<Mより発信>
日本生協連初代会長賀川豊彦氏は1960年4月23日に逝去され、26日に青山教会で密葬、29日に告別式が青山学院大学礼拝堂でおこなわれた。
『生協運動』誌は1960年4月号が『生協運動』で追悼特集を組んだ。編集を担当したのは日本生協連に就職しての初仕事だったという斎藤嘉璋氏であるとのこと。(4月号といっても当時の日協連の機関誌は月遅れの発行は常であったという事情をご承知おきください。)
まずは特集の内容の概略をご紹介し、続けて各氏の弔辞や追悼文をご紹介していく予定。
【故賀川会長追悼特集号の概要】
前進のために”(*) 「平和への理想のほのおもやし賀川会長をおくる」:中林貞男
弔辞:田中俊介
各国協同組合からの弔電・国内弔電
故賀川会長の経歴
協同組合関係著書目録
アルバムから<その1>
田中副会長を会長代理に――緊急理事会で
平和と人類愛の人 故賀川会長を語る
「賀川豊彦氏の思いで」:杉山元治郎
「賀川先生の思いで」:田中俊介
「賀川豊彦先生を悼む」:涌井安太郎
「大震災前後のころ」:木立義道
「愛の使徒を憶う」:関 誠一
「党派をこえた団結のおしえ」:戸沢仁三郎
「賀川さんと日本の社会事業」:本位田祥男
「賀川豊彦氏と協同組合思想」:山崎勉治
「ある一日のこと」:小林基愛

〈4/29の告別式の様子〉
故賀川豊彦会長は、4月23日午後9時30分、心筋梗塞のため、東京世田谷区の自宅で逝去された。71歳であった。26日、青山教会で密葬をおこない、29日、青山学院大学礼拝堂で告別式がおこなわれた。
告別式は、午後1時から、衆議院議員杉山元治郎氏を葬儀委員長としておこなわれたが、会堂は故会長の遺志により、ごく簡素にかざられ、祭壇をうずめたマーガレットやカイユの白い花束のうつくしさと、堂外テントまでをぎっしりうずめた参列者のかなしみとがまじりあい、おごそかなふんいきにみちあふれていた。正面にかざられた故会長の写真は、平和と協同による生活向上とを訴え、身をもって実践してきたその一生を象徴するように、大きくほほえんでいた。
当日の参列者は3,500をかぞえ、また、内外からの弔電は、980におよんだ。
以上
(Mによる追記)
*“前進のために”は当時の『生協運動』誌面の巻頭言のコーナー名。中林専務の記名の場合が多いが無記名の場合もある。無記名の場合が記名漏れか編集部が書いたのかはわからない。

『生協運動』1960年6月号にも木下保雄専務の賀川会長追悼文が掲載されているのであわせてご紹介

【2010/09/01 18:49】 | アーカイブ
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