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20120713コーププラザで城南信用金庫吉原理事長の講演(Y幹事撮影)

<Mより発信>
JCCU協同組合塾の2012年度第2回例会が開催されました。城南信用金庫は、いちはやく「脱原発宣言」を出されたことで話題を呼んでいます。その先頭に立つ吉原理事長の講演に期待が高まって、日本生協連の職員や外部の方々から多くの参加申込みをいただきました。教室型の会場にぎっしりと並んだ参加者を前に、吉原理事長は、協同組合としての“原点回帰経営”について、情熱にあふれたお話をされ、会場全体が熱気に包まれました。以下、代表幹事のKさんによる簡単な報告をアップします。冒頭の写真は幹事のYさんによるものです。



1.開催日時:2012年7月13日(金)18時~21時30分
 会場:コーププラザ4階会議室
2.講演テーマ:「信用金庫の成り立ちと歴史、協同組合金融機関の役割」
 講師:吉原 毅 氏(城南信用金庫 理事長)
3.講演の主な内容
 吉原理事長のご講演は、多岐にわたって話されたが、信用金庫の成り立ちと歴史、協同組合金融機関の役割の部分に焦点をあててレポートする。講演には約50名の方が参加された。

<信用金庫の成り立ちと歴史>
 今年は国際協同組合年であり、城南信用金庫は創立67年目を迎え、原点回帰の年と考えている。
 先のリーマンショックは、株式会社に期待するのは間違っていることを教えてくれた。そもそも協同組合は、お金中心でなく人間中心の社会をつくろうと設立された。
 ヨーロッパでは近代以前にも、キリスト教のコミュニティー『フレンドリーソサエティ』があったと聞いているが、本格的な協同組合は1844年にイギリスのロッデール公正開拓者組合に始まった。1833年にイギリスの労働組合のナショナルセンターが設立されたが、共にロバート・オウエンの影響があった。
 ロッチデール原則に一人一票制があるが、これは出資比率により発言権が決まる株式会社と根本的な違いがある。株式会社は、お金の力(出資額)・少数者により支配される。東京電力の総会では、多くの株主からの原発反対意見があるにも関わらず、金融機関等の大株主の原発推進賛成で決まってしまう。
これまで、経済の主たるものは株式会社で、協同組合は補完的存在とみられていたが、これからは、人のために経営があるようにしなければならない。そのために、協同組合が経済の主流にならなければならない。

日本の信用組合(信用金庫)は、ドイツのシュルツ、ライフファイゼンの信用組合をルーツとしている。シュルツの信用組合は都市部の金融機関として、ライフファイゼンの信用組合は農村部の相互扶助組織として発達した。
明治の政治家、品川弥二郎と平田東助はドイツに留学し、自由経済では貧富の格差、道徳の後退が生まれることを知り、自由経済の弊害を取り除くためにドイツでは信用組合が地方自治の要となっていることを学んだ。日本に帰国後、信用組合の導入に力を入れ、明治33年(1900年)、産業組合法が制定された。産業組合法では、信用、購買、利用、販売の協同組合が法制化された。現在につながる、農協、生協、信用組合が設立された。

城南信用金庫のルーツは、1902年設立の入新井信用組合で、加納久宣(ひさよし)子爵によって創立された。日本で最初の信用組合だった。城南信用金庫は今年で110周年となる。入新井信用組合は、東京の大森・山王地域で商店、町工場などの金融を支えた市街地信用組合。

加納久宣は上総一宮藩の最後の当主だが、徳川8代将軍吉宗(TVドラマの暴れん坊将軍)の側近の加納久通(ひさみち)が加納家初代当主。加納久通は吉宗の享保の改革を助けた功績で大名に昇進した。
戦後、城南信用金庫の専務、理事長、会長を歴任した小原鉄五郎は「世のため人のため」という理想主義者であった。小原鉄五郎は「お金は麻薬」といった。

<協同組合金融機関の役割>
 お金とは、交換・価値保存・価値尺度という機能を持つ。お金はものを数値化し、個人主義を助長する。お金は拝金主義を生む。成果主義はお金でないと人は動かないとう思想だ。
 1980年金融自由化以降、デリバティブ、ヘッジファンドが拡大した。新自由主義では、自己責任という。銀行はデリバティブ商品やオプション取引を売りつける。客は損をしても自己責任。
 紀元前500年に孔子、釈迦、ソクラテスという哲学者が現れた。これはお金が発達し個人主義・欲望が生まれ人間社会に弊害ができたので、哲学が生まれたのではないかと思う。つまり、お金は人間を狂わせるものだ。

