<Kより報告>

テーマ「賀川豊彦と世界連邦運動&
21世紀における市民による社会変革の方向性」
                            
 JCCU協同組合塾では、9月9日(木)18時からコーププラザ4F会議室にて第3回例会を開催しました。国際NGO世界連邦運動協会常務理事の木戸寛孝氏を講師にお迎えし、「賀川豊彦と世界連邦運動&21世紀における市民による社会変革の方向性」というテーマでお話いただきました。参加者は、日本生協連職員以外の賀川豊彦ゆかりの団体関係者も含め16名の方が参加されました。講演後の交流会では、講師を囲み感想交流を行い、学んだ内容を深め合いました。
 講演では、賀川豊彦が様々な社会変革の活動を経ての最後の活動であった世界連邦運動について、設立から現在に至るまでの経過が報告されました。また、木戸寛孝氏自らが事務局長をされている「医療志民の会」や「子宮頸がん予防ワクチン接種の公費助成推進実行委員会」の活動を通して、市民による社会変革について報告されました。
 木戸寛孝氏は、「明治維新では、主権が藩から国家に移ったように、21世紀は、国家から世界連邦に移って行く時代であり、市民(NGOやNPOなど)が国境を超えて連帯し、代議制による間接的なコミットではなく変革に市民が直接的に関わっていく」のが21世紀の新たな政治的潮流であることについて報告されました。
 以下、講演の要旨です。

テーマ「賀川豊彦と世界連邦運動&
21世紀における市民による社会変革の方向性」の講演要旨


1.賀川豊彦と世界連邦運動 
■世界連邦運動の胎動
<世界連邦運動のはじまり>
 原子爆弾の出現により人類の危機を感じた、アインシュタイン博士やバートランド・ラッセル、湯川秀樹など科学者や文化人は、原子力爆弾の投下に危機感を顕わにし、この原子力は国連とは違って一定の権限を有する世界連邦に管理させるべきであると提唱した。
1946年10月にルクセンブルグに14カ国30団体が集まり国際的運動組織「世界連邦政府のための世界運動」が結成された。世界連邦運動の第1回大会は、翌年1947年8月にスイスのモントルー市で開催され、モントルー宣言を採択した。
 モントルー宣言では、①全世界の諸国、諸民族を全部加盟させる。②世界的に共通な問題については、各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する。③世界連邦法は「国家」に対してではなく、1人1人の「個人」を対象として適用させる。④各国の軍備は全廃し、世界警察軍を設置する。⑤原子力は世界連邦政府のみが所有し、管理する。⑥世界連邦の経費は各国政府の供出ではなく、個人からの税金でまかなう。と6原則をうたっている。
 アインシュタイン博士が76歳で亡くなると、湯川秀樹は彼の意志を引き継ぎ、1961年に世界連邦運動協会(本部ニューヨーク)の第5代会長に就任した。
<日本における世界連邦運動のはじまり> 
 日本における世界連邦運動は、1948年「憲政の父」と呼ばれた尾崎行雄を代表に、賀川豊彦を副代長に発動した。当初は、社会運動家として有名だった賀川豊彦が代表候補に考えられていたが、彼はキリスト教の信者であったため、まだ当時の日本の価値観では代表に望ましくないだろうという事を賀川自身が述べ自ら一歩退いため、尾崎行雄が代表になった経緯がある。
<核廃絶運動の挫折「核抑止論」> 
 戦後、アメリカ、ソ連を中心とする冷戦時代、大国が核を持つことによって、逆に平和が保たれるとする「核抑止論」が主流となり、世界連邦運動の目的である核廃絶運動は挫折し、低迷な時期を過ごすことになった。

