<Mより発信>
『事業連30年・中央支所20年記念誌』より引き続きのご紹介。コープ商品といっても会員生協独自のものと連合会のものがあり、後者の第一号の「CO-OP生協バター」が生まれて今年が50年ということで、私は昨年度末作成の年表資料づくりに協力した。
この寄稿集では、灘生協で長く商品事業を担当され、合併後の灘神戸生協の副組合長もされた浜田吉人氏が、バターとみかん缶に関わるエピソードによって連合会コープと灘生協コープとの関係について書いてくださっているのが興味深い。
【『事業連30年・中央支所20年記念誌』より浜田 吉人「事業連思い出記」】
全国共同仕入れ事業30周年の記念式典が盛大に催され、参加さして頂いたこと、また旧友の皆様方に久しぶりにお眼にかかれたことを有難く感謝に思っております。
昭和33年に全日本事業生活協同組合連合会が創立される前には、全国の地域で、さまざまな共同仕入れ機構が結成されましたが、必ずしも成功をみるには至ってはおりませんでした。
当時の生協の基盤の弱さ、零細性が、また大同団結をするという意識の希薄さがあったのでしょう。
事業連結成の前に、関西事業本部が設けられて、木下専務が東京より着任されて、事務所を灘生協の一室におき、私は朝夕お話しをする機会を持ちましたが、ほんとうに敬服する努力をされておられ、地方の単協へ行かれるときは、必ず「コープ旭味」「コープ歯磨」(*)をかばんの中に入れておられるのを眼のあたりに致しておりました。にもかかわらず、充分な成果を挙げるには至り得ませんでした。
それから30有余年、事業連から日本生協連への一元化の途を辿って、今日の隆盛と単協、消費者への貢献は、まことに偉大なものがあると云えましょう。夢想だにし得なかったことで、この成功を支え協力した全国の単協、また関係された方々の血のにじむ努力の賜物と思います。
ずうっと昔、昭和10年に、関西では、京阪神生協(当時は消費組合または購買軍合)連合仕入機構が結成され、福助足袋㈱の製品を主として、各種靴下、足袋を中心として展開され非常な成果を納めておりましたが、純綿統制の直前まで続き、断絶いたしました。振り返ってみますと、いろいろな方途、手だての中で、商品政策、結集の中心を、コープ商品(シングルチョップ)の開発、展開においたことが成功であったと云えましょう。このことが、単協を強くし、連合会も事業の拡大をしっかりするという相乗効果を出しております。ところでそのコープマークについては、食品の一部に(28、27点)日本紅茶が商標権を持っていることが判明して、当時中林会長、井川専務さん達が随分と悩み、その解決に心をくだきました。私もなにかお手伝いが出来ないかと心掛け、幸にして、当時日本紅茶(大阪支店長鈴木常務、後の、CGCの副社長)とは取引があり、関西総代店の野田嘉商事の野田社長(現在菱食)にも協力を依頼して、何回か会い、本社の社長のOKをとることに漕ぎつけ、最終的に、灘の組合長応接室で了解点に達したことを記憶しております。条件はコープ紅茶のパックは日本紅茶に発注依頼すると。他に会社のもっている商標に(コープ商標)コーヒーやその他の商品にコープ商標をつけてもよろしい。積極的にコープ紅茶を広げて下さい。これだけが注文でした。次にコープ商品開発の第1号とか第2号とか云われるコープバター(全酪連)は昭和35年当初に灘生協でのコープバターとして(最大手に対応するため)開発をしておりました。(全酪連大坪会長了承、担当者川島部長)後、日生協の開発に合流できず、灘独自のコープマークに終始した経緯がありました。
コープみかん(シロップ漬け)缶詰については、当時のことを島根善太郎さんが言及されておりますが、山口県経済連と灘生協が木炭統制解除後、防長炭として大量取引を開始しましたが、木炭の衰微が昭和34年頃から始まり、山口県経済連は転換を図るため、果実加工場の拡充拡大をいたしました。萩加工場、大島の来賀加工場でした。大島郡温州みかんは特に優秀でこれを原料として生産を拡大し、木炭時代から懇意であった竹内参事(後、日本果実加工KKとして分離、専務に、現在副社長)とも相談して、灘生協によるコープマークとして開発し、図案レタリングはCOOPを使用しました。
昭和33年にフランス生協を訪問し、いろいろな説明をうけ、資料を貰いましたが、当時フランス生協連は自らの工場でつくっている商品にはCO-OPマーク、委託生産外注をしている商品にはCOOPマークをつけているとの説明で、帰国してから後、すばらしいレタリングだと感じましたので、日本でもこれを使わしてほしいと文書で了解を求めてOKをとり、みかん缶詰に適用したのが第1号でしたが、生協連のものと相前後したようで、これもまことに心痛むことですが、連合会のものと合流できないで今日に至っているようです。
最後に旭電化に依頼したコープソフトの開発は、その最終交渉が同社の荒川工場で、大雨、嵐のなかを夜半に至るまで関係の方と延々続いたことを今も鮮明に記憶しております。
管理価格への抵抗、有害商品の排除、安心へのシンボル、コープ商品の前進牲こそ日生協供給事業の根幹であり、いよいよの発展を希い願っております。なおこれからは日協貿との一段と連携を密にした、世界的視野にたった、コープ商品の開発充実が望まれます。
(灘神戸生協名誉理事・元副組合長)
(Mによる注記)
*「コープ旭味」は「生協連合の旭味」→「生協の旭味」という名称で、コープがついたことはなかった。「コープ歯磨」の開発は1969年のはずなので、その開発に向けた商品だったのだと推測。「コープ歯磨」と木下専務のエピソードは勝部欣一氏のこちらの原稿にも書かれている。
以上
(1)中林貞男氏
(2)大竹清氏
(3)石黒武重氏
(4)杉本時哉氏
(5)岡本好廣氏

【2010/08/12 18:24】 | アーカイブ
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