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20130706デリフランスのキッシュセット50%縮小

<Mより発信>
「被爆者の声をうけつぐ映画祭2013」のため、明治大学のリバティタワーに出かけてきた。映画祭は有志で作る実行委員会と明大軍縮平和研究所の共催で7回目とのこと。昨年末に亡くなった「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんの追悼特集が組まれていて、中沢さんを取材したドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」を観て、監督のトークを聞くことができる午後5時半からの第2部に行った。

「はだしのゲン」は私が中学生の時に『月刊少年ジャンプ』で連載が始まった頃に読んでいて衝撃を受けた。その後は途切れ途切れに読んでいたが、全部読みたくなった。
原画は広島平和記念資料館に寄贈されていて、ドキュメンタリーの中でもその原画を見せてもらいに行ってその前で原画を見ながら話を聞くという場面もあった。
2011年製作の映画の中の中沢さんはまだまだお元気そうで、NPO法人「ANT-Hiroshima」代表の渡部朋子さんがいい感じにお話を引き出しているのを、シグロの石田優子さんが初監督している。

かなりご自身の経験がもとになっているんだなぁということがわかった。塗り師だったお父さんが京都で日本画や蒔絵を勉強した上で仕事をしていて、さらに素人劇団をつくってゴーリキーの「どん底」まで上演していたこと、劇団員全員が警察でかなり長いこと拘留され身体がボロボロになって戻ってきたこと、家族を正座させて「戦争は絶対負ける、そうなったら腹いっぱい食べられる」と話を聞かせたりしたこと、小さい畑で麦を育て「麦のように踏まれて強くなる人間になれ」と言われて育ったことなど、父のDNAや思いを継いだことがよくわかった。

お母さんと2人で生き残れたからこそ生きてこられたことや、手塚治虫の漫画を剥がしてきた映画のポスターの裏で模写しまくって、映画をたくさん観て、早くから漫画を投稿し早くデビューできて、好きなことで飯を食えたことは幸せだったと語る。一方、原爆のことをテーマにした作品も早くから描いてきたが、理解のある編集長がすすめてくれたからこそ「はだしのゲン」の連載は実現したとのことだが、まさに70年安保闘争の後、国政革新の機運が高まった時代の産物でもあったことに気づかされた。

映画もよかったが、石田監督とインタビュアーの渡部朋子さんのお二人によるアフタートーク、参加者との対話がさらによかった。小学校の教室の後ろにあった「はだしのゲン」を読んだという若い人からの発言も嬉しくなった。漫画の魅力として主人公のゲンが明るかったことが指摘されていて、「♪とんがり帽子の赤い屋根~♪」とか歌っている場面が映しだされていたが、中沢さんは「辛い時には空元気でも出さないと生きられなかった」と言っていた。まさにゲンは中沢さん自身の姿だったんだなぁとわかった。

トークの中で、映画が出来上がった後で、ガンが見つかってどんどん弱っていきながらも最後は車椅子で酸素吸入をしながらも広島の小学校で被爆体験を語っていた中沢さんが「自由にものが言えることが大事だ」「平和憲法を守っていかないといけない」ということも力説していたともお聞きして、まさに今の状況をなんとかしなければという思いにかられた。

冒頭の写真は、御茶ノ水駅近くのベーカリーカフェでキッシュとサラダとパンを白ワインでいただきながら、映画やトークの内容を反芻しているところです(^^ゞ

【2013/07/06 23:59】 | 情報
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