201109大嶋茂男『協同運動と新社会システム』表紙.jpg
<Mより発信>
1982年当時、大嶋茂男氏は日本生協連関西支所長で人事への新入職員配属のリクエストの際、必ず女性を一人は入れて欲しいと言ったため、私が関西支所に配属された。その後も大嶋氏との因縁(?)のある私だからこそ、氏の最新刊『福島後「維持可能な日本」をつくる 協同運動と新社会システム』をご紹介させていただくことにする。
大嶋茂男 著『福島後「維持可能な日本」をつくる 協同運動と新社会システム』のご紹介
どこのサイトにも出てくる「BOOK」データベースからの内容情報は以下の通り。
「脱原発時代のくらしはどう変わるのか、市民と労働者がどう変えるのか。その社会システムは協同運動の経験の中から生み出すことが可能であり、国民が決意すれば実現できる。それはこれまでの利潤第一主義との決別でもある。」
アマゾンよりも「BOOK」データベースより目次や著者情報が詳しく引用された楽天のサイトの方をご紹介

若い頃、仕事柄もあって大嶋氏の講演を何回か聞いたことがあるが、ポイントを何点かにまとめて実に頭に入りやすく話をされる。慶応大学の弁論部にもいたという経歴をお聞きしていたので、なるほどと納得していた。著書は何冊か読ませていただいたが、今回の新刊は氏の思考・活動からの論考の集大成ともいうべき渾身の一冊だと思った。各章ごとにまとめのページも設けてあり、何を言いたいのかは実にはっきりしていた。上記の楽天サイトから目次を以下に引用しておく。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 現代社会を持続不可能に陥れる“7つの大罪”-いま、人類は持続不可能な破滅の道を歩んでいる。この認識からすべては始まる/第2章 価値観の転換、利潤第一主義から人間第一主義へ-資本力での支配でなく、持続可能な「生命地域」を協同で創造しよう/第3章 金融資本・大資本の自由な活動を保障するTPP(環太平洋連携協定)-その参加阻止なくして、新しい社会システムなし/第4章 新しい国家像と「公共・協同システム」の発展-巨大資本のグローバリゼーションに対抗できる公共と協同を発展させる/第5章 維持可能な社会の構造、産業構造/第6章 能動的な「変革の主体」となる-同時に、公・協にふさわしい「教育と責任の体系」の確立が必要

まず、第1章「8.哲学・価値観の弱さ」で(46ページ~)、以下のように書かれていることに共感。
 現在の日本では、「グローバリゼーション下での国際競争は不可避だし、これに勝たなければ日本は取り残される」と「金儲けこそ善である」が中心的な価値観となっていて、「人間どう生きるべきか」「持続可能な社会をつくるために人間はどう行動すべきか」ということを考える哲学・価値観が非常に弱い。それが日本の最大の弱点である。
 哲学・価値観が弱いと、現状に妥協するあきらめが先行して、現状を改革しようとする情熱が湧いてこなくなる。
(中略)
 金融資本主義と多国籍企業の時代に入り、労働力が、工業力を持つ低賃金地帯に異動するにつれて、先進国や最貧国の両極をはじめ、発展途上国においても慢性的に労働力が余剰になる時代に入ってきたのである。
 人類がこの状況から脱却するためには、すべての地域において、新しい仕事を生み出す仕組みを社会の中に内包する社会システムを作り出さなければならない。それは消費者が自ら必要とする者の生産に従事し、生産と消費の物質循環が、基本のところでは地域で完結する社会、つまり生態系の物質循環に立脚した生活・生産構造を作り上げることであり、これは我々のこれからの課題といえよう。

2つめ以降は追記を開くと出てきます(長くなったのでたたみます)。
2つ目に、第4章「8.協同、協同組合とはなにか、それをどう強化するのか」で(163ページ~)、訳語に対するこだわりをみせたのが興味深かった。日本の多くの学者(日本生協連も)が「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」と訳しているのを、氏はフランス協同組合全国連合会と同じように「協同組合とは何かのICA宣言」と訳す。国際会議に何度も出席し発言する度に「identify yourself=自分は誰かを名乗れ」と言われた経験からだという。
確かに海外の言葉を極力きちんと日本語にすることをせず、カタカナにして政策に使うことに対して、組合員参加が強調された時代に組合員の大半にわかる言葉にするようにとされていたのに、現在では後退していると私も思う。わかりにくい言葉を使うことは目くらましになる。
同様に、第6章「3.『公共・協同』では学びと運動と事業を一体的に追求する」の最後で(226ページ~)、上記の宣言の第7原則を「地域共同体への参画(concern)」を関与・関心という責任感の弱い意味に翻訳したことの悪影響についても指摘している。生協も地域の中で役割を果たすという課題を大きく掲げてから20数年がたっているが、「参画」というレベルに達しているところはどれほどあるかという状況だと思う。 

