<Mより発信>
JCCU協同組合塾の2012年度第5回例会が開催されました。詳細な内容のため、前後編2回に分けてのアップで、後編です。
2012年度第5回例会のご報告(講師:和田 寿昭氏) 前編はこちら

【2012年度第5回例会のご報告】(後編)
4.講演の主な内容の続き
大学生協の歴史
大学生協のはじまりは安部磯雄が消費組合を結成した同志社大学だと言われている。賀川豊彦は東京学生消費組合(学消)を結成したが、明治学院と関わりが深く、その伝統で明治学院には生協が息づいている。1939年に軍部の弾圧で「学消」が解散させられたことから、大学生協では「学消の歴史を繰り返すな」と教えられ、平和の問題を議論してきた。戦後は東大農学部から大学生協が復活、灰じんの中からよみがえったという実態である。
「本もノートもない。学ぶことは食べること」という当時の言葉が残っている。1946年の東大生協設立には大学の応援があり、南原繁東大総長が理事長を引き受けてくださった。全国学校協同組合連合会(全学協)の会長も兼任していただき、その後大学生協は256組合まで一気に増えたが、ドッジラインの引き締めでその多くが倒産した。1953年から再建の努力が始まり、1956年の比叡山大会では、教育環境整備運動の推進が提起された。学生が学ぶ環境を大学の責任で整えて欲しいという提起である。消費者運動では、食品事故や公害の問題があり、「消費者の力をつけるために生協を大きくしなければならない。地域に生協を作る必要がある」と議論された。平和と民主主義の分野では、「誤った歴史をくりかえすな」と核兵器廃絶などが議論された。
書籍の仕入れなどには法人格が必要であることなどから、1957年に大学生協連が法人化された。書籍では再販問題もあり、現在大学生協では1割引で本が買える。当時は書店組合が困るということでものすごい圧力をかけてきたが、公取と交渉して認めてもらったものである。これは生協が販売する場合という条件なので、地域生協でも書籍の割引販売が可能となっている。
その後、大学生協が支援した地域生協が全国各地に作られた。洛北生協(現・京都生協)の設立に大学生協が関わったのが発端といわれている。1971年に以下の地域生協支援方針の原則を決めた。「地域の組合員のための生協にせねばならない。地域生協は大学生協の一部ではない。地域生協支援は本格的に全力で行い、幹部を派遣する。大学生協には資金があったが、地域生協支援のために大学生協事業が疲弊してはならない。地域生協の自立のための支援である」というものだ。芳賀専務も東北大生協の専務から、みやぎ生協の応援に入られた。新しくできた地域生協の店舗研修を、コープこうべで受け入れていただいて店作りが進み、その後地域生協は倍々ゲームで増えた。70年代に地域生協をつくられた創業者世代がそろそろ引退という時代となった。
時代は前後するが、60年代に学生運動が高揚すると、大学生協の中に学生運動が持ち込まれるようになり、学生運動の高揚が大学生協に不幸な歴史をもたらした。大学生協理事会に過激な学生が入ってきて生協を牛耳るということもあった。「水光熱費を大学が払え」などと大学生協が大学と戦い、裁判までやったところもある。大学生協連の総会に過激な学生が乗り込んで来てもめることもあった。「過激な団体はまかりならん。暴力する学生は除名する」ということで九州の7大学生協を除名し、裁判にもなった。この時代は、大学との関係もぎくしゃくした。
80年代に東大の福武直先生に大学生協連の会長になっていただき、大学との関係も修復した。大学生協の歴史が転換し、有名な「福武所感」により「大学としっかり協力しながら自立していこう」と呼びかけられた。「学生のための生協」から、「学生も教職員もみんないる大学生協」を目ざすへ方向となり、ここから大学生協つくりが大きく進んだ。
現在は、バブル崩壊をへて大学淘汰の時代となり、大学生協の経営も厳しくなっている。国立大学の週休2日制が実施され、これだけで5~6%の事業マイナスとなる。土曜の講義が平日に振り分けられて昼食時に食堂が混むようになった。国立大学が独立行政法人となったが、実態は大学経営を国から分離しての効率化である。大学でも進められたPFIには苦労させられた。民間資金を活用した公共事業であり、大学施設などで進められると、生協が受託できない事業も増えた。最初の導入は東大で、学生会館をPFIでやることになり、なんとか生協が受託できたが、PFIという別の組織に生協が委託されることとなった。どういう根拠で生協は大学から委託されるのか、建物を使えるのかという交渉を行い、業務委託の契約を結ぶようになった。私立大学の45.8%が定年割れしており、とりわけ地方、文系、小規模の私立大学は苦労している。大学・短大・専門学校のどれかに進学した人の進学率は現在76.3%で、伸びはほぼ止まると考えられる。大学生協の事業環境としては学生数が全てであるが、しばらくは今の学生数を維持するだろう。

