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<Mより発信>
 日本生協連資料室は、資料室の一層の活用をお奨めするために2014年度より「土曜講座」をスタートしてまいりました。
受講対象は、日本生協連グループで働く皆様、OB・OGの方々、生協を研究対象とされる方、生協に関心のある方まで、広くご参加いただくようになりました。ディスカッションタイムも好評です。
 生協総合研究所のwebサイトでも9/14付けで「研究会情報についてのお知らせ」コーナーに案内記事をアップされました(その様子が冒頭の画像)。以下で概要をご紹介します。

【資料室より】2017年度「土曜講座」のお知らせ

<企画概要>
●開講場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
  会場へのアクセスはこちら
●開催日程:4回開催。
① 10/7(土)、②11/18(土)、③12/16(土)、④1/27(土)
開講時間は、16時~18時 (講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料

■統一テーマ:「生協運動の先駆者に学ぶ」

■開催回・日程・講義内容予定
【第1回: 10/7(土)】
テーマ:「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
 -異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第2回:11/18(土)】
テーマ:「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ
 -『平和とよりよい生活のために』を体現-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第3回:12/16(土)】
テーマ:「戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの
      生協活動」

講師:丸浜江里子氏(2006年に、杉並における原水禁署名運動研究に対し、
             平塚らいてう賞奨励賞を受賞)

【第4回:2018年1/27(土)】
テーマ:「協同組合における参加型民主主義
 -組合員参加の再生をめざして-」

講師:有田芳子氏=元エフコープ理事、
    元コープかながわ常任理事、元ユーコープ事業連合理事、
    元日本生協連中央地連環境委員会委員、
    元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、
    現・主婦連合会会長

●詳細につきましては以下よりダウンロードをお願いいたします。
 【ご案内】 (PDF 146KB)

●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入いただき、返信いただくようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※下は石黒武重氏による揮毫。生協役職員向け『CO・OP手帳』の表紙裏に掲載されている。
「平和とよりよい生活のために」石黒武重先生揮毫50%縮小

【2017/09/25 15:25】 | 情報
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<Mより発信>
 JCCU協同組合塾の幹事仲間のSさんにお誘いいただき、銀座教会の東京福音会センターで開催されていた「ジョー・オダネル写真パネル展」最終日の8/9に行ってきた。
 ジョー・オダネルさんは元米従軍カメラマンで、軍務で終戦直後のヒロシマ・ナガサキを撮影した。その傍らに私用カメラで撮影したネガを持ち帰っていた。その後ホワイトハウス付けのカメラマンを長く務めた。凄惨な写真であり40数年トランクの中に封印していたが、被爆者への鎮魂の思いのこもったキリスト像に遭遇し、自分の国の犯した罪をさらけだし、反戦・反核の思いを伝えるために写真展・講演会を世界中で開催した。その中で知り合った日本人女性の坂井貴美子さんと結婚。原爆投下直後の広島、長崎を撮影のために歩いたジョーさんは、入市被爆者と同じように放射能障害により身体中にあらゆる病気を抱えることになり、それをおして活動され、貴美子さんはよき同伴者だった。2007年に85歳でジョーさんが亡くなられた後、貴美子さんがその遺志を引き継がれた(なんと亡くなられたのは長崎の原爆忌の8/9だという)。
 この8/9付けで『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』を出版し、その記念企画でもあった。素晴らしい内容だったので、企画をリピートしていただきたいこと、「ヒバクシャ国際署名」にも取り組んでいただけると有難い旨も感想帳に書かせていただいた。『神様のファインダー』も買い求め、さっそく読んでいる。パネルにあった文章ももちろんだが、ジョーさんの生き様も浮き彫りになっており、彼の遺産でもある写真の一枚一枚から戦争が何を人々にもたらしたか、特に原爆は二度と使ってはいけない兵器だということが伝わってくる。私たちの力になってくれる1冊だと思う。

『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』
いのちのことば社 発売日:2017/08/09
写真:ジョー・オダネル、編著:坂井貴美子
アマゾンでは、こちら
いのちのことば社では、こちら

