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<Mより発信>
【JCCU協同組合塾2010年度第3回例会の簡単な報告】
「賀川豊彦と世界連邦運動&21世紀における市民による社会変革の方向性」をテーマに、世界連邦運動協会執行理事の木戸寛孝氏を講師にお迎えし、9月9日(木)18時からコーププラザ4F会議室にて第3回例会を開催。
日本生協連職員には馴染みのない世界連邦運動がテーマだったにも関わらず、幹事以外の参加もあり、ご常連や初めての方を含む外部メンバーと半々で16名が参加しました。初参加の青山大学で教鞭をとられるJr.ジョージ・W・ギッシュさんは、流暢な日本語で交流会にも参加していただき、テーマとあいまって実に国際的な感覚の満ち溢れる勉強会になりました。
以下、お話のイメージが涌く程度の概要と私の感想をまじえて書かせていただきます。

木戸寛孝さんの講演の前半のテーマは「世界連邦運動の活動事例~国際刑事裁判所(ICC)の設立」。
「世界連邦運動」は国連認定のカテゴリーBの国際NGOで、しかも国連総会にオブザーバー参加できる唯一の国際NGOとお聞きしてびっくり。
米軍が実際に広島に原爆を落とした衝撃は、核兵器開発に関わった物理学者アインシュタインや世界の良識ある人々を突き動かし、世界平和と原子力の国際管理の運動体として「世界連邦運動」が生まれた。そのアインシュタインのいるプリンストン大学に招聘された湯川秀樹がアインシュタインの影響を受けて運動に参加。日本の運動の中心は、賀川豊彦だったが、憲政の父と呼ばれる尾崎行雄を代表にたて、自分は副代表になって1948年に始まった。(Mによる補足:1952年と1954年の世界連邦アジア会議は日本開催もあり、そこに参加する協組関係者が参集してアジア地域協同組合懇談会も開催されるなど、賀川会長の活動は日本生協連の史料からもたどれる)。
その後の東西冷戦のパワーポリティクスの考え方から「核抑止論」が生まれ、世界連邦運動の挫折の時代が続く。それも1989年のベルリンの壁の崩壊と冷戦の終結、1992年の欧州共同体(EC)の設立から、国境を越えたグローバルガバナンスの可能性が大きく開けていった。
1995年、世界のNGOが「国際刑事裁判所(通称ICC)」の設立のために「NGO連合CICC」を結成。2000以上のNGOが参加し、本部を世界連邦運動協会国際事務局(ニューヨーク)に置き、運動をすすめる。木戸さんはこの活動に参加するために世界連邦運動に参加したのだとのこと。
1997年に「世界連邦運動協会」が中心になって日本「JNICC」が設立され、日本国政府がICCに加盟するためのロビー活動を展開。2002年にICC設立条約が60カ国の批准の後に発効し、日本国政府もついに2007年に加盟した。その過程の裏話もお聞きできて、「ロビー活動」という言葉にマイナスイメージを持っていた私には目から鱗状態になった。
当日の資料のタイトルに「新たな公共圏は国境を超え、代議制を超えていく」とあったが、社会を変えていく手段として志と能力をもった個人が連帯するというニューパワーの姿をあらためて強く印象付けられた。この辺りに6代前のご先祖である木戸孝允=桂小五郎から家に伝わる「志」を意識して生きてこられたのではないかとも感じた。DNAというよりも「志」の継承こそ、人間の歴史の中で大きな役割を果たすように私は考えている。
木戸さんの後半のテーマは、伏魔殿ともいうべき日本の医療を改革する運動「医療志民の会の事例~」。関連して個人として協力された「子宮頚がんワクチン接種の公費助成」運動で厚生労働省の予算特別枠を実現した事例も話された。最初に就職した広告代理店で身につけたマスメディアも含めて耳目を集めるノウハウも役立っているとのこと。(詳細は省略)
今回も、やはり「志」をもつこととそれに沿った勉強を続けることが大事だと痛感した例会となった。
交流会でも盛り上がったが、ギッシュさんが「アメリカの良心」を体現されている方だと心動かされたことを一言書かせていただこう。

簡単な報告としながら、自分の感想も含めて書いて長くなってしまったのはお許しいただきたい。
きちんとした報告はK代表がアップする予定ですので、楽しみにお待ちくださいm(_ _)m

【2010/09/15 18:42】 | 主催企画報告
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