<Mより発信>
『現代日本生協運動史・資料集』の「戦前の生協運動の概観」に標記の資料が見つかった。
CD-ROM版の史料番号は00-2-1-07。CD-ROM版の操作性はあまりよいとはいえないが、それでも印刷物では大変なボリュームになってしまう資料が入っているのが有難い。

【賀川豊彦「死線を越えて」より消費組合設立の活動】
 米騒動を見た新見栄一は、低能な政府が、ただ一億五千万円の米穀調節基金を準備して、政商どもに、儲けさせる工夫を考へてゐると云ふことを知って憤慨した。彼は覚束ないながら消費組合運動に着手した。
 日本の凡ての人が凡ての商人の手を離れて、自ら組合を作り、生産者から直接に仕入れることになれば、誰れも損をするものはなく又誰れも得をするものもなく、商業上の投機と、労働階級から搾取することもなくなる。さう考へた新見栄一は労働運動をする傍ら、消費組合の完全なものを造らねばならぬと努力した。

 労働組合の仲間では、消費組合に対して議論が区々であった。或者は『それは階級斗争の精神を鈍らす』と云ひ、或者は『労働組合の勢力を二つに割るから駄目だ』と云ふて反対した。然し、新見は社会的秩序と互助組織を得る為めに、消費組合は、生産階級を助けこそすれ、それを破壊するものではないと深く信じた。彼は敢然として、凡ての反対に眼をくれないで、その宣伝にとりかかった。………

 彼は先づ、それを村山佐平の弁護士になってくれた今村博士に話した。今村博士は大賛成であった。それから新見は大阪のキリスト教信者の間を馳け廻って、同志のものを集めた。然し、教会の人人の多くは、中産階級のもので、あまり困って居らぬものだから、彼の説に賛成はしても運動に加わってくれるものは少なかった。

 彼はブラッシュ会社を作った時と同じやうに祈りつつ組織に着手した。彼が熱心に説くものだから、砲兵工廠に働いてゐる職工からも、印刷工場に働いてゐる労働者の間にも、数百名の賛成者が出来た。伏見教会の牧師の義弟梅野兼三君は商業学校を卒業したばかりであったが、事務の方を扶けてやらうとすぐ会員募集に従事してくれた。八月の終りには略々形も整ふことになった。………

〔賀川豊彦全集第14 巻、531~532 頁〕
※この全集も日本生協連資料室には揃っている。

【2010/04/30 12:32】 | アーカイブ
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「協同組合の理論と実際」と新書版の大きさ比較

<Mより発信>
先のKさんの記事で要約をご紹介いただけるとあった賀川豊彦著『協同組合の理論と実際』についての関連情報をアップさせていただきます。
嶋根善太郎氏の連載紹介(3)の私の注記で紹介した『生協運動 想いで集』に寄せられた高村勣氏の文章に下記のように言及があります。

「思い出の数々と賀川豊彦」のP21より(二)賀川豊彦との出会い
戦時中、一兵士として宮崎で本土決戦の対戦車砲の部隊にいたが、敗戦とともに芦屋に復員してきて学校に戻った。大学は復員兵であふれていて何とか理由をつけて早々と学生を卒業させるようにした。私も実際に学校にいっていないのに国家に役に立ったのだからと、1946年の9月に卒業させられた。敗戦後一年、当時の日本はまだ混乱のどん底にあって、食うものも職もなく敗戦国の悲哀を味わっていた。

その時、当時の灘購買利用組合の組合長をしていた田中俊介さんの息子の永俊君(1991年死去)と同級生で仲良しだった縁でよく家に遊びに行っていたので、田中さんに何時までも遊んでいる訳にいかんだろうと組合に入ることを強く勧められた。神戸の地では灘購買といえば少しは知られた存在になっていたが、よそ者の私にはまったく何もわからないまま、永俊君と一緒に腰掛けのつもりで働くことにした。

小学校以来15年間も戦時中の教育をうけて育ってきたわれわれにとって、敗戦後の思想改革に対応することは極めて困難なことで呆然と日々をすごしていた。日本という国が存続できるのか、何をもって再建してゆくのか、議論はとどまるところを知らずの状況であった。

