<Mより発信>
『事業連30年・中央支所20年記念誌』より引き続きのご紹介。
【『事業連30年・中央支所20年記念誌』より勝部欣一「CO-OP商品と物流とのあけくれ」】
消団連や組織部などを主に歩いていた私が事業部長になり、皆んなでがんばったのが昭和44年で、その事業部本部といっても次長の安濃孝司君他5名でしたが、組織全体としてはCO-OP商品開発普及に熱がうんと入った時機でもありました。
多くの人の思い出にあるように、化学調味料をめぐって日本の生協が東西に分裂するかと思われた烈しい論議かあり、しかも「CO-OPのシングルチョップは社会信用がない、有力メーカーとのダブルチョップを維持せよ」といった長老らの意見もあって混乱の極にあったのです。
結論はCO-OPのシングルチョップでメーカー名は旭化成と協和発酵の工場番号を印すという2社政策で手がうたれました。このあとだけに私が担当していたときは、農協、漁協や2番手3番手のメーカーもCO-OPに登用でき、寡占価格の打破、品質や表示の改善という目的をもった商品運動を消費者運動の我こそは尖兵なりとばかり前進できたと思います。
洗剤群とくに高級アルコールのセフターの開発は運動面でも今だに続いている論議の上で苦心したものです。
農、漁協とくに全農・日生協の提携調印も昭47年でしたが、チクロ排除の難しいてんまつ、ミカン100%果汁推進などの運動で実りました。
のりで大損害を出したり、数の子、たらこでの漁連とのとりくみも想い出されます。
昭48年のオイルパニック時にはCO-OP商品に注文殺到で品切れがおこり以後単協コープが多く生れることになったのですが、商標問題をふくめ、他国のようにCO-OP商品基準は全体信用のため確立してほしいと思います。
昭56年から再び事業担当常務理事となったときはパニックのこともあり、物流に相当エネルギーを出しました。所沢は亡くなった都民の桐原君と論議のはて出来たもので、松村君や田近君たちとガンバリました。かながわの羽沢、埼玉の大宮、北海道の野幌いづれも会員生協との関係を想起します。
CO-OP商品で全国の婦人組合員や担当者から愛された安濃君も亡くなって10年以上になります。感慨をもって30年をふりかえり、新しい協同を心から期待します。
(日本生協連常勤参与)
以上
(1)中林貞男氏
(2)大竹清氏
(3)石黒武重氏
(4)杉本時哉氏
(5)岡本好廣氏
(6)浜田吉人氏
(7)大谷正夫氏
(8)井川 章氏

【2010/08/17 13:08】 | アーカイブ
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