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1923関東大震災支援活動の賀川50%×50%縮小.jpg
<Mより発信>
今回の東日本大震災の復旧・復興の活動の中で、あらためて生協が大きな役割を発揮することが期待されている。その原点として、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の時の賀川豊彦の活躍が注目されている。それまで関西で活動していた賀川豊彦は、震災後いちはやく駆けつけてその被害の大きさに驚き、とってかえして講演活動で義援金をつくり、支援物資とともに東京へ。その後は活動拠点を東京に移してしまったのだ。
冒頭の写真は『賀川豊彦写真集』(東京堂出版)より、関東大震災のがれきの前で仲間と話をしている写真。左から末広厳太郎、賀川豊彦、石田友治。
関東大震災について、これまでの知識からはぼやっとしかイメージが浮かばないのであらためて把握しようとネット検索をした。Wikipediaの「関東大震災」の項をご紹介。
資料室の書架にある資料もあらためて整理してみた。その中に、阪神・淡路大震災3周年記念事業の一環で開催された「全国生協ボランティア活動交流集会」(1998年1/15~17)の報告書があり、パネルディスカッションでコープこうべの増田大成氏(当時、副組合長理事)が発言しているところから、以下、わかりやすい部分を抜粋してご紹介したい。

増田 舞台裏のほうの話を先にしますと、「なぜ生協がボランティアなんや」というご質問を受けました。私たちは当然だと思っているんですが、外から見ると、結びつきがちよつとフィットしないようにお感じになられるかもしれないと思います。神戸のこの地の方々は、もうご存じの方が多いんですが、全国からお集まりいただいておりますので、いい機会ですから、ご紹介しておきたいと思います。
 コープこうペが誕生しましたのは大正10年です。ですから、もう77年ぐらいになるわけです。その当時、神戸に非常に大きな“スラム”がございまして、そのスラムに賀川豊彦という青年が身を投じて貧民救済の活動をしていたわけですね。まさに、福祉のボランティア活動を賀川先生は、この神戸の地でなさっていたわけです。
 賀川先生は、確かに貧民救済の活動も大事には違いないけれども、やっぱりそこには一定の限界がある。貧しい人たちを1人ひとり救済していくことは、まさに体にできるできものを1つひとつ治療するようなもので、休そのものを健康体にしない限す、次々とはれもの、できものは続いて出てくる。だから、体をよくすることが大事なんだと、そういうことを考えられて、貧しい人を出さない社会的なシステムとしての生協をおつくりになったわけです。ですから、生協というのは、もともとボランタリーな活動が社会的なシステムに昇華したといいますか、そこから姿を変えたものとして今日に続いているわけですので、生協の源流はボランタリーな活動なんだということです。
 賀川先生は、その直後、あの関東大震災にいち早く駆けつけられて、ボランタリーな活動を通して、当時の被災を受けられた方々のために一生懸命お働きになったという、こういうことがあるんですね。ですから、この神戸の地とボランティア、ボランティアと生協というのが非常に近い関係にあるということを、まずご理解いただくとありがたいと思います。
(以下、略)

なお、「全国生協ボランティア活動交流集会」(1998年1/15~17)の報告書をネット検索したら、ボランティア・市民活動情報資料プラットフォーム「らいぶらりぃず」この項にヒット東京ボランティア・市民活動センターにある「ボランティア・市民活動情報資料センター」に収蔵されているということがわかった。この分野の重要資料であるらしい。
もちろん、日本生協連資料室でも閲覧可能である。

【2011/04/25 12:49】 | アーカイブ
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