<Mより発信>
引き続き『生協運動』1960年4月号の故賀川会長追悼特集よりのご紹介。杉山元治郎氏は4/29の告別式の葬儀委員長を務めている。
【賀川豊彦氏の思いで】衆議院議員 杉山元治郎
賀川豊彦氏の御通夜の時、同窓にして先輩の富田満牧師は、『賀川君は大伝道者で、すべてのことはここから発足している。』とさけんだが、まさにそのとおりである。
労働運動にしても、また農民組合運動にしても、社会福祉事業にしてもここから発足しているもので、キリストの真髄、十字架愛は他人のものをすこしでもかすめてならないとともに、まずしき者には「最後にのこした一枚の着物でもぬいであたえよう。」とするものである。おそらく協同組合運動にしてもそのとおりであって、搾取のない生活、もうけのない事業はひじょうに気にいったのである。大正9年には神戸で消費組合を創設した。また、その年のことだ、灘の消費組合の創立者那須氏が米相場をして、そうとうにもうけもしたし、またもうけるすべを知っていたのである。武士がもののふのあわれをしるように那須氏は相場師のはかなきとあわれをしり、賀川氏に「金のもうけない、またもうからない仕事はないか。」と相談されたのである。賀川氏は一言のもとに「協同組合事業がある。それをやりなさい」とすすめたのである。
それは賀川氏が英国のロッチデールの労働者消費組合のことをよく知っており、もうける者のない社会の建設を痛感しておったからである。かくして灘購買組合がうまれ、那須氏は米をやすいときに買うコツをしっているから、自分の資金をだしてかいあつめ、たかくなったときにやすく消費者に配給したから、灘購買組合は、急速に進歩発達し、今日の基礎をきずいたのである。
賀川氏と私が大正11年に農民組合をつくったのも、その当時農民のやく8割をしめる小作人が、地主に隷属して人間性がなく、ただ動物的に生きているのをみて、これを解放し救済するためにつくったのである。その当時賀川氏の名著「死線を越えて」は洛陽の紙価をたかめ、印税はそうとうにはいってきたのをおしげもなく、農民組合の創立費に、また維持費に投じたので、弾圧のなかにも発達し、迫害にも抗して今日の基礎をきずいたのである。もし賀川氏がいなければ農民組合は創立できなかったであろう。そうだとすれば日本の社会運動にひじょうな変化があったであろう。
賀川氏のつくった農民組合は、マルクス主義的な階級斗争的なものでなく、キリスト教社会主義的な、また、人道主義的なものであったから、地主階級も会ってよく話せばわかってくれたものである。
それで農民組合の創立と同時に消費組合部をもうけ、地主ばかりでなく商工資本階級の搾取にも対抗するようにし、その当時の農民組合の支部にはたいがい購買部があり、おおいに活動したもので、京都府の草内支部のごときは一村消費組合をつくったのである。
農民組合でも以上のとおりであるが、賀川氏が直接指導していた労働組合にはよりさかんに消費組合をつくったもので、大正9年ころ総同盟を中心に山名義鶴君が組合長に、大島君兄弟が事務員になって購買組合友愛社を大阪市の西野田に開店していたのである。それがのちに発展解消して、大阪市西区ウツボ本通に事務所をもつ共益社となったのである。我々の理想はよいが共益社の事業があまり発展しなかったのは、大阪市のごとき広汎な地区を組合地域としたからで、米の一斗や二斗の配達をウツボから天王寺までもっていくと、2時間内外かかるので、米の手数料よト配達賃の方がより多くかかるのである。繁昌して損がいくしまつで、ついに短時間で配達のできる範囲に支店を設けたが、一難さってまた一難くるというようなかけで、共益社の事業はあまりうまくいかなかった。損をしても賀川氏は私費を投じ、ふつうの人ならば投げるところだが、なかなか投げない。「尻ぬぐいは私の一生の仕事だからな」といってつずけられたのである。前述のように賀川氏は消費組合を単なる事業とみていたならば、損をするとすぐになげたであろう。しかし十字架愛の仕事とかんがえていたから、最後の最後までなげなかったのである。
賀川氏は協同組合の内でも信用組合(とくにドイツのシュルチェー・デーリッヒの無利子の信用組合をやりたい希望のようで、話の内にそのふしぶしがときにでてきたのである。おそらく中ノ郷質庫信用組合がその変形のあらわれであろう。搾取をなくし、あまりあれば最後まであたえようとする賀川氏の精神がもっともっと具現するように、質庫信用組合が努力してもらいたいものである。
賀川氏は聖書の言葉を、具現実行するために一生涯努力したもので、まずしき者に、もとめる者にあたえることに徹底しており、あたえることが賀川氏の道楽のようでもあった。「死線を越えて」の印税などがはいり、財布がふくらんでいるとあたえたくてしかたがない、私にでも「杉山君、小遣があるかね」といわれる。そのようなときに「今日はあります」とことわると機嫌がわるい。「イヤなにもありませんからください」というとよろこんでくれるのである。
賀川氏は神の言葉の具現、伝道は大使命であり、それ自身は賀川であったのである。だから賀川氏の関係したいろいろの事業を、ただ事業とみず、その内に躍動する賀川氏の精神をくみとりたいものである。
以上

【2010/09/22 19:02】 | アーカイブ
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