<Mより発信>
【連載第7回】:黒川泰一さんに聞く 東京医療利用組合の設立(上)
〔1978年3月『生活と生協』誌51号から再録、黒川泰一氏は東京医療生協第7代理事長・故人〕

嶋根 はじめに医療事業をなぜ協同組合方式でおやりになったか、その意味についてお話し願えませんか。

黒川 昭和5年の暮に仮釈放で出てすぐ賀川先生に手紙を出したんです。そうしたら電報ですぐ来るようにということで先生のところにお伺いしたら、唐突に「医療組合をやるんで木立君と一緒になってやってくれ拾え」ということでした。別に異存はなかったが医療組合というのは、はじめて聞く言葉なので、先輩の木立さんに聞いてみると「病院を協同組合の組織でやるということらしい。自分もはじめてなので、よく研究してすすめましょう」ということでした。

黒川 賀川さんが何故医療事業をやろうとしたのかということは、私なりに考えてみてだんだん判ってきたのは昭和初期の農村恐慌との関係です。
農村、特に東北などでは相当医療費で苦しめられていた。医者はいても医師会の統制でかなり高い医療費がかかる。すると貧農は特に大変でね。まして恐慌下でしょう。病人が出たら娘を身売りして医者にかかるという状態がずいぶんとあったわけですね。ともかく病気さえしなければなんとかやれる、病気をしたら最後というような状況でした。

それと東京あたりでも生活保護を受けている人は何とか医者にかかれる。恩恵的なものだけれどね。また金持ちも自由にかかれる。ところが中間層の場合は非常に困る。こういったことを救うためには自分たちで医療機関をつくっていく以外にない。都市でも農村でもね。現在の保険制度のなかった時代ですからね。

それと医療は病気を治すことも大切だが病気にならないようにすること、予防医学ですね。これが非常に大事ですね。だから医療組合というのは病人だけが入るものではなく、健康者も一緒になってやらなければいけない、ということになるわけです。当時日本は結核で死ぬ人が多くてね。国民死亡率も世界で高い部類に属していた。それを低める国民的にやる、医療組合でやるということを先生はいっておられたですね。

嶋根 今のお話しを伺いまして、改めて「有限責任東京医療利用組合設立趣旨書」を拝見しますと賀川先生の並々ならぬ理想といったものがにじみ出ていて今日でも非常に新鮮な感じですね。これは黒川さんがお書きになったのですか。

黒川 いや執筆は木立さんです。ぼくも読み直してみましたが、確かに今でも通用しますね。

→(下)は、第8回に続く。
以下に、黒川さんに関する注記あり。
(Mによる注記)
1958年に日生協とは別組織で全国的な共同仕入事業をすすめることになった。その全日本事業生協連で事務局長になられた嶋根さんは、専務理事に就任された大竹清さん(当時、石川島生協専務理事)にいろいろとお世話になった思い出を連載紹介(3)の私の注記で紹介した『生協運動 想いで集』に寄せている。
その文章の中にも黒川さんが以下のように登場している。

「全日本事業生協と創業時の忘れ得ぬ人々」のP78より
「昔は量目や品質をごまかすこと、それが利益の源泉だった」とご自身で小売を経験された大竹さんがよく述懐されたものでした。「なぜ、商売というものはウソをつかなければできないのか」ということを悩みぬいた黒川泰一少年(故人・元東京医療生協理事長)は賀川豊彦の門を叩いて生協運動の道に入りました。「純良な品質・正しい量目」を事業運営の原則としたロッチデールの人たちの宣言は少なくとも戦前の商業に対しては、わが国の場合でも新鮮な響きをもって受けとめられたのだということは、お二人の話の中で学んだことでした。

ここで黒川さんが賀川豊彦に師事することになった出会いがわかる。


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(Mによる注記)
1958年に日生協とは別組織で全国的な共同仕入事業をすすめることになった。その全日本事業生協連で事務局長になられた嶋根さんは、専務理事に就任された大竹清さん(当時、石川島生協専務理事)にいろいろとお世話になった思い出を連載紹介(3)の私の注記で紹介した『生協運動 想いで集』に寄せている。
その文章の中にも黒川さんが以下のように登場している。

「全日本事業生協と創業時の忘れ得ぬ人々」のP78より
「昔は量目や品質をごまかすこと、それが利益の源泉だった」とご自身で小売を経験された大竹さんがよく述懐されたものでした。「なぜ、商売というものはウソをつかなければできないのか」ということを悩みぬいた黒川泰一少年(故人・元東京医療生協理事長)は賀川豊彦の門を叩いて生協運動の道に入りました。「純良な品質・正しい量目」を事業運営の原則としたロッチデールの人たちの宣言は少なくとも戦前の商業に対しては、わが国の場合でも新鮮な響きをもって受けとめられたのだということは、お二人の話の中で学んだことでした。

ここで黒川さんが賀川豊彦に師事することになった出会いがわかる。

【2010/04/22 00:05】 | アーカイブ
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