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『組合員参加の再生をめざして』表紙.12%縮小jpg
<Mより発信>
 「日本生協連資料室 土曜講座」第4回(2017年度最終企画)の 詳細案内です。1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】1/27「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第4回)「協同組合における参加型民主主義-組合員参加の再生をめざして-」の詳細案内
 「協同組合の基本的価値」をめぐる論点の一つとして1992年の ICA東京大会でベーク氏が提起した「参加型民主主義」は、1995年のマンチェスター大会でも引き続きテーマとなっていました。 1992年から1995年にかけて「参加型民主主義に関する国際共同プロジェクト」が、日本、カナダ、イギリス、スウェーデン、 イタリアの生協リーダーと研究者によってすすめられ、ベーク氏やマクファーソン氏も参加しました。
 横浜での国際シンポジウムでスタート、各国生協の調査や組合員活動家の相互訪問を含む6回の会合を経て1995年にイギリスのコープカレッジでの国際シンポで終結。その勧告は1995年マンチェスター大会(「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」が出された)で採択されました。 その成果は、国際共同プロジェクトチーム/コープかながわの企画・編集、監修:永山利和で、コープ出版から1996年1月に単行本として発行されています。
 1995年9月にマンチェスターで行なわれた国際共同プロジェクト報告の場に参加、分科会で組合員の立場から実践報告などを行なった有田さんに、生協の組合員活動に参加してリーダーになり、そのお立場でずっと組合員参加を大事にしてきた歴史と抱き続けている問題意識をお聞きします。

講師:有田芳子氏
=元エフコープ理事、元コープかながわ常任理事、
元ユーコープ事業連合理事、
元日本生協連中央地連環境委員会委員、
元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、
現・主婦連合会会長
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:1/27(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
〔参考文献〕
・『協同組合における参加型民主主義-組合員参加の再生をめざして-』1996年1月刊(コープ出版)とその原本(英語版)のセット
※この本の情報をネット検索したところ、「JCCU協同組合塾」のブログで2010年7/27付けで参考文献の紹介記事が2番目にヒットしました。当時アマゾンの中古本情報で300円台から何件かあったとありますが、現在では¥ 3,805 から2件しかありません。希少本になってしまっているようです(こちら)。なお、日本生協連資料室では閲覧可能とのことです(冒頭の写真は1996年1月刊(コープ出版)の表紙) 。
●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 235KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※※第1・2回ゲストコメンテーター坪井俊二さんの自伝の増刷ができたということで土曜講座受講者に、第4回の当日に配布するとのことです。有難いことに無料でよいということです。(極力ご参加いただき、そちらでの配布ということでご協力をお願いしたいとのこと)

(追記)生協総合研究所のHPの研究会情報のコーナーに第4回の詳細情報も1/19付けで掲載されました。冒頭のTopicsコーナーでも案内がされています。
20180124生協総研HPでの案内画面60%縮小.jpg
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【2018/01/12 21:17】 | 情報
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<Mより発信>
 2017年度「日本生協連資料室土曜講座」の第3回(12/16)の企画が中止という情報が担当者から寄せられました。以下、ご案内します。

【情報】12/16「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第3回)の講師ご逝去による企画中止のお知らせ
 12/16「日本生協連資料室土曜講座」」(2017年度第3回)は、「戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの生協活動」をテーマに開催する予定でしたが、講師の丸浜江里子さんが、12月7日にお亡くなりになりました。昨年度までの土曜講座には受講者としてご参加いただき、それがご縁で本部組合員活動部の「ヒバクシャ国際署名」の取り組みを始めるにあたって今年の1月に部内学習会で御著書の『原水禁署名運動の誕生』に基づく講演をいただいており、今度は資料室の企画の講座でのご講演をいただけることになっていたのでした。今年度の第1回第2回も参加のご予定だったのに連絡なしに欠席され、心配していました。
 11/24頃、病院からということでお電話をいただき、月末退院の予定で入院していて12/16 の講演ができるかどうかわからないというご相談をいただきました。前の週の末に判断をして体調がお悪いようであれば参加登録者に延期にする案内をするからと、治療専念をお願いしました。「絶対に生きて戻ります」と力強いお約束をいただき、落ち着かれますようにと祈っておりました。12/8(金)にでもお電話を入れようと思っていた矢先の訃報でした。

