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<Mより>
 「韓国の生協-ハンサリムと iCOOPを中心に」というテーマで生協総研公開研究会が12/12(水)に開催されました。協同組合塾幹事メンバーが参加して報告が寄稿されたので、こちらでもご紹介いたします。
【情報】12/12生協総研公開研究会「韓国の生協-ハンサリムと iCOOPを中心に」参加報告
 1990年に関西から異動してきて生協総研で『生活協同組合研究』の編集担当や福祉活動(受託次行)の事務局をしていた時代に韓国の生協研究者が生活クラブ連合とともに総研を訪問先としていらした際に、研究員の兼子厚之さんと一緒に夕食交流をした。それが韓国の方との最初に懇談した機会だったと思う。若い男性だったので兵役に行ったかという質問をしたところ、「行った。その2年間でせっかく覚えた専門英語をすっかり忘れてしまったのが本当につらかった」という話をされた。いまだに戦争が終わっていない隣国の緊張感とその中で生きる若者の姿が心に焼きついたことを思い出す。
 資料室に来てからは、日本生協連の50周年記念事業で全国の生協運動の年史編纂事業の責任者だった斎藤嘉璋さんがその後に新書版にまとめた『現代日本生協運動小史』の韓国語版を2012年にiCOOPが出版されることになり、そのために日本にいらした金亨美さんから必要な写真をリクエストがあり対応した関係から完成本の献本を受けた。
 さらに「JCCU協同組合塾」の2015年度第2回例会(2016年2/10)では、「韓国における生協運動と協同組合基本法」というテーマで丸山茂樹さんにご講演をいただいた。(塾のブログに掲載した参加報告は→こちら
 同時期開催の生協総研の公開研究会での金亨美さんのご講演ともども理解を深めていった(丸山さんの日程調整の中で、2/8に総研企画、2/10に協同組合塾の企画というように調整ができ、塾の企画の再案内のタイミングで合わせてお知らせをしたところ7人が両方の企画に参加し、多角的な情報で理解がより深まったという声をいただき、業務と自主企画の垣根を超えたコラボレーション事例として貴重だった。また、今回の講師のお一人であるiCOOP協同組合研究所研究員の李香淑さんの資料室での閲覧対応もしている。
 今回12/12の研究会の「ハンサリムの設立と変遷、現状と課題」の報告は韓国農村経済研究院主任研究員の鄭銀美さんからで、国のシンクタンクによる客観的な分析だった。1980年代に農民運動から生まれたというハンサリム生協ということは知っていたが、特にカトリック農民が有機農業の産直の販売先として生協を結成したのが始まりという話で、生誕130年の賀川豊彦に学ぶ企画に続き、キリスト教の社会にもつ先進的な役割に接することができたことに驚いた。軍事政権下では市民運動団体は非合法で、合法組織だった宗教団体が隠れ蓑になっていろいろな活動をしていたのだという。1987年の民主化運動以後、市民団体が出現し、他の生協も生まれていった。コメンテーターの丸山茂樹さんによるとハンサリムが韓国の生協の源であり、「生命運動」の影響を受けなかった生協はないとのこと。しかしながら社会変化に対応できず、生産地と消費地をつなぐ物流システムの構築をする時間がなかったという。
 「iCOOPの設立と変遷、現状と課題」は李香淑さんから報告された。「iCOOPは生協、生産者協同組合、親環境有機食品のクラスターの協力会社という独立した法人で構成された協同組合のネットワーク」で「i」には『私』という個々の主体が集まって、よりよい未来をつくるために、初心を忘れることなく、絶えず革新する協同組合」という意味が込められているという。1997年に設立され、「親環境農産物の産直商品を供給する個人配送の事業を展開していたが、2006年に業態の拡大を決め、「自然ドリーム」というブランド名で店舗事業を開始した。100坪以下の小型店で生協でしか買えない商品のみ扱う(PB、ファーマーズグループの生産物、クラスター生産品)。クラスターは2ヵ所を建設し、生産工房、物流センター、体験施設、研修院、職員寮、多世帯住宅などでできている。2017年には20周年を記念して従来の3大基準から拡張し、3大目標を掲げた「iCOOP使命宣言文」を制定したとのこと。それでも近年には成長が鈍化しているという。(3大目標:「生活の安心」「人間中心の経済」「よりよい未来」)
 丸山さんによると、iCOOPは日本の生活クラブ生協やパルシステム生協から多くを学んだだけではなく、変化する情勢に対応して次々とチャレンジしている。クラスターはオウエンのニューハーモニーのようで、女性の役職員の活躍も目立つ。しかしながら急成長にはたくさんの落とし穴があるもので、工場経営を始めると需要と供給のバランスをとることなど困難がつきまとう。また、1999年の「消費生活協同組合法」制定当時は取扱商品に制限があったのと、「親環境農業育成法」も生協が活動しやすい法律としてあって産直商品が中心になっていたが、2010年の改正で全ての商品の取り扱いができるようになったという大きな変化があったとのこと。
 質疑応答では、まず韓国の生協の小売業でのシェア率の質問があり、1%前後だろうとのこと。次にiCOOP独特の「組合費制度」への質問があり、地域生協の運営費を商品価格からの利益ではなく、組合員が毎月支払う組合費で運営する制度で、地域生協によって月額は違うこと、組合費を払っている組合員とそうでない組合員とで違う価格設定でプライスカードも2段に書かれているとのことで、日本にはない制度だ。「職員の正規と非正規の割合」という質問もあったが、李香淑さんは非正規はいないと回答した。「人間中心の経済」という思想が具現化している。
 私の質問させていただいたのは「いずれの生協の供給高推移表にも業態別の数字が入っていない。店舗数だけ書いていても店舗供給と宅配供給の数字をトータルと並べておいて分析する必要があるのではないか」で、李香淑さんはすぐに取り入れたいと回答された。
 丸山さんは現在の韓国の生協は圧倒的に店舗にシフトしているが、生協の全国連合会がないために全国的な統計・分析ができるようになっていない。全国連の設立も課題だという。「日韓の生協はお互いに学びあう時代に入ってきた」「お互いに弱点を透明にして対等に論議しあう時代になってきた」という丸山さんの言葉にうなずけた。まさにそのような今後の取り組みに期待したい。

【2018/12/17 12:56】 | 情報
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1995賀川パンフを持って演説する高村さん.jpg
<Mより発信>
 「CO・OPアーカイブズセミナー 人と歴史に学ぶ」2018年度第2回の詳細案内です。1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】12/1「日本生協連第5代会長・高村勣氏から学ぶ-賀川豊彦に導かれた生協人生-」:2018年度第2回「CO・OPアーカイブズセミナー 人と歴史に学ぶ」の詳細案内
 終戦後、復員してきて友人の父(灘生協組合長の田中俊介氏)から手伝ってくれと頼まれた生協の仕事に本気になったのは、新入職員教育で配られた賀川豊彦著『協同組合の理論と実際』という小さなパンフレットだった。賀川豊彦の人間観、世界観、賀川が説く協同組合の意義に感銘したからだという。クリスチャンが多かった灘生協内部の聖書研究会で学び、自らもキリスト教徒になった。協同組合の運動と事業という矛盾のある仕事に悩みながら立ち向かった生協人生に学ぶ。
 第4代会長の中林時代からすると大きく生協運動の舵をとり、「重商主義」の人というイメージをもたれている高村さんの仕事と生き様を、灘生協時代から身近にいて、追悼展の実行委員長をつとめた布藤さんから語っていただく。

※追悼展のパネル作成や、『生協人間-追悼展特別編集版』の編集に資料室で協力しており、当日は追悼展実行委員会事務局のご協力をいただきパネルのミニ展示も行う予定。
(冒頭の写真は、新入職員時代に読んだ『協同組合の理論と実際』を掲げ、賀川豊彦について語る高村さん。追悼展実行委員会事務局にご提供いただきました。)

講師=布藤明良氏:元コープこうべ常勤理事、
 元日本生協連生協常務理事
ゲストコメンテーター=斎藤嘉璋氏
:元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事

●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:12/1(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料

〔参考文献〕
・『生協経営論』1993年3月(コープ出版)、
・『いま生協に求められるリーダーシップとは-危機と苦難を乗り越えてきた歴史に学ぶ-』
1997年6月(コープ出版)、
・『生協人間-追悼展特別編集版』2015年7月(「高村勣さん追悼展」実行委員会)

