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 2017年度第2回「日本生協連資料室土曜講座」(11/18)の詳細案内をご紹介します。全4回の予定が立たなくても、1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】11/18「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第2回)「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ-『平和とよりよい生活のために』を体現-」の詳細案内
講師:斎藤嘉璋氏
(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:11/18(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
※早稲田大学卒業後、『報知新聞』記者となり、大日本産業報国会を経て敗戦戦後より日協同組合同盟設立に参加。賀川 豊彦さんが亡くなるまで日本生協連専務理事として仕え、1962年副会長、71年第4代会長に就任。賀川 精神を継承し、政党やイデオロギーを超えて多くの組合員が 参加する反核・平和運動を広げ、ICA中央委員としても長く活躍した。
1988年には日本生協連が国連から「ピースメッセンジャー」 の認定を受け、1989年には中林さんがスウェーデン生協連 の「アルビン・ヨハンソン・ゴールドメダル」(協同組合運動を 通じて平和・自由の推進に多大の貢献をした協同組合に授与) を受賞。

〔参考文献〕
・『私と生協』第1集・中林貞男氏講演録
「生協運動の現状と未来」1986年10月刊(市民生協生協会)、
中林貞男/著『平和とよりよい生活を求めて
―生協運動私史―』1985年6月刊(日本評論社)

・坪井俊二/著 2016年3月刊(私家版)
 『松飾り、数の子珍味、きょうの春―生協の五十年』

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※冒頭の写真は、中林さんの代表的な2冊の書籍の表紙を撮影したもの。対談集の表紙にトレードマークの太い眉毛がはっきりわかる当時の近影写真がある。
※10/23付けの記事を再掲。

【2017/11/06 19:35】 | 情報
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20171007第1回(2)坪井俊二さん.jpg
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 10/7「日本生協連資料室 土曜講座」第1回の参加報告の続きです。(1)はこちら
 冒頭の写真はゲストコメンテーターの坪井俊二さんです。
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(2)


斎藤嘉璋さんの講演概要」(2)(講演のメモと参考資料から作成)
(2)生協運動のリーダーとして②日協貿の設立と日ソ協同組合貿易:戦後に再加盟したICAのパリ大会(1954年)に田中俊介代表を送り、原水爆禁止決議や協同組合間貿易の促進などを提案。ソ連協同組合中央会の代表が興味を示して招請があり、1955年に石黒さんが団長になって訪中訪ソ代表団が送られた。当時、事業機能がなく金がない日本生協連を貿易で儲かるようにしてなんとかしてやろうと思われ、日本協同組合貿易㈱を設立、社長に就任された(1956~72年)。貿易実務面では石黒先生のためにと郡是産業(生糸輸出業として起業)が全面応援してくれた。

③全日本事業生協連、日本生協連会長として:1958年に日本生協連とは別の連合会として事業連が設立され会長に就任。1965年に事業連と日本生協連が合併する際、非常勤の会長では事業までみられないと田中俊介さんが退任され、石黒さんが日本生協連の第3代会長に就任され、その後、中林貞夫さんに譲られて名誉会長を1984年までつとめられた。
※協同組合への愛情と信念:
(『努力を楽しもう―石黒武重先生小伝―』P222~)「協同組合というのは民主主義の教室でありバロメーターだと常日頃私は言っていますが」「協同組合運動が少しでもうまくいっているということは、人類社会が進歩しているかどうかの1つのバロメーターだと僕は考えているんだ」「単なる効率だけを考えるようなことは、協同組合の本来の理想からかけはなれてしまうんだね」。貧困が戦争の元になる。半年のソ連視察の経験から終戦後、日本は修正資本主義でいくべきで、その中で協同組合が大きな役割を果たせると思ってきた。
※連合会のトップとして:人格、能力と尽力、会員と社会信頼の高さは抜群。

(3)石黒先生についていくつか:
①嘉璋さんの東大生協地下食堂での会費制結婚パーティでご挨拶いただいたのが初対面。気さくな“偉い人”。頭がいいのにそう見せたくない。公用車を帰してしまい小田急線で世田谷の成城の自宅に帰る。官邸で出た羊羹などを隣席の人にすすめていろんな話をした。そうしなければ普通の人の暮らしがわからない。
②『東京の生協運動史』(30年史)の編纂にご協力いただいた。③小伝のタイトルになった『努力を楽しもう』。賀川さんみたいに理想を語れないし、そういうのが好きじゃない。1つ1つ努力をしながら、楽しみながらやってきただけとおっしゃっていた。

