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20130718コーププラザで斎藤・伊藤両氏の講演(Y幹事撮影)60%縮小
<Mより発信>
2013年度第1回例会はダブル講師企画で、斎藤嘉璋さんの「生協の平和活動の歴史」に続き、日本生協連OBで現在は「NPO法人 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の事務局長として活躍されている伊藤和久さんから、会の設立から今の取り組みについてのご報告をいただきました。以下に要旨を掲載します。
なお、冒頭の写真はY幹事が撮影した会場の様子です。

【ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会のめざすもの
―記録の保存・情報発信・活動交流の拠点―】


0.はじめに
 私が組合員活動部長だった1995年の“世界法廷運動”は画期的なものだった。オーストラリアの教師だった主婦が被爆者が描いた絵を見て衝撃を受け、「被爆者の話を聞きたい」という思いを抱いて始まった8年越しの運動だった。核兵器の違法性について国際司法裁判所の判断を仰ぐことになり、世界から各国政府やNGOの代表がハーグの国際司法裁判所に集まった。核保有国出身の判事もいることから却下されることを想定していたら、「核兵器の使用、威嚇は一般的に国際法に違反する」という勧告的意見が出された。その大きな力となったのは広島・長崎両市長の証言だった。国際司法裁判所の判事ですら原爆の投下で人間がどうなるのかを実はよく知らなかった。原爆のむごさ、非人道性、反人間性を多くの人たちは今も知らない。バックグラウンドにはそういった個人的な体験がある。
 生協の反核平和の取り組みでご一緒した方々からのご縁で「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の設立から関わり、事務局長をさせていただいている。

1.背景
 1971年に日本学術会議が当時の政府に対し、「原爆資料センター(仮称)の設置について」を勧告した。(「原水爆被災資料センター(仮称)を設置して、原水爆被災問題についての学術的資料を収集・整理・保存し、これを正しく活用すること、とりわけ、このことを通じて被爆者の福祉と世界の平和・人類の福祉に寄与するよう努めることは国家的急務である」)しかしながら今日に至るまで、国を設置主体とする資料センターは実現していない。
 原爆被害者の全国組織である日本原水爆被害者団体協議会(以下、日本被団協)は、1985年の「原爆被害者調査」をはじめとする調査やその運動を通じて、自ら原爆被害の実相を明らかにしつつ原爆資料を記録に残すための「ノーモア・ヒバクシャ資料センター構想」などの検討を行なってきたが、やはり実現していない。
 長い間、被爆者支援に携わってきた弁護士、医師、学者・研究者、映画関係者、宗教者などが被爆体験の継承の現状を憂慮し、原爆被害の実相と被爆者が伝えてきた証言、記録、たたかい、未来へのメッセージを世界中の人々が共有できるようにすることをめざし、2011年12月に「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を設立した。

2.会のめざすもの
 昨年7/15には会のNPO設立記念集会で代表理事の岩佐幹三さんが「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会のめざすところ」を報告しています。集会の報告書は以下からダウンロードできます。
http://www.kiokuisan.jp/核時代を生きる/
 世界には「平和のための博物館国際ネットワーク」に加わっている博物館や資料館が200以上ある。昨年10月に開かれた「平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会」に参加し、また11月には広島で公的な「日本平和博物館会議」にオブザーバー参加してきて、「ノーモア・ヒバクシャ平和資料館」というような施設を首都東京につくり、世界の若者達に知らせていけるようにすることの意味がより明らかになった。ゆくゆくは公的機関として位置づけさせたり、国連との連携がはかれるようにもしていきたい。

