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『組合員参加の再生をめざして』表紙.12%縮小jpg
<Mより発信>
 「日本生協連資料室 土曜講座」第4回(2017年度最終企画)の 詳細案内です。1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】1/27「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第4回)「協同組合における参加型民主主義-組合員参加の再生をめざして-」の詳細案内
 「協同組合の基本的価値」をめぐる論点の一つとして1992年の ICA東京大会でベーク氏が提起した「参加型民主主義」は、1995年のマンチェスター大会でも引き続きテーマとなっていました。 1992年から1995年にかけて「参加型民主主義に関する国際共同プロジェクト」が、日本、カナダ、イギリス、スウェーデン、 イタリアの生協リーダーと研究者によってすすめられ、ベーク氏やマクファーソン氏も参加しました。
 横浜での国際シンポジウムでスタート、各国生協の調査や組合員活動家の相互訪問を含む6回の会合を経て1995年にイギリスのコープカレッジでの国際シンポで終結。その勧告は1995年マンチェスター大会(「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」が出された)で採択されました。 その成果は、国際共同プロジェクトチーム/コープかながわの企画・編集、監修:永山利和で、コープ出版から1996年1月に単行本として発行されています。
 1995年9月にマンチェスターで行なわれた国際共同プロジェクト報告の場に参加、分科会で組合員の立場から実践報告などを行なった有田さんに、生協の組合員活動に参加してリーダーになり、そのお立場でずっと組合員参加を大事にしてきた歴史と抱き続けている問題意識をお聞きします。

講師:有田芳子氏
=元エフコープ理事、元コープかながわ常任理事、
元ユーコープ事業連合理事、
元日本生協連中央地連環境委員会委員、
元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、
現・主婦連合会会長
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:1/27(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
〔参考文献〕
・『協同組合における参加型民主主義-組合員参加の再生をめざして-』1996年1月刊(コープ出版)とその原本(英語版)のセット
※この本の情報をネット検索したところ、「JCCU協同組合塾」のブログで2010年7/27付けで参考文献の紹介記事が2番目にヒットしました。当時アマゾンの中古本情報で300円台から何件かあったとありますが、現在では¥ 3,805 から2件しかありません。希少本になってしまっているようです(こちら)。なお、日本生協連資料室では閲覧可能とのことです(冒頭の写真は1996年1月刊(コープ出版)の表紙) 。
●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 235KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※※第1・2回ゲストコメンテーター坪井俊二さんの自伝の増刷ができたということで土曜講座受講者に、第4回の当日に配布するとのことです。有難いことに無料でよいということです。(極力ご参加いただき、そちらでの配布ということでご協力をお願いしたいとのこと)

(追記)生協総合研究所のHPの研究会情報のコーナーに第4回の詳細情報も1/19付けで掲載されました。冒頭のTopicsコーナーでも案内がされています。
20180124生協総研HPでの案内画面60%縮小.jpg
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【2018/01/12 21:17】 | 情報
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<Mより発信>
 2017年度「日本生協連資料室土曜講座」の第3回(12/16)の企画が中止という情報が担当者から寄せられました。以下、ご案内します。

【情報】12/16「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第3回)の講師ご逝去による企画中止のお知らせ
 12/16「日本生協連資料室土曜講座」」(2017年度第3回)は、「戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの生協活動」をテーマに開催する予定でしたが、講師の丸浜江里子さんが、12月7日にお亡くなりになりました。昨年度までの土曜講座には受講者としてご参加いただき、それがご縁で本部組合員活動部の「ヒバクシャ国際署名」の取り組みを始めるにあたって今年の1月に部内学習会で御著書の『原水禁署名運動の誕生』に基づく講演をいただいており、今度は資料室の企画の講座でのご講演をいただけることになっていたのでした。今年度の第1回第2回も参加のご予定だったのに連絡なしに欠席され、心配していました。
 11/24頃、病院からということでお電話をいただき、月末退院の予定で入院していて12/16 の講演ができるかどうかわからないというご相談をいただきました。前の週の末に判断をして体調がお悪いようであれば参加登録者に延期にする案内をするからと、治療専念をお願いしました。「絶対に生きて戻ります」と力強いお約束をいただき、落ち着かれますようにと祈っておりました。12/8(金)にでもお電話を入れようと思っていた矢先の訃報でした。

