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1995ICA100周年記念大会①縮小トリミング.jpg
<Mより発信>
世界の協同組合のシンボルとしての「虹」を知らない職員も多くなってきているようだ。昔は日本生協連のあらゆる行事に際して虹の旗を会場の正面に掲げていたものだ。私が日生協入協した時(1982年)の専務の勝部欣一氏の自叙伝『虹のあゆみ』を読んで、なぜ「虹」の旗が協同組合のシンボルになったのか腑に落ちて、こちらの自叙伝の紹介記事の中に書いている。

資料室の古い資料の中に、「虹の旗(協同組合旗)の由来」の説明も載せた小さなミニパンフレットがある。日本生協連によって第1回の全国組合員活動交流集会が開催された1977年の生協強化月間に、関西支所で作られた組合員向けの学習用の冊子だ。そこに世界のコープマーク紹介と虹の旗の由来の説明があった。
短い文章だが、実にわかりやすいので、以下、ご紹介したい。
【虹の旗(協同組合旗)の由来】
I.C.A.(International Co-operative Aliance-国際協同組合同盟)は第1次世界大戦(1914~1919年)の後の世界大会(1923年*)で、二度とこの様な悲惨な事が起らないように、全人類の平和と協同組合の発展の願いをこめて、フランスの経済学者シャルル・ジイド氏が旧約聖書の中の「ノアの大洪水のあと はじめて人間が平和を求めあい助け合ったのを 神が祝福して虹を現わした」とあるのを引用して提案し虹の旗を世界の協同組合のシンボルとしました。

3/11の東日本大震災の大津波被災は、まさにノアの時の大洪水を思わせる。大震災・大津波からの復興に協同組合の出番ということに重なると思えた。虹は人々の「助け合い」のシンボルとされていて、まさに「助け合い」こそが復興の大きな力になるはずだからだ。
日本では、「虹はすぐに消える」という悪口も聞こえてくるが、世界の協同組合ではまだまだ虹のマークは健在だ。冒頭の写真は、1995年のICA100年の記念大会(於:マンチェスター)の時のシンボルマーク。

「がんばれ!東北」「がんばれ!日本」というキャッチフレーズが、重苦しく感じる人もいるし、「ともに生きよう!東日本」というキャンペーンも生まれている。そういえば、賀川豊彦献身100年記念事業の軌跡をまとめた本のタイトルも「ともに生きる」だった。
みんなが生きやすい社会につくりかえる取り組みとして「復興」に一人一人が頑張りすぎないで、やれることをやっていけるといいと思う。
日本生協連の職場でも、「東北地方太平洋沖地震ボランティア支援制度」というのがつくられた。阪神・淡路大震災の時は見送られた年休とは別に有休扱い(年1回5日間を上限)でボランティアに参加できるようになる。6/6にその「ボランティア支援キックオフ集会」が終業後に開催される。こうして少しずつではあるが、条件が整っていくのは嬉しいものだ。


(6/17追記)
*上記の引用部分の「第1次世界大戦(1914~1919年)の後の世界大会(1923年)」の大会開催年の記述が間違っているようだ。1923年は採用決定の中央委員会で、制定の大会は翌年の1924年が正しい。
一橋大学付属図書館の企画展示のサイトでみつけた「虹の旗の由来」の記事に「1923年のICA中央委員会で採用を決定、第11回ゲント大会(1924年)で協同組合旗として正式に制定された」とあった。ミニパンフ作成者が中央委員会と大会をごっちゃにしてしまったのかもしれない。
またこちらのブログで『生協運動』1959年5月号の記事からも虹の旗の由来をご紹介しているが、 そこに「フランスの有名な小説家アンドレ・ジイドの兄さんで協同組合運動者であったシャルル・ジイドが提案」のところ、「兄さん」は間違いで「伯父さん」が正しい。
このようにご紹介した記事の訂正もわかった段階で極力入れていくつもりだ。
wikipediaの「アンドレ・ジッド」の項
フランスの小説家。アンドレ・ジイド、アンドレ・ジードとも表記される。
1869年パリ生まれ。父親はパリ大学法学部教授をつとめた。伯父は経済学者のシャルル・ジッド。

【2011/06/03 19:31】 | 文献紹介
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