3.当面の取り組み
(1)「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産の継承センター(仮称)」を設立する
 被爆者が次代に残せるたった一つの遺産として、原爆が人間に何をしたのかがわかり、人類が二度とあのあやまちをくり返さないための砦として、被爆者の死と生、被爆者のたたかい(運動)のミュージアムをつくりたい。
「継承センター 素描イメージ」参照(ただし、ブログには掲載できないのでご希望の方はコメント欄などでご連絡ください)。
1)資料の収集・保存
①原爆被害・体験の実態調査や研究資料。
②被爆者運動史資料(日本被団協や各地の被爆者団体から継承する)。
③被爆者個人の体験記・自分史・語り・聞き書きの記録。生協も聞き書きの取り組みをやったが未来永劫残すことになっていないと思う。冊子になって終わっているものも電子情報にして発信するなどの活用が考えられる。
④被爆体験の絵画・小説・詩歌・音楽、ほか
2)研究
調査研究資料や運動の史資料などは保存をするにしても専門家による整理・保存が必要。そこからさらに調査史研究などもできるようにする。
3)情報発信
 インターネットで世界中からアクセスしてもらえるよう、本格的なwebサイトを構築する。イメージとしては首都大学東京システムデザイン学部准教授の渡邉英徳さんが制作した「ヒロシマ・アーカイブ」「ナガサキ・アーカイブ」をネット検索して見ていただきたい。
「ヒロシマ・アーカイブ」 http://hiroshima.mapping.jp/
「ナガサキ・アーカイブ」 http://nagasaki.mapping.jp/
4)継承
 アーカイブズとして人類史の中に残す継承の取り組みとともに、継承の取り組みの中で人材も育成組織する(専門家、職員、サポーター)。

(2)原爆被害者による「原爆の非人道性に関するレポート」を国連に提出する
原爆被害の全体像を記憶遺産として伝えていく。

(3)被爆者との対話・交流、聞き取り、継承活動をすすめる
 被爆者が被爆の実相を語り伝えてきたからこそ、核兵器の使用は「むごい」ことだという認識が広がってきた。それが元米国務長官パウエルがインド・パキスタンの緊張激化の中で核兵器使用を思いとどまらせるためにヒロシマ、ナガサキの被爆の「むごさ」を強調したということにつながっている。いま日本にいる人たちだからできる取り組みで、各地域で若い世代が被爆者の体験を追体験して受け継いでいく。

 「継承センター(仮称)」構想もまとまり、2015年の被爆70年に向けて活動を本格化していく。学習会参加者の皆様にもこれからのご協力をお願いしたい。
※「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」のHPのURLは以下の通りです。
http://www.kiokuisan.jp/

2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その1
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その2
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」その3
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【2013/08/07 12:46】 | 主催企画報告
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2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その1
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その2

【2013年度第1回例会のご報告】その3
4.なぜ“平和”か
1)協同組合の本質から
 協同組合は協同扶助・助け合いの組織として社会的弱者の暮し・権利を守るため事業と諸活動を行っています。平和は前提です。資本主義経済の「競争の論理」「強者の論理」が国を支配すると「戦争をする」のが「普通の国」といった間違いを起こします。「協同・助け合い」の「平和の論理」で対抗することが必要です。

2)最近、気になること
*「侵略」――かっての日本の侵略戦争について、安倍総理は「侵略」を否定しようと躍起です。第2次大戦でドイツは600万人のユダヤ人を犠牲にしましたが、日本は中国はじめアジア諸国で2000万人以上の犠牲者を出しました。他国に軍隊を派遣し、支配するのが「侵略」です。安倍さんの強弁は世界の人々のひんしゅくを買っています。

*「慰安婦」――昨年、韓国の生協・iCOOPで日本の生協の歴史を話す機会がありました。韓国には95年の「アジア平和の旅」で組合員の皆さんと訪ね、日本の植民地支配の頃の遺構などを見学し、「慰安婦=挺身隊」問題について関係者の話も聞きました。今回の訪韓で「挺身隊」問題は95年当時以上に国民的な問題になっていることを知りました。iCOOPの2011年年次報告書には挺身隊問題で生協が粘り強く取り組んでいることが書かれています。維新の橋下代表の発言などを聞くと「正しい歴史認識のない人に明日はない」と言いたくなります。
(ネットで「iCOOPKorea」を検索、日本語の年次報告などが読めます)

