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20171007第1回(1).jpg
<Mより発信>
 2017年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、こちらでもご紹介させていただきました。10/7の第1回に参加してきましたので、2回に分けて概要をご報告します。冒頭の写真は講師の斎藤嘉璋さんです。
 
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(1)

講師:斎藤嘉璋氏/元日本生協連常務理事、
    元生協総合研究所専務理事

ゲストコメンテーター:坪井俊二氏
    /元日本生協連常務理事


斎藤嘉璋さんの講演概要(講演のメモと参考資料から作成)
(1)石黒さんの異色の経歴:日清戦争後の1897年に8人兄弟の長男として生まれた。父は陸軍将校で転勤族。東京府立四中から一高、東大法学部にすすみ、卒業前に父母を亡くし家長となったので転勤の少ない農商務省に入った。母や祖母に「ご飯は一粒も残すな。汗水たらして働いている人のことを考えなさい」と言われて育ち、青年期を大正デモクラシーの時代に過ごし、世のため人のために働こうと行政マンになられた。
 28歳の時、役所から海外視察の命令に出て、革命8年後のソ連という国を見てみたいとを希望し、シベリア鉄道9日間乗っていった。その二等車の中でふれあった人々に親切にしてもらったことから好印象をもった。農商務省の蚕糸局に移り生糸関係に一生関わった。ニューディール政策の頃、海外生糸市場調査事務所長としてNYに赴任され、輸入関税提案を撤回させた。日本の貿易会社の現地事務所も回って輸入実務にも詳しくなった。帰国後に農林省で産業組合課長となり、ロッチデールをはじめ協同組合の勉強をし、農民の生活を協同組合で助ける、戦後の生協とかかわる、という実践につながる。
 戦時中は商工省の貿易局長、物価局長、事務次官と有能な官吏として働く。終戦時は鈴木貫太郎内閣の枢密院書記官長で、ポツダム宣言受諾をめぐる現場にいらした。終戦直後は憲法問題調査委員会委員、幣原首相をよく補佐し(内閣法制局長官、無任所国務大臣=実質的な経済担当相)、吉田内閣の組閣参謀となった。幣原さんを助けているので衆議院に立候補することになり当選(戦前、知事をつとめた縁で山形県から)。反戦平和的な人が集まる進歩党(安倍首相の父方の祖父・安倍寛も)で幹事長→再編後の民主党の初代幹事長となったが、直後にGHQから戦争責任ありとされて公職追放になり、政界に復帰することはなかった。

(2)生協運動のリーダーとして①東京の生協と連合会のかかわり:終戦後、雨後の筍のように生協が設立され、石黒さんは農林省職員購買組合のトップだった関係で東京職域購買組合連合会会長になられた。東京に5つの生協連合会ができ、荷受権獲得のために全東連(全東京都購買利用組合連合会)ができ会長になった。
 GHQの対日政策変更で東京都はレッドパージを全東連にも要求したが石黒さんが拒否。都は意向に沿う組合を集めて別に「東京都生協連」を組織。内閣調査室が公職追放中だった石黒さんに圧力をかけてきて全東連会長をしりぞいたが、都下の連合会がどこも経営不振となり、連合会合同・建て直しに安井都知事から要請があり、会長を引き受けられた。1953年に不渡り手形をつかまされて事実上倒産、1972年に和議・解決するまで長い苦労をされた。 
(2)に続く

【2017/10/24 12:22】 | 情報
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