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20140731第1回例会被爆証言聞き取りの様子12縮小
<Mより発信>
 JCCU協同組合塾の2014年度第1回例会の概要です。(写真は幹事メンバーによる撮影)。

【2014年度第1回例会(2014年7/31)「ヒロシマ・ナガサキを聴き、語り、受け継ごう」の報告】
1.開催日時:2014年7月31日(木)18時~21時30分
2.参加者:日本生協連コーププラザ2F 震災対策室
3.テーマ:「ヒロシマ・ナガサキを聴き、語り、受け継ごう」
4.講師:地元東京にいらっしゃる3名の被爆者の方々
5.今回の企画について
 日本生協連の創立総会は、その前年に朝鮮戦争が勃発して米軍占領下の日本も巻き込まれ、マッカーサーが核兵器使用を考えたという緊迫した状況のもとで開催され、「平和宣言」、「平和とよりよき生活のために」が盛り込まれた「創立宣言」が採択された。国連軍縮特別総会、国際司法裁判所の勧告的意見を引き出した「世界法廷運動」、その後のNPT再検討会議には日本から核兵器廃絶を訴える声を届けるため、生協からも代表を送り出してきている。来年の被爆70周年にあたる2015年の同会議にも代表団が派遣される予定。
 JCCU協同組合塾では、昨年度第1回例会(2013年7月)で「生協の平和活動の歴史とこれからの課題」について学び考えた。「NPO法人 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」は日本生協連、日本生協連労働組合ともに賛助団体になっており、「ヒロシマ・ナガサキを語り、受け継ごう」という共同行動に取り組んでいる。
 しかしながら、平和の取組みに参加している人でも「被爆者の方のお話はヒロシマ・ナガサキに行かないと聞くことができない」と思われている方が多いことが、この間にわかってきた。そこで今年度第1回例会は、昨年に続く平和のテーマで、地元東京の被爆者の会にご紹介いただいた被爆者の方々のお話をお聴きすることにした。さらに教室型で講演を聞くのではなく、少人数のグループに分かれてじっくりと聴くというやり方にした(冒頭の写真)。少人数での聞き取りは、証言者の方が大勢を前にするのとは違う心構えでお話くださるので、お話するにつれての感情の変化が表情や息遣いなどからも感じとることができ、受け継ぎ手も適宜気軽に質問ができて、言葉や気持ちのキャッチボールができて、より深く感じたり考えることができる。
 今回もまとめの全体会(下の写真)のグループからの概要報告でそのよさが報告されていた。今回の証言もきちんとまとめて同会にお届けし、次世代と世界に伝えるために活用していただくことにする。
20140731第1回例会まとめの全体会12%縮小

6.例会第1部の概要
【すすめ方】
18:00~18:10  全体で企画趣旨説明
18:00~18:15  グループ設営と移動
Cグループは4階の小1会議室に移動
18:15~19:05 ご証言をお聴きする
19:10~20:00 グループディスカッション
20:00~20:10 まとめの全体会
 協同組合塾の幹事より今回例会の企画について説明し、「ヒロシマ・ナガサキを語り、受け継ごう」という共同行動に取り組んでいる生協労連の平和担当の大井書記次長よりご挨拶をいただいた。生協労連の平和委員会でも地元東京の被爆者の方の証言の聞き取りを行ったとのこと。今回は、昨年7月の例会に参加された大学生協の方が大学生協連学生委員会メンバーにお声をかけて下さって、4名の学生常勤の若者と一緒に参加してくださった。大学生協連でも被爆者の思いを受け継ぐ取組みを強めているとお聞きしている。日生協労組書記局からも小学生のお子さんたちと一緒に参加いただく参加者もあって、受け継ぎ手の側の参加者の年齢層は10代から60代以上まで幅広く、ご証言をいただく3名の方を含めて27名の参加をいただいての開催となった。冒頭の全体説明の後、2つの部屋で3つのグループに分かれて証言を聞き、語り合った(そこでの様子は感想文のところでご紹介する)。
 まとめの全体会では、それぞれのグループからの簡単な報告を聞いて、今回のように被爆者の思いも含めて受け継いでいける場をこれからも作っていくことの大切さを共有化することができた。この場で日生協労組の小笠原委員長からもご参加いただいた感想とともに、労組の平和の取組みの現状と決意表明もいただいた。
協同組合塾は日本生協連職員有志の勉強会ではあるが、外部からの参加もしていただいて一緒に学び交流することができ、そのことで視野を広げる機会にもなっている。このよさも大事にしていきたい。