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 201KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
 開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。
 なお、こちらのブログに掲載されている高村さんに関する情報は以下です。
「高村勣氏を生協に50年とどめおいた賀川豊彦著『協同組合の理論と実際』 」
「賀川豊彦著「【復刻版】協同組合の理論と実際」のご紹介」
【文献紹介】『高村勣随想集 生協人間 追悼展特別編集版』が再版されました!
(追記)
高村勣さんのお名前は、正確には髙村勣さん。旧字体のはしごだか(髙)が出しにくいので便宜上、「高」を使わせていただいています。人名の「たかぎ」で検索すると「髙木」も表示されるので簡単に探したいときはその方法が便利なようです。

【2018/11/14 12:55】 | 情報
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20181105CO・OPアーカイブズセイナー総研HP Topix65% トリミング.jpg
<Mより発信>
 「CO・OPアーカイブズセミナー 人と歴史に学ぶ」2018年度第1回の 詳細案内です。1回だけの参加申込みでもよいようです。
 なお、生協総合研究所のHPの冒頭のTopicsコーナーでも案内がされています(冒頭の画像参照)。
【情報】11/10「1970~80年代の日本の協同組合間提携の高揚をふりかえる」:2018年度第1回「CO・OPアーカイブズセミナー 人と歴史に学ぶ」の詳細案内
 1966年のICA大会で協同組合原則が改訂され「協同組合間提携の推進」が原則に加わった。さらに1970~80年代に生協と農協、漁協等の産直運動が発展する中で、日本の協同組合の全国連合会どうしの協同組合間提携の気運が高揚し、全中に推進事務局が置かれて「協同組合間提携研究集会」が毎年開催されていた。
 農協法公布30周年を記念し、農協・漁協・生協の協力と参加のもとに「協同組合図書資料センター」が開設され、1983年には全農・日生協間、全漁連・日生協間、全酪連・日生協間の覚書等も交わされた。残念ながら「協同組合図書資料センター」の維持はかなわなくなり、生協関係史資料や協同組合提携関係資料については何度かに分けて日本生協連資料室に移管され、従来からの資料に加えてまとまって保管・保存されている。
 近年の協同組合間連携の積み上げの中でJCA=(一社)日本協同組合連携機構が4月に発足された。そのルーツともいうべき「協同組合間提携推進事務局会議」に日本生協連事業運営部時代に参加していた石飛豊さんにお話をお聞きする。

講師=石飛豊氏:元協同組合提携推進事務局員、
元日本生協連政策商品開発室長
ゲストコメンテーター=青竹豊氏
 :日本協同組合連携機構(JCA)常務理事
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:11/10(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料

〔参考文献〕
・協同組合図書資料センター編『協同組合間提携及び産地直結に関する文献の目録(1945~1982年)』1982年9月(協同組合間
提携推進事務局)、
・協同組合間提携推進事務局『協同組合間提携の戦略的展望』1982年10月(時潮社)、
・『協同組合間提携推進対策―1980年代後期の運動課題と実践方向―』1985年5月(協同組合間提携推進事務局会議)
・協同組合経営研究所編『協同組合間提携の理論と実践』1992年12月(全国協同出版)

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 201KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

【2018/11/07 19:29】 | 情報
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「Workers 被災地に起つ」パンフ表紙

<Mより>
 日本の労働者協同組合を描き出すドキュメンタリー映画の第2作「Workers 被災地に起つ」の上映が10/20からポレポレ東中野で始まり、JCCU協同組合塾の幹事メンバーにも鑑賞を呼びかけ、私は10/23の終業後に観に行った。
 第1作と同じ森康行監督作品で日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会センター事業団の製作著作、日本の多くの協同組合の全国連や会員生協、城南信用金庫、日本協同組合学会、SDGs市民ネットワーク、きょうされんなどが後援している。(日本生協連のHPにも案内記事がアップされている。→こちら
 2013年2月に第1作の「Workers」もJCCU協同組合塾で誘い合い、幹事仲間で観に行っておひとりからいただいた感想を記事アップしている。→こちら

 東日本大震災後の被災者支援ボランティアを推奨するために、日本生協連の職場でも「ボランティア休暇制度」が設けられ、多くの職員が現地に支援に行き、現在でも細く長く定期的にバスボランティア活動が続いている。私など身体が丈夫ではない人間はあまりお役に立たないので参加はできなかったが、具体的な支援活動グループへのカンパなどを続けた。しかし、ずっともの足りなかった。現地の被災者については支援に感謝しているという話は伝わってきたが、当事者として立ち上がっている様子が見えていなかったためだ。今回、この映画にそういう方々の姿を見ることができるという思いでかけつけたが、その期待は裏切られなかった。

 さらに予想を上回っていたのは、家も身近な人もなくした人々が、生き残ってしまった自分は生きていかなければならないし、それもできることをやろうという素直な気持ちが率直に語られていたことだった。そのてらいのない気持ちが十分に吐露されている映像に、じんわりと「人間というものは捨てたものではないなぁ」「人と人の間に生まれるもので生きていくのが人間なんだなぁ」という思いで心の中が満たされていた。
 被災者の気持ちに寄り添ったサポートで話し合い、学び合い、一人一人がやれることをやるという積み重ねの中で「協働」の場が生まれ、その中で一人一人の力が多様に発揮されていた。雇用されて働く立場では他人事だった経営数値なども半年かけて学ぶ中で目標を達成することにやりがいを感じられるようになったというエピソードには出資・経営・労働を一体化している「労働者協同組合」の力を痛感した。まさに人々は主体者として「起(た)っ」ていた!
 被災後すぐにワーカーズコープ連合会から現地(宮城・岩手)への応援が入っていたことは漠然と知っていたが、その仕事の場も子どもも高齢者も障がい者も隔てなく居られる場所づくり、食堂、野菜づくり、お店の運営、林業の仕事おこしが限界集落に向かっていた村おこしにつながるような取組みまで実に多彩だった。林業チームを組んで里山の村によそ者のように扱われても村人一人一人に何回も足を運び、手伝い、一緒にやれることをしていく中で同じ村の仲間として認められ、毎年そのエリアに1~2世帯を迎え入れることができれば村の消滅には至らないという希望を共有化し、都市部の子どもたちとの交流に子どもも村の年寄りも笑顔がはじけたエピソードには、あらゆる世代が一緒に生きていくということも人間社会の継続のエネルギーを生むことを再認識させられた。
 協同組合人は必見だと思うし、都会で分断され、人間や社会への信頼感がゆらいでいたりもてなくなっていたりする方々に見ていただきたい映画だ。 
(追記)
 この日の19:00からの上映終了後のミニトークは森康行監督と林薫平さん。薫平さんは元生協総合研究所研究員で現在は福島大学准教授。この映画を応援する福島の会を立ち上げていて、授業を終えてかけつけてくれました。映画で登場する当事者たちが「ストレートに気持ちを表現している」「被災体験を経て余計なものがそぎ落とされているからだと思う」というお話をされていて考えされられました。
 同じ被災者でも福島の原発の被災者たちはそれを話すこともタブー化しているという話も聞こえてきていること、都会では人と人との信頼関係についてここまで素直に話すことは難しくなっていることに疲れている私。少し希望を取り戻すことができたように思えました。

【2018/10/23 23:57】 | 情報
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2018CO・OPアーカイブズセイナー総研HPでの案内画面50%縮小.jpg
<Mより発信>
 日本生協連資料室は、資料室の一層の活用をお奨めするために2014年度より「土曜講座」をスタート、今年度より名称を一新しました。
 受講対象は、日本生協連グループ、会員生協の役職員、OB・OGの方々、生協を研究対象とされる方、生協に関心のある方まで、広くご参加いただいております。ディスカッションタイムも好評です。
 生協総合研究所のwebサイトでも10/15付けで「研究会情報についてのお知らせ」コーナーに案内記事がアップされました(その様子が冒頭の画像)。以下で概要をご紹介します。

【日本生協連資料室より】2018年度「CO・OPアーカイブズセミナー 人と歴史に学ぶ」のお知らせ
<企画概要>
●開講場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
  会場へのアクセスは→こちら
●開催日程:3テーマで開催。
①11/10(土)、②12/1(土)、③2018年1/19(土)
●開講時間は、16時~18時
 (講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料

■開催回・日程・講義内容予定
【第1回:11月10日(土)】

テーマ:「1970~80年代の日本の協同組合間提携の高揚をふりかえる」
講師:石飛豊氏
 =元協同組合提携推進事務局員、元日本生協連政策商品開発室長
ゲストコメンテーター:青竹豊氏
 =日本協同組合連携機構(JCA)常務理事

【第2回:12月1日(土)】
テーマ:「日本生協連第5代会長・高村勣氏から学ぶ
-賀川豊彦に導かれた生協人生-」

講師:布藤明良氏
 =元コープこうべ常勤理事、元日本生協連生協常務理事
ゲストコメンテーター:斎藤嘉璋氏
 =元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事