20171007第1回(3)全体.jpg
 参加者は講師・事務局を含めて22名で、日生協・生協総研職員10名、医療福祉生協連1名、大学生協1名、OB・OG3名、地域生活研究所1名、松沢資料館1名、研究者2名、主婦連1名。
 ディスカッションの冒頭に、石黒先生と一緒に日協貿で仕事をした坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)にゲストコメントをいただいた。
●坪井俊二さんのゲストコメント:日協貿は、田中俊介さんのICA大会での反核平和の訴えで始まった。それを事業として育てたのは石黒さんだった。石黒さんは、農政関係の省庁の事務次官を戦前と戦後で2度つとめている。事務次官というのはその行政を一番把握している人で、戦後は戻ってきてくれと言われて2度目をつとめた。どれほど高い評価をされていたかわかる。
 ソ連でも協同組合中央会の役員に絶大なる信頼を得ていて、どこでも行きたい所に行けるように手配しますと言ってくれ、私もおかげで15の共和国全部に行くことができた。ソ連が崩壊して帰国する外交官の送別会で、石黒さんは「レーニンさんはどうなりましたか」と尋ね、「クレムリンで静かに眠っていますよ」という答えに「あぁよかった~」と言っていたのが印象的。「レーニンとキリストが人類史の中で大きな人だったと思う」と言っていた。
 日協貿でお世話になった郡是産業の社長は、石黒さんがアメリカに滞在していた時からのおつきあいがあり「ああいう人を、man of integrationというんだよ」(人格、徳を身につけた人の意味)と言っていた。財界からもスジが通って清潔で教養が深い人と評価されていた。
 私は、賀川さんと石黒さんが日本の生協の二大巨人だと思う。

 その後のディスカッションでは、「参考資料の中に、石黒さんが大正デモクラシーの時代の熱気は戦後民主主義の時代よりもすごかったと言っていらしたとあり、労働運動や社会主義運動を日本でもと労働者や知識人が主体的に取り組んだ時代とGHQから与えられた民主主義の時代の差でしょうか」と質問が出て、講師の斎藤嘉璋さんが「石黒さんが言う戦後民主主義の時代とは1950年代までの話で、私たちが参加した60年安保、70年安保の時代とはまた違う」と回答され、斎藤嘉璋さんの青春時代の熱い思いが吐露された一幕もあった。
 次回の第3代会長・中林貞男さんの回も同じ講師・ゲストコメンテーターであり、引き続いて「平和とよりよい生活のために」を掲げた生協運動とそのトップに学ぶのが楽しみだ。
※2017年度日本生協連資料室「土曜講座」(10/7、11/18、12/16、1/27、全4回)のご紹介の記事は、こちら

【2017/10/24 12:27】 | 情報
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<Mより発信>
 2017年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、こちらでもご紹介させていただきました。10/7の第1回に参加してきましたので、2回に分けて概要をご報告します。冒頭の写真は講師の斎藤嘉璋さんです。
 
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(1)

講師:斎藤嘉璋氏/元日本生協連常務理事、
    元生協総合研究所専務理事

ゲストコメンテーター:坪井俊二氏
    /元日本生協連常務理事


斎藤嘉璋さんの講演概要(講演のメモと参考資料から作成)
(1)石黒さんの異色の経歴:日清戦争後の1897年に8人兄弟の長男として生まれた。父は陸軍将校で転勤族。東京府立四中から一高、東大法学部にすすみ、卒業前に父母を亡くし家長となったので転勤の少ない農商務省に入った。母や祖母に「ご飯は一粒も残すな。汗水たらして働いている人のことを考えなさい」と言われて育ち、青年期を大正デモクラシーの時代に過ごし、世のため人のために働こうと行政マンになられた。
 28歳の時、役所から海外視察の命令に出て、革命8年後のソ連という国を見てみたいとを希望し、シベリア鉄道9日間乗っていった。その二等車の中でふれあった人々に親切にしてもらったことから好印象をもった。農商務省の蚕糸局に移り生糸関係に一生関わった。ニューディール政策の頃、海外生糸市場調査事務所長としてNYに赴任され、輸入関税提案を撤回させた。日本の貿易会社の現地事務所も回って輸入実務にも詳しくなった。帰国後に農林省で産業組合課長となり、ロッチデールをはじめ協同組合の勉強をし、農民の生活を協同組合で助ける、戦後の生協とかかわる、という実践につながる。
 戦時中は商工省の貿易局長、物価局長、事務次官と有能な官吏として働く。終戦時は鈴木貫太郎内閣の枢密院書記官長で、ポツダム宣言受諾をめぐる現場にいらした。終戦直後は憲法問題調査委員会委員、幣原首相をよく補佐し(内閣法制局長官、無任所国務大臣=実質的な経済担当相)、吉田内閣の組閣参謀となった。幣原さんを助けているので衆議院に立候補することになり当選(戦前、知事をつとめた縁で山形県から)。反戦平和的な人が集まる進歩党(安倍首相の父方の祖父・安倍寛も)で幹事長→再編後の民主党の初代幹事長となったが、直後にGHQから戦争責任ありとされて公職追放になり、政界に復帰することはなかった。

