<Mより発信>
【連載第10回】:「キリスト者」としての生涯
昭和15年8月末、賀川豊彦は陸軍刑法第95条による流言斐語の罪で起訴されました。賀川がアメリカ宗教団体が発行するカレンダーに反戦的な評論を掲載したことが理由でした。

問題のカレンダーには「中国の同胞に」という見出しで次のような文章が印刷されていました。
「日本の罪をゆるして下さい。日本のキリスト教徒は、軍部を抑圧する力はないけれども、心あるものは日本の罪をなげいています。私どもの祈りと働きによってキリストの名による両国の親和の日がくるよう願います」とくに賀川が中国同胞に対する日本の罪を強く感じとったのは、南京占領の際の日本軍による不法暴行行為でした。

昭和16年に入り日米関係はいよいよ悪化しました。この頃賀川は「キリスト教平和使節団」の一員として渡来しました。風雲急を告げる日米関係の外交上の詞整の一助に、というねらいもありましたが、使節団の目的はキリスト教団関係の協議であり、戦時体制下の日本のキリスト教団の立場を説明するためのものでした。

敗戦、飢えと虚脱感が東京を被っていた8月28日、賀川は東久邇宮首相の招きをうけ、「内閣参与」に就任し協力することを求められました。
「この戦争を引き起こしたのも、敗戦という未曾有の混乱をまねいたのも日本人が、過去において偏狭、無知、道義の低さ、無信仰であったためです。このさい<国民総ざんげ運動>を起こすべきです」賀川の提案は「一億総ざんげ」という言葉になって日本人の心に染みつき「新生日本」の合言葉になりました。

国破れて山河あり、大都市に残されたのは無残な焦土でした。農村も虚脱状態にありました。そんなとき、かつて農民運動や医療組合運動、消費組合運動に情熱の火を燃やした男たちが、神田のYMCA前の日本キリスト教団に集まってきました。
「新しい日本を協同組合で再建しよう。協同組合運動を基礎にして、日本再建をはかろう!」
このときの話しあいをきっかけに組織づくりがはじまり「日本協同組合同盟」が発足したのは、11月18日。賀川豊彦が全長に就任しました。

賀川豊彦は昭和35年4月23日、72年の波瀾に富んだ長い生涯を終え、召天しました。彼の手によってなされた事業はきわめてぼう大なものでしたが、その中で最大のものは「伝道」神と人に仕えることでした。そしてそれと併行して日本社会運動の黎明期において、労働運動、農民組合運動、協同組合運動、各種社会事業と多彩にひろがっていきましたが、キリスト者であった賀川の軌跡は、常に平和と自由と人格を価値体系の中心におく新しい社会を地上に建設せんとする、ひたすらな闘いの連続でした。

(連載終了)

【2010/04/24 00:05】 | アーカイブ
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