【第3回:2019年1月19日(土)】
テーマ:「ユネスコ文化遺産に登録された“協同組合の思想と実践”は今?!」
講師:杉本貴志氏
 =元生協総研客員研究員、関西大学商学部教授

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 201KB)

●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

【2018/10/18 12:59】 | 情報
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<Mより発信>
 賀川豊彦・ハル夫妻の生誕130周年にあたる本年2018年には、記念事業実行委員会による様々な企画も予定されています。その一つ、「賀川豊彦・ハル生誕130周年記念 賀川豊彦パネル展」(10/2~14)をこちらでもご紹介します。
 銀座教会で2週間の会期で開催されますので、平日の仕事帰りや週末に銀ぶらしながら等、お気軽に立ち寄ってご覧ください。

【情報】10/2~14「賀川豊彦・ハル生誕130周年記念 賀川豊彦パネル展」のご案内
日時:10月2日(火)~14日(日) 11:00~19:00
 ※礼拝がある日曜日、7日は13:00~18:00、14日は13:00~17:0012:30~17:00
 ※10月8日(月)休館
場所:「日本基督教団銀座教会 東京福音会センター ギャラリー」
 JR・有楽町駅&地下鉄・銀座駅から徒歩2分
 銀座4丁目数寄屋橋交差点・西銀座通りに面したオープンスペースです。
 アクセス等は→こちら
入場無料

 日本の協同組合の父、賀川豊彦はかつてガンジー、シュヴァイツアーにならぶ「20世紀の三大聖人」と言われた人物です(※)。この度、賀川豊彦・ハル生誕130周年記念として日本基督教団銀座教会東京福音会センター主催にて「賀川豊彦パネル展」を開催することになりました。会場では、約30枚のパネルのほか、DVD の上映が行われています。また特別企画として講演会も用意されています。是非この機会に、ご来場ください。
◎パネル展は1Fギャラリー・ピスティスで期間中開催
◎特別企画の講演会は、B1F会議室で開催

<特別企画>
●10月7日(日)13:00開場、13:30~14:30
講演会「愛する春子様~ハルと豊彦の往復書簡より~」
講師:岩田三枝子(東京基督教大学准教授)

●10月14日(日)13:00開場、13:30~14:45
映画「死線を超えて(60分版)」上映会&解説
解説 :杉浦秀典 (賀川豊彦記念松沢資料館副館長)

1939年、アメリカで出版された『Three Trumpets Sound』でそのように称された。BS朝日の「昭和偉人伝」で2016年11月30日(水)に「賀川豊彦」が紹介された時にも、その情報が紹介されている。(BS朝日の「昭和偉人伝」の番組紹介は→こちら
→『Three Trumpets Sound』の現物を保存されている神戸の「賀川記念館」から表紙の写真をいただいたのが下の画像です。ご提供に感謝いたしますm(_ _)m
Three Trumpets Sounds表紙の写真(1)15%縮小.jpg
※「賀川記念館」のHPは→こちら

【2018/09/29 12:46】 | 情報
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賀川豊彦ハル夫妻85%縮小.jpg
<Mより発信>
 今年2018年は、賀川豊彦・ハル夫妻の生誕130周年にあたり、記念事業実行委員会による様々な企画も予定されています。私たち「JCCU協同組合塾」は、2009年に「賀川豊彦研究会」として活動をスタートしました。今年は賀川夫妻の生誕130周年にちなんだ学習会を企画しました。賀川豊彦の自伝的小説を映画化したDVD「死線を越えて」(約40分)を視聴の上で、杉浦秀典さん(賀川豊彦記念・松沢資料館副館長)のご講演によって賀川豊彦・ハルの足跡をたどります。
 日本の生協の父とも言われる賀川豊彦ってどんな人?という方、名前と顔そしてコーププラザ1階エレベーター前の胸像は知っているけどハルさんは知らないな、という方まで、多くの皆様のご参加をお待ちしています。
 なお、この学習会と同時期に東京銀座のギャラリーで「銀座de賀川豊彦パネル展-賀川豊彦生誕130周年記念-」(10月2日(火)~14日(日))が開催されます。私たち協同組合塾もこのパネル展と期間中に開催される講演会にいろいろな形で協力します。どうぞ”銀ブラ”ついでに気軽にお立ち寄りください。
【2018年度第1回例会(10/3)のご案内】
テーマ:21世紀に甦る賀川豊彦と妻ハル~ともに生誕130周年を迎えて~

講師:杉浦 秀典 さん
(賀川豊彦記念 松沢資料館 副館長・学芸員)

日時:2018年10月3日(水)
 第1部 18:00~19:30
 第2部 19:45~21:00で簡単な交流会を行います。
 (飲み物・つまみ付き)
会場:日本生協連コーププラザ 4階第4会議室
参加費:無料
(但し、第2部交流会参加費の500円をお願いします)

<参加申込方法>
 JCCU協同組合塾には、誰でも参加できます。ご存知の幹事メンバーにご連絡ください。準備の関係上、第2部交流会の出欠もあわせてご連絡ください。
 また、「こくちーず(告知's)」というシステムを使う参加申し込みの受け付けもしています。下記のイベントページの申し込みフォームから、参加申し込み登録をお願いします。
JCCU協同組合塾イベントページ
念のため、URLは以下の通り。
https://kokucheese.com/event/index/534724/


≪「銀座de賀川豊彦パネル展 -賀川豊彦生誕130周年記念-」のご案内≫
日時:10月2日(火)~14日(日) 11:00~19:00 ※日曜日12:30~17:00、10月8日(月)休館
場所:「日本基督教団銀座教会 東京福音会センター ギャラリー」
JR・有楽町駅&地下鉄・銀座駅から徒歩2分
銀座4丁目数寄屋橋交差点・西銀座通りに面したオープンスペースです。
 アクセス等は→こちら
入場無料
◎パネル展は1Fギャラリー・ピスティスで期間中開催。
◎講演会はB1F会議室10/7(日)賀川ハル、10/14(日)賀川豊彦、いずれも13:00開場、13:30~約60分

【2018/09/01 12:58】 | 企画予定
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20180127土曜講座で講演する有田芳子さん.jpg
<Mより発信>
 2017年度の「日本生協連資料室 土曜講座」の第4回の受講報告の記事アップが遅くなりました。少し長くなりますが、まとめて掲載します。冒頭の写真は講師の有田芳子さんです。
「協同組合における参加型民主主義-組合員参加の再生をめざして-」
講師:有田芳子氏(元エフコープ理事、元コープかながわ常任理事、元ユーコープ事業連合理事、元日本生協連中央地連環境委員会委員、元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、現・主婦連合会会長)