大学生協の使命・ビジョン
21世紀を生きる大学生協のビジョンとアクションプランを作成した。大学生協の使命に基づき、ロゴも新しくした。協同の力で学生生活を充実させ、「学びのコミュニティ」として大学と協力しながら進めていく。主張するためには自立した組織となる必要があり、大学におんぶにだっこではだめだ。大学生協と大学との関係をあらためて確認し、「協同、協力、参加、そして自立」と整理した。「自立」は協同組合原則には入っていないが、経営が弱くては生協の事業や活動が継続できないし、自立して発信できるようにする必要がある。学生支援と大学の抱えている課題をコーディネートしながら魅力的な大学を作るのが大学生協の役割である。
今も大学生協設立支援を継続しており、2000年以降も約20生協が設立された。大学側も福利厚生サービスが貧しいと学生も来ないので「生協を作りたい」と望んでいる。学生自治会などが減っている中で、学生たちの自主的な活動を奨励するために生協の設立を望む声もある。現在は「大学生協がある≒有名な大学」というように、大学に大学生協があることが一つのブランドとなっている。2000年以降は、学生の運動よりも大学から生協を作ってくれと言われて設立したところが多い。公立大学というだけでは学生が集まらず、生協があると学生に手厚いサービスをしていると言われるようになった。

大学生協の課題
「モノからコトへ」ということで、物販から生活のニーズに基づく提案型の事業にしなくてはならない。昔はオーディオフェアで長蛇の列ができ、PCとともに大きな供給があったが、PCも安くなりモノが売れなくなった。事業を支えるためにも全国規模の連帯が必要で、全国で2000億円の供給があるが分解すると小さくなる。これまでに東、西、中四、九州のブロックでまとまってきた。インフラでは、全国会計システムが2013年に稼動しシステムとサーバーを統合するが、これを皮切りにPOSなども統合されるだろう。
図書館管理、駐車場管理、寮の運営、学生書発行などで学生の立場にたった学生支援関連業務をもっと幅広く受託したいと考えていた。大学学生部の業務全体の受託もあるのではないか。地域生協でも組織率が高くなると、行政が本来担うべきサービスを地域生協に委託したりすることがあるだろう。

大学生協の連帯
学生が大学生協を通して生協に触れることに価値があり、学生委員が生協職員として残ってくれると良い。「生協っていいな」と思ってもらって地域生協の組合員になってもらいたい。地域でコープ共済連の「ジュニア18」に入り、学生時代は「学生総合共済」、卒業後は「あいぷらす」に入るというような連携をつくりたい。大学生協の人的資産と地域生協などで活用するなどの連携・協力が必要だ。最近は地域生協との人事交流が少なくなり、ここ20年くらい大学生協から地域生協に出て行くことが減ってきているようだ。田中尚四さんは「無私の連帯」という言い方をしている。他に頼るのではなく、「無私の連帯」によって地域で生協を大きくしてきたのだ。事業連帯をめぐっては「単位生協主権を侵すのでは」などの意見もあるが、大学生協、地域生協ともにその強化が必要である。日本生協連も今よりもっと幅広い連合会になるべきで、会員生協に総合的に結集していただけるように努力したい。

5.懇親交流会
講演後、講師を囲み懇親交流会を開催した。懇親ではちばコープ元理事長・髙橋晴雄氏の大学生協連時代の昔話もあり、打ち解けた交流の場となった。
以上

【2013/05/02 19:03】 | 主催企画報告
トラックバック(0) |
20130321講演する和田寿昭本部長10%縮小
<Mより発信>
JCCU協同組合塾の2012年度第5回例会が開催されました。以下、幹事のTさんによる初報告です。詳細な内容のため、前後編2回に分けてアップします。写真は今回私のデジカメで撮影したものです。