 昨日12/12(火)AM、丸浜江里子さんの告別式に参列してきました。杉並の蚕糸の森公園、大学生協会館の前を通り抜け(その時に被爆アオギリ二世が植えられているのを確認)、インド独立運動闘士で日本に亡命中に亡くなったチャンドラ・ボースの碑がある蓮光寺(インドの協同組合の方が来日された時にお連れしたことが『生協運動』誌に掲載されていてここかと感嘆) の前も通って行き、「平和・協同ジャーナリスト賞」にも関わっていらした丸浜さんのお葬儀に何やらふさわしいと思えました。
 式場は厄除け祖師さまで有名な「妙法寺」の中の「堀之内静堂」で、撮影させていただいた遺影は、祭壇上のものではなく、出棺の際にご遺族が掲げ持つためのもののようで通路に用意されていました。史資料を積み上げている前で写されたもので、いいお顔をされていました。12/16の企画は残念無念ではございますが中止といたします。丸浜さんのご冥福をお祈りいたします。

 丸浜さんの史資料をこつこつと読み込んでの研究の姿勢に学び、私も資料室での仕事を全うすることをお誓いしてきました。 早くいろいろと伺っておかないといけない方々がまだまだいらっしゃいます。「資料室土曜講座」もその機会になるよう、今後とも尽力したいと思っています。
※次回の「土曜講座」は、当初予定の2018年1/27に開催いたします。
講師:有田芳子氏
テーマ:「協同組合における参加型民主主義
       -組合員参加の再生をめざして-」

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※下の画像は1月の組合員活動部の部内学習会の案内。録音がされていなかったとのことで、それも残念です。
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【2017/12/14 00:07】 | 情報
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20170721講師の林田光弘さん(当日中野氏撮影分)トリミング.jpg
【2017年度第1回例会(7/21)のご報告】(その2)
※その1は、こちら
※冒頭の写真は、パワーポイントを駆使して講演する講師の林田光弘さん。
 核兵器禁止条約のポイントは、①前文に「HIBAKUSHA=ヒバクシャが受けた容認できない苦しみと被害を心に留める」と入った。②「国際人道法に反する」として核兵器の「開発」「保有」「使用」が明確に禁じられた。③核兵器による「威嚇」も禁じ、核抑止の考え方を明確に否定した。④今後、未加盟の国も入るチャンスが作られた。日本における論点は「核の傘」を再考すること!核抑止論で核兵器があるから大丈夫といい、いざとなったら使いますというのは「平和」なのか。安全保障はないがしろにしないで、核兵器は使われたくないし、使わないでいくという立場でいくべきではないか。
 今後は条約を発効させ、核兵器は悪い、不要という大キャンペーンをして加盟する国を増やし、廃絶までのロードマップを作る必要がある。私たちがやるべきこととして、ダイアナ妃も参加した地雷禁止国際キャンペーンから禁止条約ができたように、まず核兵器でもルールができたことを広く知らせていくこと。そして「被爆体験」を世界に伝え、世界にとっての核兵器のイメージを転換させることが大事。

 「ヒバクシャ国際署名」は「被爆体験」を広げるためのツール。署名は媒体であり、大事なのは何を伝えるかとそのプロセス。安全保障や「核抑止」の議論の中でも、常に被爆者の体験を考え、想像し、伝えていくこと。北朝鮮のことを持ち出すような人にも伝えていく必要がある。「使った時のことを考えていますか?北朝鮮の人々の上にヒロシマ・ナガサキのような非人道的な惨劇を起こしてよいと思うのですか?」「自分たちを守るために核兵器使用は選択肢にしない、そういう高い次元で見ているんですよ」と普通のトーンで語りかけることができるかどうかが問われている。
 「被爆体験」を語るにも壁がある。人間関係が築けて初めて語ってくれる。また、被爆体験は8月6・9日に閉じ込めないこと。その日のことだけでなく、その後の苦しみもある。また、語り部や被団協のリーダーも世代交代が進んでいる。記憶がある80代以上の方と記憶がない70代以下の方との区別もやめなくてはいけない。そうして後世に「被爆体験」を伝えていく必要がある。
そして、“核兵器廃絶”を諦めないこと。馬鹿にされても言い続けること、当たり前でなかったことも当たり前に変わっていく。諦めないで連帯していくことが必要だ。

