<Mより発信>
引き続き『生協運動』1960年4月号の故賀川会長追悼特集よりのご紹介。
【大震災前後のころ】中ノ郷質庫信用組合代表理事 木立義道
大阪共益社
賀川先生が、協同組合運動に具体的に着手されたのは、大正9年8月にできた大阪共益社であったとおもいます。先生の協同組合思想については、著書などで御存知のこととおもいますが、だいたいギルド社会主義の立場から、労働組合を発達させるとともに、消費組合を設立すべきことを力説しておられたわけです。
大阪共益社は労働組合の人々と大阪市内の教会関係有志とが中心で、労組関係としては、大阪砲兵工しょうの「向上会」、印刷工組合、伸銅工組合の「新進会」などが中心で、安藤国松、八木信一、西尾末広、今井嘉幸(組合長になった人)、金子忠七、酒井清七(専務になった人)などがおられました。先生は実質的な創立者でしたが、平理事にとどまっておられました。
私は、わかいころ、河上肇先生の「貧乏物語」に感動し、周囲の反対をおしきって故郷をとびだして、神戸橋本造船所の鋳物見習工となったのです。米騒動のあとで大正8年9月のことでした。そこではたらきながら、夜間工業学校へかよっていたのですが、当時、友愛会の幹部をしていた野田律太氏が橋本造船ヘオルグにこられた関係で、友愛会々員となり、友愛会刈藻支部の幹事におされました。いまでもおもいだしますが会長鈴木文治の名で、大きな辞令がきたりしたものでした。私が労働組合関係へはいった最初だったわけですが、当時は、神戸の労働運動はひじょうに大きなものだったし、賀川先生などの指導で、つよい活気のあるものだったわけです。
神戸生協創立まで
私が、協同組合にたずさわるようになったのは、神戸生協設立のときでした。じつは、神戸の川崎造船所で、青柿善一郎という人が、職域生協の設立を計画して、賀川先生のところへ相談にいったわけです。そうしたら、先生は、ゼヒ地域生協にせよ、と指導されたのですね。そこで鉄道工組合の掘義一さん、この人は以前産業組合に関係しておられたのですが、この方が実務をすすめ、いっさいの指導を賀川先生がやる形をとったわけです。私は、この掘さんの紹介で、はじめて先生にお目にかかり、設立準備をお手つだいすることになりました。生協創立事務所は、新川の貧民窟におかれましたが、そこは、先生の書斎兼伝道の場所でした。またちょうど、馬島氏がいっしょに診療事業をしておられ、そこは診療所兼用でもありました。
生協の設立準備という点では、一般的な理解がうすく、いまよりもはるかに困難だったとおもいます。一年ほど準備活動をやりましたが、学校をかりたりして、常会をやり、生活改善講演会などということで、ポスターはりやチラシくばりなどをさかんにやったものです。1,000名を目標として、1,000名結集できるようになったらはじめようという目標をたてていましたが、しかしなにしろ、講演会にも、はじめは、ふたりか三人の聴衆しかこないという状態でしたよ。費用は結局先生が印税などでふたんされていました。イエス団診療所、炭鉱夫の組織活動の援助費、大阪共益社の関係、大阪労働学校、そして神戸消費組合の設立準備という具合で、金のかかるものばかり。はいる金はすべてでていきましたね。先生はそういうことをやるなかでもずいぶん誤解もうけたし、また無理解から乱暴をうけることもしばしばありました。私がおぼえているひとつに、新川で松井其という沖仲仕のゴロツキにあばれこまれ、イスをなげつけられて歯をおったことなどもありましたが、そういうときの先生はジッと無抵抗でした。
そういう状態のなかでも、先生はずいぶん本をよまれ、勉強していました。聖書の研究などはまったく精魂かたむけていましたが、伝道のときに、聖書の引用や要約をプリントでくばったり、当時としてはあたらしい方法もとりいれていました。
私は、労組の仕事もやっており、日本農民組合関係の仕事もてつだうということで、消費組合と半々くらいでしたが、先生の本の校正をやったり、また精神的な面にふれたりしているうち、しだいに先生にひきつけられていきましたね。
生活はほんとうにキレイなものだったし。
大震災の救援活動へ
こうして神戸生協は、大正10年に、市内の八幡通り四丁目にある貿易商社の事務所と倉庫をかりて、開店したのです。専務は、林さんという方、私は一時事情があって新川へかえりましたが、かえってすぐ関東大震災がおこったのです。ちょうど、御殿場へでかけ、つずいて上京していたのですが、その2日め9月1日におこったのです。本所被服廠跡の死骸がつみかさなったすさまじい光景をみてぼうぜんとしたものです。賀川先生もすぐ上京され、被害が予想以上なのをみてかえり、関西婦人連合会、キリスト教関係、朝日新聞などの協力で物品をあつめて、救援活動にとりくまれました。再度の上京で、本所のあたりが救援がもっともおくれていることを知り、当時の本所区松倉町(現在の中ノ郷質庫信用組合のすぐそば)にテント3張をはって活動をはじめられたのでした。結局、ここが、先生の東京での社会活動の根拠地になったわけです。