*原爆と「原発」――1945年、ビキニ被爆の年に国会では「原子炉製造予算」が成立し、その後「原子力の平和利用」の名目のもと原発の積極推進を続けます。3・11の福島原発事故でビキニにつづく被爆の脅威にさらされ、その不安は続いています。

*「憲法」――生協の理念は基本的人権、民主主義、平和主義など憲法の理念と一致します。25条の「健康で文化的な生活の保障」の考えは協同組合の役割と一致します。そのような憲法は守り抜く必要があります。

 最後に――国連が協同組合年を設定したのは、グローバル化した新自由主義経済が各国で貧富の拡大など矛盾を激化させている状況に対し、平和で健全な社会づくりに協同組合が貢献することを期待してのことだと考えます。日本の生協運動が平和で健全な社会づくりにさらに貢献することを期待します。

<メモ>①米ソをはじめとする核実験
     これまで2,379回の実験、そのエネルギーは広島原爆の3万5000発分。
     1986年の米地下核実験で漏れ出した放射能はスリーマイル事故の2000倍。
    ②第2次世界大戦の戦没者、犠牲者
     ドイツ―210万+市民50万+ユダヤ人600万人、日本―230万+市民80万+アジア2000~3000万人、米―40万人 英―35万人

参考文献 日本生協連『現代日本生協運動史』上下巻、同『資料集』(全3巻、CD-ROM版)
     東京都生協連『東京の生協運動史』
     丸浜江里子『原水禁署名運動の誕生』(凱風社)
     岩垂弘『核なき世界へ』(同時代社)
     共同ブログ「コラボ・コープOB」斎藤の歴史コラム

 続けてダブル講師企画ということで、日本生協連OBで現在は「NPO法人 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の事務局長として活躍されている伊藤和久さんから、会の設立から今の取り組みについてのご報告をいただきました。次に記事アップしてご紹介します。

【2013/08/03 00:47】 | 主催企画報告
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2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その1


【2013年度第1回例会のご報告】その2
3.生協の反核・平和活動の歴史
  「生協と平和歴史年表」、史料「反核・平和の活動」参照。
  (ただし、ブログには掲載できないのでご希望の方はコメント欄などでご連絡ください。)

1)日本生協連中心の「反戦・平和」の取り組み(1945~1976年)
 日協同盟は1949年に「平和擁護300万署名」に取り組みました。
 日本生協連は54年のビキニ水爆実験のあとICAのパリ大会に代表を送り原水爆禁止の決議を提起し、57年のストックホルム大会でも同様のアピールをしました。60年の安保条約の改定問題ではそれが戦争につながると反対し、65年にはベトナム戦争反対の決議をしました。会員生協も日本生協連と同様に反戦・平和あるいは原水爆禁止で組合員に訴える等の取り組みを続けました。
 しかし、60年安保闘争を除けば他団体と共同して大衆的な行動をとるといったことはあまりしませんでした。原水禁運動も1963年に原水協から社会党・総評が脱退するなど盛り上がりを欠きました。

2)統一原水禁運動への参加(1977~1985年)
 生協の平和活動が組合員参加で大きな取り組みになったのは1977年、分裂していた原水爆禁止運動が統一されてからでした。77年、日本生協連は地婦連、日青協、被団協などと統一実行委員会に参加し、統一世界大会の開催に大きな役割を果たしました。世界大会の成功の後、78年の国連軍縮特別総会(SSDⅠ)にむけての統一的な取り組みが進み、生協でも署名活動が展開されました。
 78年、SSDⅠには統一代表団に生協代表(27人)も加わりました(署名1,869万筆うち生協112万筆)。8月の広島、長崎では世界大会に参加するとともに生協独自のヒロシマ・ナガサキ行動も企画されました。以降、以下の通り生協組合員の反核・平和の取り組みは多くのテーマと今までにない参加で広がっていきました。