 質疑応答では、「署名運動の取り組み方について学習が先で署名が後という段階論をとるのがよいのか、並行するのがよいのか、活動参加の場は複線化していくことが大切なのではないか」という質問があり、林田さんは、「署名はその紙を提示して話をすることで相手に私たちの考え方をわかってもらうための媒体。運動にはグラデーションがあるのが当然。敷居をなるべく下げて参加を広げることと、突き詰めて学び研究するような人たちがいることも大事」とさらっと答えられた。第二部の懇親会での「一人ひとこと」タイムでもそこに納得したという声が出され、共感が広がっていた。

 2020年まで取り組まれる「ヒバクシャ国際署名」の今年の総会への提出について「職員の掲示板」に報告記事が掲載されましたが、10月の衆議院解散・総選挙の結果は厳しいものとなりました。核兵器廃絶、平和を守るための憲法改正の議論、つながったものとして学びながら声を上げていくことが求められていると思いました。
(参考)「国連広報センター」の7/7付け「国連会議、核兵器禁止条約を採択」の記事のURLは以下。
http://www.unic.or.jp/news_press/info/25081/
※下の写真は、会場を後方から撮影したもの。 
20170721林田さん講演全体15%縮小トリミング.jpg

【2017/11/30 00:01】 | 主催企画報告
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ヒバクシャ国際署名ロゴ.jpg
<Mより発信>
 「ヒバクシャ国際署名」は、震災復興募金と同様に、日本生協連、コープ共済連、日生協労組の共同で職員に呼びかける取り組みとなりました。2017年度第1回例会は、SEALDsメンバーとして活動され、長崎の被爆3世として被団協の役員から乞われてキャンペーンリーダーとなって活動されている林田光弘さんにご講演いただきました。人事企画部がこの学習活動に賛同するということで「職員の掲示板」で企画案内を掲載する協力も得ることができました。参加者は35名(講師を含む)で、うち労組員が18名、非労組員が17名でした。冒頭の写真は「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンのロゴ。

【2017年度第1回例会(7/21)のご報告】(その1)
1.テーマ:核兵器禁止条約をすべての国に!
        「ヒバクシャ国際署名」を広げよう!

2.林田 光弘 氏
  (「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー、
    元SEALDsメンバー、明治学院大学大学院生)

3.講演概要
 「ヒバクシャ国際署名」の正式名称は「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」で、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことをすべての国に求める内容で、世界の全ての人、特に核保有国とその同盟国の国民に訴えるもの。2016年4月からスタートし、署名の目標数は2020年までに世界数億の人の規模をめざして取り組み、毎年10月に開催される国連総会に提出する(NPT再検討会議が開催される2020年の提出時期は未定)。この運動の最中の今年7/7には核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる核兵器禁止条約が国連の条約交渉会議で採択された(50カ国以上による批准の90日後に発効予定)。この会議にヒバクシャを派遣するためクラウドファンディングで募金を呼びかけ、目標の150万円を達成した。
 「ヒバクシャ国際署名」の注目点は、①被爆者の呼びかけによる初めての署名活動、②これまでの枠組みを超えた団体が参加・賛同する国・宗教・イデオロギー・世代を超えた署名であること、③ヒバクシャが呼びかけ、それに応える形で運動が広がっていること。ヒバクシャの願いであると同時に全ての人々の願いであることが明らか。中央の連絡会には40を超える団体が参加し(日本生協連も参加)、都道府県ごとに地域連絡会が結成され、自治体への働きかけも続いている。

 核兵器禁止条約の考え方の基礎、核兵器って他の兵器と何が違うのかを確認したい。核兵器は国際的に禁止されていない唯一の大量破壊兵器であり、大量破壊兵器とは、破壊効果が極めて強力で効果を一定の対象に限定できない兵器のこと。その大量破壊兵器の中で最強で最悪である。
 紛争解決のためとして戦争が起きるが、歴史的に戦時国際法として国際人道法がつくられてきた。戦争の時でも「やっていいこと」と「いけないこと」を分けるルールとして、軍事目標以外への攻撃禁止ということで、降伏者、負傷者、民間人等への攻撃は禁止とされてきた。生物兵器が1972年に禁止。化学兵器が1993年に禁止。対人地雷が1997年に禁止。クラスター爆弾が2008年に禁止。国際的に禁止されていないのは核兵器だけで、それが世界に約15000発もある。(下の写真はパワーポイントの画面。)
201707211林田さんの講演パワポ画面25%縮小トリミング.jpg

