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<Mより発信>
12/12(月)16時から生協総研の共済研究会「賀川豊彦の協同組合保険の思想と実践に学ぶ」@松沢資料館に参加してきた。講師の和田武広さん(元JA共済職員、賀川フォーラム会員)から、今回初めて賀川豊彦が「JA共済の父」と呼ばれる由来をまとまってお聞きすることができた。さらにこれまで農協についてはまともな協同組合なのだろうかという偏見をもってしまっていたが、もっときちんと勉強する必要を痛感した。
 このところ「資料室土曜講座」にも参加して、戦前の協同組合がどのように戦時体制に組み込まれていったかをさらい直す機会があり、産業組合の農村組織は戦時下に統制組織として「農業会」に再編されてしまっていたことがわかってはいた。それが戦後にも大きく影響しているようだ。戦後、農協は「伝統的・自主的な協同組合」と「行政補助機関」という2つの側面を持って設立されていて、後者は「農業会」時代を大きく引きずっている。そういう歴史が農協共済にも影響していた。前者の側面による運動の大きな成果の一つが協同組合保険=共済事業ではないかという視点での展開で、その中で賀川豊彦の思想が論じられた。充実したテキストもいただいたのでじっくり読み込んでみたい。
 今回は礼拝堂を会場にしたために、パワポのスクリーンの上にステンドグラスのキリストが子どもの頭をなでているところも写っている。パワポの最後の画像に賀川の写真もあったが、「おわりにあたって」の文章が以下。(薄井清『一粒の麦は死すとも-賀川豊彦-』P282~283からの引用)
 「いま読み返して思うのは、農業協同組合は戦後にマッカーサーからあたえられたものではなくて、賀川豊彦を含めた産業組合運動家たちが、血みどろの戦いの末に勝ちとった組織である、という感慨である。いま、・・農協は、一つの岐路に立たされている。・・」
 終了後のディスカッションの中で、戦前の反産業組合運動は国内の商業者による攻撃だったが、現在はTPPなどグローバル化の中での闘いであり、相手の土俵で戦うべきではなく、協同組合理念を踏まえたものにしなければならない。戦後の農協は組合員をお客さん扱いしてきてしまった反省に立つべきという話が出た。それを聞いて、生協陣営も他山の石としなければならないようになっているし、それにブレーキをかけて「生協の理念」に基づいて事業と活動の再構築をしていかなければならないと思えた。

【2016/12/14 23:55】 | 情報
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