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<Mより発信>
【『手記・被爆者Yの生涯』(安井晃一/著 郁朋社) のご紹介】
本書は2010年に同名で自費出版されていたものを、被爆70年に向けて出版社から強く再出版のすすめが昨年からあり、手を加えて今年7月に出版されたものです。(『北海道原水協ニュース』での紹介記事より)
ご本人から日本生協連の機関誌などでのご紹介を希望する手書きのお手紙とともに献本がありましたが、残念ながら機関誌という位置づけの出版物はなくなり、『生協運動』の後継の『CO・OP navi』には編集部で紹介する書籍紹介のコーナーがないということで、世の中に早くご紹介ができるのはこのブログではないかということでお声がかかりました。

読み進んだところ、「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」の建設運動が1982年から始まり、民間だけの力で全国で初めて独立した資料館を完成させたということでした。札幌市白石区にある会館には個人、小中学校をはじめとする団体の見学があるとのことで、今年は「被爆70年原爆展」も開催されたようです(写真投稿コミュニケーションマガジン「Scene(シーン)北海道」の公式ブログに見学報告記事がありました)。
その会館を建設して運営するために(社)「北海道被爆者協会」が設立され、筆者は1987年に常務理事に就任、同年、日本被団協の代表理事にも就任され、全国的課題である被爆者の基本要求の実現に向けて全道的に活動を開始。道内各地にある被爆者の会を拠点として援護法制定骨子の学習と被爆の実相の語り部要項の会得を中心に学習会を開催し、担当エリアでは高等学校、各地の生協、平和団体、町内会、寺院、父母の集いなどで実相普及の取り組みを行ったとありました。
1980年代から1990年代前半にかけて生協では戦争体験、被爆体験の継承の取り組みに力を入れており、その中でも大きな役割を果たしていただいたお方であったことがわかり、こちらのブログでも是非ともご紹介をしたいと思った次第です。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
破壊された平和と民主主義の改革を示唆した労作。核支配の国際社会に対し、凄惨な被爆現場での体験を内外で語り、核廃絶運動を続けてきた35年間の実践記録。原爆症認定訴訟が明らかにした被爆者の実像と法の確立。子供たちと教師の共同作業で、地域に根差した教育課程を作り上げた現場実践記録。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1部 1.おいたち・・・・・・少年期 2.わたしの青春 
第2部 1.兵役 2.被爆
第3部 1.待ち望んでいた帰郷 2.敗戦後の人生出発
第4部 1.26年間の教員生活 2.平和と民主教育を守るたたかい
第5部 1.被爆者手帳をとり、被爆者とともに 2.仲間とともに被爆者運動
     3.社団法人北海道被爆者協会の誕生
     4.北海道ノーモア・ヒバクシャ会館の完成
第6部 海外での被爆の実相普及と核廃絶要請活動(SSDⅢ、ほか省略)
第7部 原爆症認定訴訟のたたかい
     1.いよいよ開始された北海道原爆安井訴訟
     2.公判の進行状況と「原爆症認定集団訴訟」への発展
     3.原爆症認定集団訴訟の意義と運動の経過概要
     4.北海道でのたたかい
      訴訟開始後第1回目に提出した意見書
      札幌高裁への控訴時に提出した意見陳述書

国民病と言われた肺結核を抱えながら排菌がなかったために十勝の中学校の美術の教員の職を得て、「子どもたちを再び戦場に送らない」と誓った教師集団の役割を果たそうと、教員=労働者論に立つ同僚の共感・協力も勝ち取りながら地域で一番の問題校を立て直していく実践にも胸打たれ、次々と襲う病魔との闘い、教員の責務を果たせないと校長にまでも惜しまれながら潔く退職して移り住んだ札幌で取り組んだ被爆者運動と、ぐいぐいと引き込まれて読みました。また、これまで被爆者の訴訟についてはイメージ的な把握しかできていなかったのですが、第7部を読むことで理解をもう一歩すすめることができました。

被爆体験を継承するためには、このようにまとまった手記を読むことと、多くの被爆者の皆さんのご証言を直接聞くことの両方によって、想像力が相乗的に高まることを痛感してきています。この安井晃一さんの手記は「受け継ぎ手」になろうとする方々に是非おすすめしたいと確信した1冊となりました。

※「北海道観光情報」の中の「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」の項はこちら
以上

【2015/11/02 20:32】 | 文献紹介
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