 第二次世界大戦中に開発された核兵器は、戦後に結成された国際連合の常任理事国5カ国(アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国)が特権的に保有を許され、その他の国は持ってはいけないとされてきた。核不拡散条約(NPT)は1970年に発効し、1995年が期限とされた。紛争を抱えながら核保有を許されなかった国の中でインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が核兵器を持つようになってしまったが、これらの国の怒りを理解する必要がある。
 1980年代に世界的な反核平和運動の高揚が見られ、ニュージーランドをはじめとして世界の市民団体が連帯し、非核保有国の政府を動かし、国連総会で核兵器の違法性を国際司法裁判所(略称:世界法廷)に訴える決議案を採択させる世界法廷運動を起こした。それが1994年12月に可決され、国際司法裁判所に提訴され、1996年7月に「核兵器の威嚇や使用は、国際法および人道法の原則に一般的に違反する」という勧告的意見が出された(その大きな力になったのは広島・長崎両市長が代弁した被爆者の声だった)。ただし、核兵器以外の方法で自分の国を守ることができない状況に追い込まれた場合、例外的に使用が認められるかについての結論は明言されなかった。1995年が期限だったNPTは無期限延長とされ、NPT再検討会議は繰り返されたが前進せず。

 戦勝国であれば大量殺人も正義とされ、ヒロシマ・ナガサキにより植民地支配から解放されたという受け止められ方がある中で、今回の核兵器禁止条約への流れができた転換点は、2010年のNPT再検討会議の数日前に「核兵器の非人道性」に注目した赤十字国際委員会の総裁声明が出されたことだった。赤十字という医者の立場の人たちが使われたら救護にも行けないというこの視点によって、核を持ってはいけない国々が確信をもった。また、国連の作業部会が核兵器が使われたときの地球環境への影響レポートの説得力も大きかった。そして、NPTで特権をもった5か国による威嚇にいつまでも我慢しないという非核兵器国+NGO(市民社会)が大きな力を発揮して流れを変えることができた。

(その2へ続く)

【2017/11/29 20:17】 | 主催企画報告
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中林貞男著『平和とよりよい生活のために』他表紙掲示用.jpg
<Mより発信>
 2017年度第2回「日本生協連資料室土曜講座」(11/18)の詳細案内をご紹介します。全4回の予定が立たなくても、1回だけの参加申込みでもよいようです。
【情報】11/18「日本生協連資料室土曜講座」(2017年度第2回)「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ-『平和とよりよい生活のために』を体現-」の詳細案内

講師:斎藤嘉璋氏
(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)
●場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
●日時:11/18(土)16時~18時
(講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料
※早稲田大学卒業後、『報知新聞』記者となり、大日本産業報国会を経て敗戦戦後より日協同組合同盟設立に参加。賀川 豊彦さんが亡くなるまで日本生協連専務理事として仕え、1962年副会長、71年第4代会長に就任。賀川 精神を継承し、政党やイデオロギーを超えて多くの組合員が 参加する反核・平和運動を広げ、ICA中央委員としても長く活躍した。
1988年には日本生協連が国連から「ピースメッセンジャー」 の認定を受け、1989年には中林さんがスウェーデン生協連 の「アルビン・ヨハンソン・ゴールドメダル」(協同組合運動を 通じて平和・自由の推進に多大の貢献をした協同組合に授与) を受賞。

〔参考文献〕
・『私と生協』第1集・中林貞男氏講演録
「生協運動の現状と未来」1986年10月刊(市民生協生協会)、
中林貞男/著『平和とよりよい生活を求めて
―生協運動私史―』1985年6月刊(日本評論社)

・坪井俊二/著 2016年3月刊(私家版)
 『松飾り、数の子珍味、きょうの春―生協の五十年』

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)
●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※冒頭の写真は、中林さんの代表的な2冊の書籍の表紙を撮影したもの。対談集の表紙にトレードマークの太い眉毛がはっきりわかる当時の近影写真がある。
※10/23付けの記事を再掲。

