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<Mより発信>
日本生協連労働組合は、連合会として分離したコープ共済連と一緒の労働組合になっている。ふだんは別々の連合会で働いているが、労組の場では同じ購買生協を基盤とした事業に関わっている職員として交流、共闘できる。労組員の自主活を支援するしくみとして「こみゅけっポ企画」というものがあり、このJCCU協同組合塾の定例会にもその支援をいただいているので有難い。
さて私はこの間最近のきな臭い社会状況の中でいろいろと考えて自分にやれることをやろうとしている。そして今回、3/23に共済連の女性部メンバーを中心にした「平和の贈り物グループ」が開催した標記の企画に参加してきた。
20140323こみゅけ平和の散策企画説明書画像.jpg

 古本屋でみつけた角川文庫『だまされることの責任』(佐高信・魚住昭)で、1946年4月に映画監督の伊丹万作が書いた「戦争責任者の問題」という考察の紹介と、日本人がその後どれだけ変わったかということをテーマにした対談を読んで、国民の多くが政府にだまされたことには歯噛みをしながらも自分が戦争に加担した責任を考えないで戦後を生きてきたツケが今あるのだと痛感していた(戦後は生き抜くだけで精一杯だったこともあるとは思うが)。国民をだます装置の象徴的存在に思える「靖国神社」には拒否反応があったが、今回の企画で思い切って足を踏み入れた。
 コープみらいの組合員さんによるガイドは「批判的に見る」という視点にたっていて、こういう視点であれば、多くの方に見学にきて欲しいと思えた。
「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」には海外で放置されていた遺骨収集事業の結果、回収された遺骨が納められているという。私は宗教についてもいろいろ勉強してきたが、遺体がないと最後の審判の日に復活ができないとするキリスト教とは異なり、仏教は本来的には遺体は野ざらしでも供養できる。遺骨収集にこだわるよりも現地で侵略を謝罪して加害者被害者をともに供養する施設をつくる方がよいと思ってきたが、「靖国神社」だけにしておくのはよくないと思い直した。
 宗教抜きで戦争で犠牲になった人々の慰霊と反省ができる施設をつくり、ドイツのように侵略してしまった周辺国の理解を得られるような歴史教育ができ、後世の人々に「あやまちをくり返させぬ」しくみをつくることができる政府にしていく責任が、私たち一人ひとりにあるのではないか。
そのために何がやれるか、労組の場でもみんなで考えて取り組んでいこうと思っている。
以上
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【2014/04/15 22:35】 | 情報
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