講演概要(講演のメモと参考資料から作成)
(1)小さなときから社会的関心が高く・・・、カネミ油症事件や森永ヒ素ミルク事件、水俣病などに関心があり、高校のときに社会問題研究会をつくり、受験の時期でも「ベ平連」の運動にも関わっていた。消費者の権利意識は、小学校4年生の冬休みの宿題に書道が有り、正100枚と表示されている袋入りの書道半紙を10袋購入し、本当に100枚入っているのかが気になり、全ての袋の半紙を数えたところ、全て90枚しか入っていなかったという体験から。新聞を読むことが好きで、主婦連合会も早くから知っていた。社会的なことに非常に関心があったが、疑問も持たずに他を排除するような思想を押し付けられるのはすごく嫌で、どこかの組織に関わるという事はなかった。
(2)私の参加型民主主義
●加入動機:1979年に北九州市民生協に加入(現エフコープ生協)。コープ商品も欲しいけれど、北九州市民生協とナチュラルコープのどちらかに加入しようかと考えた時に、北九州市民生協がカネミ油症患者を支援していたから。堅苦しいところで押し付けられるのは嫌で、生協だったら楽しく地域の問題や社会問題解決に取り組む事に使えるというような感覚だった。1980年に班長会議の自己紹介で「生協だからと言って盲目的に信じるのは違う。チェックする必要があると考えている」と言って目を付けられ委員長をお願いされた。
●1984年 戸畑西店をつくる会の会長:新日鉄(旧八幡製鉄所)の鉄冷えと高齢者が多い戸畑にお店が欲しいと3000人ぐらいの署名を集めて理事会に届けて実現。職員から頼まれたわけではなく商店街の組合長に懇談を申し込み地域活性化で協力しようと合意形成。店の2階の300人ぐらい入るホールを4つに仕切れるようにしてサークル活動も講師依頼からして47でスタート。神奈川の店舗政策を学んでいたようで1号店、2号店は開店すると周囲の共同購入班を解散して店舗委員会への変更をさせていた。開店を前に店舗委員会委員長として相談があり、共同購入とお店は両立する、班の解散を無理にすると組合員の利用や所属意識が薄れるのではないかと提案し、受け入れられ共同購入の配送も残った。近隣の市立保育園や知的障害者通所施設との交流。今でもその店の売り上げ成績は良い。
●1986年~1988年エフコープの北九州東ブロックの理事:バレーボール、パットゴルフ、ボーリング大会などでも楽しく集い、そのつながりで大切なことを学び伝える運動=売り上げ税(のち消費税)反対の学習会、平和まつりなど。
●1988年7月 神奈川に転居:この年に神奈川生協は総代会が2回流れた。9月の班長会議で総代会の報告が何もないので質問(前の生協で理事をしていたことは言わないで活動に参加)→1989年1月共同購入の行政区委員(消費税担当、商品担当)。声がかかって本部の政策チームにも参加。各地域が活発な活動展開をおこない、地元の他の協同組合の方たちと一緒に様々なネットワーク運動を展開。
●参加型民主主義が花開いた90年代:①茅ヶ崎辻堂にある松下政経塾の塾生だった山井和則さん(現衆議院議員)を行政区の連続講座にお呼びして北欧の福祉について学ぶ→その後、全国消費者大会福祉分科会や、各地の生協で講演していただくご縁。②古着回収の運動「ファイバーリサイクルネットワーク」茅ケ崎地区の立ち上げに参加。③協同組合間提携の本部提案がなかったので茅ケ崎JA理事長と面談してJAの畑を借りて無農薬野菜の実験栽培。その後、県生協連で協同組合間提携、7つの地区で農協、漁協と商品開発。福祉や環境でも提携したが、立ち消えになっていた→今年また再開の模様。④生活クラブ生協のリーダーとも相談しPTA運営の民主化。校長の理解のもと古着の回収拠点や大気汚染測定カプセルの測定地点としても協力を得る。通学区の公園も犯罪の起きにくい明るい公園にさせた。⑤国際共同プロジェクトでいらしたカナダの生協関係者やスウェーデンの研究者を組合員が手作りでおもてなし。1989年、1990年当時、共同購入班に集会のお知らせが直接入り、商品配達時に職員に申し込めば一組合員に参加登録書が来て一組合員が行きますと言えば交通費が届くような「あご あし付き」で支払われて当然と言う感覚とその結果は心配だった。当時は財政も豊かで自己資本比率も高かったのでできたと思われるし、それも参加型民主主義の一つの表れだったのかなと思う。
●1994年6月 コープかながわの湘南地区理事:地区担当の他に家計簿と環境分野を担当し環境分野や家計簿分野に関しては地区だけでなく全県に責任を持ち、県連や中央地連にも関わっていた。
●1995年6月総代会荒れる:総代から理事長や専務に対し厳しい意見が噴出(ゴルフ会員権問題、コープの経費で語学短期留学等)し→改選年ではないが理事長、専務は権限剥奪。
●1995年9月ICAマンチェスター大会プレ企画の国際共同プロジェクトシンポジウム:分科会に参加して福祉分野の組合員活動についての報告。プロジェクトの「協同組合運動における参加型民主主義」の大会での報告は参加した理事長ではなく事業連合国際部の職員が報告。
●1996年~2000年 コープかながわ常任理事: 組織改善のために本部に来てほしいと言う常勤からの要請で熟慮の結果、常任理事を引き受けた。分野では商品や環境を担当(当時環境推進室室長だった中野邦夫氏、全国組合員商品委員会事務局の三崎から依頼の環境や商品アンケート調査などに協力。家計簿担当だった亀田さん、環境担当だった二村さんとも活動をご一緒)。遺伝子組換え食品や食の安全政策の検討、学習冊子作成にも協力。

(2)生協における参加型民主主義の再生を
ユーコープの資料から引用した「生活協同組合に誰もが参加できることを大切にしています」というのは重要とおもうけれど、JA資料から引用した「協同組合の基本的理念」にあった「組合員の、組合員による、組合員のための組織」ということが忘れられてはいけないと思っている。いまも組合員参加や自主的活動に力を入れ、頑張っている生協もある一方、多くの生協で、組合員理事は常識のある人であれば生協について勉強しなくても理事会さえ出てくれればいいのだということで進められていると聞いている。それでは、国際共同プロジェクトに関わったイギリスのスコットランドの生協が、スーパーマーケット的な事業だけを行ない、組合員活動を縮小していった過程で、経営が駄目になったということを日本の生協も繰り返すのではないかなと危惧している。北九州市民生協がエフコープになってから理事になり、理事研修の中で経営責任があるのだと教えられ(もちろん有限だが)、それが経営陣として当然だと思った。かながわに来たときにかながわの役員室の研修の中では、「組合員理事は経営責任はありません」ということだったので、「いや、経営責任はあります。そういう感覚がないといい加減になる」というやりとりをした覚えがある。生協法の中では経営責任というのは入っていることなどを、北海道の生協が経営危機に陥り理事の方たちが、かながわを訪問した時に私も講師を務めお話しした。「自分たちは経営責任というのをまったく考えていなかった。やはり経営責任は大事ですね」「かながわの活動を学んで地元で生かしたい」という発言があった。その自覚がしっかりとしたものの見方になると思う。今の社会的な環境変化の中で働く組合員が増え、昔と同じような活動はできないという意見があること、そういう実態については十分承知してるが、それでもロイヤルティという所属意識、生活協同組合への情熱、自分が主人公と思ってもらうために仕掛けをするのが、私は専従である職員や経験を積んだ組合員理事の役割ではないか。そういう思いで、ずっと生協に関わってきたので、そこだけは話したいと思っていた。北九州にいた時もそうだったが、日本生協連に電話をし、情報確認や国際的状況などを聞くと、すぐに動き回答をしてくれる。本当に日本生協連は無くてはならない存在で、本当に役立つところだと思っていた。全国組合員活動交流集会などに行くのも本当に楽しみだった。それは協同組合運動をやっている全国の仲間と会えるからだった。広島や長崎に行くと地元の理事の方から笑顔で「よく来てくれました。お疲れ様!」などと声をかけられ、生協の運営に関わったことで素敵な出会いを得る事ができた。日本生協連はそういう役割を続けて欲しい。

※ディスカッションの概要については、以下を開いてご参照ください。
【ディスカッションより】
①齋藤嘉璋さん:ICA東京大会でプロジェクトのベーク座長から協同組合の基本的価値の一つとして「参加型民主主義」が提起されたがその前後のことの補足も含めてまとまった発言をいただいた。当時のICA会長のマルコスさんが4つの基本的価値について各国でかなり道徳的な観念を含めて議論したのをさらに深めた形で「参加型民主主義」と言った。日本の生協は組合員の参加こそ生協の民主主義だという形で確立された歴史的経過がある。組合員参加という点では一番先進的経験を持っている、日本で東京大会をやるのであれば、ぜひ日本の自分たちの問題としてもそれを深めたいということで、全国の生協でそんな論議をやった。その後、そうではなくなっている現実があるという報告があった。ネット型運営組織の確立等々多様な要求と、活動を組織するための苦労や工夫はしてきている。組合員の数が増えて広域化して、階層も年齢も幅広くなる。そういう中での組合員ニーズの汲み上げ方や参加のあり方ということで議論されている。基本としては、やはり大規模化という問題を一面でどう捉えるか。あるいは年齢層でいうと、市民生協づくりということで一生懸命やったときは子育て最中の団塊の世代が中心でだいたい40代、50代までで、いまや60代、70代が組合員では主力です。そういうことを含めて組織状況が違うので、必ずしも理念や考え方が後退しているからだと言っても解決しないのではないか。現在では県域を超えて大規模化した生協がある。一方の典型は生活クラブで、東京の生活クラブは、もっと分割して小さくして、なんとか組合員参加の形を維持・発展させようとしている。昔はみんな小さかったが将来競合して、生協同士が喧嘩しているのはあまり良くないというので大阪は地域割りをしたが、東京は競争的な共存の道をとった。大阪いずみの問題も出たけれど、いずみはこの地域だと言えるのでパルコープやその他はそれはそれでいろいろな影響を受けたけれど、頑張ってきたということもある。東京ではコープみらいもあれば、生活クラブ、パルシステムもある。そのように単協の運営だけではなく、地域社会や行政との関係を含め戦略的な組織方針を日本生協連あたりが論議しないといけないんじゃないかと思っている。
②資料室・三崎:関西地連事務局時代に組合員活動を担当したことから「組合員参加」について継続した問題意識をもってきた中から、組合員組織政策の変遷についての概要を説明をした。
③組織推進本部長の二村さん:追加資料で配布した『生協運営資料』の特集「人口減と共働き社会における組合員の組織と参加を考える」は、このままだと組合員リーダーや組合員理事さんのなり手がいなくなる。改めて参加とネットワークを大事にしようという方向性で、組合員リーダーの方々へのアンケートを基に日生協の組合員活動部署から出された資料。それを書かれた二村さんにご発言いただいた。→1994年に出た大窪一志さんの『日本型生協の組織像』という本に影響を受けた。生協というのは組合員活動だけではなくて事業全体を含めて80年代の社会に過度に適応しているのではないかという問題意識の上に、90年代以降の社会の変化の中で、80年代につくり上げたものをどのように変えていけるのかが非常に課題になるということが書かれている。1990年代~2000年以降の社会の変化はいろいろある。格差の拡大、ライフスタイルの多様化、女性の多くが働くようになったとか。その中で、生協が大きくなっていくし、組合員も昔から入っている方もいれば、新しい方も入るという、その辺りが掛け合わさってきているので、その中でいかにやっていけるかということなのかなというのが一つ。もう一つは、どこの生協も時代が下れば下るほどいろいろな積み重ねがあるのを全部止めてゼロからつくることはできない。そこの生協の人たちが自分たちでどうしていこうかと、動きながら変えていかざるを得ないことの難しさがある。理想的にこういう形が良いと言うことは、言うのは簡単だが、それを形にしていくのはなかなか難しい。その中でどのようにしていったらみんなが元気良く前に向けてやれるのかを考えたり、提案したり、良いやり方があれば紹介したりするというのも一つの役割かなと思う。参加型民主主義ということでは有田さんのお話の最後にあった「自分が変えられる場所なのだと思ってもらえることがすごく大事だ」というのが非常に重要。
④富沢賢治さん:各種協同組合の根底にある、協同組合運動というものを運動化する必要がある。そのためにも各種協同組合のナショナルセンター的なものをつくることが必要とされている時代がきた、ということでJCA(日本協同組合連携機構)を4月に設立する動きについてもご報告いただいた。


