20130718コーププラザで斎藤・伊藤両氏の講演(有田さん撮影1)60%縮小
<Mより発信>
JCCU協同組合塾の2013年度第1回例会が開催されました。今回はダブル講師企画としましたが、参加予定者よりも参加が増えて会場がいっぱいになって嬉しかったです。
「生協の平和活動の歴史」をご講演いただいた斎藤嘉璋さんからご自身で作成された講演要旨をいただくことができました。代表幹事二人で相談し、貴重な内容であり下手なダイジェストをするよりも数回に分けてアップさせていただくことにします。写真は参加者のAさんがご提供くださいました。

【2013年度第1回例会のご報告】その1
1.開催日時  2013年7月18日(木)18時~21時30分
2.参加者   計33名
3.テーマ:「生協の平和活動の歴史とこれからの課題」
Ⅰ.生協の平和活動の歴史
講師:斎藤 嘉璋 氏(日本生協連元常務理事)

以下、講演の主な内容
1.“平和“は日本の生協運動の理念
 1945年、終戦直後の11月に日本生協連の前身組織・日本協同組合同盟(日協同盟)が創立されます。創立総会で賀川豊彦はじめ戦前からの協同組合のリーダーたちは300万人をこえる犠牲者と国土の荒廃をもたらし、生協運動も壊滅させた大戦からの復興と再生への思いをこめて「本同盟は協同組合の普及発展を図り民衆生活の維持安定及文化の向上を期し以て民主主義的平和国家を確立し更に協同組合の国際的結合に依る世界平和の実現を目的とする」(規約第4条)ことをうたいます。
 日協同盟は綱領や運動方針大綱で民主主義と平和な日本の建設、そのための協同組合運動の発展、統一と団結の大切さをうたいました。

 1951年、日協同盟は生協法に基づく生協の連合会として日本生活協同組合連合会(日本生協連)を創立、活動を継承します。日本生協連は綱領で「世界平和の確立」、創立宣言で「平和と、より良き生活こそ生活協同組合の理想であり」「最大の使命」であるとうたい、「平和宣言」を採択します。日協同盟の反戦・平和の理念を引き継いだものですが、ちょうど朝鮮戦争がはじまり、日本がその前線基地となるといった切迫した情勢がありました。

 創立宣言で使われた“平和とより良き生活のために”は、その後長らく日本生協連はじめ全国の生協運動のスローガンとして使われます。そのスローガンは国際学連のスローガン“平和とより良い未来のために”から転用して東大生協で初めて使われました。東大生協の学生理事で日本生協連設立準備委員であった福田繁さん(のち日本生協連専務理事)が提案したものですが、発祥の地である東大生協はじめ大学生協では「生協は生活が先の方がいい」と「より良き生活と平和のために」をスローガンにしていました。私の学生の頃の早大生協も「生活~」でしたが、日本生協連に就職すると「平和が先だから」と注意されました。賀川さんや中林さんの強い想いもあったと思います。
2.原水爆禁止運動の最初―生協の主婦組合員の取り組み

 1945年8月に広島・長崎に原爆が投下されますが、原爆と被爆の実相は米軍占領下では長らく事実は隠ぺいされ、情報や関連する活動は制約されてきました。1951年、同志社大で初めての「原爆展」が開かれ、52年「アサヒグラフ」に被爆写真が掲載され国民に衝撃を与えます。
 「アサヒグラフ」に被爆の実相が特集された1952年、杉並区生協協議会婦人部は杉並区婦団協とともに「原爆展」に取り組み、国際デーに「ICA加入の33か国へ原爆写真をおくろう」と取り組んだり、世田谷区では梅ヶ丘文化クラブの婦人たちも原爆展を梅ヶ丘駅で開催するといった動きが始まります。