そんなある日、新入生教育の資料として与えられたのが賀川豊彦の『協同親合の理論と実際』であった。掌中に入る判で僅か58頁余のこのザラ紙の論文、主張が私に与えた衝撃は大きかった。賀川の名は小説『死線を越えて』の著者として知ってはいたが、わたくしには無縁の人であった。賀川の人間観、世界観そして協同組合にかける彼の使命感にたちまちにして引きずり込まれ、囚われの身となった。この小冊子によって腰掛けのつもりがとうとう50年もこの生協で働き続けることになった。賀川が創ったコープこうべ、そして賀川を初代会長とする日生協に私の生涯をささげる事になったのは全く、賀川の導きの結果であると心から感謝している。

賀川には「協同組合の中心思想を録す」という書が大きな扁額で残されている。彼が田中俊介のためにコープこうべでその晩年に書いた、達筆でほかにその例を見ない貴重な文字であり、これはコープこうべのみならず日本の生協の貴重な財産と思う。コープこうべ70周年のときに復写して広くお配りしたので各地で見ることができる。8年前(1995年)の震災で原本をなくしてしまったのはなんとも残念でならないが 肉筆のコピーが何時までも賀川の精神を伝えていくことになろう。賀川については多くの人が書いてくれるのでここまでとする。

(Mによる注記)
賀川豊彦著『協同組合の理論と実際』という冊子の現物は、日本生協連資料室に2冊あります。実にコンパクトでハンディですが、時代性もあっていかんせん文字も小さく、行間も狭いです。写真は、新書版の『現代日本生協運動小史』と並べたところを撮影したものですが、大きさのイメージが湧くと思います。
高村氏の生協人生を決定づけたということがわかり、拡大コピーの原紙をつくっておき、昨年の「賀川豊彦研究会」のメンバーには読んでいただくようにしていました。
Kさんによると『友愛の政治経済学』よりも日本人向けに書かれているのでわかりやすいということでした。

以下に現・日本生協連会長の山下俊史氏が講演で引用されたというエピソードなどがあります。
最近、リニューアルオープンした神戸の「賀川記念館」に展示されていた上記の冊子のコピーを、現・日本生協連会長の山下俊史氏が入手され、4/21に日生協職員学習会「コープ商品誕生50周年記念講演」でコープ商品の考え方の原点として引用され、日本生協連内で俄かに脚光を浴びました。
昨年から関係者には折にふれて復刻出版をおすすめしてきましたが、ブックレットか新書版くらいで復刻出版していただきたいと願っているところです。


さらに共同通信の伴 武澄(ばん たけずみ)氏のブログ「Think Kagawa!」で、『協同組合の理論と実際』を連載の形で全文ご紹介いただいていることも合わせてお知らせします。
 
『協同組合の理論と実際』の連載紹介部分はこちら



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【2010/04/27 23:59】 | アーカイブ
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<Mより発信>
10回にわたって連載してきた標記の連載をここでまとめてリンクする記事をつくっておきますので、ご活用ください。タイトルの色文字部分をクリックすると該当の記事が開きます。
【「賀川豊彦生誕100年によせて」連載第1回】
【連載第2回】:神戸消費組合の発足
【連載第3回】:灘購買組合の成立
【連載第4回】:「賀川豊彦記念松沢資料館」と映画「死線を越えて」
【連載第5回】:東京学生消費組合(学消)のこと
【連載第6回】:江東消費組合のこと
【連載第7回】:黒川泰一さんに聞く 東京医療利用組合の設立(上)
【連載第8回】:黒川泰一さんに聞く 東京医療利用組合の設立(下)
【連載第9回】:農協共済の発足
【連載第10回】:「キリスト者」としての生涯

以上

【2010/04/26 22:31】 | アーカイブ
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Kより発信
 賀川豊彦の思想と実践を学んだ後の私の関心は、「当時の協同組合の理論は、どのようなものだったのか?」を知りたくなり、四谷の日本生協連・資料室に調べに行った。そこで、4冊の本を見つけ、興味深く読み進めた。
 これらの著書には、明確に生活協同組合の理想と目的が語られている。また、生活協同組合とは何かを解説している。著者は、大正後期から戦前まで、協同組合運動を指導し、又は実践された方だけに、机上論ではなく、資本主義の中での現実的な対処なども触れられいる。最近は「協同組合とは何か」など語られることがなくなってきているので、原点を振り返る意味で大変貴重な文献だと思う。