■世界連邦運動の現在
 1989年ベルリンの壁崩壊と冷戦の終結により、新たな変化が起こった。核抑止論は、インド、パキスタン、北朝鮮などが核を保有するなど現代では機能しないことが明らかになってきている。ヨーロッパでは、1992年EC(欧州共同体)が設立され、国家を超えたガバナンス機能を持つ共同体が出現した。世界連邦運動もその流れをうけ新たな活動を開始した。
<国際刑事裁判所(ICC)に加盟するための運動>
 1995年、世界のNGOは効果的で公正な国際刑事裁判所の設立を推進するための『NGO連合CICC』を結成した。2000以上のNGOがこの連合に参加し、本部を世界連邦運動協会国際事務局(ニューヨーク)に置いた。
 これまで、国際法はあくまで「国家を対象」とするものであったために判例が出たとしても処罰することは出来ず、不法行為に対する国際社会の主要な対抗手段は禁輸などの経済制裁措置や多国籍軍による軍事介入であった。国際刑事裁判所とは、紛争の起きている地域で拷問や虐殺を行った人など、戦争犯罪を犯した『個人の責任』を裁く裁判所で歴史上初めてできる常設の国際法廷である。
 日本においては、1997年、東京に本部を置く世界連邦運動協会(WFMJ)が中心となって、法学研究者や人権問題NGOなどによって『JNICC』を設立し、日本国政府がICCに加盟するためのロビー活動を展開した。木戸寛孝氏は世界連邦運動の事務局次長としてその主要なメンバーとして関わった。
 1999年、NGO主催で「ハーグ平和市民会議」が開催され、100カ国以上の約1万人の市民が参加し、「公正な国際秩序のための基本10原則」を掲げ、「21世紀の平和と正義のための課題」(ハーグ・アジェンダ)を採択し、アナン国連事務総長に手渡した。アジェンダでは、「すべての政府は、国際刑事裁判所条約を批准し、国際地雷条約を具体的に運用すべきである。」とうたっている。
 2002年、国際刑事裁判所ローマ規程では、60カ国の批准の後に規程が発効し、裁判所が設置されると規定しており、2002年4月11日、国連本部で行われた特別セレモニーの席上、批准国数が規程に達した。日本では、国内法の修正などに時間がかかったが、2007年の通常国会で条約加盟を承認し、10月1日にICCに正式加盟した。当時日本は、国連常任理事国入りを目指したが実現しなかったことをうけ国連への拠出金の減額を決め、その分の予算をICC加盟国が支払う分担金に企てることができたのが幸運であったそうだ。2007年11月、故・齋賀冨美子氏が、2009年11月には尾崎久仁子氏がICCの裁判官として抜擢された。
<国際連帯税を推進するための運動> 
 世界には、飢餓などで苦しむ人々が大勢いる。しかし、国際社会は直接の税源を持っておらず、各国からの拠出金やODAというかたちで援助しているが、予算上の制約により充分な援助が行われていない。そこで国家ではなく、国際社会自体が開発援助のための安定した財源を確保しようという意図で国際連帯税という構想が生まれた。最初は、トービン税としてノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・トービンによって1972年に提唱された。
 2009年11月、欧州連合(EU)は、銀行救済のための巨額の公的資金の投入の反省などから、財務相理事会などで、今後、トービン税を協議することで合意した。
 日本においても、2008年国際連帯税創設を求める議員連盟、2009年、国際連帯税推進協議会(寺島委員会)・国際連帯税を推進する市民の会ができた。市民の会では、世界連邦運動協会が共同事務局を務めている。
 議員連盟は、2010年8月、岡田外務大臣に国際連帯税の導入の要請を行った。岡田大臣は、国際連帯税について積極的に取り組みたいと話された。
<世界連邦運動の現在> 
 2005年8月2日、「世界連邦実現への道」を盛り込んだ『国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議』が衆議院で採択された。
決議文では、「政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として、世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探求など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。」と宣言している。世界連邦運動の理念が国会決議に盛り込まれたことは、世界連邦運動関係者の悲願でもあり、画期的なことであった。
 この決議をうけ、世界連邦運動の窓口を「外務省総合外交政策局・政策企画室」が担当することとなり、毎年政策提言を行っている。2010年度は、第4回世界連邦実現のための以下の政策提言を行った。
 提言1 国会決議に基づく世界連邦建設の立志を鮮明にすること
 提言2 世界連邦議会への第1歩として国連議員総会の創設を検討し推進すること
 提言3 東アジア共同体を推進すること
 提言4 国際刑事裁判所の発展に寄与すること
 提言5 核廃絶への主導的役割を果たすこと
 提言6 日本政府が率先して地球環境対策に取り組み、人類の危機を回避する行動の先導国家となること
 提言7 国際連帯税を検討し実現に努めること
 賀川豊彦が、晩年に取り組んだ世界連邦運動について、木戸寛孝氏の講演で初めて全容を知ることができた。世界連邦運動の理念は高く、60年近くかかって、ようやく一歩、二歩を踏み出しているようだ。これまでは、啓蒙思想期であったが、これから実現に向けた変革期を迎えるのではないかと感じた。世界連邦運動は、封建時代(藩)から近代(国家)に歴史が移行したように、主権が国家から世界連邦に移行する歴史的な運動だ。100年単位の運動のように思う。こうした運動も、NGOなどに参加する市民・個人の「志」が動かしていることも印象に残った。振り返れば、明治維新も坂本龍馬や桂小五郎はじめとする「志」をもった個人が集まって成し遂げたものだと思う。木戸寛孝氏は、桂小五郎(木戸孝充)から6代目の直系とのこと。木戸氏が、日本の世界連邦運動の中心となって活躍されているのは、やはり変革の「志」を引き継いでいるからであろうか。

