【生協史の断面(4)賀川さんのアメリカ遊説】その2
その1はこちら
<Mより発信>
その2の文章の中で、1935~6年の全米公演を報道するアメリカの各紙で「賀川は日本の軍国主義者を蚊と呼んだ」という見だしつきで掲載されたため、日本陸軍の参謀本部を怒らせて“暗殺指令”が出て、それを阻止したエピソードには本当に仰天させられる。

<平和の理想を説く>
このニューディールの理論にはケインズの経済学や、ラスキの政治学が用いられているのであり、この人々が、わざわざアメリカに招かれたことはあまりにも有名な話であるが、宗教的なバックボーンを与える役割をアメリカでは世界的な説教者として知られ、アメリカにも多数の崇拝者をもっていた賀川さんに期待した。アメリカ中の新聞が賀川さんの訪米に際し、日本のガンジーが来た、世界一流のクリスチャンが来たというので大騒ぎをして迎え、ニューヨーク・タイムズすら三段抜きの大見出しで、賀川さんの写真を3枚ものせテネシー州の首都メンフィスの新聞のごときは1頁半を賀川さんの紹介についやした。
アメリカの人々を態激させたのは賀川さんの「キリスト教主義にもとずく世界平和と協同組合」という講演に、賀川さんが平和を求める日本の民衆の願いを述べたことであった。緊迫の度を加えていた世界の動きのなかに、勇気をもって平和への理想を語った賀川さんのことばにひとしく平和を望むアメリカの人々が強い共感を寄せない筈はなかったのである。

賀川さんは腐敗したアメリカのキリスト教界の革正を説き世界平和の基礎としての国際協同組合経済機構の確立を提唱したのであるが、そのなかに『日本においては労働者農民や知識階級の多くは平和主義者であるが、ただ極めて少数の軍国主義者が居り、夏の夜の蚊のようにブンブンいって国民の安眠を妨げている』という言葉があった。これはアメリカの各紙に「賀川は日本の軍国主義者を蚊と呼んだ」という見だしつきで盛んにとりあげられ、日本陸軍の参謀本部を怒らせてしまうことになった。
ついに『賀川暗殺』の指令がひそかに大阪に飛んだ、ということを察知した人々は非常に心配した。山崎勉治氏(『日本消費組合運動史』の著者)と小川清澄氏(牧師)の二人は賀川さんがアメリカから送ってくる新聞を詳細に読んでいたので、こんなに大たんに物を言っては危ないと思っていた。たまたまこの暗殺説を聞き、なんとか手を打たねばならないと思った。そこで山崎氏は賀川さんについての長い論文を書き、賀川さんの世界的な名声、賀川さんの思想の意義を説いた。
〝今や日本の賀川の数十冊の著述は外国語に訳されて欧米に広く読まれ、何事にも世界一を以って任ぜねば止まないキリスト教団アメリカ人が賀川を世界第一のクリスチャン、日本のガンジーと推奨して、その教を聴こうとしでいる。これを国粋と論わずしで何を国粋と云うか・・・・・・〟

この論文を小川氏が賀川さんと知り合いの堀内外務次官に示した。堀内氏はこれをもって早速参謀本部にかけつけた。その時、参謀本部の一室には賀川さんのアメリカにおける言動を調査した書類がうず高く積まれ、参謀本部の怒りようはなみ大抵のものでなかったと云う。
賀川さん帰国の日が来た。賀川さんは船で神戸へ着き、汽車で帰京した。その日、賀川さんの奥さんは線香を持って東京駅へ迎えに行こうと云い出した。東京駅へ着いたとき殺されることを覚悟していた。帰ってきた賀川さんは他の乗客が降りきってしまった後、一人車体から猫のように身体を丸めてピョンと飛び降りた。山崎氏は出迎人の集団より一歩先へ出て、賀川さんと握手をすると、すぐに賀川さんを背にかばい、群衆に向って身構えた。そして暴漢の出て来るのに備えた。出迎えにおも向いていた人々は一同冷汗をかく思いだったという。
さいわいにして何事も起らなかったが、賀川さん暗殺指令は本当であったことが後でわかった。堀内外務次官が参謀本部を説いた直後に、賀川を殺すと国際関係が悪くなる恐れがあるから中止せよという取消の指令が下ったのであったと云う。

<賀川さんに負うアメリカの運動>
賀川さんのこの大がかりな遊説は、それまで主としてスカンジナヴィア諸国の移民にかぎられていた消費組合運動を広く全国的な関心の的とした。この時代のアメリカでの運動の発展には今まで挙げてきたような色々な要因があったけれども、それまで、さして見るべきものがなかったアメリカの消費組合運動の急激な発展は賀川さんにそのかなりの部分を負っている、ということ、またニューディール全般が、その道徳的なイデオローグとしての賀川さんの影響を極めて多く受けたとぃうことは決して見逃すことができないのである。

(賀川会長には〝死線を越えて〟に書かれた共益社時代のことをお聞きしたいと思い、お話も伺ったのですが、何分古いことでもあり、資料が揃いませんでした。この36年のアメリカ遊説の話は国内にはあまり知られないことと思いますのでまとめて見ました。資料としては特に山崎勉治氏の昭和12年版〝労働年鑑〟に書かれたアメリカ消費組合についての記事と、〝協同組合研究〟第6号に同氏の書かれた〝人物評論-賀川豊彦〟を使わさせていただきました。〔編集部〕)
以上

【2010/05/15 00:17】 | アーカイブ
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