1979年~ 被爆問題市民団体懇談会(市民11団体)で被爆者援護法制定署名運動開始
    ・「戦争・原爆展」(1500か所150万人参加)や平和コンサート、映画会など
1982年  SSDⅡ、代表団1200人(生協200人)、署名2930万人(生協380万人)
1983年  日本生協連、ヨーロッパ核軍縮大会へ代表派遣 ・ユニセフ活動開始
    ・「非核(平和)都市宣言」の取り組み(88年、47都道府県1,302市に)
1984年  平和行進、「団体旗問題」で混乱。
1985年  日本生協連総会、原水禁世界大会の統一求める決議
    ・市民団体による「市民平和大行進」生協中心で成功。「通し行進」始める。

3)原水禁運動の再分裂-生協独自の取り組み(1986年~)
 1986年、日本生協連など市民団体の努力にもかかわらず原水禁世界大会は再分裂し協・禁が独自大会を開催します。生協は広島、長崎では「虹の広場」など独自の企画に取り組みます。以下、特徴的な取り組みです。

1986年「沖縄戦跡・基地めぐり」始める。・国際平和年「3・1ビキニデー生協アピール」
1988年 SSDⅢ、日本生協連市民10団体と参加(生協235人、署名237万人)
    ・「少年少女ヒロシマの旅」(97年まで10回実施)
    ・日本生協連、国連から「ピースメッセンジャー」認定うける。
1989年 「被爆50周年援護法実現・みんなのネットワーク」に参加(94年までに署名
     1002万人・うち生協535万人実現)
1991年 日本生協連「湾岸戦争の停戦を求める声明」、緊急署名、中央集会
1993年 被団協などと被爆者の「聞き書き語り残し運動」始める。
1994年 「被爆・終戦50周年企画と3か年計画」開始、・12月、被爆者援護法成立。
1995年 日本生協連総会で「平和宣言」、ICA100周年大会で平和決議提案、採択。
   ・核の違法性を問う「世界法廷運動」、ハーグの国際司法裁判所へ、被団協代表などと審理傍聴(署名300万人)。パリでフランスの核実験に抗議活動。
   ・被爆終戦50周年企画「アジア平和の旅」(韓国、シンガポール、中国他)
1997年 和歌山、東京の生協など「第5福竜丸のエンジンを東京へ」の取り組み
1998年~ 「原爆と人間展」パネルを各国に贈る「世界の都市で原爆展を」始める
(2001年までに34生協から51か国139団体へ寄贈)
4)生協の反核・平和活動の特徴
 1977年以降、生協の反核・平和の運動は大きく広がりました。ヒロシマ・ナガサキ行動の参加者は80年代、毎年平均で約6000人、90年代同2500人、平和行進は80年代同4万5000人、90年代同5~7万人となっています。
 ヒロシマ・ナガサキ行動だけでなく、例えばSSDⅡ(署名380万筆、代表200人)やSSDⅢ(署名237万筆、代表235人)の取り組み、被爆者援護法制定(署名535万筆)など国民的な運動の担い手として大きな役割を果たしました。特に86年以降、運動が分裂し後退するなかで生協は市民団体としての活動の最大の担い手となりました。

 その最大の特徴は活動の担い手が婦人組合員=お母さんたちだったことです。杉並のお母さんたちがはじめ水爆実験反対の運動が、70年代に大きく発展した生協の新しい組合員に引き継がれたといえます。婦人組合員中心の活動ということで他の市民団体の中心になって運動の統一のために大きな役割を果たしました。「被爆者とともに」の活動を進め、被爆者援護法の制定などで成果をあげました。
 母親の立場から「子供たちと一緒に」、「草の根から」の視点で、それぞれの地域で多様な活動を広げたことも生協らしい取り組みでした。一方で協同組合の立場から国際的な連帯を強めたことも大きな特徴です。私は担当役員だった10年間、毎年、ヒロシマ・ナガサキ行動に参加していますが、95年の“世界法廷運動”で行ったハーグでの行動、その帰途に行ったパリでのフランスの反核平和団体と共同しての行動などは特に忘れられません。反核・平和の活動に携わった組合員の多くはそれがユニセフ活動と同様に世界に、人類全体につながる協同・連帯を実感したと思います。