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【2018/08/25 14:19】 | 情報
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20171118嘉璋さんと坪井さんを撮影145%拡大.jpg
<Mより発信>
 2017年度「日本生協連資料室 土曜講座」第2回企画(11/18)については、こちらでもご紹介させていただきました。受講報告の記事アップが遅くなりました。少し長くなりますが、概要報告をまとめて掲載します。冒頭の写真は斎藤嘉璋さんと坪井俊二さんです。
 
「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ
-『平和とよりよい生活のために』を体現-」

講師:斎藤嘉璋氏/元日本生協連常務理事、
    元生協総合研究所専務理事

ゲストコメンテーター:坪井俊二氏
    /元日本生協連常務理事


斎藤嘉璋さんの講演概要(講演のメモと参考資料から作成)
(1)学生時代、新聞記者、産業報国会:明治40(1907)年、富山県生まれ。大正15(1926)年早稲田の第一高等学院に入学。学生時代は雄弁会に籍を起き、幹事(→昭和3、4年に学生運動をした者の会「三四会」幹事)。1927年に早大教授の大山郁夫が合法無産政党の最左翼たる労働農民党委員長になり大学を追われ、1928年には共産党に対する弾圧があり、同年の「暴圧反対学生雄弁大会」で司会。別の弁論大会で軍事教練反対と弁論して軍人だった父親に叱られた。非合法の地下活動に入る学友たちもいた。30年には早慶戦切符問題で40日のスト(藤井丙午、平田冨太郎らと)、クラス討議で中林退学をさせないためにスト打切りになり、大衆運動について学んだ。
●新聞記者の道に:1932年報知新聞社会部記者となり、36年には2.26事件の取材。最後は近衛内閣で新設され厚生省を担当(進歩的な人が多かった)。
●産報時代:1940年に「大日本産業報国会」が設立され、会長の平生釟三郎会長秘書の藤井丙午の斡旋で1941年に秘書として入り参事・連絡部長兼組織部長。平生さんは東京火災海上の基礎をつくり川崎造船の再建もした財界人で従業員の福利厚生を重視し、甲南学園や甲南病院もつくったオールドリベラリストで、賀川豊彦の活動も支援。灘購買組合の創立者那須善治に賀川の指導を仰ぐように助言したのも平生。戦局たけなわになって軍人が会長、理事長という体制に。1945年8月敗戦。残務処理委員会で産報の財産の移管先を賀川さんを中心にまとまっている協同組合運動にと主張。

(2)日協同盟、日本生協連創立のころ:そういう関係で「日本協同組合同盟」の設立から参加した。
①日協同盟創立:1945年11月、産報の事務所と現金を除く財産を引き継いで設立。賀川さんなど戦前からのリーダーと100名の職員でスタート。雨後の筍のように新生協が設立される中で食糧獲得闘争。先に農協法ができ、生協法制定運動。農協には認められた信用事業が認められず1948年に生協法ができた翌日から改正運動。信用事業権を求めて岡山では生協を中心に兵庫では労働組合を中心に労働金庫づくりが進み、1950年に岡山勤労者信用組合設立。東大法学部出身の事務局の勝部欣一さんに労働金庫法原案を作らせ、1957年に同法制定、全国労金協会ができ、中林さんが事務局長に就任。給料はそちらからもらっていた。
②日本生協連創立:1951年、発起人の東大の学生専務だった福田繁さんが借りた東大の教室で創立総会。スローガンは福田さんが東大の学友と相談して国際学連の「平和とよりよい未来のために」をもじった「平和とよりよい生活のために」を提案し、賀川さんが支持して決まった。その後、東大生協の論議の中で他の学生運動組織と違って生協はまず生活だろうということで「よりよい生活と平和のために」が大学生協のスローガンとなったが、日本生協連では一貫して「平和」が先のスローガンだった。戦後にできた町内会単位生協や再建をめざしていた家庭購買組合や江東消費組合もインフレとその後の極端なデフレ政策の中で経営破綻してつぶれていき、日生協の経営も逼迫。築地事務所は又借り状態、中林専務、木下常務と事務局4人の6名体制。給料も遅配欠配、片道経費出張で会費を集めた。連合会も会員も「創業期が10年続く」状態。中林さんは日生協と労金の2足の草鞋状態で、これではまずかろうと石黒さんが日協貿や事業生協連のトップとなって尽力。役員給料も出せるようになった。
③1950年代:生協運動・労金運動に取り組む中で「労働者福祉運動」を盛り上げる必要を感じて労組側に働きかける。労金、労災生協、労信販生協づくり。地区労を中心に地域勤労者生協、学校、炭鉱、職場職域生協づくり。生協規制、反消費者立法の動きに反対し、1956年全国消団連発足(会長就任)。物価・新聞代値上げ反対闘争。商調法で1959年2.26に雪の中を国会前のテントで座り込み(学生だった斎藤嘉璋さんも駆けつけて夜の留守番)。家庭会・婦人部の活動の活発化。1954年のビキニ水爆実験を契機に原水禁署名運動から原水禁運動へと発展。1955年初の原水禁世界大会、日本原水協発足、日生協も加入。
●ICAなど国際活動:1952年日本生協連ICAに加入。54年パリ大会に田中会長(原水爆反対、協同組合間貿易促進等の提案)→ツェントロサユースから招待→55年訪中ソ代表団派遣(石黒団長)。57年ストックホルム大会に中林(原水爆禁止、中国合作社の加入、協同組合間貿易促進提案)。58年ツェントロサユース大会へ招待(西側諸国も参加)。60年ローザンヌ大会(原水爆禁止、反独占、社会主義国の加入を提案)(ICA中央委員)。
※Mより補足:参考資料『平和とよりよい生活のために―生協運動私史―』で1980年のモスクワオリンピックを西側諸国がボイコットした年に開かれたICAモスクワ大会は西側も参加して開催されたことと、中国の加入が認められたことによりICAが世界最大のNGOになったことに協同組合陣営が国際的に果たせる役割の大きさを考えさせられた。

