<Mより発信>
嶋根善太郎氏の連載紹介(3)の私の注記で紹介した『生協運動 想いで集』の195ページより横関武氏(京都生協元理事長)から寄せられた文章を3回にわけてご紹介します。
賀川豊彦に言及した部分は、戦争協力責任について追及してやりとりされたくだりがとても貴重に思われます。

【横関武氏「三人の思い出」のうち、賀川豊彦に言及した部分】
私の視力はほとんど無い。生まれた時からそうである。だから本当に多くの方々に支えてもらって今まで生きてこられたのだとしみじみ有難く思う。特に明治生まれの骨太さと大正ロマンに培われ、視野広く高いミッションを燃やしつづけた先達たちに恵まれたことに感謝している。
生協運動に関わっては、特に賀川豊彦、涌井安太郎、能勢克男のお三方がおられる。優れた社会思想家であり文化人、教育者、そして常に言行一致の実践家として共通した人格を持っておられた。

第二次大戦中は、兵隊になれないすべての障害者は国家と軍人から人間扱いされず、国家権力からはいじめと見せしめの対象にすぎなかった。当時旧制中学生だった私もご多分にもれず、配属将校(軍人)から「貴様のような戦争に役立たない奴は国の恥だ。お国のために死んで石油になってしまえ」と毎日のように怒鳴られ殴られた。敗戦はわたしの全身に血を蘇えらせた。希望があふれて、これからの日本を戦争と餓えの無い社会にしたいと心底から思うようになった。

そうした中、賀川先生とは1949年に知遇を得、その後お会いする機会も増えた。先生は私にもう一度進学するように勧めてくださり、51年には同志社大学の大下角一神学部長を紹介していただき、私に勉強のきっかけをつくってくださった。

先生は私に、労働者伝道の牧師になってほしい、という期待をお持ちのようだったが、私はその意に反して、同志社大学入学後、社会科学を学ぶべく思い至り、神学部からの転部を先生に報告した。その時先生は、資本主義社会の欠陥を正すべく、先生が「静かな革命」と名づけてやってこられたいろいろな社会運動(労働、農民、福祉運動等)について、なかでも生協運動について、熱を込めて教えてくださった。私はそのとき初めて「平和とより良き生活のために」と「一人は万人のために、万人は一人のために」というスローガンを知り、感動し賛同した。

またその時私は、「第二次大戦中、生協と先生は戦争と飢えについてどうされたのですか」という質問もした。先生は「軍国主義は自由も民主主義も認めない。生協やキリスト教さえ敵視した。だから多くの生協は解散の憂き目にあった。自分は徹底抗戦出来なかったことを心から恥じている。これからは身を賭して戦争に反対する」と決意をいわれた。そして戦後の自分の行動を話された。私は理解した。賀川先生は私にとって生協運動への目を開いてくださった先達である。

→(2)へ続く

【2010/05/01 00:06】 | アーカイブ
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Kより
「賀川氏が戦争時の心境について語られたこと」を聞いた横関氏の貴重な文章ですね。私もどこかで、読んだ記憶があったのですが、『想い出集』にあったんですね。資料アップありがとうございます。

★Kさま
Mより
日本生協連の対外広報誌『CO-OP』2010年新春号(NO.117)で、「実践の人、賀川豊彦を語る」という対談企画が掲載されています。http://jccu.coop/aboutus/data/pdf/magazine_117.pdf
聖路加国際病院理事長 同名誉院長日野原重明先生と山下俊史会長との対談の中で、賀川豊彦の戦争協力責任について、以下のような言及があります。
山下「・・・・・・また、不幸な戦争の時代、日本という国家との関係ではずいぶんと悩まれたことも多かったでしょうね。」
日野原「それは悩まれたでしょうね。戦争に入ってしまってどうしようもない状態になってしまって、本当に大きな試練を賀川先生も受けられたと思います」
山下「戦後を迎えて、もう一度、いわばやり直すくらいの決意で、日本生協連を作った。」