 最近、朝日新聞紙上でパウエル米元国務長官が「核兵器不要論」を述べています。NPT再検討会議などにむけ、生協はじめ日本の反核平和運動のさらなる頑張りを期待します。

以下、「その3」に続く。
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その3


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【2013/08/02 23:50】 | 主催企画報告
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Re: 高橋さま
管理人Mより
> 「生協と平和歴史年表」、史料「反核・平和の活動」参照。(ただし、ブログには掲載できないのでご希望の方はコメント欄などでご連絡ください。)により連絡します。
コメントを有難うございました。気づくのが大変遅くて恐縮ですm(_ _)m
ご依頼の資料はメール等でファイルで送らせていただきたいと思いますので、名前のURL欄に私のアドレスを入れておきますので、そちらの方にメールをいただけると有難く存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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20130718コーププラザで斎藤・伊藤両氏の講演(有田さん撮影1)60%縮小
<Mより発信>
JCCU協同組合塾の2013年度第1回例会が開催されました。今回はダブル講師企画としましたが、参加予定者よりも参加が増えて会場がいっぱいになって嬉しかったです。
「生協の平和活動の歴史」をご講演いただいた斎藤嘉璋さんからご自身で作成された講演要旨をいただくことができました。代表幹事二人で相談し、貴重な内容であり下手なダイジェストをするよりも数回に分けてアップさせていただくことにします。写真は参加者のAさんがご提供くださいました。

【2013年度第1回例会のご報告】その1
1.開催日時  2013年7月18日(木)18時~21時30分
2.参加者   計33名
3.テーマ:「生協の平和活動の歴史とこれからの課題」
Ⅰ.生協の平和活動の歴史
講師:斎藤 嘉璋 氏(日本生協連元常務理事)

以下、講演の主な内容
1.“平和“は日本の生協運動の理念
 1945年、終戦直後の11月に日本生協連の前身組織・日本協同組合同盟(日協同盟)が創立されます。創立総会で賀川豊彦はじめ戦前からの協同組合のリーダーたちは300万人をこえる犠牲者と国土の荒廃をもたらし、生協運動も壊滅させた大戦からの復興と再生への思いをこめて「本同盟は協同組合の普及発展を図り民衆生活の維持安定及文化の向上を期し以て民主主義的平和国家を確立し更に協同組合の国際的結合に依る世界平和の実現を目的とする」(規約第4条)ことをうたいます。
 日協同盟は綱領や運動方針大綱で民主主義と平和な日本の建設、そのための協同組合運動の発展、統一と団結の大切さをうたいました。

 1951年、日協同盟は生協法に基づく生協の連合会として日本生活協同組合連合会(日本生協連)を創立、活動を継承します。日本生協連は綱領で「世界平和の確立」、創立宣言で「平和と、より良き生活こそ生活協同組合の理想であり」「最大の使命」であるとうたい、「平和宣言」を採択します。日協同盟の反戦・平和の理念を引き継いだものですが、ちょうど朝鮮戦争がはじまり、日本がその前線基地となるといった切迫した情勢がありました。

 創立宣言で使われた“平和とより良き生活のために”は、その後長らく日本生協連はじめ全国の生協運動のスローガンとして使われます。そのスローガンは国際学連のスローガン“平和とより良い未来のために”から転用して東大生協で初めて使われました。東大生協の学生理事で日本生協連設立準備委員であった福田繁さん(のち日本生協連専務理事)が提案したものですが、発祥の地である東大生協はじめ大学生協では「生協は生活が先の方がいい」と「より良き生活と平和のために」をスローガンにしていました。私の学生の頃の早大生協も「生活~」でしたが、日本生協連に就職すると「平和が先だから」と注意されました。賀川さんや中林さんの強い想いもあったと思います。
2.原水爆禁止運動の最初―生協の主婦組合員の取り組み

