<Mより発信>
引き続き『生協運動』1960年4月号の故賀川会長追悼特集よりのご紹介。戦時中、「賀川社会事業研究所」で共同作業・共同研究をされた山崎勉治氏の追悼文は長いので3回に分けてご紹介する。
(社)家の光協会のデータベースにある「協同組合人物略伝」の山崎勉治の項はこちら
【賀川豊彦氏と協同組合思想 賀川社会事業研究所を中心に】山崎勉治
(一)
戦時中の賀川社会事業研究所
先日協同組合運動のなかにおけるマルクス学者の一人である新井義雄氏がこられて、昭和11年12月発行の賀川豊彦著『保険制度の協同組合化を主張す』の理論はマルシズムである。あれでみると戦時中は協同組合運動のなかで、賀川社会事業研究所が最左翼であったといっておられた。
私は昭和10年(1935年)から昭和13年(1938年)のはじめころまで、賀川邸内に設けられていた賀川社会事業研究所の主任をしており、賀川氏の文書の執筆の援助をしていた。
賀川豊彦・山崎勉治共著『国民健康保険と産業組合』賀川・山崎共著『産業組合読本』賀川著『国民健康保険と産業組合』(産業組合中央会発行)エヌ・バルウ著、賀川訳『協同組合保険論』中の「農業協同組合保険」をはじめ、前記の賀川著『保険制度の協同組合化を主張す』や賀川豊彦、松岡駒吉『国民健康保険法案にたいする我等の態度』そのほか国民健康保険関係賀川の論文等がそうである。
このほか消費協同組合や純潔金庫(*)に閲し、賀川氏の名によって発表されている論文で、私によって起草されたものもあるが、この時代の文献には「保険」関係のものが大部分を占めていることと、その底流にマルクシズム理論が潜在していることが特色であった。
私はやく3年間、賀川社会事業研究所にあって研究をともにしたが、昭和10年(1935年)1月、氏が私の生活の窮状をすくってくれる意味をかねて、東京世田谷上北沢の賀川邸内に私費をもって賀川社会事業研究所(所員は賀川氏と山崎)を設立する以前は協同組合運動のなかにおいてさえ、私のマルクシズムを基調とする協同組合思想は、賀川系統とは、むしろ対立する立場にたっていたものである。その後、両者の思想研究は相より同調しあっていった。

(二)以下へ続く
(Mより注記)
*純潔金庫:ネット検索したところ、1953年(昭和28年)の「参議院会議録情報 第016回国会 予算委員会 第24号」だけヒットした。「... 純潔金庫というようなものを作つて貸出しをしてもらいたいというような御希望もございますので、 ... この更生施設の問題、希望の町の構想か或いは純潔金庫の構想か、どういう構想が出るか知れませんけれど、 ...」という言及がある。一般化した用語ではないが、現在注目されている信用生活協同組合のような組織ではないかと推測した。

【2010/10/05 12:51】 | アーカイブ
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