 昨日12/12(火)AM、丸浜江里子さんの告別式に参列してきました。杉並の蚕糸の森公園、大学生協会館の前を通り抜け(その時に被爆アオギリ二世が植えられているのを確認)、インド独立運動闘士で日本に亡命中に亡くなったチャンドラ・ボースの碑がある蓮光寺(インドの協同組合の方が来日された時にお連れしたことが『生協運動』誌に掲載されていてここかと感嘆) の前も通って行き、「平和・協同ジャーナリスト賞」にも関わっていらした丸浜さんのお葬儀に何やらふさわしいと思えました。
 式場は厄除け祖師さまで有名な「妙法寺」の中の「堀之内静堂」で、撮影させていただいた遺影は、祭壇上のものではなく、出棺の際にご遺族が掲げ持つためのもののようで通路に用意されていました。史資料を積み上げている前で写されたもので、いいお顔をされていました。12/16の企画は残念無念ではございますが中止といたします。丸浜さんのご冥福をお祈りいたします。

 丸浜さんの史資料をこつこつと読み込んでの研究の姿勢に学び、私も資料室での仕事を全うすることをお誓いしてきました。 早くいろいろと伺っておかないといけない方々がまだまだいらっしゃいます。「資料室土曜講座」もその機会になるよう、今後とも尽力したいと思っています。
※次回の「土曜講座」は、当初予定の2018年1/27に開催いたします。
講師:有田芳子氏
テーマ:「協同組合における参加型民主主義
       -組合員参加の再生をめざして-」

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※下の画像は1月の組合員活動部の部内学習会の案内。録音がされていなかったとのことで、それも残念です。
20170117原水禁運動の歴史学習会チラシ画像55%縮小.jpg

【2017/12/14 00:07】 | 情報
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中林貞男著『平和とよりよい生活のために』他表紙掲示用.jpg
<Mより発信>
 2017年度第2回「日本生協連資料室土曜講座」(11/18)の詳細案内をご紹介します。全4回の予定が立たなくても、1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】11/18「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第2回)「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ-『平和とよりよい生活のために』を体現-」の詳細案内

講師:斎藤嘉璋氏
(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:11/18(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
※早稲田大学卒業後、『報知新聞』記者となり、大日本産業報国会を経て敗戦戦後より日協同組合同盟設立に参加。賀川 豊彦さんが亡くなるまで日本生協連専務理事として仕え、1962年副会長、71年第4代会長に就任。賀川 精神を継承し、政党やイデオロギーを超えて多くの組合員が 参加する反核・平和運動を広げ、ICA中央委員としても長く活躍した。
1988年には日本生協連が国連から「ピースメッセンジャー」 の認定を受け、1989年には中林さんがスウェーデン生協連 の「アルビン・ヨハンソン・ゴールドメダル」(協同組合運動を 通じて平和・自由の推進に多大の貢献をした協同組合に授与) を受賞。

〔参考文献〕
・『私と生協』第1集・中林貞男氏講演録
「生協運動の現状と未来」1986年10月刊(市民生協生協会)、
中林貞男/著『平和とよりよい生活を求めて
―生協運動私史―』1985年6月刊(日本評論社)

・坪井俊二/著 2016年3月刊(私家版)
 『松飾り、数の子珍味、きょうの春―生協の五十年』

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※冒頭の写真は、中林さんの代表的な2冊の書籍の表紙を撮影したもの。対談集の表紙にトレードマークの太い眉毛がはっきりわかる当時の近影写真がある。
※10/23付けの記事を再掲。

【2017/11/06 19:35】 | 情報
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20171007第1回(2)坪井俊二さん.jpg
<Mより発信>
 10/7「日本生協連資料室 土曜講座」第1回の参加報告の続きです。(1)はこちら
 冒頭の写真はゲストコメンテーターの坪井俊二さんです。
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(2)