 1945年8月に広島・長崎に原爆が投下されますが、原爆と被爆の実相は米軍占領下では長らく事実は隠ぺいされ、情報や関連する活動は制約されてきました。1951年、同志社大で初めての「原爆展」が開かれ、52年「アサヒグラフ」に被爆写真が掲載され国民に衝撃を与えます。
 「アサヒグラフ」に被爆の実相が特集された1952年、杉並区生協協議会婦人部は杉並区婦団協とともに「原爆展」に取り組み、国際デーに「ICA加入の33か国へ原爆写真をおくろう」と取り組んだり、世田谷区では梅ヶ丘文化クラブの婦人たちも原爆展を梅ヶ丘駅で開催するといった動きが始まります。

 1954年3月1日、第五福竜丸がアメリカのビキニでの水爆実験で被爆します。焼津港から築地に贈られたマグロなどが水爆に汚染されていることが報道され大問題になり、魚商や市場、漁業組合などがアメリカの水爆実験に抗議・禁止の声あげ、これに呼応して放射能汚染に不安をもつ母親たちが立ち上がります。
アメリカのビキニ海域での水爆実験をやめさせようと幅広い取り組みを展開したのは、前述の杉並の婦人たちでした。杉並では魚商などの訴えに生協婦人部も参加する婦団協の婦人や文化人、PTA、労組などが結集し「水爆禁止署名運動杉並協議会」を発足させます。5月にはじめた署名は1か月で26万筆(区民39万の7割)とひろがりますが、署名運動の担い手に生協の婦人リーダーが大きな役割を果たし、当時の杉並生協、杉並中央生協、荻窪生協が署名活動に取り組みました。
 東京では3月に目黒区生協協議会が「講演と映画の会」で「原爆禁止」をスローガンにし、「永遠なる平和を」という映画を上映しました。4月には主婦連、地婦連、生協婦人部が「原水爆禁止・製造禁止」の共同声明をだしました。日本生協連常務理事会は、世界の協組にむけて「原水爆禁止」のアピールをだしました。杉並で始まった水爆禁止署名は全都に広がり、8月には「原水爆爆禁止署名運動全国協議会(安井郁事務局長)」が結成されます。賀川豊彦(日本生協連会長)、奥むめお(同副会長、主婦連会長)が代表世話人会メンバーでした。第五福竜丸で被爆した久保山愛吉さんが死亡し、10月に追悼の平和の集いが行われますが、そこには署名が1213万筆と報告され、来年、広島で原水爆禁止世界大会を開くことが提案されました。
 1955年8月、広島で原水爆禁止世界大会が署名運動の盛り上がりのなかで開催され、全国97組織、海外14か国から代表など5000人が参加しました。(署名は3,216万筆)。世界大会の成功のもと9月には、原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足しました。

(参考文献:後記の丸浜江里子『原水禁署名運動の誕生』、東京都生協連『東京の生協運動史』など)
以下、「その2」に続く。
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その2
2013年度第1回例会のご報告(講師:斎藤 嘉璋 氏)「生協の平和活動の歴史」 その3


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【2013/08/01 23:59】 | 主催企画報告
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反核・平和は人類永遠の課題
名嘉 清
非常に良く出来ていて敬意を評します。なかなか協同組合の歴史を語る人がいなくなった中、自ら地域で生協を立ち上げた経験を持ってる人がいない中で、斉藤嘉璋氏を選ばれた事は適任だと思います。協同組合の先駆者の紹介と、「空想的社会主義から科学的社会主義」ロバート・オーエン著と1917年の「平和に関する布告」レーニンの辺りにも触れて頂ければと思います。知っている事-分かっている事-出来る事とは違いますので、実践活動にも是非触れて頂きたいと思います。よけいな事いったかな!
核と人類は共存できない!

名嘉さまへ
管理人Mより
当ブログへのコメントを有難うございます。2本を1本にまとめさせていただきましたm(_ _)m
1990年代からの新自由主義の席巻の中、日本の生協陣営においても協同組合の理念を歴史とともに学んで実践に活かしていくという気運が後退していたと思います。しかしながらここまで世界的に格差が拡大し、貧困問題が深刻化し、「社会連帯経済論」も普及する中であらためて協同組合の役割が問われていると思っています。
「協同組合塾」もそのようなことを考えてメンバーが実践に活かせる場になっていけるように努力してまいります。

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