 1954年3月1日、第五福竜丸がアメリカのビキニでの水爆実験で被爆します。焼津港から築地に贈られたマグロなどが水爆に汚染されていることが報道され大問題になり、魚商や市場、漁業組合などがアメリカの水爆実験に抗議・禁止の声あげ、これに呼応して放射能汚染に不安をもつ母親たちが立ち上がります。
アメリカのビキニ海域での水爆実験をやめさせようと幅広い取り組みを展開したのは、前述の杉並の婦人たちでした。杉並では魚商などの訴えに生協婦人部も参加する婦団協の婦人や文化人、PTA、労組などが結集し「水爆禁止署名運動杉並協議会」を発足させます。5月にはじめた署名は1か月で26万筆(区民39万の7割)とひろがりますが、署名運動の担い手に生協の婦人リーダーが大きな役割を果たし、当時の杉並生協、杉並中央生協、荻窪生協が署名活動に取り組みました。
 東京では3月に目黒区生協協議会が「講演と映画の会」で「原爆禁止」をスローガンにし、「永遠なる平和を」という映画を上映しました。4月には主婦連、地婦連、生協婦人部が「原水爆禁止・製造禁止」の共同声明をだしました。日本生協連常務理事会は、世界の協組にむけて「原水爆禁止」のアピールをだしました。杉並で始まった水爆禁止署名は全都に広がり、8月には「原水爆爆禁止署名運動全国協議会(安井郁事務局長)」が結成されます。賀川豊彦(日本生協連会長)、奥むめお(同副会長、主婦連会長)が代表世話人会メンバーでした。第五福竜丸で被爆した久保山愛吉さんが死亡し、10月に追悼の平和の集いが行われますが、そこには署名が1213万筆と報告され、来年、広島で原水爆禁止世界大会を開くことが提案されました。
 1955年8月、広島で原水爆禁止世界大会が署名運動の盛り上がりのなかで開催され、全国97組織、海外14か国から代表など5000人が参加しました。(署名は3,216万筆)。世界大会の成功のもと9月には、原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足しました。

(参考文献:後記の丸浜江里子『原水禁署名運動の誕生』、東京都生協連『東京の生協運動史』など)
以下、「その2」に続く。
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その2
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その3


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2.原水爆禁止運動の最初―生協の主婦組合員の取り組み

 1945年8月に広島・長崎に原爆が投下されますが、原爆と被爆の実相は米軍占領下では長らく事実は隠ぺいされ、情報や関連する活動は制約されてきました。1951年、同志社大で初めての「原爆展」が開かれ、52年「アサヒグラフ」に被爆写真が掲載され国民に衝撃を与えます。
 「アサヒグラフ」に被爆の実相が特集された1952年、杉並区生協協議会婦人部は杉並区婦団協とともに「原爆展」に取り組み、国際デーに「ICA加入の33か国へ原爆写真をおくろう」と取り組んだり、世田谷区では梅ヶ丘文化クラブの婦人たちも原爆展を梅ヶ丘駅で開催するといった動きが始まります。

 1954年3月1日、第五福竜丸がアメリカのビキニでの水爆実験で被爆します。焼津港から築地に贈られたマグロなどが水爆に汚染されていることが報道され大問題になり、魚商や市場、漁業組合などがアメリカの水爆実験に抗議・禁止の声あげ、これに呼応して放射能汚染に不安をもつ母親たちが立ち上がります。
アメリカのビキニ海域での水爆実験をやめさせようと幅広い取り組みを展開したのは、前述の杉並の婦人たちでした。杉並では魚商などの訴えに生協婦人部も参加する婦団協の婦人や文化人、PTA、労組などが結集し「水爆禁止署名運動杉並協議会」を発足させます。5月にはじめた署名は1か月で26万筆(区民39万の7割)とひろがりますが、署名運動の担い手に生協の婦人リーダーが大きな役割を果たし、当時の杉並生協、杉並中央生協、荻窪生協が署名活動に取り組みました。
 東京では3月に目黒区生協協議会が「講演と映画の会」で「原爆禁止」をスローガンにし、「永遠なる平和を」という映画を上映しました。4月には主婦連、地婦連、生協婦人部が「原水爆禁止・製造禁止」の共同声明をだしました。日本生協連常務理事会は、世界の協組にむけて「原水爆禁止」のアピールをだしました。杉並で始まった水爆禁止署名は全都に広がり、8月には「原水爆爆禁止署名運動全国協議会(安井郁事務局長)」が結成されます。賀川豊彦(日本生協連会長)、奥むめお(同副会長、主婦連会長)が代表世話人会メンバーでした。第五福竜丸で被爆した久保山愛吉さんが死亡し、10月に追悼の平和の集いが行われますが、そこには署名が1213万筆と報告され、来年、広島で原水爆禁止世界大会を開くことが提案されました。
 1955年8月、広島で原水爆禁止世界大会が署名運動の盛り上がりのなかで開催され、全国97組織、海外14か国から代表など5000人が参加しました。(署名は3,216万筆)。世界大会の成功のもと9月には、原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足しました。

