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<Mより発信>
今日1/17は、1995年に起きた阪神・淡路大震災から20年の日である。あらためて被災した方々、犠牲になった方々に思いを馳せる。
冒頭の写真は同年3月号の『生協運動』誌の表紙で、写真家の石河行康氏のカメラに写っているのは倒壊したコープこうべの本部。倒壊を免れた百貨店業態の「Seer」の建物が奥に見える。
全国の生協からの支援者と支援物資が続々と集まり、必要物資を生協で組合員がパニックも起こらずに行列して買い求める様子に感銘を受けた方も多かった。その時の経験が2011年の東日本大震災の際も活かされたという。しかしながら、過疎の地を多く含む東日本大震災からの復興は、都市部が多くを占める神戸となどとは比べ物にならないぐらいスピードが遅い。さらに福島の原発事故も相俟って、問題はより複雑になっている。

阪神・淡路大震災後、全国の生協の事業も運動も大きく変化せざるをえなかった。全国の主要生協による事業連帯組織「COMO・JAPAN」の人材育成事業「コモテック」に参加していた全国の生協からの研修生は、復興に立ち上がるこうべの職員や組合員の活動を目の当たりにし、自らその活動に参加する経験をした。しかしながらと「COMO・JAPAN」いう壮大な挑戦も中心になっているこうべ本体の復興が先決となり、2000年には発展的に解消されて、全国の生協の事業連帯は次のステージに移った。
運動ということでいえば、1995年はヒロシマ・ナガサキの被爆50年、アジア太平洋戦争終結から50年ということで組合員活動として被爆体験、戦争体験を語り受け継ぐ場を広げていくことをメインにした「平和の取り組みの3ヵ年計画」が1994年度末に提起されていたところだった。1995年1/17を境に優先課題が大きく入れ替えられ、震災からの復興とその支援、緊急時の行政と生協の提携のための協定書を締結する取り組みなどに重点が置かれるようになった。その結果、「平和の取り組みの3ヵ年計画」の総括文書は作成されないという状況になった(生協の平和の取り組みの歴史がわかる史資料のリクエストがあって、いくら探しても見つかっていない)。そういう意味ではかなり残念な歴史的経過をたどったといえよう。

こうして歴史として過ぎ去っていくことも、きちんと記録し、後世に活かされなければならない。日本の生協はそれができているだろうか。日本の社会もはそれができているだろうか。

【2015/01/17 18:37】 | 情報
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