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20170721講師の林田光弘さん(当日中野氏撮影分)トリミング.jpg
【2017年度第1回例会(7/21)のご報告】(その2)
※その1は、こちら
※冒頭の写真は、パワーポイントを駆使して講演する講師の林田光弘さん。
 核兵器禁止条約のポイントは、①前文に「HIBAKUSHA=ヒバクシャが受けた容認できない苦しみと被害を心に留める」と入った。②「国際人道法に反する」として核兵器の「開発」「保有」「使用」が明確に禁じられた。③核兵器による「威嚇」も禁じ、核抑止の考え方を明確に否定した。④今後、未加盟の国も入るチャンスが作られた。日本における論点は「核の傘」を再考すること!核抑止論で核兵器があるから大丈夫といい、いざとなったら使いますというのは「平和」なのか。安全保障はないがしろにしないで、核兵器は使われたくないし、使わないでいくという立場でいくべきではないか。
 今後は条約を発効させ、核兵器は悪い、不要という大キャンペーンをして加盟する国を増やし、廃絶までのロードマップを作る必要がある。私たちがやるべきこととして、ダイアナ妃も参加した地雷禁止国際キャンペーンから禁止条約ができたように、まず核兵器でもルールができたことを広く知らせていくこと。そして「被爆体験」を世界に伝え、世界にとっての核兵器のイメージを転換させることが大事。

 「ヒバクシャ国際署名」は「被爆体験」を広げるためのツール。署名は媒体であり、大事なのは何を伝えるかとそのプロセス。安全保障や「核抑止」の議論の中でも、常に被爆者の体験を考え、想像し、伝えていくこと。北朝鮮のことを持ち出すような人にも伝えていく必要がある。「使った時のことを考えていますか?北朝鮮の人々の上にヒロシマ・ナガサキのような非人道的な惨劇を起こしてよいと思うのですか?」「自分たちを守るために核兵器使用は選択肢にしない、そういう高い次元で見ているんですよ」と普通のトーンで語りかけることができるかどうかが問われている。
 「被爆体験」を語るにも壁がある。人間関係が築けて初めて語ってくれる。また、被爆体験は8月6・9日に閉じ込めないこと。その日のことだけでなく、その後の苦しみもある。また、語り部や被団協のリーダーも世代交代が進んでいる。記憶がある80代以上の方と記憶がない70代以下の方との区別もやめなくてはいけない。そうして後世に「被爆体験」を伝えていく必要がある。
そして、“核兵器廃絶”を諦めないこと。馬鹿にされても言い続けること、当たり前でなかったことも当たり前に変わっていく。諦めないで連帯していくことが必要だ。

 質疑応答では、「署名運動の取り組み方について学習が先で署名が後という段階論をとるのがよいのか、並行するのがよいのか、活動参加の場は複線化していくことが大切なのではないか」という質問があり、林田さんは、「署名はその紙を提示して話をすることで相手に私たちの考え方をわかってもらうための媒体。運動にはグラデーションがあるのが当然。敷居をなるべく下げて参加を広げることと、突き詰めて学び研究するような人たちがいることも大事」とさらっと答えられた。第二部の懇親会での「一人ひとこと」タイムでもそこに納得したという声が出され、共感が広がっていた。

 2020年まで取り組まれる「ヒバクシャ国際署名」の今年の総会への提出について「職員の掲示板」に報告記事が掲載されましたが、10月の衆議院解散・総選挙の結果は厳しいものとなりました。核兵器廃絶、平和を守るための憲法改正の議論、つながったものとして学びながら声を上げていくことが求められていると思いました。
(参考)「国連広報センター」の7/7付け「国連会議、核兵器禁止条約を採択」の記事のURLは以下。
http://www.unic.or.jp/news_press/info/25081/
※下の写真は、会場を後方から撮影したもの。 
20170721林田さん講演全体15%縮小トリミング.jpg
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【2017/11/30 00:01】 | 主催企画報告
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ヒバクシャ国際署名ロゴ.jpg
<Mより発信>
 「ヒバクシャ国際署名」は、震災復興募金と同様に、日本生協連、コープ共済連、日生協労組の共同で職員に呼びかける取り組みとなりました。2017年度第1回例会は、SEALDsメンバーとして活動され、長崎の被爆3世として被団協の役員から乞われてキャンペーンリーダーとなって活動されている林田光弘さんにご講演いただきました。人事企画部がこの学習活動に賛同するということで「職員の掲示板」で企画案内を掲載する協力も得ることができました。参加者は35名(講師を含む)で、うち労組員が18名、非労組員が17名でした。冒頭の写真は「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンのロゴ。

【2017年度第1回例会(7/21)のご報告】(その1)
1.テーマ:核兵器禁止条約をすべての国に!
        「ヒバクシャ国際署名」を広げよう!