【2012年度第5回例会のご報告】(前編)
1.開催日時  2013年3月21日(木)18時~21時30分
2.参加者   計24名
3.テーマ:「大学生協のあゆみと生協運動の中で果たしてきた役割」
 講師:和田 寿昭 氏(日本生協連常務執行役員・総合運営本部本部長)
4.講演の主な内容
はじめに
まず、今の大学生協が何をやっているかについて話させていただきたい。大学生協の歴史については『大学生協の歴史と未来』(コープ出版)が参考になる。大学生協の歴史は戦前から始まり、東京学生消費組合という形で事業が開始されている。

東日本大震災ボランティア活動
大学生協連では、学生の震災支援活動をホームページで紹介している。被災地の大学と連絡を取りながら、学生でできることを考えようとしている。人のために何かやりたいと思っている学生は多いが、なかなか機会がない中、参加した学生がボランティア活動によって成長したとの話がたくさんある。当初は瓦礫撤去などが中心だったが、現在は被災地の子供たちの学習支援などが多い。文部科学省と提携して進めてきたが、最初は「けがしたらどうするんだ、大丈夫なのか」と断ってきた。最初は許可の出ない大学もあったが、大学生協が募集しているという安心感もあり、すぐ一杯になるくらい人気があり、これまで約2000人を派遣してきた。

自己紹介
1979年に新潟大学入学、1984年に全国大学生協連の学生委員長となった。地域ごとに地連学生委員会を、その上に地連を指導するための全国学生委員会がある。1986年には新潟市民生協設立支援事務局長となった。当時地域生協がない県は、新潟と高知で、市民生協にいがたは新潟大学生協の支援に基づいて設立されたが、千葉や埼玉など首都圏の生協からも人的支援を得た。ちば市民生協がOCRシステムを入れ替えるとのことで、旧システムをいただくため、寝泊りしてコボルをマスターして帰って来たことがある。若くして幹部をやらせてもらい、東大生協専務理事就任時は40歳、全国大学生協連の専務理事も8年間やらせてもらった。このようにいろいろ異動してきたが大学生協では当たり前のことだ。

大学生協連の概要
会員数は約200大学。生協がない大学の人も使える生協としてインターカレッジコープをつくった。現在、4年生大学は780校、学生数は290万人、大学生協の学生組合員は130万人なので、組織率は40%、福利厚生団体としてこのシェアは大きく、世界的に見てもほとんどないだろう。学生を組合員として組織しているということは、生協の組合員を経験した人が毎年約30万人輩出しているということであり、生協を知っている人がそれだけいるという意義は大きい。
大学生協では共同仕入が大きな役割を果たしてきた。こだわってきたのは書籍であり、生命線である。教科書から始まり、大学と協力する上でも切っても切れない。次いで情報機器・パソコンである。大学が情報機器を導入し始めた時、マックなどをいち早く調達して供給してきた。老朽化した食堂が、ここ10年、15年できれいになってきた。大学も福利厚生サービスが悪いという評価を受けると学生が来てくれないので気を使うようになった。京都大学には歴史的な食堂があったが、きれいな食堂に変わった。最近の食堂はだいたいカフェテリア方式である。学生はコンビニが判断基準であり、購買・書籍もきれいな店でないと学生が来てくれない。

4つのメイン事業
1.食事の提供---食券から定期券へ
親に1年分の食堂の定期券を買っていただき、1日1000円分以下なら自由に使えるシステムである。関西、九州などはこの定期券方式で売上を伸ばしている。親が安心することが大きい。昼と夜合計で年間17~18万円である。何を食べたか、栄養価グラフとともに親にデータが届き、登校したかもわかる。製造弁当にも力を入れており、帯広畜産大学では夕食弁当の基地にしたいという要望が地域生協からあった。
2.勉学研究用品の提供
学生への提供はもちろんだが、大学の校費対応で消耗品を買っていただくことも大学生協の事業の大きな支えになっている。
3.学びの場の提供
英語塾、公務員講座なども開催し、国家公務員試験合格者の3~4割は大学生協の講座受講者だ。生協らしさとしては、先輩が後輩の面倒をみたりしてきた。現在は就職活動セミナーを大学と協力しながら学内で開催している。
4.旅行、サービス
古くから海外旅行に力を入れ、ヨーロッパ旅行があまりメインでなかった時代に現地に駐在員をおいていた。クラブツーリズムの「テーマのある旅」は大学生協の方が先んじて始め、「グリーンツーリズム」なども先駆けてやった。

「大学生協の歴史」以下は、後編に続く。

【2013/05/01 23:00】 | 主催企画報告
トラックバック(0) |