<Mより発信>
『事業連30年・中央支所20年記念誌』より引き続きのご紹介。井川章氏はご高齢の今もご健在で、2006年にはご自分で自費出版された上下2巻にも及ぶ自叙伝『うねりを越えて』を資料室に寄贈してくださった。
【『事業連30年・中央支所20年記念誌』より井川 章「共同仕入事業と貿易のかかわり」】
1958年11月全日本事業生協連が発足した次の年、59年1月に私は大阪から転任し、日生協理事のまま日協貿に勤めることになりました。
日協貿は事業連の設立より2年早い56年3月に設立されて、ソ連消費協同組合中央連盟との貿易が始まっていましたから、国内の事業体制が出来る以前に、貿易業務が始まったことになります。
のちに事業連に引継がれた、日生協関西本部が灘神戸生協に置かれていて、その責任者であった故木下専務が常駐されていた頃、私は全阪生協連の勤務時代で、側面協力ではありますが、ご一緒に仕入交渉のため、あちらこちらのメーカーや問屋を訪ねたものでした。事業連の結成が、有力な単協の血盟組織として発足する必要があった当時としては、全体的に生協はまだ弱く、対応の企業は及び腰で、日生協単独での契約には仲々応じてもらえない。今日ではとても想像できない困難な頃でありました。
1965年4月に日生協、事業連が合併することになりますが、それに先だつ61年に両連の合併が総会議案の修正案として提案され、討論は夜遅くまで続き、私も発言を繰返したことを覚えています。
1968年の8月に現在の生協会館(当時四階建)が竣工して、それまで都内に分散していた事務局が統合し、私は(故)木下、稲葉、両専務から専務職を引継ぐことになりました。中央支所発足が69年1月であり、私の仕事初めの一つが、支所名称を決めたことでした。
さて、日生協仕入事業と貿易とのかかわりですが、日生協の貿易の取組みの方針は、戦後1945年、日協同盟創立方針の大網の中で「国境を越えた人類愛と平和世界の確立のため、協同組合運動の、国際提携の促進と、国際貿易の発達をはかる」としてその意義と目的を明確にしています。1951年日生協が設立され、52年国際協同組合同盟(ICA)に加入し、54年19回ICAパリ大会に出席した日生協代表団(団長田中俊介日生協副会長)が、原水爆禁止の問題と、国際協同組合貿易の発展について提案し、これに答えるように、ソ連のセントロソユーズから具体的な提案を受けました。55年7月代表団の派遣等が行われ、同年11月、日生協理事会に貿易委員会が設置されて、生協法との関係ほか特殊な事業内容を考慮、日生協理事の全員を株主とした日本協同組合貿易㈱を、56年3月に設立、貿易業務が開始されることになりました。
日生協の事業体制の整わない揺籃の頃に貿易実務は始まったのですが、それからの短い期間での日生協仕入事業とのかかわった二、三の事例にふれて、共同仕入事業30年の補論としたいと思います。
ソ連貿易の開始以来現在まで、永年つづいているもので、輸入品に北洋材があり、輸出品に繊維品があります。この木材は建築用材として日協貿自身での製材を計画し、また住宅生協連とも幾度か直取組みを相談しましたが未だ成功していません。然しソ連としては対日生協と貿易をする大きな位置付けの商品となっています。1964年6月の新潟地震の際には福対協の緊急要請に答えてソ連はナホトカより木材輸出を即応してくれました。これは新潟福対協平和台団地として、現在の新潟労働者総合生協の住宅事業の大きな貢献となって残っています。1960年から始まった、ソ連オホーツク海沿岸ニシンの公海洋上積取輸入は、戦後日本の鮮魚輸入の先鞭をつけたもので、初年度は日協貿の独占事業として、北海道漁連との連携のもとに、生協組合員に供給し、その一方で、この事業から生ずる利益金の多くを、ニシン漁のなくなった北海沿岸漁民のための資金として積立てる制度をつくりました。これは其後沿岸漁業のための調査船の建造となり、現在も活動しています。この事業は約10年間一般企業も含めてつづくこととなり、日協貿はいつもそのリーダー的役割を果すことになりました。
またこのニシンは、今ではカナダ、アラスカ、ヨーロッパと対象国が広がりますが、それとともに年々取扱鮮魚の品種も増加し、生協陣営の水産事業発展の大きな役割を果してきました。
輸入見返りの輸出品である繊維品は、メーカーとの協力事業がすすむなかで、CO-OPカッターシャツ等の協力発展等を経て今日のひろがりを見せています。
日本生協連が貿易事業開始から32年間幾つかの山を越えて今日に至ったわけですが、今では、取引対象は全世界の地域となり、日協貿の外地事業所も各地に広がって品目も、農、水、畜、工業品に鉱業品まで幅広く、事業規模も日生協事業の成長とともに売上高は1988年度は450億円、89年度550億円を展望するまでになっています。
その内容も、単なる商品の輸出入から、投資、合併企業の設立、国内加工設備の拡充など、海外品の供給に安定、充実への対応が迫られています。事業連創立30年を迎えて、生協組合員の生活に海外との経済交流が更に重要性を加えるこのときに今昔の感を深くしながら回想しました。
(日本生協連常任顧問)
以上
(Mによる追記)
①1956年3月に設立された日本協同組合貿易㈱は、幾度かの経営危機を乗り越えたものの、1980年代末に「独立・急速成長路線」をとり経営破綻、91年には実質的倒産状態となった。経営再建の努力を続けたものの、1997年にその欠損金を日生協負担で解消する方針を決め、2000年に清算登記完了でその44年の歴史を閉じた。あわせて新会社㈱コープトレードジャパンが1997年に設立され、日協貿の貿易業務を継承している。(『日本生協連50年史』を参照)
②井川章氏をネット検索してみたところ、興味深い資料にいきあたった。『大原社会問題研究所雑誌』No.621/2010.7の「大阪社会運動協会のオーラルヒストリーについて」という資料でPDFファイルで公開されている。
「井川章は武田薬品工業労組の執行委員を務めながら武田薬工生協を設立した。全大阪生協協議会(後に全大阪生協連合会)の設立、運営にも関与した。大阪府生活協同組合協議会会長、中央労福協副会長、日本生活協同組合連合会副会長も歴任した。『うねりを超えて』(2006年コープ出版)という著書がある」という記述がある。(「超えて」は「越えて」が正しい)
(1)中林貞男氏
(2)大竹清氏
(3)石黒武重氏
(4)杉本時哉氏
(5)岡本好廣氏
(6)浜田吉人氏
(7)大谷正夫氏

【2010/08/16 13:09】 | アーカイブ
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 


トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック