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<Mより発信>
 10/7「日本生協連資料室 土曜講座」第1回の参加報告の続きです。(1)はこちら
 冒頭の写真はゲストコメンテーターの坪井俊二さんです。
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(2)


斎藤嘉璋さんの講演概要」(2)(講演のメモと参考資料から作成)
(2)生協運動のリーダーとして②日協貿の設立と日ソ協同組合貿易:戦後に再加盟したICAのパリ大会(1954年)に田中俊介代表を送り、原水爆禁止決議や協同組合間貿易の促進などを提案。ソ連協同組合中央会の代表が興味を示して招請があり、1955年に石黒さんが団長になって訪中訪ソ代表団が送られた。当時、事業機能がなく金がない日本生協連を貿易で儲かるようにしてなんとかしてやろうと思われ、日本協同組合貿易㈱を設立、社長に就任された(1956~72年)。貿易実務面では石黒先生のためにと郡是産業(生糸輸出業として起業)が全面応援してくれた。

③全日本事業生協連、日本生協連会長として:1958年に日本生協連とは別の連合会として事業連が設立され会長に就任。1965年に事業連と日本生協連が合併する際、非常勤の会長では事業までみられないと田中俊介さんが退任され、石黒さんが日本生協連の第3代会長に就任され、その後、中林貞夫さんに譲られて名誉会長を1984年までつとめられた。
※協同組合への愛情と信念:
(『努力を楽しもう―石黒武重先生小伝―』P222~)「協同組合というのは民主主義の教室でありバロメーターだと常日頃私は言っていますが」「協同組合運動が少しでもうまくいっているということは、人類社会が進歩しているかどうかの1つのバロメーターだと僕は考えているんだ」「単なる効率だけを考えるようなことは、協同組合の本来の理想からかけはなれてしまうんだね」。貧困が戦争の元になる。半年のソ連視察の経験から終戦後、日本は修正資本主義でいくべきで、その中で協同組合が大きな役割を果たせると思ってきた。
※連合会のトップとして:人格、能力と尽力、会員と社会信頼の高さは抜群。

(3)石黒先生についていくつか:
①嘉璋さんの東大生協地下食堂での会費制結婚パーティでご挨拶いただいたのが初対面。気さくな“偉い人”。頭がいいのにそう見せたくない。公用車を帰してしまい小田急線で世田谷の成城の自宅に帰る。官邸で出た羊羹などを隣席の人にすすめていろんな話をした。そうしなければ普通の人の暮らしがわからない。
②『東京の生協運動史』(30年史)の編纂にご協力いただいた。③小伝のタイトルになった『努力を楽しもう』。賀川さんみたいに理想を語れないし、そういうのが好きじゃない。1つ1つ努力をしながら、楽しみながらやってきただけとおっしゃっていた。

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 参加者は講師・事務局を含めて22名で、日生協・生協総研職員10名、医療福祉生協連1名、大学生協1名、OB・OG3名、地域生活研究所1名、松沢資料館1名、研究者2名、主婦連1名。
 ディスカッションの冒頭に、石黒先生と一緒に日協貿で仕事をした坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)にゲストコメントをいただいた。
●坪井俊二さんのゲストコメント:日協貿は、田中俊介さんのICA大会での反核平和の訴えで始まった。それを事業として育てたのは石黒さんだった。石黒さんは、農政関係の省庁の事務次官を戦前と戦後で2度つとめている。事務次官というのはその行政を一番把握している人で、戦後は戻ってきてくれと言われて2度目をつとめた。どれほど高い評価をされていたかわかる。
 ソ連でも協同組合中央会の役員に絶大なる信頼を得ていて、どこでも行きたい所に行けるように手配しますと言ってくれ、私もおかげで15の共和国全部に行くことができた。ソ連が崩壊して帰国する外交官の送別会で、石黒さんは「レーニンさんはどうなりましたか」と尋ね、「クレムリンで静かに眠っていますよ」という答えに「あぁよかった~」と言っていたのが印象的。「レーニンとキリストが人類史の中で大きな人だったと思う」と言っていた。
 日協貿でお世話になった郡是産業の社長は、石黒さんがアメリカに滞在していた時からのおつきあいがあり「ああいう人を、man of integrationというんだよ」(人格、徳を身につけた人の意味)と言っていた。財界からもスジが通って清潔で教養が深い人と評価されていた。
 私は、賀川さんと石黒さんが日本の生協の二大巨人だと思う。

 その後のディスカッションでは、「参考資料の中に、石黒さんが大正デモクラシーの時代の熱気は戦後民主主義の時代よりもすごかったと言っていらしたとあり、労働運動や社会主義運動を日本でもと労働者や知識人が主体的に取り組んだ時代とGHQから与えられた民主主義の時代の差でしょうか」と質問が出て、講師の斎藤嘉璋さんが「石黒さんが言う戦後民主主義の時代とは1950年代までの話で、私たちが参加した60年安保、70年安保の時代とはまた違う」と回答され、斎藤嘉璋さんの青春時代の熱い思いが吐露された一幕もあった。
 次回の第3代会長・中林貞男さんの回も同じ講師・ゲストコメンテーターであり、引き続いて「平和とよりよい生活のために」を掲げた生協運動とそのトップに学ぶのが楽しみだ。
※2017年度日本生協連資料室「土曜講座」(10/7、11/18、12/16、1/27、全4回)のご紹介の記事は、こちら

【2017/10/24 12:27】 | 情報
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<Mより発信>
 2017年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、こちらでもご紹介させていただきました。10/7の第1回に参加してきましたので、2回に分けて概要をご報告します。冒頭の写真は講師の斎藤嘉璋さんです。
 
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(1)

講師:斎藤嘉璋氏/元日本生協連常務理事、
    元生協総合研究所専務理事

ゲストコメンテーター:坪井俊二氏
    /元日本生協連常務理事


斎藤嘉璋さんの講演概要(講演のメモと参考資料から作成)
(1)石黒さんの異色の経歴:日清戦争後の1897年に8人兄弟の長男として生まれた。父は陸軍将校で転勤族。東京府立四中から一高、東大法学部にすすみ、卒業前に父母を亡くし家長となったので転勤の少ない農商務省に入った。母や祖母に「ご飯は一粒も残すな。汗水たらして働いている人のことを考えなさい」と言われて育ち、青年期を大正デモクラシーの時代に過ごし、世のため人のために働こうと行政マンになられた。
 28歳の時、役所から海外視察の命令に出て、革命8年後のソ連という国を見てみたいとを希望し、シベリア鉄道9日間乗っていった。その二等車の中でふれあった人々に親切にしてもらったことから好印象をもった。農商務省の蚕糸局に移り生糸関係に一生関わった。ニューディール政策の頃、海外生糸市場調査事務所長としてNYに赴任され、輸入関税提案を撤回させた。日本の貿易会社の現地事務所も回って輸入実務にも詳しくなった。帰国後に農林省で産業組合課長となり、ロッチデールをはじめ協同組合の勉強をし、農民の生活を協同組合で助ける、戦後の生協とかかわる、という実践につながる。
 戦時中は商工省の貿易局長、物価局長、事務次官と有能な官吏として働く。終戦時は鈴木貫太郎内閣の枢密院書記官長で、ポツダム宣言受諾をめぐる現場にいらした。終戦直後は憲法問題調査委員会委員、幣原首相をよく補佐し(内閣法制局長官、無任所国務大臣=実質的な経済担当相)、吉田内閣の組閣参謀となった。幣原さんを助けているので衆議院に立候補することになり当選(戦前、知事をつとめた縁で山形県から)。反戦平和的な人が集まる進歩党(安倍首相の父方の祖父・安倍寛も)で幹事長→再編後の民主党の初代幹事長となったが、直後にGHQから戦争責任ありとされて公職追放になり、政界に復帰することはなかった。

(2)生協運動のリーダーとして①東京の生協と連合会のかかわり:終戦後、雨後の筍のように生協が設立され、石黒さんは農林省職員購買組合のトップだった関係で東京職域購買組合連合会会長になられた。東京に5つの生協連合会ができ、荷受権獲得のために全東連(全東京都購買利用組合連合会)ができ会長になった。
 GHQの対日政策変更で東京都はレッドパージを全東連にも要求したが石黒さんが拒否。都は意向に沿う組合を集めて別に「東京都生協連」を組織。内閣調査室が公職追放中だった石黒さんに圧力をかけてきて全東連会長をしりぞいたが、都下の連合会がどこも経営不振となり、連合会合同・建て直しに安井都知事から要請があり、会長を引き受けられた。1953年に不渡り手形をつかまされて事実上倒産、1972年に和議・解決するまで長い苦労をされた。 
(2)に続く

【2017/10/24 12:22】 | 情報
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中林貞男著『平和とよりよい生活のために』他表紙掲示用.jpg
<Mより発信>
 2017年度第2回「日本生協連資料室土曜講座」(11/18)の詳細案内をご紹介します。全4回の予定が立たなくても、1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】11/18「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第2回)「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ-『平和とよりよい生活のために』を体現-」の詳細案内
講師:斎藤嘉璋氏
(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:11/18(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分) ※業務時間外となります。
●参加費:無料
※早稲田大学卒業後、『報知新聞』記者となり、大日本産業報国会を経て敗戦戦後より日協同組合同盟設立に参加。賀川 豊彦さんが亡くなるまで日本生協連会長として仕える。賀川 精神を継承し、政党やイデオロギーを超えて多くの組合員が 参加する反核・平和運動を広げ、ICA中央委員としても長く活躍した。
1988年には日本生協連が国連から「ピースメッセンジャー」 の認定を受け、1989年には中林さんがスウェーデン生協連 の「アルビン・ヨハンソン・ゴールドメダル」(協同組合運動を 通じて平和・自由の推進に多大の貢献をした協同組合に授与) を受賞。

〔参考文献〕
・『私と生協』第1集・中林貞男氏講演録
「生協運動の現状と未来」1986年10月刊(市民生協生協会)、
中林貞男/著『平和とよりよい生活を求めて
―生協運動私史―』1985年6月刊(日本評論社)

・坪井俊二/著 2016年3月刊(私家版)
 『松飾り、数の子珍味、きょうの春―生協の五十年』

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※冒頭の写真は、中林さんの代表的な2冊の書籍の表紙を撮影したもの。対談集の表紙にトレードマークの太い眉毛がはっきりわかる当時の近影写真がある。

【2017/10/23 19:35】 | 情報
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生協総研HPでの案内画面.jpg
<Mより発信>
 日本生協連資料室は、資料室の一層の活用をお奨めするために2014年度より「土曜講座」をスタート。受講対象は、日本生協連グループで働く皆様、OB・OGの方々、生協を研究対象とされる方、生協に関心のある方まで、広くご参加いただけるようになっていますし、ディスカッションタイムも好評です。
 生協総合研究所のwebサイトでも9/14付けで「研究会情報についてのお知らせ」コーナーに案内記事がアップされました(その様子が冒頭の画像)。以下で概要をご紹介します。

【資料室より】2017年度「土曜講座」のお知らせ

<企画概要>
●開講場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
  会場へのアクセスはこちら
●開催日程:4回開催。①10/7(土)、②11/18(土)、
③12/16(土)、④2018年1/27(土)
開講時間は、16時~18時
 (講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料

■統一テーマ:「生協運動の先駆者に学ぶ」
■開催回・日程・講義内容予定
【第1回: 10/7(土)】
テーマ:「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
 -異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第2回:11/18(土)】
テーマ:「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ
 -『平和とよりよい生活のために』を体現-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第3回:12/16(土)】
テーマ:「戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの生協活動」

講師:丸浜江里子氏(2006年に、杉並における原水禁署名運動研究に対し、平塚らいてう賞奨励賞を受賞)

【第4回:2018年1/27(土)】
テーマ:「協同組合における参加型民主主義
 -組合員参加の再生をめざして-」

講師:有田芳子氏=元エフコープ理事、
    元コープかながわ常任理事、
    元ユーコープ事業連合理事、
    元日本生協連中央地連環境委員会委員、
    元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、
    現・主婦連合会会長

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)

●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※下は石黒武重氏による揮毫。生協役職員向け『CO・OP手帳』の表紙裏に掲載されている。
「平和とよりよい生活のために」石黒武重先生揮毫50%縮小

【2017/09/25 17:52】 | 情報
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201708ジョー・オダネル写真パネル展チラシ30%縮小.jpg
<Mより発信>
 JCCU協同組合塾の幹事仲間のSさんにお誘いいただき、銀座教会の東京福音会センターで開催されていた「ジョー・オダネル写真パネル展」最終日の8/9に行ってきた。
 ジョー・オダネルさんは元米従軍カメラマンで、軍務で終戦直後のヒロシマ・ナガサキを撮影した。その傍らに私用カメラで撮影したネガを持ち帰っていた。その後ホワイトハウス付けのカメラマンを長く務めた。凄惨な写真であり40数年トランクの中に封印していたが、被爆者への鎮魂の思いのこもったキリスト像に遭遇し、自分の国の犯した罪をさらけだし、反戦・反核の思いを伝えるために写真展・講演会を世界中で開催した。その中で知り合った日本人女性の坂井貴美子さんと結婚。原爆投下直後の広島、長崎を撮影のために歩いたジョーさんは、入市被爆者と同じように放射能障害により身体中にあらゆる病気を抱えることになり、それをおして活動され、貴美子さんはよき同伴者だった。2007年に85歳でジョーさんが亡くなられた後、貴美子さんがその遺志を引き継がれた(なんと亡くなられたのは長崎の原爆忌の8/9だという)。
 この8/9付けで『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』を出版し、その記念企画でもあった。素晴らしい内容だったので、企画をリピートしていただきたいこと、「ヒバクシャ国際署名」にも取り組んでいただけると有難い旨も感想帳に書かせていただいた。『神様のファインダー』も買い求め、さっそく読んでいる。パネルにあった文章ももちろんだが、ジョーさんの生き様も浮き彫りになっており、彼の遺産でもある写真の一枚一枚から戦争が何を人々にもたらしたか、特に原爆は二度と使ってはいけない兵器だということが伝わってくる。私たちの力になってくれる1冊だと思う。

『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』
いのちのことば社 発売日:2017/08/09
写真:ジョー・オダネル、編著:坂井貴美子
アマゾンでは、こちら
いのちのことば社では、こちら

【2017/08/10 12:49】 | 情報
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20170721講師の林田光弘さん
<Kより発信>
 7/7に国連で「核兵器禁止条約」が採択されましたが、「ヒバクシャ国際署名」はそれを全ての国に結んでもらおうという趣旨で被団協が取り組んでおり、日本生協連も全面的に応援しています。そして「ヒバクシャ国際署名」の取り組みについては、震災復興募金と同様に、日本生協連、コープ共済連、日生協労組の共同で職員に呼びかけられており、業務としての学習会を開催した上で、現在、署名の取り組みをすすめているところです(三者連名の署名用紙も作成)。
 「JCCU協同組合塾」2017年度第1回例会は、「ヒバクシャ国際署名」について学ぶ企画」とし、SEALDsメンバーとして活動され、長崎の被爆3世として被団協の役員=大学生協OBでもあり、東北大学助教授だった田中熙巳さん)から乞われてキャンペーンリーダーとなって活動している林田光弘さんからお話しいただきます。さらに、被爆体験の継承、核兵器を巡る情勢を知るなどの学習活動推進の一貫として、今回の「JCCU協同組合塾」の学習会の趣旨に日本生協連として賛同するということで協賛が決まり、職員ポータルサイトの「役職員へのお知らせ」で参加を呼びかける記事を掲載していただきました。
(以下、林田さんのfacebookでの記事より)
 核兵器や化学兵器、生物兵器は「大量破壊兵器」と呼ばれますが、核兵器以外のものは禁止条約が存在します。かつて、「対人地雷禁止条約」が作られる際、今の核兵器と同様に「条約なんて作っても主要国は参加しない、そんなの意味がない」と言われていました。しかしながら、禁止条約が出来てから、「地雷は悪いものだ」という大キャンペーンが始まりました。すると、主要国のほとんどが使用していた対人地雷が今では使用国は数カ国に激減しました。この流れの軸となったのは「禁止条約」でした。核兵器禁止条約も、同じように、まずは条約を作ることで、世界共通の「使ってはいけないもの」と言う物差しを作るところから始めなければなりません。あとは、「どの国であっても核兵器は許せない」というキャンペーンを進めていくのです。
 生協の平和活動の歴史を踏まえた企画です。署名の主旨を正確に表したタイトルに変更しました。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
【2017年度第1回例会(7/21)のご案内】
テーマ:核兵器禁止条約をすべての国に!
        「ヒバクシャ国際署名」を広げよう!
  
講師:林田 光弘 さん
     (「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー、元SEALDsメンバー、明治学院大学大学院生)
 
日時:2017年 7月21日(金)
 第1部 18:00~19:30
 第2部 19:45~21:00で簡単な交流会を行います。
 (飲み物・つまみ付き)
会場:日本生協連コーププラザ2F 震災対策室
参加費:無料
(但し、第2部交流会参加費の500円をお願いします)

<参加申込方法>
 JCCU協同組合塾には、誰でも参加できます。ご存知の幹事メンバーにご連絡ください。準備の関係上、第2部交流会の出欠もあわせてご連絡ください。
 また、「こくちーず(告知's)」というシステムを使う参加申し込みの受け付けもしています。下記のイベントページの申し込みフォームから、参加申し込み登録をお願いします。
JCCU協同組合塾イベントページ
念のため、URLは以下の通り。
http://kokucheese.com/event/index/475688/
以上

【2017/07/17 23:58】 | 企画予定
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20170721講師の林田光弘さん
<Kより発信>
 「ヒバクシャ国際署名」は、震災復興募金と同様に、日本生協連、コープ共済連、日生協労組の共同で職員に呼びかける取り組みとなります。林田さんは、SEALDsメンバーとして活動され、長崎の被爆3世として被団協の役員から乞われてキャンペーンリーダーとなって活動しています。(以下、林田さんのfacebookでの記事より)
 核兵器や化学兵器、生物兵器は「大量破壊兵器」と呼ばれますが、核兵器以外のものは禁止条約が存在します。かつて、「対人地雷禁止条約」が作られる際、今の核兵器と同様に「条約なんて作っても主要国は参加しない、そんなの意味がない」と言われていました。しかしながら、禁止条約が出来てから、「地雷は悪いものだ」という大キャンペーンが始まりました。すると、主要国のほとんどが使用していた対人地雷が今では使用国は数カ国に激減しました。この流れの軸となったのは「禁止条約」でした。核兵器禁止条約も、同じように、まずは条約を作ることで、世界共通の「使ってはいけないもの」と言う物差しを作るところから始めなければなりません。あとは、「どの国であっても核兵器は許せない」というキャンペーンを進めていくのです。
 生協の平和活動の歴史を踏まえた企画です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
【2017年度第1回例会(7/21)のご案内】
テーマ:核兵器禁止条約の制定を求める「ヒバクシャ国際署名」を成功させよう!  
講師:林田 光弘 さん(「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー、元SEALDsメンバー、明治学院大学大学院生) 
日時:2017年 7月21日(金)
 第1部 18:00~19:30
 第2部 19:45~21:00で簡単な交流会を行います。
 (飲み物・つまみ付き)
会場:日本生協連コーププラザ2F 震災対策室
参加費:無料
(但し、第2部交流会参加費の500円をお願いします)

<参加申込方法>
 JCCU協同組合塾には、誰でも参加できます。ご存知の幹事メンバーにご連絡ください。準備の関係上、第2部交流会の出欠もあわせてご連絡ください。
 また、「こくちーず(告知's)」というシステムを使う参加申し込みの受け付けもしています。下記のイベントページの申し込みフォームから、参加申し込み登録をお願いします。
JCCU協同組合塾イベントページ
念のため、URLは以下の通り。
http://kokucheese.com/event/index/475688/
以上

【2017/06/29 23:51】 | 企画予定
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日本生協連25周年記念の虹の小旗等15%縮小
<Mより発信>
 6/2のgoogleのトップページは「ギルバート・ベイカー 生誕66周年」ということで、虹の旗が縫われる動画がロゴになっていた。性的少数者(LGBT)の活動のシンボルのレインボーフラッグをデザインしたことで有名ということからだ。「世界のGoogleトップロゴ観察」さんの記事Wikipediaの「レインボーフラッグ (LGBT)」より引用しながら以下、ご紹介する。
 Gilbert Bakerさんはアメリカの美術家で、人権活動家。1951年6月2日に生まれ、2017年3月30日に逝去され、生誕66周年ということでとりあげられた。Gilbert Bakerさんは軍隊時代に「ゲイ」の人権運動が盛んなサンフランシスコに駐留。彼自身も「ゲイ」であり、除隊後にゲイの人権活動や反戦運動に参加した。1978年6月25日にサンフランシスコで行われた「Gay Freedom Day Parade:ゲイ・フリーダムデイ・パレード」で初めて使用された。
 最初は8色でデザインされ、以下のような意味が込められていたという。▼ピンク Sexuality:セクシャリティ、▼赤 Life:生命、▼橙 Healing:癒し、▼ 黄 Sunlight:太陽、▼緑 Nature:自然、▼ターコイズ(青緑) Magic/Art:魔術 / 芸術、▼藍 Serenity/harmony:平穏 / 調和、▼紫 Spirit (精神)。
 最初の一枚は、30人もの仲間が集まり、生地を手染めして縫い上げたと言われている。その後、運動は世界に広まり、レインボーフラッグも広く周知されていくが、そうなると、大量のフラッグが必要となった。そこで、どの地域でも入手のしやすい生地などの点から見直しが行われ、現在では「6色構成の旗(赤、橙、黄、緑、青、紫)」が一般的となった。(ピンクとターコイズが除かれて、藍色が青色に変更された。また、この旗の公式な向きは自然の虹と同じく横方向に色が流れて赤を上にした状態が正しいとのこと。)
 Wikipediaの「レインボーフラッグ」では、現在使用されているレインボーフラッグには以下のものがあるとする。
1.平和を象徴する旗の名称 (1961年頃考案):「平和のイタリア語.PACE (パーチェ)」と白抜きがあり下の虹は紫からの配色で7色。Flag of the Paceの画像はこちら
2.LGBTコミュニティを象徴する旗の名称(1978年発案)。
3.南アフリカ共和国の国旗 (1994年制定) の通称。
4.ロシアユダヤ自治州の州旗 (1996年制定) 。
120px-PACE-flag_svg

 かつて協同組合のシンボルだった虹の旗だが、現在では使われていないとされてしまったのだろうか?
 そもそも七色の虹が協同組合のシンボルとなったのは、第一次世界大戦後だ。旧約聖書に「ノアの大洪水のあと人々が助け合う姿を見て、神が虹をあらわした」とあることから、不戦の誓いと重ねて虹を平和と協同のシンボルとすることを数年の議論の末に決定し、1924年のベルギー・ゲントで開催された第11回ICA大会から公式に使われてきた(日本生協連の通信教育「入門コース」(2013年改訂版)の記述を確定させる際、生協総合研究所研究員の鈴木岳さんにも見ていただいて正確な表現に変更しているが、決定は中央委員会で、公式使用がこの大会)。
 冒頭の写真の上にあるのが日本生協連創立25周年記念で役職員に配布された虹の小旗で、下は1961年発行の『灘生協四十年』(合併して灘神戸生協になる前、現在のコープこうべ)が赤から紫までの7色の虹を表紙にしているのを撮影。(Wikipediaの「国際協同組合同盟」にある虹の配色と比べると、ターコイズブルーと薄紫が違っていて、これについてもまた調べる価値はありそうだ。)そしてまた、2001年決定のICAロゴでも6色の虹が基調に使われている。
2001年決定のICAロゴ
 ところが2012年の国連・国際協同組合年を契機にICAのロゴが見直されることになり、2013年に「グローバル・コープマーク」が制定され、虹を基調に使うことがなくなっていた。また「COOP」とハイフンなしの表記がデザインの基調になったのはハイフンなしだと「監獄」というスラングになってしまう英語圏中心の考え方ではなくなっていることがうかがえた。時代の変化を痛感させられる。
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 日本における虹の旗の普及については勝部欣一さんが『虹の歩み』の中で書いている(以前紹介した記事はこちら)。
 勝部さんは家庭購買組合の組合員の家庭に育った。東大生協を創設し、日本協同組合同盟に就職。協同組合運動が分断されて同盟が生協だけの指導機関になり、生協法制定を求めて実現し、日本生協連設立という最中にいた若手事務局だった。1953年にユネスコの勤労者奨学金試験に合格してイギリスを中心としてヨーロッパに留学し、国際協同組合青年大会に出席した際に会場や街中にはりめぐらされた虹の旗に感激。帰国するとすぐ、虹の旗やバッジの普及を提案し、日本のあらゆるところへ虹が出るようになったと、自著のタイトルとのからみでまえがきに言及している。
勝部欣一氏の自叙伝『虹の歩み』表紙
 残念ながら「日本のあらゆるところへ虹」という状況は今ではなくなってしまった。LGBTの活動が世界に広がる中で虹の旗(レインボーフラッグ)がシンボルとしてアレンジもされながら認知度も上がっていったため、ICA等はイメージの混同を避けるために長く使われた「虹」を象徴として使うことをやめることにしたのではないかと推測している。
 しかしながら、協同組合運動の歴史をきちんと踏まえるためにも、協同組合の象徴の虹の記憶を継承していきたいと思う。
(追記)
2011年6月にも「虹の旗(協同組合旗)の由来について(追記あり) 」という記事を書いています。そこからのリンクも含めてご参照くださると有難いです。

【2017/06/05 23:21】 | 情報
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上は中野邦夫氏。下は小澤理恵子氏。
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<Mより発信>
 2014年3月に日本生協連のコーププラザ(渋谷本部)の1階ロビーに「コープ商品ミュージアム」が開設されて3年が経過し、開設当時の担当者の多くが異動や定年退職し、語り部養成の必要で企画された連続学習会がより参加しやすい企画として「CO・OP商品の歴史を語り継ぐ講座」として月曜日の15時~17時で開講が決定。前半の2回は役職員OB・OGを講師にお願いした企画で1/30、2/6で開催され、いずれにも参加してきました。企画段階から協力し、史資料を提供講演の内容は以下、概要。
 第1回:①中野邦夫氏からは戦前からの生協の歴史の中でコープ商品の前史、1960年の連合会CO・OP商品第1号誕生から1970年代の管理価格と有害食品に対抗してきた歴史、②小澤理恵子氏からは組合員の商品活動の歴史の中からコープ商品に組合員の声を反映するしくみづくり。第2回:①日和佐信子氏からはCO・OP商品と食の安全の社会的な仕組みを生み出した組合員活動、②石飛豊氏からは1990年代にメインとなった価格重視の品揃えと別にサブブランドとして配置されたコンセプト開発の経験について。
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上は日和佐信子氏。下は石飛豊氏。
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 いずれも聞き応えがあり、定員40人の会議室は部署も年代も多様な参加者メンバーの熱気で包まれて、企画段階から資料室として協力してきた甲斐がありました。第2回終了後、第1回の講師の方にもおいでいただいての交流会を開催。参加者からの質問、講師の方からの質問もありのやりとりタイムも設けて諸先輩の経験と想いを継承し、若い世代を激励する充実した時間となりました。
後半の3/6と3/13は現役のメンバーの講師による企画が続きます。そちらの企画にも史資料を提供していくつもりです。
(参考情報のリンク)
2014年12/19「コープ商品の歴史とこれからを考える」(講師:中野邦夫氏)の簡単報告→こちら

2013年11/14の報告」(講師:小澤理恵子氏):概要編→
こちら

【2017/02/11 23:59】 | 情報
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200203『コープこうべの理念を考える』表紙縮小
<Mより発信>
 『コープこうべ創立80周年 コープこうべの理念を考える』(2002年3月発行)という資料の貴重さを見直した。年末の資料室の作業の中で書架にあった標記の冊子が目に留まり4人の方々のお名前をみてパネルディスカッションの記録とばかり思い込んでいた認識をあらためた。コープこうべ創立80周年記念事業の一つとして企画されたもので、4人の執筆者による分担執筆で構成されたものだった。ネット検索してみたが、そのようなイメージがわかるような情報は残念ながらすぐ出てこず、「国立国会図書館サーチ」では、「タイトル:コープこうべの理念を考える:コープこうべ創立80周年」「著者:高村勣 [ほか]著」「著者:コープこうべ・生協研究機構 編」と登録され、国立国会図書館蔵書として東京本館書庫にあるだけだった。( 「国立国会図書館サーチ」の情報はこちら

 その年に新理事長になられた野尻武敏氏が企画意図を「はじめに」で述べている。「第1章では創業の理念として賀川豊彦の志に思いをはせ、第2章でその創業の再認識が今なぜ必要なのかを問います。次いで第3章では、そうした生協理念が生かされるには、商品・サービスの供給事業はどうなくてはならないかに光をあて、第4章では、ことに役職員が基本の理念を日々の活動に体現してゆくにはどんな心掛けが肝要かを具体的に尋ねます。」
 そして、4人が4人ともそれぞれの視点で賀川豊彦に言及しているのが興味深い。

第1章 創業の理念:高村勣(コープこうべ名誉理事長顧問) 高村氏は、神戸と灘の「両生協とも本部を戦火で焼かれて創業以来の資料をすべて失っており、また1995年の阪神・淡路大震災でJR住吉駅前の本部が全壊し、ここでも戦後の生協史を語る貴重な資料が瓦礫と化した」こと、「コープこうべ70年史『愛と協同の志』は、創業時の記録を最大限集約した貴重な文献として伝えられていくであろう」こと、「(創立70年の)年に協同学苑ができ、そこに建てられた史料館では(中略)生協創業の理念の発信基地としての役割を果たしている」こと、「機関紙の縮刷版は現在12巻あり、この生協の歴史を知る上で極めて貴重なものである収録されているのは大正12年1月号から・・・」という言及もされている。
 日本生協連資料室にはその縮刷版が全てあるし、40年史、50年史、60年史、70年史と揃っていて、ある程度のところはこちらでわかることを再認識できたし、史資料をもとに生協理念の発信基地となるべきだということも確信をもつことができた。そして賀川豊彦の協同組合思想、その伝承について「協同組合の基本的価値論議」の中にも反映していることも含めてまとまった文章を書かれている。
第2章 今なぜ創業の理念なのか:野尻武敏(コープこうべ理事長) 野尻氏は「生協を取り巻く環境が厳しくなればなるほど贅肉をそいで事業の効率化を徹底していかねばならず、同時にそれだけ志はこれを高揚していかねばならない。どちらが欠けても生協は消えていくことになるだろう」、さらに第二次大戦後の西ドイツの復興の指導者エアハルトの言葉を踏まえて「誇りを失えば全て終わり」とし、「個人としても組織としても、できるだけしばしば生協の理念に立ち返ってみる『心のマッサージ』が欠かせない」と書く。
第3章 商品・サービスにおける「生協らしさ」とは:櫻井啓吉(コープこうべ理事) 櫻井氏は通商産業技官を経て兵庫県立生活科学研究所所長などを歴任しコープこうべの有識理事(※)となられている。「組合員ニーズと生協理念」の項では、「組合員の声が生協理念に沿わない場合は、それを拒絶する勇気も求められる。もし、組合員の声を無条件に受け入れるということになれば、生協としてのアイデンティティが維持できなくなる場合もあるからである」と言及し、「生協の商品政策は、組合員の声を優先しつつ、生協理念とのバランスをいかにとるかが今後を左右することになる」としている。
 「生協らしさ」の核心の項では「企業においても顧客満足、信頼づくりを志向しているが、企業と違う点は、生協がそのことに止まらず、よりエシカル(倫理的)である、ということ」とされている。最近になって「エシカル消費」とか「エシカルビジネス」がCSR(企業の社会的責任)に続く流行のようになっているが、生協の商品事業が組合員学習教育活動があることで、社会的なテーマ性のあるコープ商品を開発し普及してきたこと自体を「エシカル」と、十数年前に表現していたことに驚かされる。
第4章 理念の日常化:小倉修悟(コープこうべ組合長理事) 「理念の日常化こそが生協運動」、「理念の日常化は愚直なまでに基本を徹底すること」、「『コープ商品づくり』は生協運動の大黒柱で『活動と事業の一体化』の歴史そのもの」として組合員活動との関係を書いている。「生協運動」という言葉の使われ方を、今一度踏まえるべきだと思われた。

※櫻井啓吉さんは、その後、コープこうべの理事長を務められたとのこと。

【2017/01/08 23:23】 | 文献紹介
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<Mより発信>
12/12(月)16時から生協総研の共済研究会「賀川豊彦の協同組合保険の思想と実践に学ぶ」@松沢資料館に参加してきた。講師の和田武広さん(元JA共済職員、賀川フォーラム会員)から、今回初めて賀川豊彦が「JA共済の父」と呼ばれる由来をまとまってお聞きすることができた。さらにこれまで農協についてはまともな協同組合なのだろうかという偏見をもってしまっていたが、もっときちんと勉強する必要を痛感した。
 このところ「資料室土曜講座」にも参加して、戦前の協同組合がどのように戦時体制に組み込まれていったかをさらい直す機会があり、産業組合の農村組織は戦時下に統制組織として「農業会」に再編されてしまっていたことがわかってはいた。それが戦後にも大きく影響しているようだ。戦後、農協は「伝統的・自主的な協同組合」と「行政補助機関」という2つの側面を持って設立されていて、後者は「農業会」時代を大きく引きずっている。そういう歴史が農協共済にも影響していた。前者の側面による運動の大きな成果の一つが協同組合保険=共済事業ではないかという視点での展開で、その中で賀川豊彦の思想が論じられた。充実したテキストもいただいたのでじっくり読み込んでみたい。
 今回は礼拝堂を会場にしたために、パワポのスクリーンの上にステンドグラスのキリストが子どもの頭をなでているところも写っている。パワポの最後の画像に賀川の写真もあったが、「おわりにあたって」の文章が以下。(薄井清『一粒の麦は死すとも-賀川豊彦-』P282~283からの引用)
 「いま読み返して思うのは、農業協同組合は戦後にマッカーサーからあたえられたものではなくて、賀川豊彦を含めた産業組合運動家たちが、血みどろの戦いの末に勝ちとった組織である、という感慨である。いま、・・農協は、一つの岐路に立たされている。・・」
 終了後のディスカッションの中で、戦前の反産業組合運動は国内の商業者による攻撃だったが、現在はTPPなどグローバル化の中での闘いであり、相手の土俵で戦うべきではなく、協同組合理念を踏まえたものにしなければならない。戦後の農協は組合員をお客さん扱いしてきてしまった反省に立つべきという話が出た。それを聞いて、生協陣営も他山の石としなければならないようになっているし、それにブレーキをかけて「生協の理念」に基づいて事業と活動の再構築をしていかなければならないと思えた。

【2016/12/14 23:55】 | 情報
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<Mより発信>
 2016年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、こちらでもご紹介させていただきました。12/3の第4回に参加してきましたので、以下、概要をご報告します。

テーマ:「戦前の消費組合(生協)の組合員活動について」
※当日資料のファイル名は「消費組合による女性運動の光と影」、資料のタイトルは「消費組合による女性運動の活性化」でした。
講師:尾崎(井内)智子/四日市大学講師、
  同志社大学人文研究所 社外・嘱託研究員、
  元生協総研嘱託研究員


講義内容の概要

今回は、主に1920~1940年代にかけての生協運動を、特に女性たちの活動に注目して進めていく。暗いイメージがもたれているこの時代は、実は消費組合が活発化し、女性運動も盛んになった時代でもある。
1919年に第一次世界大戦後、名目GDPと実質GDPの差に注目すると、この差が大きいということは貨幣価値が大きく変動した=物価の大幅な上昇があったということで、自給自足ができず、給料が一定に決まっている俸給生活者にとっては大きな打撃で、生活必需品をなるべく安く共同で購入したいということで消費組合が全国的にも数多く設立された。東京市などでは行政の政策としても消費組合設立が進められた。この時期の消費組合は、都市の給料生活者と安定した雇用の労働者(重化学工業の労働者、交通関係の労働者)によって結成された組織。
1924(大正13)年の神戸消費組合をはじめとして全国の消費組合に家庭会・婦人会が設立されていく。本発表は、消費組合の家庭会・婦人会によって、日本の女性運動は活性化したということを挙証するものである。女性運動というと、市川房枝らの婦人参政権獲得運動が名高いが、彼女たちの活動は同じ女性からの批判も多く、当時の多くの女性たちには共感を得られていなかった。

(1) 生協に女性の組合員が増えていき、積極的に関わるようになった
もともとは生協組合員は男性がほとんどで当時の資料でも男性名が多かった。ところが、1920年代後半から女性名の加入者が増えた。社会構造の変化により女工中心だった工場労働者も男性が増え(事務局注:軽工業から重工業へ)、サラリーマン層も厚みができて、その妻である専業主婦が増えたことによる。これらの層は社会の10%以下で、その中で消費組合が設立されている。
当時の専業主婦は高学歴で夫の給料だけで生活でき、新しい家庭を築こうという気運があり、消費組合に積極的に関わるようになった。消費組合側も女性たちを活動の鍵とみて、家庭会や婦人会を設立して組織した。
「神戸消費組合家庭会案内」、「家庭購買組合婦人会」、「西郊協働社家庭会」の史料を用いての説明が続いた。特に家庭購買組合は、東京の山の手のエリアで展開されていて、富裕層向けに宅地開発されたエリア「大和村」の村事務所を通じて組合加入のお願いの手紙を出すよりも、婦人会ができてから女学校時代の友人や知り合いに組合員勧誘をする活動が力を発揮した様子もわかった。そして、その方法は系統を超えて全国の生協に普及されていった。

(2)家庭会や婦人会はどのような活動をおこなっていたのか
●関東消費組合連盟(関消連)は、1927(昭和2)年に奥むめおの尽力で婦人部確立を決議。関消連が目指したのは婦人部によるストライキだったが、現場からは「先づ消費者としての婦人は、何に一番困つているか、何に不自由しているか、其の要求から仕事は初まり『階級意識』とか『組合意識』にうつたへてばかりではわざわざ子供を引つぱつて寄合に何度も何度も出られるものではない」という実態が報告されている。
●基本的には楽しいことが中心で、講演会や講習会も難しくなく、とにかく人が集まる企画・・・神戸消費組合家庭会、家庭購買組合婦人会の団らんの夕べ、西郊共働社のバザーやピクニック
●料理講習会は多く人気だった。当時の消費組合には農村から出てきた人々も多かった(地方から男性が進学で出てきて奥さんがついてきた)。女学校の家政科の授業は洋食のマナーなど生活にすぐに役立たず、農村での食事は「芋の季節になれば芋ばかり、大根の季節になれば大根ばかり」というように季節の野菜を選んで買い物をし、献立を作って食事の用意をするという概念がなかった。農村では一族重視の価値観だったが、都市部のサラリーマンは核家族が多く、家族を重視して教育熱心になった。家族のために栄養バランスのよい料理講習、生花や洋裁等の講習、子どもの家庭教育に役立つ知識の講座などの企画が多かった。
●楽しいことの中に消費経済の講座もあった・・・神戸消費組合家庭会の「一般経済学」「家庭経済講演会」、家庭購買組合の本位田教授の講演を聞く、西郊共働社の消費組合研究会など
●消費組合の経営にもメリットがあった・・・たとえば、西郊共働社の場合は作家などの文化人を多く組織していて、1930年くらいの「円本ブーム」が落ち着いてしまうと作家は貧窮していった。1家庭あたりの購買額減少を、組合員数の増加で補っていたが、家庭会の行事には組合員家庭ではなくても参加可能なため、新規の組合員獲得の場となっていた。
●地域にある組織としては、町内会は大正末から結成されていたものの男性しか出席できない世界だったし、学校も父兄会だった。公民館などもない中で、生協の家庭会・婦人会は女性が地域で活動できる場として大きな役割を果たしていた。

※事務局注:今回も当時の史資料のミニ展示を行なった。冒頭の写真は家庭購買組合の組合員啓蒙誌『ホームユニオン』。木村正枝さんの『消費組合小史』では「生産経済」と「消費経済」を対比させて「消費経済」の研究が日本では不十分で、「消費経済の知識が身につく人生」をというようなことが、冒頭の「本書をまとめるにあたって」に書かれていた。『ホームユニオン』でもそのあたりを大学の先生に書いていただいている論稿がけっこうある。

(3)消費組合の家庭会や婦人会の他の女性運動との関わり
 満州事変が勃発した1931年頃、女性運動に転機があった。国会請願を続けていた婦人参政権運動がこの時期を境に低迷し、消費者運動など生活の中から政治活動へつなげていく地道な活動へシフトした。一方で、出征する兵隊を見送りしたいという大阪の1人のおかみさん(夫は企業家)の活動が「国防婦人会」として台頭し、陸軍の援助を受けて日本全国に広まっていった。
●市川房枝記念会に、「日本消費組合婦人協会」設立時の招待状に残っている。1932(昭和7)~36年、東京日本橋の魚市場を築地に移転し中央卸売市場として整備する際に商工省が卸売り会社を1社に統合しようとすることへの反対運動に東京の3つの家庭会・婦人部が市川房枝らの婦選獲得同盟とともに参加するなどの接点があった。
●1936年(昭和11年)、全国の家庭会・婦人部の提携を目指して「日本消費組合婦人協会」(日消婦協)が設立された。当初は協同組合運動の発展と消費組合によって「世界平和と人類の理想社会を実現」することを目的にしていたが、協会設立の翌年に始まった日中戦争の泥沼化に伴い、「東亜の平和」「国力を伸張」を目指すように変わっていった。
●1937年、市川房枝らが中心になって婦選獲得同盟、YWCA、婦人矯風会、『婦人之友』の友の会など、婦選運動に参加していた自主的な女性団体により「日本婦人団体連盟」が結成され、のちに「日本消費組合婦人協会」も参加を求められた。任意加入の団体としては14団体、概算で5万人を組織した協会は日本で最大だった。ただし、市川らとともに活動することはあまりなかった模様。
※事務局注記:ネット検索したところ、「日本婦人団体連盟」の構成団体に日消婦協が入っていない。設立後に出入りがあった可能性がある。連続学習会「いま《山川菊栄》を読む」④ 戦時下の山川菊栄 という情報。
「一九三七年九月二八日に、市川さんなどが中心になって、自主的な女性団体八団体が集まって作りました。婦選獲得同盟、YWCA、婦人矯風会、『婦人之友』の友の会、それから小学校、中学校の女教員会といったところです。」 

(4) 1937年以降の日中戦争戦時下で、国家政策に賛同し、推進する役割を果したのはなぜか
協会の中心的な団体だった家庭購買組合婦人会の活動を『ホームユニオン』などでみると、切り詰めた食材で栄養バランスのとれた食生活をとか、消費を節約して貯蓄強化をしようとか、出征軍人の家族を慰問しようとか、後世には時代の変化によって戦争協力活動に変質していったと言われるが、ご本人たちは元々の消費者運動の延長線上でとらえていたのではないかと思っている。

まとめ
●戦前の生協が当時の時代状況の中で主婦を組織した意義はあった。社会運動に関心のなかった女性たち(特に専業主婦)を消費者運動へ巻き込んだ功績は大きい 。確かに、消費組合が“認める”女性運動の範疇は狭く、その活動には限界があったが、それは戦後の高度経済成長で「一億総中流」の時代に増加したサラリーマン層の間で生協が発展していったことにつながっている。

参加者は講師を含めて17名で、日生協職員6名(OB含む)、医療福祉生協連1名、会員生協2名(OB含む)、地域生活研究所1名、参加型システム研究所1名、吉野作造記念館研究員1名、賀川豊彦松沢フォーラム1名、研究者3名、主婦連・主婦会館1名。
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ディスカッションの内容については以下に畳まれているので、開いてお読みください。
ディスカッションの論点
●家庭購買組合婦人会の団らんの夕べは、日比谷野外音楽堂で開催され、歌手や楽団を招く企画もあって会場を埋め尽くす1万人を越える参加者があったという。そういう取り組みができていた。
●戦前の組合員活動メニューの一覧を見たら現在と変わらないなぁと思った。他に主婦たちが学べる場はなかったのか?→月刊『婦人之友』の友の会は件今後の女性を集めて学びあいの活動を続けていたが、公民館などもなく、自分の家に招くなどで場所を確保することも難しかったので生協の婦人組織の活動は貴重だった。
※事務局注記:戦後、灘生協ではそのエリアの友の会のリーダーだった永谷晴子に家庭会の再建への協力を依頼した。永谷はその後、日本生協連の婦人理事にもなっている。
●日消婦協ができる前から生協の女性活動の交流はあった。日消婦協の結成総会の会長選出にあたり、家庭購買組合婦人会会長の押川美香が共産党勢力排除を主張して大もめにもめて委員長になり、関消連系生協と2つに分かれてしまったが、それでもは一度はみんな集まったことに意義がある。一方で地方では、東京で系統ごとに激しく対立したような先鋭的な対立はなかった。また、男性の経営トップどうしは表立って対立はせず、つかず離れずだったことと対照的。
●日消婦協は国防婦人会と同様に戦争協力への先兵の役割を果たしたのではないかという問題提起があった。それに対して、1929年の世界恐慌後、30年には大正デモクラシーの運動が雪崩をうって崩壊し、国内での分配問題を社会改革ではなく満蒙など海外進出に求める世論が無産政党も含めて圧倒的になり、生協の婦人組織を戦争協力の先兵と評価することはできないという反論もあった。1937年に日中戦争が始まり、1938年に関消連が解散、日消連も活動休止。城西消費組合は1941年までもちこたえた。1938年に関消連が解散するにあたって戦争協力的な声明を出したが、連合会は解散しても残った単位生協に障りが出ないように配慮してのことだった。そのような時代だったので先兵とまでは言えないという反論も。
●戦前から生協の経営は男性が牛耳っていて、女性はあたりさわりのない所で活動していたという印象がある。生協の女性の活動は家庭の中での女性の地位を変えることもできない運動ということで評価がしかねているが、講師はどのように考えるか?→今後の検討課題だと思っている。
等々、時間も延長となって熱い論議が続いた。以下は講師の尾崎さんのご講演の様子の写真。
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【2016/12/13 12:39】 | 情報
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<Mより発信>
 2016年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、こちらでもご紹介させていただきました。11/26の第3回に参加してきましたので、以下、概要をご報告します。冒頭の写真は講演する大川真さん。

テーマ:「吉野作造と協同組合~賀川豊彦との協同~」
※パワーポイント資料のタイトルは「賀川豊彦と吉野作造に学ぶ~貧困と戦争から世界を救うために~」でした。
講師:大川真/吉野作造記念館館長、
   国際日本文化研究センター共同研究員、
   尚絅学院大学非常勤講師、
   山形県立米沢女子短期大学非常勤講師


講義内容の概要
 古川市(合併後は大崎市)が公設で作った吉野作造記念館が2002年に民間委託となり、NPO法人「古川学人」(吉野作造の筆名が由来)が受託運営、2006年からの指定管理後も受託運営している。「古川学人」は吉野作造記念館の指定管理事業とともに、NPO事業として被災地支援や東アジア交流事業等多彩な事業を展開。
 大川さんは、まさに3.11で震災復興に関わりたいと東北大学の職を辞したということで、吉野作造記念館の副館長、館長をしながら、復興やまちづくり関連の事業開催のボランティア活動など多忙に過ごされている。自分としては賀川豊彦を先に知り、その後、吉野作造と関わることになった。時代は今、貧困の問題、平和の問題が切実になってきている。吉野さんや賀川さんを知れば生きる勇気が湧いてくるとのこと。
 日本を代表する政治学者であり「参加型民主主義の父」と言われる吉野作造のベースになっているのはフランス のレオン=ブルジョアが提唱した「社会連帯説」。国家は団体生活であり、参政権は団体生活の責任を個人が分担することとした。参政権は個々人が国家責任を分担するということに新しい根拠を見出しており、シティズンシップからの視点である。

Ⅰ.反貧困における両者の共闘:
 吉野は家庭購買組合が設立された1919年から亡くなる1933年まで理事長職をつとめていた(質疑で出た→強い中間集団作りでリーダー層の関係資本形成を重視)。吉野日記の記述からは賀川と計10回会っているが、元々友愛会で知ってはいたようで、関東大震災で賀川が拠点を東京に移してから協力する関係になっている。
 長男であり吉野作造没後に父の論集を編集した俊造氏の解説によると吉野のデモクラシーは純政治的要求と社会的要求の二面があるという。階級闘争による社会改革から生存権の保証へシフトしていくが、反貧困の思想家でもある吉野は日本における生存権提唱者だった。
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Ⅱ.平和をめぐる両者の共闘:
 1931年の満州事変が勃発後、軍部が自衛権の発動として説明していることを吉野は批判。侵略行動と書いた所は出版の際に伏字にされている。
 吉野作造記念館で現在開催している企画展「自由を愛し平和を貫く-吉野と安中教会」(~12/28)を準備する中で牧師の柏木義円へのハガキが見つかった。1931年10/20付の『上毛教界月報』第396号で日本は満蒙から引き揚げよと書かれたことに賛同する内容。吉野は1933年に亡くなり、その年に日本は国際連盟を脱退した。その後、マスコミだけでなく無産政党まで日本の貧困問題の解決のために満蒙をと主張していった。賀川やキリスト教団も開拓民を送り出した。
 まさに全体主義化を進めるのはマスコミと野党が批判しないことであるのは歴史の教訓。賀川は戦後に反省して平和運動に取り組んだ。今現在、希望を失うのは早計。先人の叡智を伝えて言葉の力によって私たちの連帯を築いていきましょう。

 参加者は講師を含めて17名で、日生協・コープ共済連職員5名、医療福祉生協連1名、生協総研1名、会員生協2名、地域生活研究所1名、賀川記念松沢資料館1名、研究者3名、主婦連・主婦会館2名。 
 
 ディスカッションでは、丸山眞男の「永久革命としての民主主義」的な議論や、自己規制の圧力が強まる実感がある中、生協、連合=労組でも「いのちを守る」課題として貧困問題の解決や平和をどう作るか話していくべきと話しあった。

