<Mより発信>
【連載第9回】:農協共済の発足
「保険業務を協同組合でやること」、賀川豊彦のこの悲願が全国産業組合大会に提案されたのは大正13年でした。しかし保険業界の反対に阻まれ容易に実現しませんでした。

昭和15年には3つの既存保険会社を買収して協同組合が保険に進出することを計画しましたが、農林大臣の行政命令で「待った」がかかりました。

戦後21年幣原内閣の時設置された金融制度調査会でも賀川豊彦は「保険というものは、その本質からみて協同組合化されるべきものだ。歴史的にみても、保険は友愛的または社会性をおびた出発をしている。それが途中からその純真な隣人愛的な動機が失なわれ、資本主義化した――世界35ヶ国の協同組合は保険をとりいれることによって、はじめて自由に大空に飛躍する機会を与えられた。協同組合こそが、この破壊と混乱のなかから国を救うものであり、組合に保険を許すことがその基礎になる」と熱弁をふるいました。

しかし協同組合による保険事業(共済事業)は昭和22年の農協法の公布によりようやく認められることになりました。組合保険に賭けた賀川の夢は農協共済という姿で実現することになりました。

当然のことながら農協共済に対しても保険業界の反撃が待ちかまえていました。
「農協の保険なんかいつつぶれるかわかりませんよ」「餅は餅屋、保険のことは私たちにおまかせ下さい。その方が安心です」農民は迷いました。「農協共済」なるものが全然わからない農民にとって保険会社の言い分はまことにもっともに開こえました。

攻撃は保険会社だけでなく農村内部からもありました。「農業共済は、われわれの方が先輩だ。農協による横取りは許せない」というのが、「農業災害補償法にもとづく農業共済団体」の云い分でした。

正に四面楚歌のスタートでした。共済連幹部は必死でした。「反撃の武器は生命共済しかない」「個々の農協では歯が立たないが、単協、県連、全国達の三段階が一体になれば、危険分散や責任保有の面でも一流生命保険会社とも太刀打ちできる」「そのためには何よりも農協役職員の教育――人づくりだ」

こうした苦労の結果昭和53年末長期共済31兆円(うち養老生命22兆円)短期共済39兆円に達し、長期共済保有高では保険会社を抜いて、国内では第2位、世界では第5位の事業量を誇る保険事業組織に発展することになりました。

全国共済農協連の特別応接室の壁には今でも次のような揮毫がかかげられています。
「日本再建は生命共済から
 農村復興は農協互助組織による
 長期資金の獲得に始まる
 一九五六・一・一
           賀川豊彦」

→以下、第10回に続く。

【2010/04/23 00:02】 | アーカイブ
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Kより
共済が生まれる時の難産の様子がよくわかりました。こうした記事は初めてみました。大変貴重だと思います。まさに「飲水思源」ですね。水を飲むときは、井戸を掘った人の苦労を忘れてはならない。(中国のことわざ)

生協の共済
Mより
日本生協連の共済も全労済の協力も得ながら先人の方たちの努力の積み上げの結果、今の到達まできたのだと思います。
生協法の改正で購買生協連と共済生協連を分けなければならなくなりましたが、賀川豊彦がこれを知ったらどう思うかを知りたいです。
行政主導の分離のように思うのですが、それがよかったのかどうか、最終的には歴史の検証を待つことになるのだろうと思っています。

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この記事へのコメント
共済が生まれる時の難産の様子がよくわかりました。こうした記事は初めてみました。大変貴重だと思います。まさに「飲水思源」ですね。水を飲むときは、井戸を掘った人の苦労を忘れてはならない。(中国のことわざ)
2010/04/23(Fri) 12:55 | URL  | Kより #-[ 編集]
生協の共済
日本生協連の共済も全労済の協力も得ながら先人の方たちの努力の積み上げの結果、今の到達まできたのだと思います。
生協法の改正で購買生協連と共済生協連を分けなければならなくなりましたが、賀川豊彦がこれを知ったらどう思うかを知りたいです。
行政主導の分離のように思うのですが、それがよかったのかどうか、最終的には歴史の検証を待つことになるのだろうと思っています。
2010/04/26(Mon) 22:49 | URL  | Mより #9I5CiGdQ[ 編集]
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