7.各グループのご証言者のご紹介
今回の証言者の皆様が、ご証言されている映像がインターネットで公開されているものがありました。こちらでのご紹介もご快諾いただきましたので、リンクをつけてご紹介いたします。各グループの参加者の感想は、たたまれている部分をクリックしてください。
【Aグループ】 証言者:柴田フミノさん:ユーチューブ「被爆者の声」より
【Bグループ】 証言者:仲伏幸子さん:国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワークの証言映像より
【Cグループ】 証言者:奥田豊治さん:ユーチューブ「被爆者の声」より

8.第2部の懇親交流会(20:15~)
 4階小会議室に懇親交流会の場を設けた。ご高齢の証言者の方々には遅い時刻になるためにお願いはしないでおいたが、男性の証言者が参加してくださった。夏休み中でもあり、10歳の双子ちゃんにはお母さんの職場見学も兼ねて参加してもらうことができ、受付のお手伝いもしてもらえた。懇親会ではおにぎりをたくさん食べてくれて、まさに未来を担う子どもたちのエネルギーに大人たちも元気をもらえたと思う。

 以下に、参加者の感想のご紹介があります。
9.参加者の感想文より (感謝の言葉は割愛します)
【Aグループ】 証言者:柴田フミノさん
(20代・女性) よく「直接話を聴ける最後の世代」と言われていて、その中でも自分には何ができるのだろうと考えています。そして今日、柴田さんのお話を聴いて、次の社会を担っていく世代として行動していかなければならないと思いました。“戦争は人殺し”ということを柴田さんが「伝えたい」と思った気持ちを今度は私が「伝えていきたい」です。これから大学生を相手にする仕事につくので考える場も作っていきたいです。どうかお元気で。
(40代・男性) 柴田さんのお元気な姿に被爆でつらい思いをされた方とは思えず、こちらが元気づけられました。後世に語るのは使命との言葉が印象に残っています。悲惨な話はしたくないという気持ちがあるが、若い人に話をした方がいいとの思いで話をされている姿に、自分たちも戦争のない世の中にするためにしっかり伝えていきたい。
(60代・女性) 柴田フミノさんのお話は、大変率直で淡々と当時のことを語られたのですが、お兄さん、お母さんが次々と原爆症で亡くなられたことはすごい体験だったと思います。何度も「戦争はイケナイ!!」とくりかえされたお気持ち、それだけの思いで今の語り部をしているとおっしゃったことにインパクトを受けました。若い人に伝えたいという使命を抱いて毎日を生きていらしていることに勇気をいただきました。

【Bグループ】 証言者:仲伏幸子さん
(10代・男性) 話をきいて大変だったんだなと思った。いろいろな人がぎせいになって悲しいことだと知った。次の世代に伝えなければいけないことだなと思った。いろいろなことを知れていい機会になったと思った。
(10代・女性) 子どもには少しむずかしかったけど、これから生まれる未来の子どもたちにも伝えていきたい。
(20代・女性) 初めて語り始めた時、その頃の自分に戻らないと語れなく、その頃の自分に戻ると必ず母が出てくる。それがつらく語ることができなかったというお話が印象的でした。ノーモア・ヒバクシャの事務局の方から被爆をされた方すべてが語れるわけではなく、語って下さる方も自身の人生を開いて伝えて下さっている、その覚悟を受けとめてほしいと言われたことを思い出しました。
(50代・男性) 加害者への思いを問われた時、そこから平和への道すじはない、とお答えになられたことに感銘を受けました。最初、お話をされた頃、5歳9か月の時の記憶をたどらなければならず、涙で何もおっしゃれなかったとの由ですが、そのような辛い思いをおして、お話をされるエネルギーを、私たちは受けとめ、伝えていくことの大切さを感じています。

