出」はつきない感じですが、次号から何回かにわけて、そのお仕事の社会的背景なり歴史的役割などについてふれてみたいと思います。

→第2回に続く


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賀川豊彦は1888年7月神戸に生れ、1903年(16才)洗礼を受け宗教者としての道をすすみ、20才の頃肺結核にもかかわらず神戸のスラム街葺合の新川に住み伝道生活をはじめました。(この間の模様は、自伝的小説といわれる、当時の驚異的ベストセラー「死線を越えて」にくわしい)

第一次世界大戦(1914年)ロシア革命(1917年)など世界的に激変がつづき、国内的にも米騒動(1918年)とか小作争議や労働争議が頻発する中で、民主主義へのめざめがひろがりいわゆる「大正デモクラシー」といわれる時代を迎えますが、こうした時代、賀川豊彦は労働運動、農民運動、普選運動など社会改革の運動の第一線に立って、先駆的役割を果します。

しかし労働運動、農民運動、無産者政党はイデオロギーの対立から分裂や抗争をくりかえして彼を失望させ、人間と人間の相互扶助を基礎とする社会を建設するための社会運動は「協同組合運動」をおいてほかにはないと確信するようになります。

賀川豊彦により設立された組合は数多く、購買組合共益社(1919)、神戸消費組合・灘購買組合(1921)東京学生消費組合(1926)江東消費者組合(1927)中之郷質庫信用組合(1928)東京医療利用組合(1932) のほか、日本協同組合同盟(1945) 日本生活協同組合連合会(1951)の設立者でもあります。

また賀川豊彦は反戦論者として戦前、憲兵隊や警察にたびたび拘引留置されましたが、戦後日本生協連創立の時も、その創立スローガンをどうするか討論になった時「人間の幸福の前提は平和だ」と主張され、現在の「平和とよりよき生活のために」というスローガンが生れたという経過を中林日生協名誉会長から、度々聞かされたものでした。

その他、青年を愛され、戦前は「学消」の設立を指導されたり、戦後は日生協総会で私たち若者の青臭い発言を辛抱強くお開きいただいたり「思い出」はつきない感じですが、次号から何回かにわけて、そのお仕事の社会的背景なり歴史的役割などについてふれてみたいと思います。

→第2回に続く

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【2010/04/15 23:29】 | アーカイブ
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Kより
私は、学生の頃、明治学院大学生協で活動しました。
最近、わかったことですが、1958年に明治学院生協は創立しましたが、その当時、東大生協から、人も物も支援いただいたそうです。おそらく嶋根善太郎さんにお世話になったことと思います。

★Kさま
Mより
昨晩、嶋根さんの連載紹介(5)で戦前の東京学生消費組合(学消)のことについての文章をアップしました。
その中に「昭和3年赤門支部、更に明大、明治学院・・・・・・などにもひろがり」とありました。さすがに賀川豊彦の学んだ大学です。戦後の明治学院生協の設立は、そのような先人の歴史を踏まえたものだったのですね。
嶋根さんにも機会をつくって会っていただけるといいなぁと思っているのですが、チャンスを待ってみてくださいね。


Kより
嶋根さんの原稿は、体験にもとづくものなので迫力がありますね。嶋根さんには、塾でお話が聞きたいですね。また、ぜひお会いしたいです。

★Kさま
Mより
10回にわたって連載してきた標記の連載をまとめてリンクする記事をつくっておきましたので、ご活用いただければ幸いです。
名前欄のURLに該当記事のものを入れてありますのでクリックしてみてください。


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私は、学生の頃、明治学院大学生協で活動しました。
最近、わかったことですが、1958年に明治学院生協は創立しましたが、その当時、東大生協から、人も物も支援いただいたそうです。おそらく嶋根善太郎さんにお世話になったことと思います。
2010/04/19(Mon) 23:26 | URL  | Kより #-[ 編集]
★Kさま
昨晩、嶋根さんの連載紹介(5)で戦前の東京学生消費組合(学消)のことについての文章をアップしました。
その中に「昭和3年赤門支部、更に明大、明治学院・・・・・・などにもひろがり」とありました。さすがに賀川豊彦の学んだ大学です。戦後の明治学院生協の設立は、そのような先人の歴史を踏まえたものだったのですね。
嶋根さんにも機会をつくって会っていただけるといいなぁと思っているのですが、チャンスを待ってみてくださいね。
2010/04/20(Tue) 21:03 | URL  | Mより #9I5CiGdQ[ 編集]
嶋根さんの原稿は、体験にもとづくものなので迫力がありますね。嶋根さんには、塾でお話が聞きたいですね。また、ぜひお会いしたいです。
2010/04/23(Fri) 13:08 | URL  | Kより #-[ 編集]
★Kさま
10回にわたって連載してきた標記の連載をまとめてリンクする記事をつくっておきましたので、ご活用いただければ幸いです。
名前欄のURLに該当記事のものを入れてありますのでクリックしてみてください。
2010/04/26(Mon) 22:57 | URL  | Mより #9I5CiGdQ[ 編集]
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