はじめはじきに神戸へもどるつもりでしたが、冬がくるというのに、バラックも衣類もない人がゴロゴロしている。どうにもならないというので、もうすこし腰をおちつけることになり、馬島ドクトルをよんで診療所もはじめ、労働者宿泊所を2ヵ所つくったりしました。結局これらは応急措置をおえてからセツルにきりかえたのですが、これは東大セツルなどができるまえのことでした。やはり、運動という考えかたをもふくめ、労働者教育といったものもふくめた形でのセツルがうまれたのは、このころからじゃないでしょうか。
持説の実践として
賀川先生の持説として「組合社会事業」ということがいわれていましたが、その実践の場であったわけですね。私は、それまでの社会事業というのはいろいろ発展はしてきているが、まだもてる者がまずしい者をたすけるという状態をぬけきれない。そうでなく、地区の人々の協同により、その人たち自身のカで社会事業をすすめることはできないか、と考えていました。
「すくわれる者が、みずからすくうカをもつことはできぬか」と考えたわけです。社会事業のすべてでなくとも、経済的な保護事業のいくつか、病院、保養所託児所、そして日用品購入などですね。結局、江東消費組合、中ノ郷質庫信用、東京医療生協は以上の実践としての運動であるわけです。
江東消費は、合同労働組合、汽車会社労組(友信共愛会)、紡績労組などの労働者と、地域市民とが230名ほどあつまり大正15年4月16日に発足したのでした。いわばロッチデールシステムの忠実な実行をめざしていたものです。中ノ郷は、江東消費の信用部にしたかったのですが、法律上できなかったものです。だいたい先生は質屋というものに、とくに興味をもっていました。新川で、朝炊いたご飯をカマのまま質入したり、「このフトン質入れすべからず」とソメぬいたフトンをもちこむなどの生活をみなれていたからでしょう。質庫をつくるといったら大賛成されました。
また医療生協は、先生が病人に大きな同情をもっていたことから、これも先生の口からでたものです。子供はすべてお医者にするつもりでしたからね。もぅひとつは、外国の保険制度などを研究してこられて、病院機関をもたねば健保はうまくいかぬ、健康保険の歴史は、医師との斗争史だ、といわれて、健保の基盤をつくるためにも医療生協が必要だと力説されていました。「医療生協に健保を代行させる」ことを考えておられたわけです。当時いわれたことが、すべてあたっていましたね。これによって医療生協は全国的にひろがり、青森県の東青病院、秋田県の秋田医療をはじめ、とくに東北6県で発展したものです。もうひとつ先生がつくった生協としては、大学生協がありました。教育を多少の実践をふくめてふかめるということですすめられたと記憶します。これは昭和4~5年です。ともかくこうして、江東消費、中ノ郷、東京医療、東京学生消費組合(早稲田大学、拓殖大学など数カ所に支部をおいた)、神戸、共益社など、じつにおおくの組合を直接手がけ、大きな足跡をのこしておられるわけです。ちょうど時期的には、大正9~10年ころからで、第一次欧州大戦末からの物価高インフレ、生活苦という状況のなかで、日本ではじめて社会運動としての明確な意識をもった消費組合運動をうえつけたのは、賀川先生とほかに岡本利吉氏だといってよいのではないでしょうか。
演説に魅されたファン
最後につけくわえるなら、賀川先生はけっして体が丈夫な人ではなかった。自分は「病気の問屋だ」といっていたくらいです。眼、それからジンゾー。最初会ったときなど青くて、ヒョロヒョロしていたのです。それでも、大震災の救援のときなど毎晩伝道にでかけ、12~1時にかえってくる。朝5時ころおきてみると、もう本をよんでいる。6時にはバラックへたずねてくる人にあうという状態でまったくよく体がもったとおもいました。
また、若いころは熱烈な演説をされ、大きな身ぶりで、詩のようなアジテーションもはいる。声がすごく大きいのでした。講堂がビリビリするような…。路傍伝道できたえた結果だそうですが、うまいというより、熱ですね。労働者がずいぶんひきつけられたもので、賀川ファンが講演会のあとをおいかけたものでした。(談話)
以上
(Mより追記)
木立義道氏についても、これまで何度かご紹介している。検索欄に名前を入れると該当記事のリストが出てくるが、神戸消費組合の創業期の一員でもあった木立義道氏が関東大震災の後、賀川に同行して東京で活動するようになり、江東消費組合をつくったというあたりにふれた記事をこちらにリンクしておく。
関東大震災と江東消費組合など

【2010/09/24 12:12】 | アーカイブ
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