【2017/11/06 19:35】 | 情報
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20171007第1回(2)坪井俊二さん.jpg
<Mより発信>
 10/7「日本生協連資料室 土曜講座」第1回の参加報告の続きです。(1)はこちら
 冒頭の写真はゲストコメンテーターの坪井俊二さんです。
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(2)


斎藤嘉璋さんの講演概要」(2)(講演のメモと参考資料から作成)
(2)生協運動のリーダーとして②日協貿の設立と日ソ協同組合貿易:戦後に再加盟したICAのパリ大会(1954年)に田中俊介代表を送り、原水爆禁止決議や協同組合間貿易の促進などを提案。ソ連協同組合中央会の代表が興味を示して招請があり、1955年に石黒さんが団長になって訪中訪ソ代表団が送られた。当時、事業機能がなく金がない日本生協連を貿易で儲かるようにしてなんとかしてやろうと思われ、日本協同組合貿易㈱を設立、社長に就任された(1956~72年)。貿易実務面では石黒先生のためにと郡是産業(生糸輸出業として起業)が全面応援してくれた。

③全日本事業生協連、日本生協連会長として:1958年に日本生協連とは別の連合会として事業連が設立され会長に就任。1965年に事業連と日本生協連が合併する際、非常勤の会長では事業までみられないと田中俊介さんが退任され、石黒さんが日本生協連の第3代会長に就任され、その後、中林貞夫さんに譲られて名誉会長を1984年までつとめられた。
※協同組合への愛情と信念:
(『努力を楽しもう―石黒武重先生小伝―』P222~)「協同組合というのは民主主義の教室でありバロメーターだと常日頃私は言っていますが」「協同組合運動が少しでもうまくいっているということは、人類社会が進歩しているかどうかの1つのバロメーターだと僕は考えているんだ」「単なる効率だけを考えるようなことは、協同組合の本来の理想からかけはなれてしまうんだね」。貧困が戦争の元になる。半年のソ連視察の経験から終戦後、日本は修正資本主義でいくべきで、その中で協同組合が大きな役割を果たせると思ってきた。
※連合会のトップとして:人格、能力と尽力、会員と社会信頼の高さは抜群。

(3)石黒先生についていくつか:
①嘉璋さんの東大生協地下食堂での会費制結婚パーティでご挨拶いただいたのが初対面。気さくな“偉い人”。頭がいいのにそう見せたくない。公用車を帰してしまい小田急線で世田谷の成城の自宅に帰る。官邸で出た羊羹などを隣席の人にすすめていろんな話をした。そうしなければ普通の人の暮らしがわからない。
②『東京の生協運動史』(30年史)の編纂にご協力いただいた。③小伝のタイトルになった『努力を楽しもう』。賀川さんみたいに理想を語れないし、そういうのが好きじゃない。1つ1つ努力をしながら、楽しみながらやってきただけとおっしゃっていた。

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 参加者は講師・事務局を含めて22名で、日生協・生協総研職員10名、医療福祉生協連1名、大学生協1名、OB・OG3名、地域生活研究所1名、松沢資料館1名、研究者2名、主婦連1名。
 ディスカッションの冒頭に、石黒先生と一緒に日協貿で仕事をした坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)にゲストコメントをいただいた。
●坪井俊二さんのゲストコメント:日協貿は、田中俊介さんのICA大会での反核平和の訴えで始まった。それを事業として育てたのは石黒さんだった。石黒さんは、農政関係の省庁の事務次官を戦前と戦後で2度つとめている。事務次官というのはその行政を一番把握している人で、戦後は戻ってきてくれと言われて2度目をつとめた。どれほど高い評価をされていたかわかる。
 ソ連でも協同組合中央会の役員に絶大なる信頼を得ていて、どこでも行きたい所に行けるように手配しますと言ってくれ、私もおかげで15の共和国全部に行くことができた。ソ連が崩壊して帰国する外交官の送別会で、石黒さんは「レーニンさんはどうなりましたか」と尋ね、「クレムリンで静かに眠っていますよ」という答えに「あぁよかった~」と言っていたのが印象的。「レーニンとキリストが人類史の中で大きな人だったと思う」と言っていた。
 日協貿でお世話になった郡是産業の社長は、石黒さんがアメリカに滞在していた時からのおつきあいがあり「ああいう人を、man of integrationというんだよ」(人格、徳を身につけた人の意味)と言っていた。財界からもスジが通って清潔で教養が深い人と評価されていた。
 私は、賀川さんと石黒さんが日本の生協の二大巨人だと思う。