【Cグループ】 証言者:奥田豊治さん
(20代・男性) 証言を聞くときは当時の雰囲気がかなり伝わってきて、お話を聞く機会は大事だと思った。どのようにして若い世代に広めていくか、しっかり考えたい。
(30代・男性) 過去に被爆の証言を聞いて感じたことを手紙に書いて伝えるという分科会に参加したことがありますが、その時に被爆経験者の話を言葉や文字にして伝えることの難しさを思い知らされた次第です。今の広島、長崎の姿から被爆当時を想起することは困難ですが、きちんと現場に行って、私よりさらに若い世代に語り継いでいきたいと思います。核はやはり人類と共存できません。このような悲劇は二度とくり返したくないです。そのための努力をこれからも続けていきたいと思います。
(50代・男性) 今日、聞き学んだことを自分の中で消化し、まわりに伝えていきたいと思いました。奥田さんの話されていた、広島の街が「ベチャッと押しつぶされた」「なんとも言えないひどい臭いがした」という経験者に感じることができない感覚を聞くことができた。理論と共に、感情や想いも伝え、核兵器廃絶の運動を広げ、実現に近づけたいと思いました。
以上


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【2014/08/17 23:17】 | 主催企画報告
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「平和とよりよい生活のために」石黒武重先生揮毫50%縮小
<Mより発信>
日本生協連は、設立の前年に朝鮮戦争が勃発して米軍占領下の日本も巻き込まれ、マッカーサーが核兵器使用を考えたという緊迫した状況のもとで創立総会を開催した。そのような中で、創立宣言には「平和と、より良き生活こそ生活協同組合の理想であり」という文言が盛り込まれ、「平和宣言」とともに採択されている。
「平和とより良き生活のために」のフレーズは、日本生協連のスローガン的に長く掲げられてきていて、戦後まもない頃で文語体の表記だったものが、口語体の表記に変わって「平和とよりよい生活のために」となっているようだ。(表記の変更については斎藤嘉璋氏にお聞きしました。)
昨年7月の例会で斎藤嘉璋氏に「生協の平和活動の歴史」というテーマでご講演いただいた時の報告はこちら
ただし、その頃からスローガンとしては「平和」と「よりよい生活」のどちらを先に掲げるかという論争があったようだ。資料室にある史資料の中にもその両方が見受けられる。当時、東大生協の役員として創立総会に参加した福田繁氏は、提案した私が「平和」が先だと言っているのだから間違いないとおっしゃっている。
2010年3月に福田繁氏に「日本生協連創立の頃の想い出 ~賀川初代会長、当時の日本の生協のこと~」というテーマでご講演いただいた時の報告はこちら
斎藤嘉璋氏が共同運営ブログ「コラボ・コープOB」に書かれた「“平和とよりよき生活のために”をめぐって<平和>が先か<生活>が先か」という文章はこちら
大学生協連のHPの「大学生協連のあゆみ」の年表には、「1953年 学協『よりよき生活と平和のために』採択し再建」とあった。戦後の食糧事情が困難な時期に、学生に大学の授業の合間に最低限の腹ごしらえをできるようにするという大学生協の使命感のようなものがあったのではないかと推測する。資料室にある早稲田大学生協の年史に詰襟の学生服で牛乳とコッペパンを食べている風景の写真が掲載されている。それを見たら、大学生協の役職員の問題意識であれば「よりよき生活」が先と主張するだろうなと納得させられた。

しかしながら日本生協連では「平和」が先である。全国の生協の役職員向けの「CO・OP手帳」の表紙裏には、冒頭の揮毫が入っている。1985年より前からずっと入っていて、近年になって由来がわかるようにと注記が追加されていた。ところが、この注記によって誤解をしている方が何人もいることを最近知って驚いた。日本生協連の創立宣言自体が毛筆で書かれていてそこからの抜粋と思っているという誤解・・・。資料室に保管してある創立総会資料にある「創立宣言」そのものはガリ版刷りの資料なのだ。
元になっている揮毫がどなたによるものかを突きとめておく必要を感じた。私の仮説は日本生協連の第3代会長理事の石黒武重先生で、資料室にある『石黒武重小伝 努力を楽しもう』の題字と同じ文字だと推測した。
『石黒武重先生小伝 努力を楽しもう』表紙70%縮小
OBの皆様方に次々と問い合わせを入れ、おそらくそうだろうとおっしゃってくださる方も何人もいたが確証が得られなかった。OBからOBに問い合わせを入れてくださり、という経過をたどって、ついに証言を得られた。石黒先生が書いているところを福田繁氏が見ていたとのことだった。
途中で、会報の題字も、役職員向けの部内報『虹流』の題字も石黒先生が書かれたものという証言も得られた。当時、筆文字で気軽に書いていただける偉い方は石黒先生ということだったようだ。

