<Mより発信>
引き続き、『事業連30年・中央支所20年記念誌』よりご紹介する。「事業連」の名称が厚生省の認可を受ける際に変えられていたという裏話を、岡本好廣氏が寄稿している。
【『事業連30年・中央支所20年記念誌』より岡本 好廣「“事業連”名称変更の裏話」】
全日本事業生活協同組合連合会、この長い名称が「事業連」の創立の時は別の名称であったことを知っている人は少ないと思います。
1958年11月12日に事業連の創立総会が行われたのですが、そこで決められた名称は「日本生活協同組合事業連合会」で、設立趣意書、定款もそうなっていたのです。ところが創立総会を終って厚生省へ認可申請にいったら待ったがかかったのです。生活協同組合連合会の間に語句をいれてはいけないというのです。当時、一連の資料をもって厚生省へ認可要請に行ったのは私です。相手は永川という若い事務官で、私と同年配の25、6ではなかったかと思います。日頃はお互いに話も合い、仲が良かったのですが、この時ばかりはやり合いました。先方は農協だって、全国購買農業協同組合連合会(全購連=当時)ということで、頭に事業目的をいれている。これが原則だということで譲りません。それでは「日本事業生協連」かというと、「事業」の座りはそれでいいが、日本生協連とまぎらわしいというわけです。日生協としては法人格は別でも、事業連と日生協は一身同体であるということを示すために、わざと同じような名称にしたのですが、そこをついてきました。そして「全国」か、「全日本」としたらどうかというわけです。日本生協連に近い名称を選びたいのですから「全国」はだめです。そこで全日本という案になりました。当時は全日本プロレス協会といった団体もなかったからよかったものの、異和感はありました。こうしたいきさつで、創立総会で決めた名称と異なる「全日本事業生活協同組合連合会」となったのです。永川事務官とやりあうなかで、先方は要所要所で席をたって課長補佐の意向をききにいく、その間私は役員に電話をして指示を仰ぐ、ということで、決着したのは夕方になったと思います。その後3年して事業連が日生協に合併し、因縁深い名称がなくなった時には、正直なところほっとしたものです。
(日本生協連常務理事)
以上
(1)中林貞男氏
(2)大竹清氏
(3)石黒武重氏
(4)杉本時哉氏

【2010/08/11 13:01】 | アーカイブ
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