【2017/08/10 12:49】 | 情報
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日本生協連25周年記念の虹の小旗等15%縮小
<Mより発信>
 6/2のgoogleのトップページは「ギルバート・ベイカー 生誕66周年」ということで、虹の旗が縫われる動画がロゴになっていた。性的少数者(LGBT)の活動のシンボルのレインボーフラッグをデザインしたことで有名ということからだ。「世界のGoogleトップロゴ観察」さんの記事Wikipediaの「レインボーフラッグ (LGBT)」より引用しながら以下、ご紹介する。
 Gilbert Bakerさんはアメリカの美術家で、人権活動家。1951年6月2日に生まれ、2017年3月30日に逝去され、生誕66周年ということでとりあげられた。Gilbert Bakerさんは軍隊時代に「ゲイ」の人権運動が盛んなサンフランシスコに駐留。彼自身も「ゲイ」であり、除隊後にゲイの人権活動や反戦運動に参加した。1978年6月25日にサンフランシスコで行われた「Gay Freedom Day Parade:ゲイ・フリーダムデイ・パレード」で初めて使用された。
 最初は8色でデザインされ、以下のような意味が込められていたという。▼ピンク Sexuality:セクシャリティ、▼赤 Life:生命、▼橙 Healing:癒し、▼ 黄 Sunlight:太陽、▼緑 Nature:自然、▼ターコイズ(青緑) Magic/Art:魔術 / 芸術、▼藍 Serenity/harmony:平穏 / 調和、▼紫 Spirit (精神)。
 最初の一枚は、30人もの仲間が集まり、生地を手染めして縫い上げたと言われている。その後、運動は世界に広まり、レインボーフラッグも広く周知されていくが、そうなると、大量のフラッグが必要となった。そこで、どの地域でも入手のしやすい生地などの点から見直しが行われ、現在では「6色構成の旗(赤、橙、黄、緑、青、紫)」が一般的となった。(ピンクとターコイズが除かれて、藍色が青色に変更された。また、この旗の公式な向きは自然の虹と同じく横方向に色が流れて赤を上にした状態が正しいとのこと。)
 Wikipediaの「レインボーフラッグ」では、現在使用されているレインボーフラッグには以下のものがあるとする。
1.平和を象徴する旗の名称 (1961年頃考案):「平和のイタリア語.PACE (パーチェ)」と白抜きがあり下の虹は紫からの配色で7色。Flag of the Paceの画像はこちら
2.LGBTコミュニティを象徴する旗の名称(1978年発案)。
3.南アフリカ共和国の国旗 (1994年制定) の通称。
4.ロシアユダヤ自治州の州旗 (1996年制定) 。
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 かつて協同組合のシンボルだった虹の旗だが、現在では使われていないとされてしまったのだろうか?
 そもそも七色の虹が協同組合のシンボルとなったのは、第一次世界大戦後だ。旧約聖書に「ノアの大洪水のあと人々が助け合う姿を見て、神が虹をあらわした」とあることから、不戦の誓いと重ねて虹を平和と協同のシンボルとすることを数年の議論の末に決定し、1924年のベルギー・ゲントで開催された第11回ICA大会から公式に使われてきた(日本生協連の通信教育「入門コース」(2013年改訂版)の記述を確定させる際、生協総合研究所研究員の鈴木岳さんにも見ていただいて正確な表現に変更しているが、決定は中央委員会で、公式使用がこの大会)。
 冒頭の写真の上にあるのが日本生協連創立25周年記念で役職員に配布された虹の小旗で、下は1961年発行の『灘生協四十年』(合併して灘神戸生協になる前、現在のコープこうべ)が赤から紫までの7色の虹を表紙にしているのを撮影。(Wikipediaの「国際協同組合同盟」にある虹の配色と比べると、ターコイズブルーと薄紫が違っていて、これについてもまた調べる価値はありそうだ。)そしてまた、2001年決定のICAロゴでも6色の虹が基調に使われている。
2001年決定のICAロゴ
 ところが2012年の国連・国際協同組合年を契機にICAのロゴが見直されることになり、2013年に「グローバル・コープマーク」が制定され、虹を基調に使うことがなくなっていた。また「COOP」とハイフンなしの表記がデザインの基調になったのはハイフンなしだと「監獄」というスラングになってしまう英語圏中心の考え方ではなくなっていることがうかがえた。時代の変化を痛感させられる。
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 日本における虹の旗の普及については勝部欣一さんが『虹の歩み』の中で書いている(以前紹介した記事はこちら)。
 勝部さんは家庭購買組合の組合員の家庭に育った。東大生協を創設し、日本協同組合同盟に就職。協同組合運動が分断されて同盟が生協だけの指導機関になり、生協法制定を求めて実現し、日本生協連設立という最中にいた若手事務局だった。1953年にユネスコの勤労者奨学金試験に合格してイギリスを中心としてヨーロッパに留学し、国際協同組合青年大会に出席した際に会場や街中にはりめぐらされた虹の旗に感激。帰国するとすぐ、虹の旗やバッジの普及を提案し、日本のあらゆるところへ虹が出るようになったと、自著のタイトルとのからみでまえがきに言及している。
勝部欣一氏の自叙伝『虹の歩み』表紙
 残念ながら「日本のあらゆるところへ虹」という状況は今ではなくなってしまった。LGBTの活動が世界に広がる中で虹の旗(レインボーフラッグ)がシンボルとしてアレンジもされながら認知度も上がっていったため、ICA等はイメージの混同を避けるために長く使われた「虹」を象徴として使うことをやめることにしたのではないかと推測している。
 しかしながら、協同組合運動の歴史をきちんと踏まえるためにも、協同組合の象徴の虹の記憶を継承していきたいと思う。
(追記)
2011年6月にも「虹の旗(協同組合旗)の由来について(追記あり) 」という記事を書いています。そこからのリンクも含めてご参照くださると有難いです。