(参考文献:後記の丸浜江里子『原水禁署名運動の誕生』、東京都生協連『東京の生協運動史』など)
以下、「その2」に続く。
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その2
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その3

【2013/08/01 23:59】 | 主催企画報告
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反核・平和は人類永遠の課題
名嘉 清
非常に良く出来ていて敬意を評します。なかなか協同組合の歴史を語る人がいなくなった中、自ら地域で生協を立ち上げた経験を持ってる人がいない中で、斉藤嘉璋氏を選ばれた事は適任だと思います。協同組合の先駆者の紹介と、「空想的社会主義から科学的社会主義」ロバート・オーエン著と1917年の「平和に関する布告」レーニンの辺りにも触れて頂ければと思います。知っている事-分かっている事-出来る事とは違いますので、実践活動にも是非触れて頂きたいと思います。よけいな事いったかな!
核と人類は共存できない!

名嘉さまへ
管理人Mより
当ブログへのコメントを有難うございます。2本を1本にまとめさせていただきましたm(_ _)m
1990年代からの新自由主義の席巻の中、日本の生協陣営においても協同組合の理念を歴史とともに学んで実践に活かしていくという気運が後退していたと思います。しかしながらここまで世界的に格差が拡大し、貧困問題が深刻化し、「社会連帯経済論」も普及する中であらためて協同組合の役割が問われていると思っています。
「協同組合塾」もそのようなことを考えてメンバーが実践に活かせる場になっていけるように努力してまいります。

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コメント
この記事へのコメント
反核・平和は人類永遠の課題
非常に良く出来ていて敬意を評します。なかなか協同組合の歴史を語る人がいなくなった中、自ら地域で生協を立ち上げた経験を持ってる人がいない中で、斉藤嘉璋氏を選ばれた事は適任だと思います。協同組合の先駆者の紹介と、「空想的社会主義から科学的社会主義」ロバート・オーエン著と1917年の「平和に関する布告」レーニンの辺りにも触れて頂ければと思います。知っている事-分かっている事-出来る事とは違いますので、実践活動にも是非触れて頂きたいと思います。よけいな事いったかな!
核と人類は共存できない!
2016/01/12(Tue) 12:16 | URL  | 名嘉 清 #9I5CiGdQ[ 編集]
名嘉さまへ
当ブログへのコメントを有難うございます。2本を1本にまとめさせていただきましたm(_ _)m
1990年代からの新自由主義の席巻の中、日本の生協陣営においても協同組合の理念を歴史とともに学んで実践に活かしていくという気運が後退していたと思います。しかしながらここまで世界的に格差が拡大し、貧困問題が深刻化し、「社会連帯経済論」も普及する中であらためて協同組合の役割が問われていると思っています。
「協同組合塾」もそのようなことを考えてメンバーが実践に活かせる場になっていけるように努力してまいります。
2016/01/12(Tue) 12:30 | URL  | 管理人Mより #9I5CiGdQ[ 編集]
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