(3)成長期の生協の時代:●60年代:1958年「事業生協連」創立(石黒会長)。1962年中林さん日本生協連副会長に。65年日本生協連、事業生協連合併(石黒会長)*地域生協の新しい動き:62年灘・神戸生協合併。64年洛北、65年札幌、所沢新生協設立、大学生協の設立支援。68年日本生協連「首都圏大構想」―東京生協づくり始まる→失敗→70年福島総会結語(東京生協などに関して落下傘方式の出店反省、組合員に依拠した生協運営に。その後、依拠という言い方から組合員が主人公の生協運営にと発展) *日本生協連、コープ商品の開発本格化:66年CO-OPソフト発売(全国商品開発委員会発足) *組織拡大と組合員活動の活発化:新生協の設立、班組織の論議と全国的な交流の活発化。「全国消費者大会」(64年~)、「生協強化月間」と全国生協大会(67年~)
●70年代:*60年代後半~有害商品、水・環境問題、米価、カラーテレビの二重価格問題(生協では販売しているのに不買運動→全国消団連会長との兼務はやめ、その後は代表委員制に)、70年代~狂乱物価、灯油裁判。1971年中林さん日本生協連会長に。*原水爆禁止・平和の取り組み:77年、統一世界大会(生協、地婦連、青年団など参加)。78年、第1回国連軍縮特別総会(SSDⅠ)に代表派遣(生協27人、署名1,870万筆、うち生協112万筆)、広島大会、長崎大会に生協1500人。79年、被爆者援護法要求署名の取り組み。80年代前半、SSDⅡ、ヨーロッパ核軍縮大会など前進するが、84年の団体旗問題などから世界大会は86年再分裂。生協独自企画へ。
●80年代:*市民生協群の飛躍的発展、日本生協連事業の拡大→日本生協連のあり方見直し~地連設置。*生協規制の激化―大店法と出店規制、員外利用問題。
1985年日本生協連会長、中林から高村勣に(高村会長、生協規制対応と日生協改革など)
<まとめ>戦後の困難な時代のリーダーとして
*日協同盟~日本生協連の創成期に戦前の個性的なリーダーたち(関消連系の左派グループ、賀川らクリスチャンたち穏健派グループ、鈴木善幸ら生協以外のリーダーも)の中で、統一と団結を守り発展させた。困難期における“情熱”。常勤の木下保雄さんなどの存在。
*幅広い視野、人脈(学生→新聞記者時代から築いた)のもとでの渉外、共同の力=戦後の混乱期の諸闘争や渉外、地域勤労者生協と労金、労済づくりのころ、全国消団連づくりや反核平和運動における市民団体との共同。
*国際活動での貢献:ICA中央委員として、ソ連、中国、アジア諸国。国連から日本生協連がピースメッセンジャー授与。スウェーデン生協連から中林会長に「アルビン・ヨハンソン・ゴールドメダル」を受賞。
*「平和とよりよい生活のために」を掲げて。

※坪井俊二さんのゲストコメントとディスカッションの概要については、以下を開いてご参照ください。
【坪井俊二さんのゲストコメント】
1982年のSSDⅡの際、生協からの代表団の事務局長をつとめた。その当時のレーガン大統領が日本原水協の代表団にビザを発給せず参加が阻まれた。そこで中林さんに日本の反核・平和運動を代表してもらおうということになり、全体で1212名の代表団の代表として、国連のデクエアル事務総長に日本からの3000万人署名を渡し説明をした。各地の生協の組合員リーダーを含めて200名を越す日本の生協代表団でニューヨークの大集会やデモ行進に参加した。中林さんはそのことに大きな確信をもったようだった。石黒さんと中林さんは、戦争が終わった後の20世紀後半、賀川さんに次ぐ大きな指導者だった。その2人についても書いている自伝を増刷することも検討しているのでどうぞ皆さん読んでください。

【ディスカッションより】
「平和とよりよい生活のために」のスローガンに関わり、賀川さんや中林さんが「戦争に加担してしまったこと」をどう思っていたのかという話題になった。①坪井さん:「賀川さんは「軍部からの依頼で戦地に慰問に行ったことはよくなかった。今度戦争になる動きに反対して牢屋に行くことになったら一緒に行こう」と何回も言っていた。中林さんも「産報で軍国主義体制に組み込まれたこと」への反省を口にしていたことを何回も聞いている。二人とも悔いを隠そうとはしなかったとのことだった。②松沢資料館のKさん:この夏のシンポジウムで賀川豊彦の戦争加担が論点になった。賀川はガンジーと対談したことがあり、「戦争になったらどうしますか」と質問し、ガンジーは「死を選んでも反対する」と答えたという。一方、賀川は自分が国賊になってしまったら、関わった全ての事業がつぶされてしまうということで悩みながらも消極的に加担してしまったのだろう、「完全な人間はいない」ということだろうという論議になったと報告。
戦争責任と向き合って戦後を生きた人々から学ぶことは大きい。


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【2018/08/20 17:56】 | 情報
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『組合員参加の再生をめざして』表紙.12%縮小jpg
<Mより発信>
 「日本生協連資料室 土曜講座」第4回(2017年度最終企画)の 詳細案内です。1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】1/27「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第4回)「協同組合における参加型民主主義-組合員参加の再生をめざして-」の詳細案内
 「協同組合の基本的価値」をめぐる論点の一つとして1992年の ICA東京大会でベーク氏が提起した「参加型民主主義」は、1995年のマンチェスター大会でも引き続きテーマとなっていました。 1992年から1995年にかけて「参加型民主主義に関する国際共同プロジェクト」が、日本、カナダ、イギリス、スウェーデン、 イタリアの生協リーダーと研究者によってすすめられ、ベーク氏やマクファーソン氏も参加しました。
 横浜での国際シンポジウムでスタート、各国生協の調査や組合員活動家の相互訪問を含む6回の会合を経て1995年にイギリスのコープカレッジでの国際シンポで終結。その勧告は1995年マンチェスター大会(「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」が出された)で採択されました。 その成果は、国際共同プロジェクトチーム/コープかながわの企画・編集、監修:永山利和で、コープ出版から1996年1月に単行本として発行されています。
 1995年9月にマンチェスターで行なわれた国際共同プロジェクト報告の場に参加、分科会で組合員の立場から実践報告などを行なった有田さんに、生協の組合員活動に参加してリーダーになり、そのお立場でずっと組合員参加を大事にしてきた歴史と抱き続けている問題意識をお聞きします。

講師:有田芳子氏
=元エフコープ理事、元コープかながわ常任理事、
元ユーコープ事業連合理事、
元日本生協連中央地連環境委員会委員、
元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、
現・主婦連合会会長
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:1/27(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
〔参考文献〕
・『協同組合における参加型民主主義-組合員参加の再生をめざして-』1996年1月刊(コープ出版)とその原本(英語版)のセット
※この本の情報をネット検索したところ、「JCCU協同組合塾」のブログで2010年7/27付けで参考文献の紹介記事が2番目にヒットしました。当時アマゾンの中古本情報で300円台から何件かあったとありますが、現在では¥ 3,805 から2件しかありません。希少本になってしまっているようです(こちら)。なお、日本生協連資料室では閲覧可能とのことです(冒頭の写真は1996年1月刊(コープ出版)の表紙) 。
●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 235KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※※第1・2回ゲストコメンテーター坪井俊二さんの自伝の増刷ができたということで土曜講座受講者に、第4回の当日に配布するとのことです。有難いことに無料でよいということです。(極力ご参加いただき、そちらでの配布ということでご協力をお願いしたいとのこと)

(追記)生協総合研究所のHPの研究会情報のコーナーに第4回の詳細情報も1/19付けで掲載されました。冒頭のTopicsコーナーでも案内がされています。
20180124生協総研HPでの案内画面60%縮小.jpg

【2018/01/12 21:17】 | 情報
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<Mより発信>
 2017年度「日本生協連資料室土曜講座」の第3回(12/16)の企画が中止という情報が担当者から寄せられました。以下、ご案内します。

【情報】12/16「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第3回)の講師ご逝去による企画中止のお知らせ
 12/16「日本生協連資料室土曜講座」」(2017年度第3回)は、「戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの生協活動」をテーマに開催する予定でしたが、講師の丸浜江里子さんが、12月7日にお亡くなりになりました。昨年度までの土曜講座には受講者としてご参加いただき、それがご縁で本部組合員活動部の「ヒバクシャ国際署名」の取り組みを始めるにあたって今年の1月に部内学習会で御著書の『原水禁署名運動の誕生』に基づく講演をいただいており、今度は資料室の企画の講座でのご講演をいただけることになっていたのでした。今年度の第1回第2回も参加のご予定だったのに連絡なしに欠席され、心配していました。
 11/24頃、病院からということでお電話をいただき、月末退院の予定で入院していて12/16 の講演ができるかどうかわからないというご相談をいただきました。前の週の末に判断をして体調がお悪いようであれば参加登録者に延期にする案内をするからと、治療専念をお願いしました。「絶対に生きて戻ります」と力強いお約束をいただき、落ち着かれますようにと祈っておりました。12/8(金)にでもお電話を入れようと思っていた矢先の訃報でした。

