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<Kより>
画像は2009年に家の光協会より出版された復刻版


書籍紹介

この小説は、昭和9年~10年にかけて、農家向けの雑誌『家の光』に連載され、昭和10年に改造社から単行本として刊行された。月刊誌『家の光』は昭和9年Ⅰ月号の53万部から昭和10年12月号には117万部まで発行部数が増えたそうだ。いかに当時、この小説が話題になったかがわかる。

この当時というのは、大正デモクラシー期(1920年前後)に神戸購買組合、家庭購買組合、江東消費組合などが設立され、更には、中の郷質庫信用組合、東京医療利用購買組合、なども設立され、いわゆる産業組合が大きな発展の時期を迎えた頃であった。昭和11年(1936年)に賀川豊彦はアメリカに渡り、あの有名な『Brotherhood Economics』(友愛の経済)の講演を行っている。講演内容はすぐにアメリカで出版され、さらに27カ国語に翻訳された。

賀川豊彦は、1920年代に協同組合運動で実践してきたこと、論文にしたことを、『乳と蜜の流るる郷』という小説媒体を通して、わかりやすいかたちで、当時の産業組合(協同組合)というものを説明している。ラブロマンスも織り込んだ啓蒙小説ともいえる。この小説主人公の田中東助は、貧しい農村を救う方法として、農村に産業組合(信用組合、生産者の組合、医療組合、消費組合)をつくることだと確信し、その設立に奮闘する。

小説の中で、長野県の信用組合、高円寺の消費組合、江東消費組合、中の郷質庫信用組合東京医療利用購買組合・中野病院、などが登場する。当時の組合員や職員の様子なども描かれている。
現在の協同組合のほとんどは、この当時に生まれた産業組合を原点(ルーツ)としているので、この当時の困難や苦労、協同組合にかける思いを、現在の我々は知っておく必要があると思った。

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【2011/06/05 16:54】 | 文献紹介
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1995ICA100周年記念大会①縮小トリミング.jpg
<Mより発信>
世界の協同組合のシンボルとしての「虹」を知らない職員も多くなってきているようだ。昔は日本生協連のあらゆる行事に際して虹の旗を会場の正面に掲げていたものだ。私が日生協入協した時(1982年)の専務の勝部欣一氏の自叙伝『虹のあゆみ』を読んで、なぜ「虹」の旗が協同組合のシンボルになったのか腑に落ちて、こちらの自叙伝の紹介記事の中に書いている。

資料室の古い資料の中に、「虹の旗(協同組合旗)の由来」の説明も載せた小さなミニパンフレットがある。日本生協連によって第1回の全国組合員活動交流集会が開催された1977年の生協強化月間に、関西支所で作られた組合員向けの学習用の冊子だ。そこに世界のコープマーク紹介と虹の旗の由来の説明があった。
短い文章だが、実にわかりやすいので、以下、ご紹介したい。
【虹の旗(協同組合旗)の由来】
I.C.A.(International Co-operative Aliance-国際協同組合同盟)は第1次世界大戦(1914~1919年)の後の世界大会(1923年*)で、二度とこの様な悲惨な事が起らないように、全人類の平和と協同組合の発展の願いをこめて、フランスの経済学者シャルル・ジイド氏が旧約聖書の中の「ノアの大洪水のあと はじめて人間が平和を求めあい助け合ったのを 神が祝福して虹を現わした」とあるのを引用して提案し虹の旗を世界の協同組合のシンボルとしました。

3/11の東日本大震災の大津波被災は、まさにノアの時の大洪水を思わせる。大震災・大津波からの復興に協同組合の出番ということに重なると思えた。虹は人々の「助け合い」のシンボルとされていて、まさに「助け合い」こそが復興の大きな力になるはずだからだ。
日本では、「虹はすぐに消える」という悪口も聞こえてくるが、世界の協同組合ではまだまだ虹のマークは健在だ。冒頭の写真は、1995年のICA100年の記念大会(於:マンチェスター)の時のシンボルマーク。

「がんばれ!東北」「がんばれ!日本」というキャッチフレーズが、重苦しく感じる人もいるし、「ともに生きよう!東日本」というキャンペーンも生まれている。そういえば、賀川豊彦献身100年記念事業の軌跡をまとめた本のタイトルも「ともに生きる」だった。
みんなが生きやすい社会につくりかえる取り組みとして「復興」に一人一人が頑張りすぎないで、やれることをやっていけるといいと思う。
日本生協連の職場でも、「東北地方太平洋沖地震ボランティア支援制度」というのがつくられた。阪神・淡路大震災の時は見送られた年休とは別に有休扱い(年1回5日間を上限)でボランティアに参加できるようになる。6/6にその「ボランティア支援キックオフ集会」が終業後に開催される。こうして少しずつではあるが、条件が整っていくのは嬉しいものだ。


(6/17追記)
*上記の引用部分の「第1次世界大戦(1914~1919年)の後の世界大会(1923年)」の大会開催年の記述が間違っているようだ。1923年は採用決定の中央委員会で、制定の大会は翌年の1924年が正しい。
一橋大学付属図書館の企画展示のサイトでみつけた「虹の旗の由来」の記事に「1923年のICA中央委員会で採用を決定、第11回ゲント大会(1924年)で協同組合旗として正式に制定された」とあった。ミニパンフ作成者が中央委員会と大会をごっちゃにしてしまったのかもしれない。
またこちらのブログで『生協運動』1959年5月号の記事からも虹の旗の由来をご紹介しているが、 そこに「フランスの有名な小説家アンドレ・ジイドの兄さんで協同組合運動者であったシャルル・ジイドが提案」のところ、「兄さん」は間違いで「伯父さん」が正しい。
このようにご紹介した記事の訂正もわかった段階で極力入れていくつもりだ。
wikipediaの「アンドレ・ジッド」の項
フランスの小説家。アンドレ・ジイド、アンドレ・ジードとも表記される。
1869年パリ生まれ。父親はパリ大学法学部教授をつとめた。伯父は経済学者のシャルル・ジッド。

【2011/06/03 19:31】 | 文献紹介
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