吉野作造記念館の2016年度前期企画展「暮らしの向上を求めて~デモクラシーは暮らしから」に、資料室から家庭購買組合関係の史資料を貸し出して展示していただいた。企画展終了後の返却の際、展示で使われた説明パネルを一緒にお持ちいただき、今回の講座に合わせたミニ展示コーナーでも活用された。
 上から2点目の写真は、家庭購買組合の総会議事録で議長が吉野作造とあるページの写真。以下の写真2枚は、ミニ展示コーナーを撮影したもの。
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※当初の講演テーマは「吉野作造と協同組合~賀川豊彦との協同~」となっていましたが、パワーポイント資料のタイトルは「賀川豊彦と吉野作造に学ぶ~貧困と戦争から世界を救うために~」でした。松沢資料館での巡回展「賀川豊彦と吉野作造展」のオープニングシンポジウムと内容がかぶらないようにご配慮いただいたということです。それに今の日本の状況にマッチしています。

2016/10/8「日本生協連資料室土曜講座」第1回「柳田国男の消費組合(生協)論に学ぶ」参加報告はこちら
2016/10/22「日本生協連資料室土曜講座」第2回「奥むめおに学ぶ~戦前・戦後の生協の女性リーダーとして~」参加報告はこちら

【2016/11/29 23:54】 | 情報
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<Mより発信>
 2016年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、既にこちらでもご紹介させていただいています。(4テーマで10/8、10/22、11/26、12/3に開催。生協総合研究所のwebサイトの「研究会情報」コーナーでも紹介されています)
いよいよ最終回の第4回が12月3日に開催されます。ご参加をお奨めいたします。

【資料室土曜講座2016年度第4回】
12/3「戦前の消費組合(生協)の組合員活動について」(講師:尾崎(井内)智子さん)


1.第4回の12/3(土)の講義内容予定
テーマ:「戦前の消費組合(生協)の組合員活動について」
講師:尾崎(井内)智子/四日市大学講師、
    同志社大学人文研究所 社外・嘱託研究員、
    元生協総研嘱託研究員

※参考文献:『くらしと協同』2015夏号掲載の 「戦時下の生活と女性運動~日本消費組合婦人協会の活動から」

 日本では女性の社会的地位は低く、協同組合の担い手も男性だった。大正後期から昭和初期にかけて現在につながる市民型の生協が設立され、1924年(大正13)年の神戸消費組合で家庭会が設立されたのを皮切りに、生協の利用者である女性を組織する家庭会・婦人会の組織作りと活動は、灘購買組合をはじめ全国に広がっていった。

 1932年(昭和7)年には東京日本橋の魚市場を築地に移転し中央卸売市場として整備する際に商工省が卸売り会社を1社に統合しようとすることへの反対運動に東京の3つの家庭会・婦人部が市川房枝らの婦選獲得同盟とともに参加した。課題によっては従来からロッチデール派、モスクワ派で対立していたグループを超えて提携できることがわかった。
 この経験を踏まえて、満州事変が起こって5年目の1936年(昭和11年)に、全国的な提携を目指して設立されたのが「日本消費組合婦人協会」である。協同組合運動の発展と消費組合によって「世界平和と人類の理想社会を実現」することを目的にしていた。

 そこで現在につながるような組合員による活動が推進されたのだが、協会設立の翌年に始まった日中戦争の泥沼化に伴い、婦人組合員の活動も変化していった。そして「東亜の平和」「国力を伸張」を目指すように協会は変わっていった。
 これらを実際の史資料で確認しながら検証をしている研究に学びたい。

2.開催要領、参加申込み方法
●開講場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●開催日程:4回開催。
 開講時間は、16時~18時
 (講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
(詳細は、生協総合研究所のwebサイトの「研究会情報」コーナーに掲載されたので、そちらを参照ください。
該当記事はこちら

●参加申込方法:受講を希望する講座を選んで上記の記事にリンクされた受講申込書に必要事項を記入の上で下記のアドレスに送信してください。
 開講日の前日まで受け付けますが、なるべく早めにお申込みくださいますようお願いいたします。
 E-MAIL:shiryou-toiawaseアットjccu.coop 

■第1回「柳田国男の消費組合(生協)論に学ぶ」(講師:堀越芳昭さん)の参加報告はこちら
■第2回「奥むめおに学ぶ~戦前・戦後の生協の女性リーダーとして~」(講師:広岡守穂さん)の参加報告はこちら
■第3回「吉野作造と協同組合~賀川豊彦との協同~」(講師:大川真さん)の参加報告はこちら

【2016/11/28 17:22】 | 情報
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<Mより発信>
 2016年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、既にこちらでもご紹介させていただいています。(4テーマで10/8、10/22、11/26、12/3に開催)
 第3回が11/26に開催されますので、ご参加をお奨めいたします。

【資料室土曜講座2016年度第3回】
11/26「吉野作造と協同組合~賀川豊彦との協同~」(講師:大川真さん)


1.第3回の11/26(土)の講義内容予定
テーマ:「吉野作造と協同組合~賀川豊彦との協同~」
講師:大川真/吉野作造記念館館長、
   国際日本文化研究センター共同研究員、
   尚絅学院大学非常勤講師、
   山形県立米沢女子短期大学非常勤講師

※参考文献:●宮城県協同組合こんわ会『宮城の協同組合人―23人の足跡-』「特集 吉野作造と協同組合~賀川豊彦との協同~」、●賀川豊彦記念松沢資料館『雲の柱』30号掲載の講演録(「賀川豊彦と吉野作造合同展」2015.4.29オープニング講演会)

 「民本主義」を主張して大正デモクラシーの代表的な論客となった吉野作造は、東大YMCAの藤田逸男たちが中心になって設立し戦前最大の生協になった家庭購買組合の理事長にもなった。賀川豊彦は、神戸消費組合、灘購買組合の設立を指導し、関東大震災からの復興の中で江東消費組合の設立を指導した。
 キリスト教の信仰を踏まえ、民衆の協同の力を引き出しながら消費組合も含めた社会活動に取り組んだ吉野作造、賀川豊彦という2人の先駆者の共通点、それぞれの特徴について学ぶ。関東大震災支援で神戸から活動拠点を移した賀川が吉野の口利きも得て、東京の復興支援をすすめた2人の協同の事実にも学ぶ。

2.開催要領、参加申込み方法
●開講場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●開催日程:4回開催。
 開講時間は、16時~18時
 (講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
(詳細は、生協総合研究所のwebサイトの「研究会情報」コーナーに掲載されたので、そちらを参照ください。
該当記事はこちら

●参加申込方法:受講を希望する講座を選んで上記の記事にリンクされた受講申込書に必要事項を記入の上で下記のアドレスに送信してください。
 開講日の前日まで受け付けますが、なるべく早めにお申込みくださいますようお願いいたします。
 E-MAIL:shiryou-toiawaseアットjccu.coop 

■以下、最終の第4回の開催回・日程・講義内容予定 
統一テーマ:
「生協運動の現在につながるテーマについての先駆者に学ぶ」


【第4回:12/3 (土)】テーマ:「戦前の消費組合(生協)の組合員活動について」
講師:尾崎(井内)智子/四日市大学講師、
   同志社大学人文研究所 社外・嘱託研究員、
   元生協総研嘱託研究員

■第1回「柳田国男の消費組合(生協)論に学ぶ」(講師:堀越芳昭さん)の参加報告はこちら
■第2回「奥むめおに学ぶ~戦前・戦後の生協の女性リーダーとして~」(講師:広岡守穂さん)の参加報告はこちら

【2016/11/14 12:35】 | 情報
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