 昨日12/12(火)AM、丸浜江里子さんの告別式に参列してきました。杉並の蚕糸の森公園、大学生協会館の前を通り抜け(その時に被爆アオギリ二世が植えられているのを確認)、インド独立運動闘士で日本に亡命中に亡くなったチャンドラ・ボースの碑がある蓮光寺(インドの協同組合の方が来日された時にお連れしたことが『生協運動』誌に掲載されていてここかと感嘆) の前も通って行き、「平和・協同ジャーナリスト賞」にも関わっていらした丸浜さんのお葬儀に何やらふさわしいと思えました。
 式場は厄除け祖師さまで有名な「妙法寺」の中の「堀之内静堂」で、撮影させていただいた遺影は、祭壇上のものではなく、出棺の際にご遺族が掲げ持つためのもののようで通路に用意されていました。史資料を積み上げている前で写されたもので、いいお顔をされていました。12/16の企画は残念無念ではございますが中止といたします。丸浜さんのご冥福をお祈りいたします。

 丸浜さんの史資料をこつこつと読み込んでの研究の姿勢に学び、私も資料室での仕事を全うすることをお誓いしてきました。 早くいろいろと伺っておかないといけない方々がまだまだいらっしゃいます。「資料室土曜講座」もその機会になるよう、今後とも尽力したいと思っています。
※次回の「土曜講座」は、当初予定の2018年1/27に開催いたします。
講師:有田芳子氏
テーマ:「協同組合における参加型民主主義
       -組合員参加の再生をめざして-」

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※下の画像は1月の組合員活動部の部内学習会の案内。録音がされていなかったとのことで、それも残念です。
20170117原水禁運動の歴史学習会チラシ画像55%縮小.jpg

【2017/12/14 00:07】 | 情報
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20170721講師の林田光弘さん(当日中野氏撮影分)トリミング.jpg
【2017年度第1回例会(7/21)のご報告】(その2)
※その1は、こちら
※冒頭の写真は、パワーポイントを駆使して講演する講師の林田光弘さん。
 核兵器禁止条約のポイントは、①前文に「HIBAKUSHA=ヒバクシャが受けた容認できない苦しみと被害を心に留める」と入った。②「国際人道法に反する」として核兵器の「開発」「保有」「使用」が明確に禁じられた。③核兵器による「威嚇」も禁じ、核抑止の考え方を明確に否定した。④今後、未加盟の国も入るチャンスが作られた。日本における論点は「核の傘」を再考すること!核抑止論で核兵器があるから大丈夫といい、いざとなったら使いますというのは「平和」なのか。安全保障はないがしろにしないで、核兵器は使われたくないし、使わないでいくという立場でいくべきではないか。
 今後は条約を発効させ、核兵器は悪い、不要という大キャンペーンをして加盟する国を増やし、廃絶までのロードマップを作る必要がある。私たちがやるべきこととして、ダイアナ妃も参加した地雷禁止国際キャンペーンから禁止条約ができたように、まず核兵器でもルールができたことを広く知らせていくこと。そして「被爆体験」を世界に伝え、世界にとっての核兵器のイメージを転換させることが大事。

 「ヒバクシャ国際署名」は「被爆体験」を広げるためのツール。署名は媒体であり、大事なのは何を伝えるかとそのプロセス。安全保障や「核抑止」の議論の中でも、常に被爆者の体験を考え、想像し、伝えていくこと。北朝鮮のことを持ち出すような人にも伝えていく必要がある。「使った時のことを考えていますか?北朝鮮の人々の上にヒロシマ・ナガサキのような非人道的な惨劇を起こしてよいと思うのですか?」「自分たちを守るために核兵器使用は選択肢にしない、そういう高い次元で見ているんですよ」と普通のトーンで語りかけることができるかどうかが問われている。
 「被爆体験」を語るにも壁がある。人間関係が築けて初めて語ってくれる。また、被爆体験は8月6・9日に閉じ込めないこと。その日のことだけでなく、その後の苦しみもある。また、語り部や被団協のリーダーも世代交代が進んでいる。記憶がある80代以上の方と記憶がない70代以下の方との区別もやめなくてはいけない。そうして後世に「被爆体験」を伝えていく必要がある。
そして、“核兵器廃絶”を諦めないこと。馬鹿にされても言い続けること、当たり前でなかったことも当たり前に変わっていく。諦めないで連帯していくことが必要だ。

 質疑応答では、「署名運動の取り組み方について学習が先で署名が後という段階論をとるのがよいのか、並行するのがよいのか、活動参加の場は複線化していくことが大切なのではないか」という質問があり、林田さんは、「署名はその紙を提示して話をすることで相手に私たちの考え方をわかってもらうための媒体。運動にはグラデーションがあるのが当然。敷居をなるべく下げて参加を広げることと、突き詰めて学び研究するような人たちがいることも大事」とさらっと答えられた。第二部の懇親会での「一人ひとこと」タイムでもそこに納得したという声が出され、共感が広がっていた。

 2020年まで取り組まれる「ヒバクシャ国際署名」の今年の総会への提出について「職員の掲示板」に報告記事が掲載されましたが、10月の衆議院解散・総選挙の結果は厳しいものとなりました。核兵器廃絶、平和を守るための憲法改正の議論、つながったものとして学びながら声を上げていくことが求められていると思いました。
(参考)「国連広報センター」の7/7付け「国連会議、核兵器禁止条約を採択」の記事のURLは以下。
http://www.unic.or.jp/news_press/info/25081/
※下の写真は、会場を後方から撮影したもの。 
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【2017/11/30 00:01】 | 主催企画報告
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<Mより発信>
 「ヒバクシャ国際署名」は、震災復興募金と同様に、日本生協連、コープ共済連、日生協労組の共同で職員に呼びかける取り組みとなりました。2017年度第1回例会は、SEALDsメンバーとして活動され、長崎の被爆3世として被団協の役員から乞われてキャンペーンリーダーとなって活動されている林田光弘さんにご講演いただきました。人事企画部がこの学習活動に賛同するということで「職員の掲示板」で企画案内を掲載する協力も得ることができました。参加者は35名(講師を含む)で、うち労組員が18名、非労組員が17名でした。冒頭の写真は「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンのロゴ。

【2017年度第1回例会(7/21)のご報告】(その1)
1.テーマ:核兵器禁止条約をすべての国に!
        「ヒバクシャ国際署名」を広げよう!

2.林田 光弘 氏
  (「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー、
    元SEALDsメンバー、明治学院大学大学院生)

3.講演概要
 「ヒバクシャ国際署名」の正式名称は「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」で、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことをすべての国に求める内容で、世界の全ての人、特に核保有国とその同盟国の国民に訴えるもの。2016年4月からスタートし、署名の目標数は2020年までに世界数億の人の規模をめざして取り組み、毎年10月に開催される国連総会に提出する(NPT再検討会議が開催される2020年の提出時期は未定)。この運動の最中の今年7/7には核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる核兵器禁止条約が国連の条約交渉会議で採択された(50カ国以上による批准の90日後に発効予定)。この会議にヒバクシャを派遣するためクラウドファンディングで募金を呼びかけ、目標の150万円を達成した。
 「ヒバクシャ国際署名」の注目点は、①被爆者の呼びかけによる初めての署名活動、②これまでの枠組みを超えた団体が参加・賛同する国・宗教・イデオロギー・世代を超えた署名であること、③ヒバクシャが呼びかけ、それに応える形で運動が広がっていること。ヒバクシャの願いであると同時に全ての人々の願いであることが明らか。中央の連絡会には40を超える団体が参加し(日本生協連も参加)、都道府県ごとに地域連絡会が結成され、自治体への働きかけも続いている。

 核兵器禁止条約の考え方の基礎、核兵器って他の兵器と何が違うのかを確認したい。核兵器は国際的に禁止されていない唯一の大量破壊兵器であり、大量破壊兵器とは、破壊効果が極めて強力で効果を一定の対象に限定できない兵器のこと。その大量破壊兵器の中で最強で最悪である。
 紛争解決のためとして戦争が起きるが、歴史的に戦時国際法として国際人道法がつくられてきた。戦争の時でも「やっていいこと」と「いけないこと」を分けるルールとして、軍事目標以外への攻撃禁止ということで、降伏者、負傷者、民間人等への攻撃は禁止とされてきた。生物兵器が1972年に禁止。化学兵器が1993年に禁止。対人地雷が1997年に禁止。クラスター爆弾が2008年に禁止。国際的に禁止されていないのは核兵器だけで、それが世界に約15000発もある。(下の写真はパワーポイントの画面。)
201707211林田さんの講演パワポ画面25%縮小トリミング.jpg