(2)生協運動のリーダーとして①東京の生協と連合会のかかわり:終戦後、雨後の筍のように生協が設立され、石黒さんは農林省職員購買組合のトップだった関係で東京職域購買組合連合会会長になられた。東京に5つの生協連合会ができ、荷受権獲得のために全東連(全東京都購買利用組合連合会)ができ会長になった。
 GHQの対日政策変更で東京都はレッドパージを全東連にも要求したが石黒さんが拒否。都は意向に沿う組合を集めて別に「東京都生協連」を組織。内閣調査室が公職追放中だった石黒さんに圧力をかけてきて全東連会長をしりぞいたが、都下の連合会がどこも経営不振となり、連合会合同・建て直しに安井都知事から要請があり、会長を引き受けられた。1953年に不渡り手形をつかまされて事実上倒産、1972年に和議・解決するまで長い苦労をされた。 
(2)に続く

【2017/10/24 12:22】 | 情報
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生協総研HPでの案内画面.jpg
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 日本生協連資料室は、資料室の一層の活用をお奨めするために2014年度より「土曜講座」をスタート。受講対象は、日本生協連グループで働く皆様、OB・OGの方々、生協を研究対象とされる方、生協に関心のある方まで、広くご参加いただけるようになっていますし、ディスカッションタイムも好評です。
 生協総合研究所のwebサイトでも9/14付けで「研究会情報についてのお知らせ」コーナーに案内記事がアップされました(その様子が冒頭の画像)。以下で概要をご紹介します。

【資料室より】2017年度「土曜講座」のお知らせ

<企画概要>
●開講場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
  会場へのアクセスはこちら
●開催日程:4回開催。①10/7(土)、②11/18(土)、
③12/16(土)、④2018年1/27(土)
開講時間は、16時~18時
 (講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料

■統一テーマ:「生協運動の先駆者に学ぶ」
■開催回・日程・講義内容予定
【第1回: 10/7(土)】
テーマ:「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
 -異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第2回:11/18(土)】
テーマ:「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ
 -『平和とよりよい生活のために』を体現-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第3回:12/16(土)】
テーマ:「戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの生協活動」

講師:丸浜江里子氏(2006年に、杉並における原水禁署名運動研究に対し、平塚らいてう賞奨励賞を受賞)

【第4回:2018年1/27(土)】
テーマ:「協同組合における参加型民主主義
 -組合員参加の再生をめざして-」

講師:有田芳子氏=元エフコープ理事、
    元コープかながわ常任理事、
    元ユーコープ事業連合理事、
    元日本生協連中央地連環境委員会委員、
    元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、
    現・主婦連合会会長

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)

●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※下は石黒武重氏による揮毫。生協役職員向け『CO・OP手帳』の表紙裏に掲載されている。
「平和とよりよい生活のために」石黒武重先生揮毫50%縮小

【2017/09/25 17:52】 | 情報
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201708ジョー・オダネル写真パネル展チラシ30%縮小.jpg
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 JCCU協同組合塾の幹事仲間のSさんにお誘いいただき、銀座教会の東京福音会センターで開催されていた「ジョー・オダネル写真パネル展」最終日の8/9に行ってきた。
 ジョー・オダネルさんは元米従軍カメラマンで、軍務で終戦直後のヒロシマ・ナガサキを撮影した。その傍らに私用カメラで撮影したネガを持ち帰っていた。その後ホワイトハウス付けのカメラマンを長く務めた。凄惨な写真であり40数年トランクの中に封印していたが、被爆者への鎮魂の思いのこもったキリスト像に遭遇し、自分の国の犯した罪をさらけだし、反戦・反核の思いを伝えるために写真展・講演会を世界中で開催した。その中で知り合った日本人女性の坂井貴美子さんと結婚。原爆投下直後の広島、長崎を撮影のために歩いたジョーさんは、入市被爆者と同じように放射能障害により身体中にあらゆる病気を抱えることになり、それをおして活動され、貴美子さんはよき同伴者だった。2007年に85歳でジョーさんが亡くなられた後、貴美子さんがその遺志を引き継がれた(なんと亡くなられたのは長崎の原爆忌の8/9だという)。
 この8/9付けで『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』を出版し、その記念企画でもあった。素晴らしい内容だったので、企画をリピートしていただきたいこと、「ヒバクシャ国際署名」にも取り組んでいただけると有難い旨も感想帳に書かせていただいた。『神様のファインダー』も買い求め、さっそく読んでいる。パネルにあった文章ももちろんだが、ジョーさんの生き様も浮き彫りになっており、彼の遺産でもある写真の一枚一枚から戦争が何を人々にもたらしたか、特に原爆は二度と使ってはいけない兵器だということが伝わってくる。私たちの力になってくれる1冊だと思う。

『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』
いのちのことば社 発売日:2017/08/09
写真:ジョー・オダネル、編著:坂井貴美子
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【2017/08/10 12:49】 | 情報
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