対外広報誌でこのくらいの表現になってしまうのは、まぁ仕方のないことでしょうか。
賀川豊彦が戦争協力責任について自己批判をしていないというように指摘が続くことについては、もう少し何とかできないかと考えてきました。
この横関氏の文章はきちんと言及してくださっているのが文字になっているということで、関係者に配布したような出版物だけの掲載では勿体ないと考えて、こちらのブログでご紹介させていただいた次第です。


Kより
5月2日付で、「未来ハ我等のものな里」の紹介記事を掲載しましたが、これは東京学消の創立10周年記念の際、賀川氏が筆で書いた書です。賀川氏は、年号を昭和10年と書かず、一九三五と記しました。東京学消が、まもなく解散させれる時期ですが、賀川氏が軍国主義に対して、無言の抵抗と反対をしているように感じられます。Kより

★Kさま
Mより
「未来ハ我等のものな里」の紹介記事アップ、有難うございました。早速読ませていただきましたm(_ _)m
嶋根善太郎さんの紹介記事で、全国共済農協連の特別応接室の壁にある書のところでも漢数字で年号が入っていたようでしたが、「東京学消の創立10周年記念」の方は戦前となると、やはり軍国主義の統制への抵抗意識があるという指摘に深いものを感じます。
昭和天皇を敬愛されていた賀川氏ですが、あえて元号を使わなかったということに、国際的に活躍されていた感覚以上の意識があったように私にも思えます。

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コメント
この記事へのコメント
「賀川氏が戦争時の心境について語られたこと」を聞いた横関氏の貴重な文章ですね。私もどこかで、読んだ記憶があったのですが、『想い出集』にあったんですね。資料アップありがとうございます。
2010/05/02(Sun) 06:31 | URL  | Kより #-[ 編集]
★Kさま
日本生協連の対外広報誌『CO-OP』2010年新春号(NO.117)で、「実践の人、賀川豊彦を語る」という対談企画が掲載されています。http://jccu.coop/aboutus/data/pdf/magazine_117.pdf
聖路加国際病院理事長 同名誉院長日野原重明先生と山下俊史会長との対談の中で、賀川豊彦の戦争協力責任について、以下のような言及があります。
山下「・・・・・・また、不幸な戦争の時代、日本という国家との関係ではずいぶんと悩まれたことも多かったでしょうね。」
日野原「それは悩まれたでしょうね。戦争に入ってしまってどうしようもない状態になってしまって、本当に大きな試練を賀川先生も受けられたと思います」
山下「戦後を迎えて、もう一度、いわばやり直すくらいの決意で、日本生協連を作った。」

対外広報誌でこのくらいの表現になってしまうのは、まぁ仕方のないことでしょうか。
賀川豊彦が戦争協力責任について自己批判をしていないというように指摘が続くことについては、もう少し何とかできないかと考えてきました。
この横関氏の文章はきちんと言及してくださっているのが文字になっているということで、関係者に配布したような出版物だけの掲載では勿体ないと考えて、こちらのブログでご紹介させていただいた次第です。
2010/05/02(Sun) 12:40 | URL  | Mより #9I5CiGdQ[ 編集]
5月2日付で、「未来ハ我等のものな里」の紹介記事を掲載しましたが、これは東京学消の創立10周年記念の際、賀川氏が筆で書いた書です。賀川氏は、年号を昭和10年と書かず、一九三五と記しました。東京学消が、まもなく解散させれる時期ですが、賀川氏が軍国主義に対して、無言の抵抗と反対をしているように感じられます。Kより
2010/05/02(Sun) 23:49 | URL  | Kより #-[ 編集]
★Kさま
「未来ハ我等のものな里」の紹介記事アップ、有難うございました。早速読ませていただきましたm(_ _)m
嶋根善太郎さんの紹介記事で、全国共済農協連の特別応接室の壁にある書のところでも漢数字で年号が入っていたようでしたが、「東京学消の創立10周年記念」の方は戦前となると、やはり軍国主義の統制への抵抗意識があるという指摘に深いものを感じます。
昭和天皇を敬愛されていた賀川氏ですが、あえて元号を使わなかったということに、国際的に活躍されていた感覚以上の意識があったように私にも思えます。
2010/05/03(Mon) 17:51 | URL  | Mより #9I5CiGdQ[ 編集]
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