<Mより発信>
JCCU協同組合塾の2012年度第4回例会が開催されました。以下、代表幹事のKさんによる簡単な報告をアップします。残念ながら今回は写真がありませんm(_ _)m

【2012年度第4回例会のご報告】
多くの生協の役職員は、「生協の起源はロッチデールから始まった」と誤解している人が多いかと思う。今回の講演では、18世紀後半にできた初期の協同組合、その実践を束ねたものがロバアト・オウエンのニューラナークの実験であったこと、そして、1830年代オーエン主義者のウィリアム・キング、ウィリアム・トンプソン、E.T.クレイグらによる協同組合づくりの実践や啓蒙活動を経て、1844年にロッチデール公正先駆者組合が生まれて大きな成功をおさめ、現在の生協につながっていることを学んだ。
そのオウエン主義者達は、協同のコミュニティ建設を最終目的としていたので、消費生活協同組合より雇用を生む労働者生産協同組合に力点を置いていた。どちらに重点をおくかで協同組合運動は当初から激しい論争があり、協同組合原則にうたわれていることは、それぞれ時代における社会的背景の中で議論をしながら、葛藤もありながら決められたということも学んだ。
また、中川教授は、協同組合が当初より、一人一票制を採用した組織であったことは世界史的意義があると話され、協同組合の理念・価値が薄まらないようにすることが、レイドロウが発信したことであり、現在も協同組合人が忘れてはならないことであると話された。そして、組合員の参加・シチズンシップを高めていくことが協同組合の今後の課題であるという。
1882年にアーノルド・トインビーは、「協同組合の仕事は市民を教育することです」と語ったというが、協同組合は民主主義を発展させる役割・任務があると思えた。

1.開催日時  2012年12月12日(水)18時~21時30分
2.参加者   計21名
3.テーマ:「協同組合の起源(ロバアト・オウエン、ロッチデール)と21世紀の協同組合の展望」
 講師:中川 雄一郎 氏(明治大学政治経済学部 教授)
4.講演の主な内容
<はじめに>
 レイドロウ報告の「第3の危機」・イデオロギーの危機は「思想の危機」と訳されるが、イギリスではイデオロギーは態度・心情・考えといった意味で使われる。レイドロウ報告の意味は「協同組合の理念や価値が薄まっているのではないか?」という意味で理解した方がよい。
 協同組合のアイデンティティに関するICA声明(定義・価値・原則)にある協同組合の「理念・価値」を制度やシステムに組み込み、メカニズムとして機能させることが重要である。