3つ目に、同じ項(第6章の3)で、以下のように指摘するところも示唆的だ。
 こうした学び・運動・経済生活の3つの領域での主体形成こそ、世界の協同組合運動が本来追求してきたことであるはずだった。運動部門は運動だけをおこなうというのでは、自らの生計を維持することさえできないし、新たな運動家を生み出す経済的条件を整備する点でも役に立たない。また、事業部門は、「運動と事業は別」という論理に立つのではなく、学びと運動が追及している課題を事業の中で実現するという基本姿勢を堅持しなければならない。
運動と事業を分離して考える方式は、消費者主権、消費者庁、消費者基本法という考え方と結びつき、その内実は、多国籍企業の手で、大量生産、大量消費、大量廃棄社会を進めるうえで、役立つように利用されてきたのである。
 その反省に立って、欧州などを中心に市民に重点を置いた「消費者市民社会」という考え方が広がってきた。(中略)消費者市民社会と両輪となって機能するのが「企業の社会的責任(CSR)」である。
 しかしながら、「消費者市民社会」と「企業の社会的責任」論をもってしても「市民による持続可能な社会づくり」には十分なかたちで踏み込んでいないことが限界となっている。この限界を突破して、市民主体の民主主義社会をつくり、運動と事業の統合を実現しなければならない。

4つめに、第6章「9.地域関係労働者と地域をよくすることへの責任感」で(252ページ~)、協同組合で働くうえでの責任の体系の2つについての指摘が今更ながらに大事だと思った。
 働くうえでの責任の体系は2種類ある。1つは先の述べたようなものづくり技術のうえでの専門職縦割りのもとでの責任の体系であり、もう1つは地域社会との関わりで、地域に対する責任として生じる責任の体系である。この延長線上に国家的な責任の体系もある。

ひところ、生協の職員は実務のレベルがおそまつなので「天下国家を語るより腐った魚を売るな」という指導が流行った。私は「天下国家を語りながら腐った魚も売らないよう両方を追求すべきだ」と労組の勉強会などで言ってきたが、その考え方と同じだと思った。

同じ項に続けて地域関係労働者についての説明もある。
 協同組合の場合、生協、農協であれ、労働者協同組合、中小企業の協同組合であれ活動する地域が限定され、活動する地域の発達に貢献することを目的にしているのであるから、自治体労働者と並んで地域関係労働者の中核にならなければならない。

この第6章=最終章のまとめに、傍点を打った3行がある。
 結論として、国民は集団主体権を発揮してまず地方自治体を、そして国の政治を変えるしかない。その中心に地域関係労働者がすわることが重要だ。地域関係労働者が、労働組合を通じて地域社会の「なっていたい姿」を協同で描き、それを実現するイニシアチブを発揮することが期待されている。

結論はわかる。その後が問題で、生協の労組がそんな力を発揮できるかどうか、現実と乖離が大きいように思えてならない。しかしながら、この「JCCU協同組合塾」も日生協労組を基盤に自主活動しているわけで、生協の労組へ示された期待を受けとめなければならないと思った。ただし全国連合会の労組であり、地域には根ざしていないので、「学びと運動と事業を一体的に追求する」ということをテーマにさせてもらえればと考えている。

(私と大嶋氏の関わりについての補足)
1980年代の地域生協の県域を越えた連帯模索の中で、1985年に地連が発足した。その際に氏は初代関西地連事務局長になり、私も地連事務局に異動になった。その後、全国消団連事務局長に異動して活躍され、最後は生協総合研究所の主任研究員を勤められて定年退職された。1990年には私も東京に異動して生協総合研究所に出向し、日生協に戻った後も総研と共同作業をすることが多い「くらしと商品研究室」にいたので、大嶋さんとは浅からぬ因縁がある。その後、大嶋氏は大学で教鞭をとりながら博士号も取得され、NPO法人もつくって活動されている。私が資料室勤務になり、半世紀分の写真を整理した際には慶応大学生協時代の氏が欧州の生協への留学に向かう際の壮行会の写真も出てきて驚いたものだ。この時に国際会議に参加して発言、質疑応答を堂々とこなせる基礎が築かれたのだろうと推測。
そういう私だからこそ、大嶋氏の最新刊『福島後「維持可能な日本」をつくる 協同運動と新社会システム』をご紹介しなければいけないと思った。


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2つ目に、第4章「8.協同、協同組合とはなにか、それをどう強化するのか」で(163ページ~)、訳語に対するこだわりをみせたのが興味深かった。日本の多くの学者(日本生協連も)が「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」と訳しているのを、氏はフランス協同組合全国連合会と同じように「協同組合とは何かのICA宣言」と訳す。国際会議に何度も出席し発言する度に「identify yourself=自分は誰かを名乗れ」と言われた経験からだという。
確かに海外の言葉を極力きちんと日本語にすることをせず、カタカナにして政策に使うことに対して、組合員参加が強調された時代に組合員の大半にわかる言葉にするようにとされていたのに、現在では後退していると私も思う。わかりにくい言葉を使うことは目くらましになる。
同様に、第6章「3.『公共・協同』では学びと運動と事業を一体的に追求する」の最後で(226ページ~)、上記の宣言の第7原則を「地域共同体への参画(concern)」を関与・関心という責任感の弱い意味に翻訳したことの悪影響についても指摘している。生協も地域の中で役割を果たすという課題を大きく掲げてから20数年がたっているが、「参画」というレベルに達しているところはどれほどあるかという状況だと思う。 