私は、生協総合研究所が設立されてまもない1990年頃、萩原久利氏が石黒武重先生のご自宅に通って聞き取りをして『努力を楽しもう』を編集しているのを知っていた。そこで題字が印象に残っていたのだった。この書籍は残念ながら絶版になってしまっているが、国立国会図書館にも登録があった。資料室にも保管してあるので、閲覧希望者はご利用ください。
石黒武重氏は、日本の官僚、政治家。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長、法制局長官、民主党初代幹事長などを務め、戦後の混乱期の収拾に尽力された方とのこと。そのために「先生」と呼ばれていたが、早くから東京の砧生協の理事長もつとめられていて、「役所にいるよりここにいる方がいい」と日本生協連の事務所に機嫌よくいられたというエピソードも聞いている。日ソ協会会長などもつとめられるほどの方で、ソ連との協同組合間貿易も石黒先生がいらしたからそこできたのだという。
ネット検索すると出てきたのが、『異色農林官僚石黒武重に聞く』(農山漁村経済更生運動正史編集委員会, 1976 )と、『戦時経済国策大系 (第9巻) 』石黒武重 (日本図書センター 2000/01)
ウィキペディアの「石黒武重」の項はこちらだが、情報が少ない。石黒武重氏についての研究がもっとすすむといいのではないかと思えた。
以上
(8/29・9/3追記)
資料データベース登録の際に、関連資料の確認をするのだが、その中で今回の石黒先生の揮毫を最初に使ったのではないかと思われる資料を見つけた。1983年11月に発行された『虹のしおり-日本生協連のご案内』の表紙に揮毫が大きく掲げられ、裏表紙の奥付に「題字/石黒武重」と入っていた。日本生協連と全国の生協について部外者に説明する冊子のシリーズである。冊子の見開きの左ページ下にもデザイン的に使われており、これで使いたいということで能筆家の石黒先生に書いていただいたのだろうと推測している。
1983『日本生協連のご案内』表紙揮毫15%縮小.jpg

【2014/08/16 21:48】 | 情報
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賀川豊彦著『小説 キリスト』表紙
<Mより発信>
2012年に復刻出版された賀川豊彦著『協同組合の理論と実際』についてのご紹介に続いて、もう一冊、賀川豊彦の復刻出版本のご紹介をさせていただく。
『協同組合の理論と実際』の解説も書いていただいている加山久夫氏(賀川豊彦記念松沢資料館前館長)により、今年の3月に賀川豊彦著『小説 キリスト』が80年ぶりに復刻出版された。
この間、お世話になっていることもあって限定出版のご案内をいただいた際に購入させていただいたが、ハリーポッターシリーズの単行本のような大きくて分厚い本であり、通勤の電車の中で読むことはできず、職場において一人ランチの際に少しずつ読み進めてきた。現代かなづかいで読みやすいとあったが、文字のサイズも大きいし、文章が平易なのがよかった。賀川の小説は、多くの人に読んでもらいやすいように書いているので、ノーベル文学賞に何度かノミネートされたが決定には至らなかったという話もある。惜しいとは思うが、平和賞の政治的な利用という側面もみているので、悔しい思いは抱かないようにしている。

イエス・キリストの生涯に関しては、少年少女版の偉人伝で読んだことしかないが、この著作のイエスには賀川豊彦が重なってみえた。当時のローマ帝国の支配に対する抵抗運動の中で、イエスをリーダーに祭り上げられようとする人々と距離をおいて、イエスが困っている人のために全ての力を出し尽くして献身し、「神の王国」をつくるための教えを人々に説く姿は、弱者のための社会運動をしながら教えを説く賀川が模範にしたものだろう。加山久夫氏の「編者あとがき」にもまさしくそのような解説があった。
「牧師である賀川が社会運動に関わることについて、私はイエスの弟子であるゆえに、社会運動を行うのですと語るように、彼の幅広い社会運動の思想と実践の根底には、イエスのように行きたいという彼のキリスト信仰がありました。」
さらに加山氏は、賀川豊彦の小説世界を論じた文芸評論家の辻橋三郎が、この作品を『死線を越えて』三部作と共に、賀川の自伝系小説に位置付けて書いていることを紹介している。
以下、その文章もご紹介する。
 「イエス主義者とは、イエス・キリストにならって、十字架の道を実践する者の謂であるようだ。ということは、イエス主義者にとって、イエス・キリストは、まさしく彼の原点であり、原理であるということだ。そこで、そのイエス・キリストを描いた、この小説『キリスト』は、イエス主義者としての自己確立の書、イエス主義者としての貧民問題との対決の書、イエス主義者としての資本主義との対決の書、に続く、イエス主義者としての自己の原点、原理の書、ということができるのではないかと思う。さらに言えば、実存の地点でイエスに倣い、イエスと共に生死しようという、賀川の決断の書ということができよう。いわば、小説『キリスト』は、賀川の自伝小説のみならず、虚構系小説の原点、原理であり、賀川文学のすべての集大成でもあったのである。」 (辻橋三郎『近代日本キリスト者文学論』54頁)