<協同組合思想の起源を求めて>
 18世紀後半の産業革命期に初期の協同組合が起こった。イングランドやスコットランドで、協同製粉所や協同製パン所ができ、その後1820年頃まで、食料品・雑貨の購入・供給の協同組合ができた。主に、熟練職人や織布工などの熟練労働者によって生活防衛的組織として展開された。
 ロバアト・オウエンは、1800年~1825年までスコットランドのニュー・ラナークの紡績工場で協同思想に基づく「実験」を行った。高賃金、労働時間の短縮、児童労働の制限、労働者住宅の改善、安価で良質な食料品や衣料品などの供給、幼稚園の設立など、労働条件の改善と労働者の自主管理による経営管理を行った。オウエンの「実験」は大きな成果をあげ、オウエンの名声は高まった。
 1815年ナポレオン戦争後の不況時、ラナーク州当局はオウエンに失業救済策を求めた。オウエンは『ラナーク州への報告』を作成し提出したが、この報告は現行の社会経済システムや制度を批判し、協同社会主義思想を述べたものだったので、州当局からは無視された。オウエンは新聞に自分の資金で『報告』を公表した。これによって、オウエンの協同社会思想と協同コミュニティ建設の理念が、熟練労働者を中心に共鳴を得て、普及し「オウエン主義者」が生まれた。
ウィリアム・キング
 ブライトンで貧民救済、失業対策を目的に労働者生産協同組合を設立し、1828年~1830年にかけて『ザ・コーポレーター』(協同組合人)を編集・発行し労働者への啓蒙活動を行った。
 1810年~1820年にかけて、ラダイツ運動(機械打ち壊し運動)があったが、キングは雇用を創出するために労働者生産協同組合を構想した。労働者生産協同組合設立には協同資本が必要であるので、その資本を蓄積するために消費者協同組合の組織が必要と説いた。
ロンドン協同組合(1824年~1834年)
 ウィリアム・トンプソンの指導によるロンドン協同組合が1824年に協同コミュニティの建設を目的に創設された。ロンドン協同組合の内部には、労働生産協同組合と消費者協同組合が組織された。獲得された利潤はコミュニティ建設の基金として蓄積するのが原則であり、組合員に利潤を分配するのは認めていなかった。機関紙『協同組合マガジン』を発行した。
ララヒン・コミュニティ(1831年~1833年)
 正式名称は、ララヒン農業・製造業協同組合。わずか3年の短命に終わったが、「共同生活と社会的平等に基づくもっとも成功した実験」として高い評価がある。オウエン主義者であるE.T.クレイグが指導した。労働交換銀行があり、組合員は「労働紙幣」を生活必需品と交換する制度をつくった。
第3回協同組合コングレス(1832年)
 オウエンとウィリアム・トンプソンの論争があった。オウエンはお金持ちから寄付を集めて大きなコミュニティをつくるべきとし、トンプソンは労働者の運動なので、小さなコミュニティから自分達で独自につくるべきと主張した。またこのコングレスでは、消費者協同組合は重要な役割を果たすと位置づけされた。そしてこれまでは信用取引で失敗しているので、現金取引を原則にすべきと決議された。また、事業から生まれた利潤は組合員に分配されてはならず、コミュニティ建設の基金として蓄積しなければならないと決議された。
 1934年第14回ICAのロンドン大会で現金取引が決議されたが、すでに1832年の協同組合コングレスで論議されていた。
ロッチデール公正先駆者組合(1844年規約)
 1844年、12人のオウエン派の熟練労働者達により、「フレンドリー・ソサエティ法」に基づいてロッチデール公正先駆者組合が合法的に設立された。規約の前文に、「組合員の金銭的利益と社会的および家庭的な状態の改善のために」と書かれている。それまでの協同組合では、利益はコミュニティ建設のために蓄積し、組合員には利益を分配しないと定めていたが、この提案は協同組合運動における重要なターニングポイントを示唆している。組合員の当面の生活改善を優先し、コミュニティ建設は将来の課題とされた。いずれ、これが現在の生協(生活協同組合)となっていくことになる。

<ICA(国際協同組合同盟)の創立と発展>
キリスト教社会主義と協同組合運動
 第1回国際協同組合大会(1895年)では、キリスト教社会主義派が主導権を握っていた。CWS(協同組合)の参加はゼロであった。当時、利潤分配論争があり、労働者生産協同組合と消費者協同組合が激しく対立した。キリスト教社会主義派は、事業から得られた利益は労働者にも分配すべきとし、消費者協同組合は、利用高に応じて支払うべきと主張した。1906年までは論争が続くが、ブタペスト大会で生協側が主導権をとり決着した。
 その後、1966年に現金取引の原則ははずれ、協同組合間協同が新たな原則となった。1992年東京大会でベーク報告がされ、参加型民主主義が強調された。1995年には、協同組合のアイデンティティに関するICA声明が発表された。

<シチズンシップとは何か:自治・権利・責任・参加>
 「自治」とは市民が地域に貢献する能力を持っていることである。だから「権利」を行使して責任を果たすこと。その前提として「参加」することが重要である。いまの日本は「参加しないで文句ばかり言う人ばかり」の国になっている。18歳で選挙権があるEUでは、小中高と段階を踏んだシチズンシップ教育をしており、高校では「未来の政治・文化を決める責任は君たちにある」と教えるそうだ。日本では、国民のシチズンシップ(市民意識)がきちんと育つような教育がされていない。
 協同組合人は、シチズンシップをしっかり頭に入れる必要がある。1882年イギリスのオックスフォード大学での第14回大会でアーノルド・トインビーは、「協同組合の仕事は市民を教育することである」と語っている。
 協同組合は、1844年のロッチデール公正先駆者組合設立の以前から、一人一票制の議決権で運営してきた。日本の普通選挙権ですべての人に選挙権が認められたのでは1945年である。イギリスでも1920年である。協同組合の民主主義の歴史的な意義を忘れてはいけない。

5.懇親交流会
講演後、講師を囲み懇親交流会が開催された。会場には日本生協連職員による東日本復興プロジェクト支援の自主グループ「笑顔とどけ隊」の紹介コーナーも設けられた。懇親では中川先生の駄洒落トークも炸裂し、協同組合に関わる仲間のうちとけた交流の場となった。
以上

【2012/12/29 18:10】 | 主催企画報告
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