<Kより発信>
「未来ハ我等のものな里 一九三五・一一・一・祝東京学生消費組合創立十周年記念 賀川豊彦」

と達筆で書かれた賀川氏の書があります。この書を、戦前の東京学消赤門支部の山岸専務が保管されていて、1978年に全国大学生協連に譲渡されました。全国大学生協連の会長の福武直先生(元東大教授)は、以下のように『生活と生協』(第59号1979年)で、語られています。
「私は、この書に接して、昭和10年と書かないで、一九三五と記されていることにも、特別の感慨を禁じえなかった。私は、賀川さんについて、ほとんど無知である。どのような気持ちで一九三五と書かれたのかも知らない。キリスト者として当然といえばそれまでだが、その五年後、紀元二六〇〇年を祝賀した戦前の日本で、(途中略)あえて一九三五と筆をふるわれたということは、その理由は別として、私には、<未来は我等のものなり>という言葉に全くふさわしいように思われた。いいかえれば、これによって、言葉がいっそう生彩をはなっているように感じられたということである。」

そしてさらに「<我等のもの>である<未来>はそれほど近い将来には招来しがたいことを認識した上で、しかも、その遠い未来が必ずや<我等のもの>であることを確信しようというわけである。いいかえれば、近い未来を我等のものと安易に期待することが、その望みなさに憤慨し、無謀な運動をひきおこすのであり、我等の未来は遠くとも必然であるという不動の立場を固めることが、地道な不屈の努力を生み出すのである。賀川さんの書がしたためられてから半世紀に近い歳月を経た今日、私は、できるだけ多くの人々とともに、<未来は我等のものなり>という言葉を、このようように読みとりたいと思う。」

私は、大学生協に勤務していた頃、福武先生のご講演を聞いたことがあります。また、福武先生の『大学生協論』(東京大学出版会、1985年)を読み、福武先生の生活協同組合論に感銘したことがあります。昨年来、賀川豊彦を学んできて、賀川氏と福武先生の生協論には共通するところがあることを感じます。
賀川氏は、東京学消が解散させられる直前に「未来は我等のものなり」一九三五と書き、いずれ無謀な軍国主義と戦争は終わり、協同組合の時代が来ると確信していたのだと思います。



【2010/05/02 18:49】 | アーカイブ
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