2.林田 光弘 氏
  (「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー、
    元SEALDsメンバー、明治学院大学大学院生)

3.講演概要
 「ヒバクシャ国際署名」の正式名称は「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」で、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことをすべての国に求める内容で、世界の全ての人、特に核保有国とその同盟国の国民に訴えるもの。2016年4月からスタートし、署名の目標数は2020年までに世界数億の人の規模をめざして取り組み、毎年10月に開催される国連総会に提出する(NPT再検討会議が開催される2020年の提出時期は未定)。この運動の最中の今年7/7には核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる核兵器禁止条約が国連の条約交渉会議で採択された(50カ国以上による批准の90日後に発効予定)。この会議にヒバクシャを派遣するためクラウドファンディングで募金を呼びかけ、目標の150万円を達成した。
 「ヒバクシャ国際署名」の注目点は、①被爆者の呼びかけによる初めての署名活動、②これまでの枠組みを超えた団体が参加・賛同する国・宗教・イデオロギー・世代を超えた署名であること、③ヒバクシャが呼びかけ、それに応える形で運動が広がっていること。ヒバクシャの願いであると同時に全ての人々の願いであることが明らか。中央の連絡会には40を超える団体が参加し(日本生協連も参加)、都道府県ごとに地域連絡会が結成され、自治体への働きかけも続いている。

 核兵器禁止条約の考え方の基礎、核兵器って他の兵器と何が違うのかを確認したい。核兵器は国際的に禁止されていない唯一の大量破壊兵器であり、大量破壊兵器とは、破壊効果が極めて強力で効果を一定の対象に限定できない兵器のこと。その大量破壊兵器の中で最強で最悪である。
 紛争解決のためとして戦争が起きるが、歴史的に戦時国際法として国際人道法がつくられてきた。戦争の時でも「やっていいこと」と「いけないこと」を分けるルールとして、軍事目標以外への攻撃禁止ということで、降伏者、負傷者、民間人等への攻撃は禁止とされてきた。生物兵器が1972年に禁止。化学兵器が1993年に禁止。対人地雷が1997年に禁止。クラスター爆弾が2008年に禁止。国際的に禁止されていないのは核兵器だけで、それが世界に約15000発もある。(下の写真はパワーポイントの画面。)
201707211林田さんの講演パワポ画面25%縮小トリミング.jpg

 第二次世界大戦中に開発された核兵器は、戦後に結成された国際連合の常任理事国5カ国(アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国)が特権的に保有を許され、その他の国は持ってはいけないとされてきた。核不拡散条約(NPT)は1970年に発効し、1995年が期限とされた。紛争を抱えながら核保有を許されなかった国の中でインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が核兵器を持つようになってしまったが、これらの国の怒りを理解する必要がある。
 1980年代に世界的な反核平和運動の高揚が見られ、ニュージーランドをはじめとして世界の市民団体が連帯し、非核保有国の政府を動かし、国連総会で核兵器の違法性を国際司法裁判所(略称:世界法廷)に訴える決議案を採択させる世界法廷運動を起こした。それが1994年12月に可決され、国際司法裁判所に提訴され、1996年7月に「核兵器の威嚇や使用は、国際法および人道法の原則に一般的に違反する」という勧告的意見が出された(その大きな力になったのは広島・長崎両市長が代弁した被爆者の声だった)。ただし、核兵器以外の方法で自分の国を守ることができない状況に追い込まれた場合、例外的に使用が認められるかについての結論は明言されなかった。1995年が期限だったNPTは無期限延長とされ、NPT再検討会議は繰り返されたが前進せず。

 戦勝国であれば大量殺人も正義とされ、ヒロシマ・ナガサキにより植民地支配から解放されたという受け止められ方がある中で、今回の核兵器禁止条約への流れができた転換点は、2010年のNPT再検討会議の数日前に「核兵器の非人道性」に注目した赤十字国際委員会の総裁声明が出されたことだった。赤十字という医者の立場の人たちが使われたら救護にも行けないというこの視点によって、核を持ってはいけない国々が確信をもった。また、国連の作業部会が核兵器が使われたときの地球環境への影響レポートの説得力も大きかった。そして、NPTで特権をもった5か国による威嚇にいつまでも我慢しないという非核兵器国+NGO(市民社会)が大きな力を発揮して流れを変えることができた。

(その2へ続く)

【2017/11/29 20:17】 | 主催企画報告
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中林貞男著『平和とよりよい生活のために』他表紙掲示用.jpg
<Mより発信>
 2017年度第2回「日本生協連資料室土曜講座」(11/18)の詳細案内をご紹介します。全4回の予定が立たなくても、1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】11/18「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第2回)「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ-『平和とよりよい生活のために』を体現-」の詳細案内

講師:斎藤嘉璋氏
(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:11/18(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
※早稲田大学卒業後、『報知新聞』記者となり、大日本産業報国会を経て敗戦戦後より日協同組合同盟設立に参加。賀川 豊彦さんが亡くなるまで日本生協連専務理事として仕え、1962年副会長、71年第4代会長に就任。賀川 精神を継承し、政党やイデオロギーを超えて多くの組合員が 参加する反核・平和運動を広げ、ICA中央委員としても長く活躍した。
1988年には日本生協連が国連から「ピースメッセンジャー」 の認定を受け、1989年には中林さんがスウェーデン生協連 の「アルビン・ヨハンソン・ゴールドメダル」(協同組合運動を 通じて平和・自由の推進に多大の貢献をした協同組合に授与) を受賞。

〔参考文献〕
・『私と生協』第1集・中林貞男氏講演録
「生協運動の現状と未来」1986年10月刊(市民生協生協会)、
中林貞男/著『平和とよりよい生活を求めて
―生協運動私史―』1985年6月刊(日本評論社)

・坪井俊二/著 2016年3月刊(私家版)
 『松飾り、数の子珍味、きょうの春―生協の五十年』

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※冒頭の写真は、中林さんの代表的な2冊の書籍の表紙を撮影したもの。対談集の表紙にトレードマークの太い眉毛がはっきりわかる当時の近影写真がある。
※10/23付けの記事を再掲。

【2017/11/06 19:35】 | 情報
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