<Mより発信>
【連載第8回】:黒川泰一さんに聞く 東京医療利用組合の設立(下)
〔1978年3月『生活と生協』誌51号から再録、黒川泰一氏は東京医療生協第7代理事長・故人〕

東京医療利用組合の設立(上)はこちら

嶋根 設立認可をめぐって医師会側から猛烈な反対運動があったようですが。

黒川 医師会の反対運動は執拗で、陰険なものでした。第一に「医師は患者を治療してやる」「患者は治療してもらう」という従来の考え方からすれば医療組合の組合員が、経営の主人公であると同時に、組合員である患者自身が医療の監督者たらんとする自主的立場、考え方が気にくわなかった。第二に中産階級ともいうべき勤労大衆を組合病院に横どりされるから反対だといいました。これなどは医師会がただ開業医の利益を守ろうとする閉鎖的なギルド組織にすぎないものだということを暴露することになりました。

黒川 こうして認可申請以来一年間も棚上げとなり見通しも立たなかったのですが、たまたま当時の東京府知事の藤沼庄平氏が一高時代、新渡辺校長の薫陶をうけた師弟の仲であったこと、また賀川豊彦についても、その人となりを良く知っていたこと、彼自身も医療組合運動の真意をよく理解していたことなどから、時間はかかりましたが、ようやく認可されることになりました。 (昭和7年5月)

嶋根 一寸別の角度からお開きしたいのですが、昭和5年頃から農村経済更生運動が官民一体ですすめられますが、そのなかで黒川さんは農村保健運動をすすめられて、それがもとで昭和19年に検挙されていますね。この辺のところは・・・・・・。

黒川 当時我々はよく軍部に対して主張したものですよ。つまり戦争するにも健康でなければならん。しかも農村は兵隊にどんどんとられて、年寄りと女・子供ばかりで労働は強化される一方で身体がまいってしまう。こんな状態で食糧を増産せよといっても無理がたたって病人がふえるばかりだと。そこで食糧増産のためには本土に残った農民の健康を保つ必要があるんだと主張したわけです。

これ自体は国もあまり否定できなかったけれど、一方では農民や労到着の立場で実践するということは神経にさわったのでしょうね。大河内一男さん(元東大総長)などがいっていた理論――生産性を守るためにも労働力を保持する必要がある、というのが、ぼくらの積極的な理由、根拠になるのだけれど「大河内のいうのはアカなんだ、共産主義なんだということで全くきき入れられなかったですね。

ばくらは労働力を守り、生産力を守るためには健康を維持し、それに必要な生活の改善、合理化を図ることが必要だといったのです。協同組合的な考え方なんですね。ところが当時の官憲は「そういうこと自体がアカだ。最左翼だ」という。そこで「ぼくは協同組合だ」というと「君より左には誰もいない。君は協同組合かも知れんが、今はその左がいないから君が最左翼だ。協同組合は最左翼だ」というんですね。ともかくひどい時代でした。

(Mによる注記)
『生活と生協』誌は、大学生協連がつくった生活問題研究所の発行。1978年当時、嶋根さんは同研究所常務理事をされていて、同誌に連続対談企画を掲載されていた。生活問題研究所は、1989年に日本生協連が会員生協の協力により設立した(財)生協総合研究所に継承されている。

→以下、第9回に続く。

【2010/04/22 00:15】 | アーカイブ
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