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<Mより発信>
 1945年8月6日の広島、9日の長崎という2度の原爆投下による多くの犠牲について、GHQによる徹底的な言論統制によって日本国民の多くは正しい情報を知らされませんでした。1950年6月に勃発した朝鮮戦争(~1953年)では日本が前線基地となって在日占領軍が大韓民国を支援するため出動し、原爆の使用も検討されたほどでした。同年3月に採択されたストックホルム・アピール(世界の人々に署名を呼びかけた核兵器禁止を求めるアピール)に世界中で集まった6億の署名が朝鮮戦争での原爆投下を思いとどまらせる力になりました。1951年9月にサンフランシスコ講和条約と日米安保条約が同時に結ばれ、アメリカの核の傘の下に組み込まれます。
 朝鮮戦争休戦後の核兵器開発競争の中で、1954年3月1日未明、太平洋ビキニ環礁においてアメリカが行った水爆実験によって、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船などが被災しました。これらの船から水揚げされたマグロは放射能に汚染されて食べることができず、放射能雨による水や農産物の汚染問題も起きて日本中に不安が広がりました。焼津のマグロはえ縄漁船「第五福龍丸」の23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さんが「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残してその年の9月に亡くなりました。
 この3・1ビキニ事件は日本国民に大きな衝撃をあたえ、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこり、3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催され、日本の原水爆禁止運動のスタートになったのです。
 「JCCU協同組合塾」は生協の平和活動もテーマにしてきており、2014年度第1回例会(7/31)は地元東京の被爆者の方にご証言をお聴きし語り合い、継承する企画としました。そこでまとめられた3人のご証言の記録が日生協労組も賛助団体になっている「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」のHPの証言集コーナーに掲載されました。
是非みなさまにもご証言を読んでいただきたいと存じ、こちらでもご紹介いたします。
「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」のHPの証言集コーナーはこちら
その中の以下の3本が7/31の例会でご証言いただいた方々の記録です。
【証言】東京_仲伏幸子_20140731
【証言】東京_柴田フミノ_20140731
【証言】東京_奥田豊治_20140731
なお、冒頭の写真は「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を紹介するパンフレットの表紙です。希望者は一部200円でお頒けできますので、以下までご連絡ください。
会のHPの「継承ブログ」の「パンフレット」についての記事はこちら

【2015/02/27 19:37】 | 情報
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