「十字架の道の実践」ということについて考えたこと。ユダヤ教の神は人間たちの堕落が極まると天変地異を起こして滅ぼすぐらいの罰を与える。ノアの方舟のような大洪水も然り。イエスの時代も、イスラエルの民の多数派は弱い人々を傷つけても自分や家族、帰属する集団だけがよければいいと心を堕落させて生きていて、その人々を父なる神が罰しないでくださるよう、自分が人々の罪を代わりに背負って命を投げ出すことで神が赦してくださる、その姿を人々に見せ、言い伝えさせることで人間が心を悔い改めて正しく生きられるようにすることなのではないか。

荒ぶる存在に対して生きた物を供物に捧げるということは、八岐大蛇に美女を生贄に捧げるという日本の神話にも登場するが、どうにもなかなかピンとこない感覚だ。それでもイエスの生きた時代では、神に赦しを乞うためには命を捧げることが当たり前だったのだろうと理解した。
他人の罪のために自らが命を捧げる「贖罪愛」ということでキリストを信仰する気には、私自身はやはりなれないが、キリスト信仰を精神的エネルギーの源にして多くの人々の救霊・救貧活動や防貧運動をした賀川豊彦は尊敬する。何をよりどころにするかは一人一人違っていてよい。

人々が支え合って、みんなの力で社会をよくしてみんながよりよく生きられるようにするために協同組合が役割を発揮できるようにしていきたいとあらためて思えた。
皆様にも一読をおすすめしたい。

【2014/08/15 21:00】 | 文献紹介
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コープ出版で復刻した「協同組合の理論と実際」表紙
<Mより発信>
日本生協連初代会長の賀川豊彦についての勉強会に参加するようになり、資料室にある賀川資料も活用していただくようになっている。
資料室に戦後まもない時期に出された「協同組合の理論と実際」のミニパンフレットの現物があり、灘購買利用組合で働き始めた高村勲氏(のちにコープこうべ理事長、日本生協連会長)が、「この小冊子によって腰掛けのつもりがとうとう50年もこの生協で働き続けることになった」ものだとわかったことで、以下の記事を書いている。
高村勣氏を生協に50年とどめおいた賀川豊彦著『協同組合の理論と実際』
コープ出版で2012年の国際協同組合年を記念した企画の際、賀川豊彦の協同組合論が簡潔にまとめられているし、「賀川豊彦全集」にも未所収の文章であることから復刻をおすすめした。やはり資料室に保管されていた賀川豊彦記念松沢資料館発行の冊子『賀川豊彦・人と働き』が写真もたくさん掲載されていて、賀川という人物もよくわかるので、一緒にまとめた本にして、『現代日本生協運動小史』と同じように「協同組合人が読むべき文献」の初級的なラインナップに加えたらどうかと提案した。
資料室にある「協同組合の理論と実際」の小冊子の現物を拡大コピーしてpdfデータにしてご活用いただけるように協力した。

それが実現して2012年11月に新書版で発行されていたが、こちらでご報告していなかったことに気がついたので、遅ればせながらご紹介させていただく。
資料室に閲覧にくる若い方には、『現代日本生協運動小史』、『21世紀の新協同組合原則<新訳版>-日本と世界の生協 この10年の実践』とともにおすすめしている。

「コープ出版」のHPの「【復刻版】 協同組合の理論と実際」はこちら
<主なもくじ>
●『復刻版 協同組合の理論と実際』発刊に寄せて・・・浅田克己(日本生協連会長)
●賀川豊彦・人と働き
●賀川豊彦関係事業展開図
●協同組合の理論と実際(1946年)
●「協同組合の理論と実際」解説・・・加山久夫(賀川豊彦記念松沢資料館館長)
●賀川豊彦関係資料収蔵施設一覧

【2014/08/12 20:23】 | 文献紹介
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