 Sonyを創業した盛田・井深は、made in Japanを世界にと理想を持ち、「ゆかいな世界工場」として戦後の日本を牽引した。最近のSonyは数人の取締役制、執行役員体制となり、体たらくの状態である。富士通も成果主義を採用したが失敗し、チームワーク主義・人と人とのつながりを基本にした政策に転換した。要するに、数値とお金をつなげる成果主義はよくない。コミュニティや人間関係を重視することで、良識ある世界、健全な世界が生まれる。
 何で、こんな社会になったのか。1980年以前の銀行は良識があった。町医者のような役割を果たした。
 1980年代に日米経済戦争があり、アメリカの戦略で金融市場が開放された。1984年にプラザ合意で、円が240円から120円に切り上げられた。借金を抱えていたアメリカは借金が半分になった。1986年リゾート法で、ゴルフ場やシーガイヤなどが続々とでき、1988年にはバブルが始まった。
 1996年のビックバンで、銀行も投資信託を扱うようになる。間接金融から直接金融に。
また外為法改正で、外国のデリバティブやサブプライムローンなどの取引が自由化される。
 こうしてグローバルマーケットが形成された。金融ITバブルでは、ウォールストリートの1%の人が44%の富を独占し、貧富の格差が生まれる。そして2008年のリーマンショックとなる。
 2012年は国際協同組合年。協同組合金融機関が、地域に根ざした本来の役割を果たさなければならない。人と人のつながりを重視し、コミュニティを大事にする協同組合が主流にならなければならない。

4.懇親交流会
講演後、講師を囲み懇親交流会が開催された。30名を超える参加があったため、全員による感想の交流はできなかったが、所属や年代、男女の偏りがないように発言をいただいた。元幹事のOさんによるマジックつきパフォーマンスも披露され、和気藹々とした交流会になったと思われる。
以上
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【2012/07/26 23:27】 | 主催企画報告
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20120715ノーモアヒバクシャ記憶遺産継承の会設立記念集会60%縮小
<Mより発信>
昨年12月に設立された「ノーモア・ヒバクシャ 記憶遺産を継承する会」は、4月にはNPO法人として認可され、日本生協連も賛助会員になって活動の支援をしている。(昨年12月の設立時の時の紹介記事はこちら)
7/15(日)PMに開催された設立記念集会「核時代を生きる~今こそヒバクシャの声を世界に・未来に~」に参加してきたので概要をご報告させていただく。会場の有楽町朝日ホールに350人の参加で盛会だった。

企画の概要は以下の通り(公式webサイトの開催概要より引用)。
・開会宣言(池田眞規副代表理事)
・設立記念挨拶「わたしたちの目指すもの」 (岩佐幹三代表理事)
・継承活動の発表「被爆者から受け継ぐこと」(被爆証言の朗読、ほか)
・パネルディスカッション
 「原発事故を見すえて、福島で診療を続ける医師からの報告(仮題)」
  齋藤紀 氏(広島の福島生協病院で被爆者医療に従事、現在は故郷の福島の医療生協わたり病院勤務、呼びかけ人)
 「被爆者からフクシマ後を生きる人たちへ」木戸季市 氏(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)
 「フクシマを契機に日本人の核に対する意識は変わるのか」香山リカ氏(精神科医、呼びかけ人)

広島長崎の被爆体験の継承の発表では、特に首都大学東京大学院による「Nagasaki Archiive」の取り組みがテレビで紹介された時の動画や実際の「インダストリアルアートプロジェクト」の画面もスクリーンいっぱいに映し出され、記憶遺産としての情報の保管や社会で広く共有化する方法として画期的だと思われました。ネット検索すればすぐに見つかるということだったので、検索してみつかったのが以下のサイトです。「ヒロシマアーカイブ」や「東日本大震災アーカイブ」もリンクがあるので参照してみてください。
「Nagasaki Archiive」

パネルディスカッションは、会設立の呼びかけ人の一人でもある中澤正夫さん(精神科医)と大学生協連の若い女子学生がコーディネーターをつとめ、短時間でしたがパネリストの方の資料がきちんと配布されて、しっかりと聞くことができた。特に香山リカさんはメディアでお馴染みの精神医学の語り口で、人間がつらい体験を忘れようとする精神的な働きを解析され、しかしながらその根本的な解決のためにはつらい体験と向き合い、受けとめ、必要であれば謝罪するということが必要だとお話されたことが実に印象的だった。
パネルディスカッションの後半は、中澤さんが「継承」ということに論点を絞り、被爆体験をした人たちがその体験を若い世代にしっかり継承して自分のこととして受けとめてもらうことが必要だということになり、会場の1~2列目に座っていた高校生3人に会場発言を求めたりして、世代を超えた声を聞くことができたのがよかったと思う。

最後はアンケート回収をお手伝いしていたところ、神奈川の被爆者の女性がいらっしゃり、被爆二世の息子さんが塾を開いていてその教え子さんを15人も連れてきてくださったのだとのこと。その中の3人が中澤さんに発言を求められたということがわかった。はからずも継承の実践の現場に立ち会わせていただいたことを実感した。

【2012/07/15 23:49】 | 情報
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