斎藤嘉璋さんの講演概要」(2)(講演のメモと参考資料から作成)
(2)生協運動のリーダーとして②日協貿の設立と日ソ協同組合貿易:戦後に再加盟したICAのパリ大会(1954年)に田中俊介代表を送り、原水爆禁止決議や協同組合間貿易の促進などを提案。ソ連協同組合中央会の代表が興味を示して招請があり、1955年に石黒さんが団長になって訪中訪ソ代表団が送られた。当時、事業機能がなく金がない日本生協連を貿易で儲かるようにしてなんとかしてやろうと思われ、日本協同組合貿易㈱を設立、社長に就任された(1956~72年)。貿易実務面では石黒先生のためにと郡是産業(生糸輸出業として起業)が全面応援してくれた。

③全日本事業生協連、日本生協連会長として:1958年に日本生協連とは別の連合会として事業連が設立され会長に就任。1965年に事業連と日本生協連が合併する際、非常勤の会長では事業までみられないと田中俊介さんが退任され、石黒さんが日本生協連の第3代会長に就任され、その後、中林貞夫さんに譲られて名誉会長を1984年までつとめられた。
※協同組合への愛情と信念:
(『努力を楽しもう―石黒武重先生小伝―』P222~)「協同組合というのは民主主義の教室でありバロメーターだと常日頃私は言っていますが」「協同組合運動が少しでもうまくいっているということは、人類社会が進歩しているかどうかの1つのバロメーターだと僕は考えているんだ」「単なる効率だけを考えるようなことは、協同組合の本来の理想からかけはなれてしまうんだね」。貧困が戦争の元になる。半年のソ連視察の経験から終戦後、日本は修正資本主義でいくべきで、その中で協同組合が大きな役割を果たせると思ってきた。
※連合会のトップとして:人格、能力と尽力、会員と社会信頼の高さは抜群。

(3)石黒先生についていくつか:
①嘉璋さんの東大生協地下食堂での会費制結婚パーティでご挨拶いただいたのが初対面。気さくな“偉い人”。頭がいいのにそう見せたくない。公用車を帰してしまい小田急線で世田谷の成城の自宅に帰る。官邸で出た羊羹などを隣席の人にすすめていろんな話をした。そうしなければ普通の人の暮らしがわからない。
②『東京の生協運動史』(30年史)の編纂にご協力いただいた。③小伝のタイトルになった『努力を楽しもう』。賀川さんみたいに理想を語れないし、そういうのが好きじゃない。1つ1つ努力をしながら、楽しみながらやってきただけとおっしゃっていた。

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 参加者は講師・事務局を含めて22名で、日生協・生協総研職員10名、医療福祉生協連1名、大学生協1名、OB・OG3名、地域生活研究所1名、松沢資料館1名、研究者2名、主婦連1名。
 ディスカッションの冒頭に、石黒先生と一緒に日協貿で仕事をした坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)にゲストコメントをいただいた。
●坪井俊二さんのゲストコメント:日協貿は、田中俊介さんのICA大会での反核平和の訴えで始まった。それを事業として育てたのは石黒さんだった。石黒さんは、農政関係の省庁の事務次官を戦前と戦後で2度つとめている。事務次官というのはその行政を一番把握している人で、戦後は戻ってきてくれと言われて2度目をつとめた。どれほど高い評価をされていたかわかる。
 ソ連でも協同組合中央会の役員に絶大なる信頼を得ていて、どこでも行きたい所に行けるように手配しますと言ってくれ、私もおかげで15の共和国全部に行くことができた。ソ連が崩壊して帰国する外交官の送別会で、石黒さんは「レーニンさんはどうなりましたか」と尋ね、「クレムリンで静かに眠っていますよ」という答えに「あぁよかった~」と言っていたのが印象的。「レーニンとキリストが人類史の中で大きな人だったと思う」と言っていた。
 日協貿でお世話になった郡是産業の社長は、石黒さんがアメリカに滞在していた時からのおつきあいがあり「ああいう人を、man of integrationというんだよ」(人格、徳を身につけた人の意味)と言っていた。財界からもスジが通って清潔で教養が深い人と評価されていた。
 私は、賀川さんと石黒さんが日本の生協の二大巨人だと思う。