2.「医療志民の会」と「子宮頸がん予防ワクチン接種の公費助成推進実行委員会」の取り組み
 木戸寛孝氏は、「医療志民の会」と「子宮頸がん予防ワクチン接種の公費助成推進実行委員会」の事務局長も務め、市民の力で政策を立案し、政治家や行政に提言し、また世論へ訴え、政策の実現を目指している。
 「医療志民の会」は、産婦人科や小児科の医師不足や勤務医の労働条件問題など医療の様々な問題を解決すべく「医療改革国民会議の設立」を衆議院選挙の前に各党の選挙マニュフェストに盛り込むベくロビー活動を展開した。この提案は、一部の政治家や特定医療官僚、専門家集団に独占されている医療政策を本来の当事者である国民・市民の手に主導権を奪回するため、既得権益に害されない各界・各層の国民代表が医療政策の合意形成プロセスに参画できる仕組みを確立するものである。その結果、自民党、民主党、公明党のマニュフェストに反映された。そして、政権党となった民主党の長妻厚労相は、医療改革を推進することを表明した。けれども官僚によって阻まれており実現には未だ至っていないとのこと。
 「子宮頸がん予防ワクチン接種の公費助成推進実行委員会」は、子宮頸がんの予防ワクチン接種の公費助成を目指し、患者関係者、学校関係者、芸能関係者、医療関係者、政治関係者など幅広い発起人が集まり、設立記者会見を行いメディアに訴え、署名活動を行い世論を動かす活動を展開した。そして厚生労働大臣に要望し、11年度予算に150億円を盛り込むことを実現した。

 近代国家のシステムは代議制であることから、これまでは選挙で選ばれた政治家や、行政を担う官僚が政策をつくってきたが、木戸寛孝氏は、21世紀は市民が、よりダイレクトに政策の合意形成ならびに策定に関わっていく時代になると強調された。価値観が深く雑で多様化した時代に於いては、政府や行政も自分たちですべて対応できるわけがなく、専門知識をもったNGOやNPOといった市民社会と協働していく時代になっていくべきという。
 「賀川豊彦先生が、今の時代に生きておられたら、当時では協同組合が斬新であったように、時代の要請をうけ既存の政党政治のカテゴリーにはおさまりきれない新しいパーティーをつくられるのではないか。」と木戸寛孝氏は話され講演を終えた。

【2010/09/28 10:57】 | 主催企画報告
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