3つ目に、同じ項(第6章の3)で、以下のように指摘するところも示唆的だ。
 こうした学び・運動・経済生活の3つの領域での主体形成こそ、世界の協同組合運動が本来追求してきたことであるはずだった。運動部門は運動だけをおこなうというのでは、自らの生計を維持することさえできないし、新たな運動家を生み出す経済的条件を整備する点でも役に立たない。また、事業部門は、「運動と事業は別」という論理に立つのではなく、学びと運動が追及している課題を事業の中で実現するという基本姿勢を堅持しなければならない。
運動と事業を分離して考える方式は、消費者主権、消費者庁、消費者基本法という考え方と結びつき、その内実は、多国籍企業の手で、大量生産、大量消費、大量廃棄社会を進めるうえで、役立つように利用されてきたのである。
 その反省に立って、欧州などを中心に市民に重点を置いた「消費者市民社会」という考え方が広がってきた。(中略)消費者市民社会と両輪となって機能するのが「企業の社会的責任(CSR)」である。
 しかしながら、「消費者市民社会」と「企業の社会的責任」論をもってしても「市民による持続可能な社会づくり」には十分なかたちで踏み込んでいないことが限界となっている。この限界を突破して、市民主体の民主主義社会をつくり、運動と事業の統合を実現しなければならない。

4つめに、第6章「9.地域関係労働者と地域をよくすることへの責任感」で(252ページ~)、協同組合で働くうえでの責任の体系の2つについての指摘が今更ながらに大事だと思った。
 働くうえでの責任の体系は2種類ある。1つは先の述べたようなものづくり技術のうえでの専門職縦割りのもとでの責任の体系であり、もう1つは地域社会との関わりで、地域に対する責任として生じる責任の体系である。この延長線上に国家的な責任の体系もある。

ひところ、生協の職員は実務のレベルがおそまつなので「天下国家を語るより腐った魚を売るな」という指導が流行った。私は「天下国家を語りながら腐った魚も売らないよう両方を追求すべきだ」と労組の勉強会などで言ってきたが、その考え方と同じだと思った。

同じ項に続けて地域関係労働者についての説明もある。
 協同組合の場合、生協、農協であれ、労働者協同組合、中小企業の協同組合であれ活動する地域が限定され、活動する地域の発達に貢献することを目的にしているのであるから、自治体労働者と並んで地域関係労働者の中核にならなければならない。

この第6章=最終章のまとめに、傍点を打った3行がある。
 結論として、国民は集団主体権を発揮してまず地方自治体を、そして国の政治を変えるしかない。その中心に地域関係労働者がすわることが重要だ。地域関係労働者が、労働組合を通じて地域社会の「なっていたい姿」を協同で描き、それを実現するイニシアチブを発揮することが期待されている。

結論はわかる。その後が問題で、生協の労組がそんな力を発揮できるかどうか、現実と乖離が大きいように思えてならない。しかしながら、この「JCCU協同組合塾」も日生協労組を基盤に自主活動しているわけで、生協の労組へ示された期待を受けとめなければならないと思った。ただし全国連合会の労組であり、地域には根ざしていないので、「学びと運動と事業を一体的に追求する」ということをテーマにさせてもらえればと考えている。

(私と大嶋氏の関わりについての補足)
1980年代の地域生協の県域を越えた連帯模索の中で、1985年に地連が発足した。その際に氏は初代関西地連事務局長になり、私も地連事務局に異動になった。その後、全国消団連事務局長に異動して活躍され、最後は生協総合研究所の主任研究員を勤められて定年退職された。1990年には私も東京に異動して生協総合研究所に出向し、日生協に戻った後も総研と共同作業をすることが多い「くらしと商品研究室」にいたので、大嶋さんとは浅からぬ因縁がある。その後、大嶋氏は大学で教鞭をとりながら博士号も取得され、NPO法人もつくって活動されている。私が資料室勤務になり、半世紀分の写真を整理した際には慶応大学生協時代の氏が欧州の生協への留学に向かう際の壮行会の写真も出てきて驚いたものだ。この時に国際会議に参加して発言、質疑応答を堂々とこなせる基礎が築かれたのだろうと推測。
そういう私だからこそ、大嶋氏の最新刊『福島後「維持可能な日本」をつくる 協同運動と新社会システム』をご紹介しなければいけないと思った。

【2011/12/31 23:34】 | 文献紹介
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