【2017/06/05 23:21】 | 情報
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上は中野邦夫氏。下は小澤理恵子氏。
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<Mより発信>
 2014年3月に日本生協連のコーププラザ(渋谷本部)の1階ロビーに「コープ商品ミュージアム」が開設されて3年が経過し、開設当時の担当者の多くが異動や定年退職し、語り部養成の必要で企画された連続学習会がより参加しやすい企画として「CO・OP商品の歴史を語り継ぐ講座」として月曜日の15時~17時で開講が決定。前半の2回は役職員OB・OGを講師にお願いした企画で1/30、2/6で開催され、いずれにも参加してきました。企画段階から協力し、史資料を提供講演の内容は以下、概要。
 第1回:①中野邦夫氏からは戦前からの生協の歴史の中でコープ商品の前史、1960年の連合会CO・OP商品第1号誕生から1970年代の管理価格と有害食品に対抗してきた歴史、②小澤理恵子氏からは組合員の商品活動の歴史の中からコープ商品に組合員の声を反映するしくみづくり。第2回:①日和佐信子氏からはCO・OP商品と食の安全の社会的な仕組みを生み出した組合員活動、②石飛豊氏からは1990年代にメインとなった価格重視の品揃えと別にサブブランドとして配置されたコンセプト開発の経験について。
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上は日和佐信子氏。下は石飛豊氏。
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 いずれも聞き応えがあり、定員40人の会議室は部署も年代も多様な参加者メンバーの熱気で包まれて、企画段階から資料室として協力してきた甲斐がありました。第2回終了後、第1回の講師の方にもおいでいただいての交流会を開催。参加者からの質問、講師の方からの質問もありのやりとりタイムも設けて諸先輩の経験と想いを継承し、若い世代を激励する充実した時間となりました。
後半の3/6と3/13は現役のメンバーの講師による企画が続きます。そちらの企画にも史資料を提供していくつもりです。
(参考情報のリンク)
2014年12/19「コープ商品の歴史とこれからを考える」(講師:中野邦夫氏)の簡単報告→こちら

2013年11/14の報告」(講師:小澤理恵子氏):概要編→
こちら

【2017/02/11 23:59】 | 情報
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<Mより発信>
12/12(月)16時から生協総研の共済研究会「賀川豊彦の協同組合保険の思想と実践に学ぶ」@松沢資料館に参加してきた。講師の和田武広さん(元JA共済職員、賀川フォーラム会員)から、今回初めて賀川豊彦が「JA共済の父」と呼ばれる由来をまとまってお聞きすることができた。さらにこれまで農協についてはまともな協同組合なのだろうかという偏見をもってしまっていたが、もっときちんと勉強する必要を痛感した。
 このところ「資料室土曜講座」にも参加して、戦前の協同組合がどのように戦時体制に組み込まれていったかをさらい直す機会があり、産業組合の農村組織は戦時下に統制組織として「農業会」に再編されてしまっていたことがわかってはいた。それが戦後にも大きく影響しているようだ。戦後、農協は「伝統的・自主的な協同組合」と「行政補助機関」という2つの側面を持って設立されていて、後者は「農業会」時代を大きく引きずっている。そういう歴史が農協共済にも影響していた。前者の側面による運動の大きな成果の一つが協同組合保険=共済事業ではないかという視点での展開で、その中で賀川豊彦の思想が論じられた。充実したテキストもいただいたのでじっくり読み込んでみたい。
 今回は礼拝堂を会場にしたために、パワポのスクリーンの上にステンドグラスのキリストが子どもの頭をなでているところも写っている。パワポの最後の画像に賀川の写真もあったが、「おわりにあたって」の文章が以下。(薄井清『一粒の麦は死すとも-賀川豊彦-』P282~283からの引用)
 「いま読み返して思うのは、農業協同組合は戦後にマッカーサーからあたえられたものではなくて、賀川豊彦を含めた産業組合運動家たちが、血みどろの戦いの末に勝ちとった組織である、という感慨である。いま、・・農協は、一つの岐路に立たされている。・・」
 終了後のディスカッションの中で、戦前の反産業組合運動は国内の商業者による攻撃だったが、現在はTPPなどグローバル化の中での闘いであり、相手の土俵で戦うべきではなく、協同組合理念を踏まえたものにしなければならない。戦後の農協は組合員をお客さん扱いしてきてしまった反省に立つべきという話が出た。それを聞いて、生協陣営も他山の石としなければならないようになっているし、それにブレーキをかけて「生協の理念」に基づいて事業と活動の再構築をしていかなければならないと思えた。

【2016/12/14 23:55】 | 情報
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