 以下、紹介します。
1.『協同組合の理論と実際』 賀川豊彦著
  1946年 ラッキー文庫 コバルト社発行

2.『新協同組合要論』 賀川豊彦著
  1947年 日本協同組合同盟発行

3.『生活協同組合』 本位田祥男著
  1947年 日本協同組合同盟発行

4.『生活協同組合経営論』 藤田逸男著
  1948年 日本協同組合同盟発行

今後、これらの書の要約を紹介しようと思う。

(Mにより写真を追加)
資料室にある2.の『新協同組合要論』の冊子の表紙を携帯で撮影してご紹介。
「新協同組合要論」表紙.jpg

【2010/04/25 11:48】 | 文献紹介
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Kより発信
 2009年度の「賀川豊彦献身100年記念事業」をきっかけに、はじめて賀川豊彦の全体像について学びました。
以下、私なりに理解した賀川豊彦の思想をまとめた原稿の一部を掲載します。

 私は、「賀川豊彦献身100年記念事業」が行われた2009年には、賀川豊彦に関する講演を聴きや著書を読み「賀川豊彦がどんな思いで協同組合の創設に力を注いだのか」について問題意識をもって学びました。
賀川豊彦は、「労働力(人間)より商品の方を大事にする利益優先の資本主義」に反対で、マルクスの共産主義に共鳴するところもありますが、個人の自由や人格を軽視する「共産主義」「唯物論」にも反対でした。賀川豊彦が着目したのは、イギリスで生まれ発展していた協同組合でした。相互扶助・助け合いの精神による協同組合を生産者、販売、保険、信用、共済、利用、消費の各分野で発展させることによって経済活動が計画的なものになり、資本主義の景気・不景気の問題を克服できるものと考えました。更には、国家間でも協同組合国家どうしの貿易を行えば、戦争のない平和な世界が実現できるものと期待しました。賀川豊彦は、近代が生んだ資本主義と共産主義の欠陥を克服する第3の道として協同組合を考え、その発展に力を注ぎました。賀川豊彦は、協同組合を資本主義、共産主義の次の社会システムとして描いていたということを知ることができました。
その後の歴史は、賀川豊彦が予想したようにソ連共産主義の崩壊(1989年)、資本主義の暴走と破綻(2008年リーマンショックによる世界不況)を見ました。
 地球温暖化問題や資源問題は、待ったなしの状況になっていても対応できない現状。また生産力が上がり、GDPは増えてもホームレスが生まれる資本主義。賀川豊彦が考えたように、自己利益を最優先とする資本主義では、こうした問題を解決できないことを証明しています。賀川豊彦の先見的な思想と実践には驚かされました。

 以下の文は、賀川豊彦が戦後の1947年に発表した『新協同組合要論』の序文です。この文中から賀川豊彦の協同組合への思いが強く伝わってきます。                                      

「人間だけが共同社会を組織するのではない。鳥も、獣も、昆虫も、その本能に応じて共同社会を組織する。千鳥はシベリアを出発して赤道を南に越え、オーストラリアの南端、タスマニアの海峡で産卵する。彼等が組織する集団は、おどろくべき市街地の形を備え、街路をつくり、区画をとり、丸石を置き、1つの画に夫婦がひとつがいづつはいって、おどろくべき社会組織を形成する。
そこには暴力もなければ、武力も無用である。幾十万年間、彼等はその本能を変えない。シベリアを立つ時には、雄と雌とが別々の集団をなして南に飛ぶが、赤道を越えても決して乱婚はなく、そこには道義と秩序が人間の想像以上に完全に守られている。
私は千鳥のことを思うと、人間であることを恥しく思う。「空の鳥を見よ」とキリストは鳥を指差したが、私は小鳥から学ぶことが多い。千鳥には、敗戦もなければ革命もない。幾十万年間、赤道を北に南に人類の興亡を下にみて悠々と転地する。もし、千鳥類があの麗しい道義世界をつくり得るとすれば、人類に協同組合社会をつくり得ないという理由がない。人類は、いまや進化の過程にある。おそらく、近いうちに千鳥のごとく高度に進んだ協同組合社会を創造し得るであろう。私はその日のために、あらゆる努力を惜しまない。30年近く、私は日本の協同組合運動のためにたたかってきた。左翼からも右翼からも烈しい圧迫を受け、愚者のごとく組合運動のために努力してきた。そして、私はアメリカ政府の要求に応じて、1936年には、アメリカ合衆国47州協同組合運動の組織をお手伝いした。終戦後、日本を再建する唯一の道が協同組合運動にあることを信じて、同志とともに力闘した。」以下省略。 
(『賀川豊彦協同組合論集』1968年、明治学院生協発行)


【2010/04/24 23:12】 | ブログ
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