 第二次世界大戦中に開発された核兵器は、戦後に結成された国際連合の常任理事国5カ国(アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国)が特権的に保有を許され、その他の国は持ってはいけないとされてきた。核不拡散条約(NPT)は1970年に発効し、1995年が期限とされた。紛争を抱えながら核保有を許されなかった国の中でインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が核兵器を持つようになってしまったが、これらの国の怒りを理解する必要がある。
 1980年代に世界的な反核平和運動の高揚が見られ、ニュージーランドをはじめとして世界の市民団体が連帯し、非核保有国の政府を動かし、国連総会で核兵器の違法性を国際司法裁判所(略称:世界法廷)に訴える決議案を採択させる世界法廷運動を起こした。それが1994年12月に可決され、国際司法裁判所に提訴され、1996年7月に「核兵器の威嚇や使用は、国際法および人道法の原則に一般的に違反する」という勧告的意見が出された(その大きな力になったのは広島・長崎両市長が代弁した被爆者の声だった)。ただし、核兵器以外の方法で自分の国を守ることができない状況に追い込まれた場合、例外的に使用が認められるかについての結論は明言されなかった。1995年が期限だったNPTは無期限延長とされ、NPT再検討会議は繰り返されたが前進せず。

 戦勝国であれば大量殺人も正義とされ、ヒロシマ・ナガサキにより植民地支配から解放されたという受け止められ方がある中で、今回の核兵器禁止条約への流れができた転換点は、2010年のNPT再検討会議の数日前に「核兵器の非人道性」に注目した赤十字国際委員会の総裁声明が出されたことだった。赤十字という医者の立場の人たちが使われたら救護にも行けないというこの視点によって、核を持ってはいけない国々が確信をもった。また、国連の作業部会が核兵器が使われたときの地球環境への影響レポートの説得力も大きかった。そして、NPTで特権をもった5か国による威嚇にいつまでも我慢しないという非核兵器国+NGO(市民社会)が大きな力を発揮して流れを変えることができた。

(その2へ続く)

【2017/11/29 20:17】 | 主催企画報告
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中林貞男著『平和とよりよい生活のために』他表紙掲示用.jpg
<Mより発信>
 2017年度第2回「日本生協連資料室土曜講座」(11/18)の詳細案内をご紹介します。全4回の予定が立たなくても、1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】11/18「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第2回)「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ-『平和とよりよい生活のために』を体現-」の詳細案内

講師:斎藤嘉璋氏
(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:11/18(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
※早稲田大学卒業後、『報知新聞』記者となり、大日本産業報国会を経て敗戦戦後より日協同組合同盟設立に参加。賀川 豊彦さんが亡くなるまで日本生協連専務理事として仕え、1962年副会長、71年第4代会長に就任。賀川 精神を継承し、政党やイデオロギーを超えて多くの組合員が 参加する反核・平和運動を広げ、ICA中央委員としても長く活躍した。
1988年には日本生協連が国連から「ピースメッセンジャー」 の認定を受け、1989年には中林さんがスウェーデン生協連 の「アルビン・ヨハンソン・ゴールドメダル」(協同組合運動を 通じて平和・自由の推進に多大の貢献をした協同組合に授与) を受賞。

〔参考文献〕
・『私と生協』第1集・中林貞男氏講演録
「生協運動の現状と未来」1986年10月刊(市民生協生協会)、
中林貞男/著『平和とよりよい生活を求めて
―生協運動私史―』1985年6月刊(日本評論社)

・坪井俊二/著 2016年3月刊(私家版)
 『松飾り、数の子珍味、きょうの春―生協の五十年』

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※冒頭の写真は、中林さんの代表的な2冊の書籍の表紙を撮影したもの。対談集の表紙にトレードマークの太い眉毛がはっきりわかる当時の近影写真がある。
※10/23付けの記事を再掲。

【2017/11/06 19:35】 | 情報
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20171007第1回(2)坪井俊二さん.jpg
<Mより発信>
 10/7「日本生協連資料室 土曜講座」第1回の参加報告の続きです。(1)はこちら
 冒頭の写真はゲストコメンテーターの坪井俊二さんです。
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(2)


斎藤嘉璋さんの講演概要」(2)(講演のメモと参考資料から作成)
(2)生協運動のリーダーとして②日協貿の設立と日ソ協同組合貿易:戦後に再加盟したICAのパリ大会(1954年)に田中俊介代表を送り、原水爆禁止決議や協同組合間貿易の促進などを提案。ソ連協同組合中央会の代表が興味を示して招請があり、1955年に石黒さんが団長になって訪中訪ソ代表団が送られた。当時、事業機能がなく金がない日本生協連を貿易で儲かるようにしてなんとかしてやろうと思われ、日本協同組合貿易㈱を設立、社長に就任された(1956~72年)。貿易実務面では石黒先生のためにと郡是産業(生糸輸出業として起業)が全面応援してくれた。

③全日本事業生協連、日本生協連会長として:1958年に日本生協連とは別の連合会として事業連が設立され会長に就任。1965年に事業連と日本生協連が合併する際、非常勤の会長では事業までみられないと田中俊介さんが退任され、石黒さんが日本生協連の第3代会長に就任され、その後、中林貞夫さんに譲られて名誉会長を1984年までつとめられた。
※協同組合への愛情と信念:
(『努力を楽しもう―石黒武重先生小伝―』P222~)「協同組合というのは民主主義の教室でありバロメーターだと常日頃私は言っていますが」「協同組合運動が少しでもうまくいっているということは、人類社会が進歩しているかどうかの1つのバロメーターだと僕は考えているんだ」「単なる効率だけを考えるようなことは、協同組合の本来の理想からかけはなれてしまうんだね」。貧困が戦争の元になる。半年のソ連視察の経験から終戦後、日本は修正資本主義でいくべきで、その中で協同組合が大きな役割を果たせると思ってきた。
※連合会のトップとして:人格、能力と尽力、会員と社会信頼の高さは抜群。

(3)石黒先生についていくつか:
①嘉璋さんの東大生協地下食堂での会費制結婚パーティでご挨拶いただいたのが初対面。気さくな“偉い人”。頭がいいのにそう見せたくない。公用車を帰してしまい小田急線で世田谷の成城の自宅に帰る。官邸で出た羊羹などを隣席の人にすすめていろんな話をした。そうしなければ普通の人の暮らしがわからない。
②『東京の生協運動史』(30年史)の編纂にご協力いただいた。③小伝のタイトルになった『努力を楽しもう』。賀川さんみたいに理想を語れないし、そういうのが好きじゃない。1つ1つ努力をしながら、楽しみながらやってきただけとおっしゃっていた。

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 参加者は講師・事務局を含めて22名で、日生協・生協総研職員10名、医療福祉生協連1名、大学生協1名、OB・OG3名、地域生活研究所1名、松沢資料館1名、研究者2名、主婦連1名。
 ディスカッションの冒頭に、石黒先生と一緒に日協貿で仕事をした坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)にゲストコメントをいただいた。
●坪井俊二さんのゲストコメント:日協貿は、田中俊介さんのICA大会での反核平和の訴えで始まった。それを事業として育てたのは石黒さんだった。石黒さんは、農政関係の省庁の事務次官を戦前と戦後で2度つとめている。事務次官というのはその行政を一番把握している人で、戦後は戻ってきてくれと言われて2度目をつとめた。どれほど高い評価をされていたかわかる。
 ソ連でも協同組合中央会の役員に絶大なる信頼を得ていて、どこでも行きたい所に行けるように手配しますと言ってくれ、私もおかげで15の共和国全部に行くことができた。ソ連が崩壊して帰国する外交官の送別会で、石黒さんは「レーニンさんはどうなりましたか」と尋ね、「クレムリンで静かに眠っていますよ」という答えに「あぁよかった~」と言っていたのが印象的。「レーニンとキリストが人類史の中で大きな人だったと思う」と言っていた。
 日協貿でお世話になった郡是産業の社長は、石黒さんがアメリカに滞在していた時からのおつきあいがあり「ああいう人を、man of integrationというんだよ」(人格、徳を身につけた人の意味)と言っていた。財界からもスジが通って清潔で教養が深い人と評価されていた。
 私は、賀川さんと石黒さんが日本の生協の二大巨人だと思う。

 その後のディスカッションでは、「参考資料の中に、石黒さんが大正デモクラシーの時代の熱気は戦後民主主義の時代よりもすごかったと言っていらしたとあり、労働運動や社会主義運動を日本でもと労働者や知識人が主体的に取り組んだ時代とGHQから与えられた民主主義の時代の差でしょうか」と質問が出て、講師の斎藤嘉璋さんが「石黒さんが言う戦後民主主義の時代とは1950年代までの話で、私たちが参加した60年安保、70年安保の時代とはまた違う」と回答され、斎藤嘉璋さんの青春時代の熱い思いが吐露された一幕もあった。
 次回の第3代会長・中林貞男さんの回も同じ講師・ゲストコメンテーターであり、引き続いて「平和とよりよい生活のために」を掲げた生協運動とそのトップに学ぶのが楽しみだ。
※2017年度日本生協連資料室「土曜講座」(10/7、11/18、12/16、1/27、全4回)のご紹介の記事は、こちら

【2017/10/24 12:27】 | 情報
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