「平和とよりよい生活のために」石黒武重先生揮毫50%縮小
<Mより発信>
日本生協連は、設立の前年に朝鮮戦争が勃発して米軍占領下の日本も巻き込まれ、マッカーサーが核兵器使用を考えたという緊迫した状況のもとで創立総会を開催した。そのような中で、創立宣言には「平和と、より良き生活こそ生活協同組合の理想であり」という文言が盛り込まれ、「平和宣言」とともに採択されている。
「平和とより良き生活のために」のフレーズは、日本生協連のスローガン的に長く掲げられてきていて、戦後まもない頃で文語体の表記だったものが、口語体の表記に変わって「平和とよりよい生活のために」となっているようだ。(表記の変更については斎藤嘉璋氏にお聞きしました。)
昨年7月の例会で斎藤嘉璋氏に「生協の平和活動の歴史」というテーマでご講演いただいた時の報告はこちら
ただし、その頃からスローガンとしては「平和」と「よりよい生活」のどちらを先に掲げるかという論争があったようだ。資料室にある史資料の中にもその両方が見受けられる。当時、東大生協の役員として創立総会に参加した福田繁氏は、提案した私が「平和」が先だと言っているのだから間違いないとおっしゃっている。
2010年3月に福田繁氏に「日本生協連創立の頃の想い出 ~賀川初代会長、当時の日本の生協のこと~」というテーマでご講演いただいた時の報告はこちら
斎藤嘉璋氏が共同運営ブログ「コラボ・コープOB」に書かれた「“平和とよりよき生活のために”をめぐって<平和>が先か<生活>が先か」という文章はこちら
大学生協連のHPの「大学生協連のあゆみ」の年表には、「1953年 学協『よりよき生活と平和のために』採択し再建」とあった。戦後の食糧事情が困難な時期に、学生に大学の授業の合間に最低限の腹ごしらえをできるようにするという大学生協の使命感のようなものがあったのではないかと推測する。資料室にある早稲田大学生協の年史に詰襟の学生服で牛乳とコッペパンを食べている風景の写真が掲載されている。それを見たら、大学生協の役職員の問題意識であれば「よりよき生活」が先と主張するだろうなと納得させられた。

しかしながら日本生協連では「平和」が先である。全国の生協の役職員向けの「CO・OP手帳」の表紙裏には、冒頭の揮毫が入っている。1985年より前からずっと入っていて、近年になって由来がわかるようにと注記が追加されていた。ところが、この注記によって誤解をしている方が何人もいることを最近知って驚いた。日本生協連の創立宣言自体が毛筆で書かれていてそこからの抜粋と思っているという誤解・・・。資料室に保管してある創立総会資料にある「創立宣言」そのものはガリ版刷りの資料なのだ。
元になっている揮毫がどなたによるものかを突きとめておく必要を感じた。私の仮説は日本生協連の第3代会長理事の石黒武重先生で、資料室にある『石黒武重小伝 努力を楽しもう』の題字と同じ文字だと推測した。
『石黒武重先生小伝 努力を楽しもう』表紙70%縮小
OBの皆様方に次々と問い合わせを入れ、おそらくそうだろうとおっしゃってくださる方も何人もいたが確証が得られなかった。OBからOBに問い合わせを入れてくださり、という経過をたどって、ついに証言を得られた。石黒先生が書いているところを福田繁氏が見ていたとのことだった。
途中で、会報の題字も、役職員向けの部内報『虹流』の題字も石黒先生が書かれたものという証言も得られた。当時、筆文字で気軽に書いていただける偉い方は石黒先生ということだったようだ。

私は、生協総合研究所が設立されてまもない1990年頃、萩原久利氏が石黒武重先生のご自宅に通って聞き取りをして『努力を楽しもう』を編集しているのを知っていた。そこで題字が印象に残っていたのだった。この書籍は残念ながら絶版になってしまっているが、国立国会図書館にも登録があった。資料室にも保管してあるので、閲覧希望者はご利用ください。
石黒武重氏は、日本の官僚、政治家。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長、法制局長官、民主党初代幹事長などを務め、戦後の混乱期の収拾に尽力された方とのこと。そのために「先生」と呼ばれていたが、早くから東京の砧生協の理事長もつとめられていて、「役所にいるよりここにいる方がいい」と日本生協連の事務所に機嫌よくいられたというエピソードも聞いている。日ソ協会会長などもつとめられるほどの方で、ソ連との協同組合間貿易も石黒先生がいらしたからそこできたのだという。
ネット検索すると出てきたのが、『異色農林官僚石黒武重に聞く』(農山漁村経済更生運動正史編集委員会, 1976 )と、『戦時経済国策大系 (第9巻) 』石黒武重 (日本図書センター 2000/01)
ウィキペディアの「石黒武重」の項はこちらだが、情報が少ない。石黒武重氏についての研究がもっとすすむといいのではないかと思えた。
以上
(8/29・9/3追記)
資料データベース登録の際に、関連資料の確認をするのだが、その中で今回の石黒先生の揮毫を最初に使ったのではないかと思われる資料を見つけた。1983年11月に発行された『虹のしおり-日本生協連のご案内』の表紙に揮毫が大きく掲げられ、裏表紙の奥付に「題字/石黒武重」と入っていた。日本生協連と全国の生協について部外者に説明する冊子のシリーズである。冊子の見開きの左ページ下にもデザイン的に使われており、これで使いたいということで能筆家の石黒先生に書いていただいたのだろうと推測している。
1983『日本生協連のご案内』表紙揮毫15%縮小.jpg

【2014/08/16 21:48】 | 情報
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