 その後のディスカッションでは、「参考資料の中に、石黒さんが大正デモクラシーの時代の熱気は戦後民主主義の時代よりもすごかったと言っていらしたとあり、労働運動や社会主義運動を日本でもと労働者や知識人が主体的に取り組んだ時代とGHQから与えられた民主主義の時代の差でしょうか」と質問が出て、講師の斎藤嘉璋さんが「石黒さんが言う戦後民主主義の時代とは1950年代までの話で、私たちが参加した60年安保、70年安保の時代とはまた違う」と回答され、斎藤嘉璋さんの青春時代の熱い思いが吐露された一幕もあった。
 次回の第3代会長・中林貞男さんの回も同じ講師・ゲストコメンテーターであり、引き続いて「平和とよりよい生活のために」を掲げた生協運動とそのトップに学ぶのが楽しみだ。
※2017年度日本生協連資料室「土曜講座」(10/7、11/18、12/16、1/27、全4回)のご紹介の記事は、こちら

【2017/10/24 12:27】 | 情報
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<Mより発信>
 2017年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、こちらでもご紹介させていただきました。10/7の第1回に参加してきましたので、2回に分けて概要をご報告します。冒頭の写真は講師の斎藤嘉璋さんです。
 
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(1)

講師:斎藤嘉璋氏/元日本生協連常務理事、
    元生協総合研究所専務理事

ゲストコメンテーター:坪井俊二氏
    /元日本生協連常務理事


斎藤嘉璋さんの講演概要(講演のメモと参考資料から作成)
(1)石黒さんの異色の経歴:日清戦争後の1897年に8人兄弟の長男として生まれた。父は陸軍将校で転勤族。東京府立四中から一高、東大法学部にすすみ、卒業前に父母を亡くし家長となったので転勤の少ない農商務省に入った。母や祖母に「ご飯は一粒も残すな。汗水たらして働いている人のことを考えなさい」と言われて育ち、青年期を大正デモクラシーの時代に過ごし、世のため人のために働こうと行政マンになられた。
 28歳の時、役所から海外視察の命令に出て、革命8年後のソ連という国を見てみたいとを希望し、シベリア鉄道9日間乗っていった。その二等車の中でふれあった人々に親切にしてもらったことから好印象をもった。農商務省の蚕糸局に移り生糸関係に一生関わった。ニューディール政策の頃、海外生糸市場調査事務所長としてNYに赴任され、輸入関税提案を撤回させた。日本の貿易会社の現地事務所も回って輸入実務にも詳しくなった。帰国後に農林省で産業組合課長となり、ロッチデールをはじめ協同組合の勉強をし、農民の生活を協同組合で助ける、戦後の生協とかかわる、という実践につながる。
 戦時中は商工省の貿易局長、物価局長、事務次官と有能な官吏として働く。終戦時は鈴木貫太郎内閣の枢密院書記官長で、ポツダム宣言受諾をめぐる現場にいらした。終戦直後は憲法問題調査委員会委員、幣原首相をよく補佐し(内閣法制局長官、無任所国務大臣=実質的な経済担当相)、吉田内閣の組閣参謀となった。幣原さんを助けているので衆議院に立候補することになり当選(戦前、知事をつとめた縁で山形県から)。反戦平和的な人が集まる進歩党(安倍首相の父方の祖父・安倍寛も)で幹事長→再編後の民主党の初代幹事長となったが、直後にGHQから戦争責任ありとされて公職追放になり、政界に復帰することはなかった。

(2)生協運動のリーダーとして①東京の生協と連合会のかかわり:終戦後、雨後の筍のように生協が設立され、石黒さんは農林省職員購買組合のトップだった関係で東京職域購買組合連合会会長になられた。東京に5つの生協連合会ができ、荷受権獲得のために全東連(全東京都購買利用組合連合会)ができ会長になった。
 GHQの対日政策変更で東京都はレッドパージを全東連にも要求したが石黒さんが拒否。都は意向に沿う組合を集めて別に「東京都生協連」を組織。内閣調査室が公職追放中だった石黒さんに圧力をかけてきて全東連会長をしりぞいたが、都下の連合会がどこも経営不振となり、連合会合同・建て直しに安井都知事から要請があり、会長を引き受けられた。1953年に不渡り手形をつかまされて事実上倒産、1972年に和議・解決するまで長い苦労をされた。 
(2)に続く

【2017/10/24 12:22】 | 情報
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