『生協運動』1958年1月号巻頭言


<Mより発信>
『生協運動』1958年1月号に賀川会長の「1958年に寄せる」という文章が掲載されているので、ご紹介します。昨年の賀川献身100記念事業実行委員会広報委員長もつとめた共同通信記者・伴武澄さんの「Think Kagawa」ブログにも掲載してご紹介いただいた分です。
伴武澄さんの「Think Kagawa」の掲載記事はこちら
冒頭の写真は、文章とともに掲載されていた賀川会長の写真。実にいい笑顔です。

【1958年に寄せる】日協連会長 賀川 豊彦
 多難なる生活協同組合も、漸く労働組合が目覚めて職域組合が発展してきた。
 私は生協運動でも労働階級が力をもち、それが漸時庶民階級の運動になれば、嬉しいと思っている。
 本年は生協運動に大きな仕事が三つある。
 第一は労働組合と生協が一緒になって生命共済をやること。
 第二は生協を中心とする平和運動を拡げること。
 第三はアジアの協同組合運動を推進するために、国際協同組合同盟のアジア事務局設置を援助すること。
 これらである。
 第一の問題については、昨年9月、総評、全労、労福協、労金協会、日協連の五者会談によって一本化することを承認したが、未だ厚生省が認可していない。農協は22年から発足し、今や生命、建物厚生両方合わせて1000億円近い金を契約金としてもち、準備金も200億円に達している。
 これに比べると生協は非常に立ち遅れている。私は労働組合が決議し、労働者が賛成しているのだから、厚生省も早く認可すべきだと思う。これができれば、今の非常に窮迫した資金がわりあいに潤沢にまわるようになる。これをもって労働階級の住宅組合を作り、生産事業を興し、また生協の店舗も大きくでき、労働者、庶民の生活はそれだけ高まるのである。
 第二の平和問題は、国際協同組合大会でも決議して原子力の戦争利用を禁止しようとしているが、米英両国は反対している。ソ連も無条件では賛成していない。
 日本は原子力の戦争利用禁止を大いに叫ぶ必要がある。
 われわれは、協同組合を通じて真の平和運動をやらなければならないと思う。今までの世界には他人の国を略奪することがはびこっていた。
 消費流通の面では、貿易までが略奪の形式になったが、私は今後の国際貿易は何より世界平和に役立つものでなければならないと思う。
 その点で協同組合貿易はますます重要である。ソ連とだけでなく、アメリカとも、中国とも協同組合貿易を行うべきである。
 第三の国際協同組合同盟アジア事務局の設置は、今後のクアラルンプールの会議できまることだが、農協は日本に置きたいといっている。これは結構なことである。ただ、事務局はどこに置かれようとも、われわれとしてはできるだけの援助をしなくてはならない。
 御承知の通り、アジアの国々は日本や中国を除いては、ナショナリズムが起こったばかりである。
 国力も弱いし、一般に民衆の生活水準も低い。協同組合も弱い状態にある。
 しかし、こういう国々では何よりも協同組合がしっかりして、民衆の生活を高め、国の発展に力を貸さなくてはいけない。
 日本の協同組合は、農協も生協も、これらアジアの遅れた協同組合を指導し、援助してやらねばならない。
 また今年は、日本で国際協同組合ゼミナールが開かれるというはなしもあり、インドから交換学生もやってくる。協同組合の国際交流は年と共に大きくなっているが、日本の生協は一そう奮起して運動を拡めなくてはならない。
 伸ばせ、労働階級の力を庶民の運動に!
 生活協同組合の真髄はそこにある。私は今年も諸君にこのことを訴える。
以上

「クアラルンプールの会議」について以下に補足を入れておきます。
第1回協同組合アジア会議について
『日本生協連50年史』86ページより
1958年1月、第1回協同組合アジア会議がICA主催によりマレーシア・クアラルンプールで開催され、賀川会長を団長に全中、全漁連代表をふくむ13人の日本代表が参加した。この会議ではアジアの協同組合に対する技術援助の問題やICA東南アジア事務所の設置問題などが論議された。ICAはローザンヌ大会で「技術援助長期計画」を承認、1960年11月に東南アジア地域事務局と教育センターをニューデリーに開設した。
第1回協同組合アジア会議には賀川会長とともに勝部事務局員が参加した。勝部によると、賀川会長の英語での演説は最後の〝Co-operation is Fire〟の締めくくりをふくめ、参加者に大きな感動を与えたという。国際人であった賀川の最後の海外活動であった。
1964年には東京でICAアジア協同組合閣僚指導者会議が開催され、10か国から関係閣僚をふくめ66人の参加があった。インドの協同組合大臣ネール女史(のち首相)が早稲田大学で講演するなど交流もはかられた。


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第1回協同組合アジア会議について
『日本生協連50年史』86ページより
1958年1月、第1回協同組合アジア会議がICA主催によりマレーシア・クアラルンプールで開催され、賀川会長を団長に全中、全漁連代表をふくむ13人の日本代表が参加した。この会議ではアジアの協同組合に対する技術援助の問題やICA東南アジア事務所の設置問題などが論議された。ICAはローザンヌ大会で「技術援助長期計画」を承認、1960年11月に東南アジア地域事務局と教育センターをニューデリーに開設した。
第1回協同組合アジア会議には賀川会長とともに勝部事務局員が参加した。勝部によると、賀川会長の英語での演説は最後の〝Co-operation is Fire〟の締めくくりをふくめ、参加者に大きな感動を与えたという。国際人であった賀川の最後の海外活動であった。
1964年には東京でICAアジア協同組合閣僚指導者会議が開催され、10か国から関係閣僚をふくめ66人の参加があった。インドの協同組合大臣ネール女史(のち首相)が早稲田大学で講演するなど交流もはかられた。

【2010/05/20 22:34】 | アーカイブ
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