 その後のディスカッションでは、「参考資料の中に、石黒さんが大正デモクラシーの時代の熱気は戦後民主主義の時代よりもすごかったと言っていらしたとあり、労働運動や社会主義運動を日本でもと労働者や知識人が主体的に取り組んだ時代とGHQから与えられた民主主義の時代の差でしょうか」と質問が出て、講師の斎藤嘉璋さんが「石黒さんが言う戦後民主主義の時代とは1950年代までの話で、私たちが参加した60年安保、70年安保の時代とはまた違う」と回答され、斎藤嘉璋さんの青春時代の熱い思いが吐露された一幕もあった。
 次回の第3代会長・中林貞男さんの回も同じ講師・ゲストコメンテーターであり、引き続いて「平和とよりよい生活のために」を掲げた生協運動とそのトップに学ぶのが楽しみだ。
※2017年度日本生協連資料室「土曜講座」(10/7、11/18、12/16、1/27、全4回)のご紹介の記事は、こちら

【2017/10/24 12:27】 | 情報
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<Mより発信>
 2017年度の「日本生協連資料室 土曜講座」については、こちらでもご紹介させていただきました。10/7の第1回に参加してきましたので、2回に分けて概要をご報告します。冒頭の写真は講師の斎藤嘉璋さんです。
 
「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
-異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」(1)

講師:斎藤嘉璋氏/元日本生協連常務理事、
    元生協総合研究所専務理事

ゲストコメンテーター:坪井俊二氏
    /元日本生協連常務理事


斎藤嘉璋さんの講演概要(講演のメモと参考資料から作成)
(1)石黒さんの異色の経歴:日清戦争後の1897年に8人兄弟の長男として生まれた。父は陸軍将校で転勤族。東京府立四中から一高、東大法学部にすすみ、卒業前に父母を亡くし家長となったので転勤の少ない農商務省に入った。母や祖母に「ご飯は一粒も残すな。汗水たらして働いている人のことを考えなさい」と言われて育ち、青年期を大正デモクラシーの時代に過ごし、世のため人のために働こうと行政マンになられた。
 28歳の時、役所から海外視察の命令に出て、革命8年後のソ連という国を見てみたいとを希望し、シベリア鉄道9日間乗っていった。その二等車の中でふれあった人々に親切にしてもらったことから好印象をもった。農商務省の蚕糸局に移り生糸関係に一生関わった。ニューディール政策の頃、海外生糸市場調査事務所長としてNYに赴任され、輸入関税提案を撤回させた。日本の貿易会社の現地事務所も回って輸入実務にも詳しくなった。帰国後に農林省で産業組合課長となり、ロッチデールをはじめ協同組合の勉強をし、農民の生活を協同組合で助ける、戦後の生協とかかわる、という実践につながる。
 戦時中は商工省の貿易局長、物価局長、事務次官と有能な官吏として働く。終戦時は鈴木貫太郎内閣の枢密院書記官長で、ポツダム宣言受諾をめぐる現場にいらした。終戦直後は憲法問題調査委員会委員、幣原首相をよく補佐し(内閣法制局長官、無任所国務大臣=実質的な経済担当相)、吉田内閣の組閣参謀となった。幣原さんを助けているので衆議院に立候補することになり当選(戦前、知事をつとめた縁で山形県から)。反戦平和的な人が集まる進歩党(安倍首相の父方の祖父・安倍寛も)で幹事長→再編後の民主党の初代幹事長となったが、直後にGHQから戦争責任ありとされて公職追放になり、政界に復帰することはなかった。

(2)生協運動のリーダーとして①東京の生協と連合会のかかわり:終戦後、雨後の筍のように生協が設立され、石黒さんは農林省職員購買組合のトップだった関係で東京職域購買組合連合会会長になられた。東京に5つの生協連合会ができ、荷受権獲得のために全東連(全東京都購買利用組合連合会)ができ会長になった。
 GHQの対日政策変更で東京都はレッドパージを全東連にも要求したが石黒さんが拒否。都は意向に沿う組合を集めて別に「東京都生協連」を組織。内閣調査室が公職追放中だった石黒さんに圧力をかけてきて全東連会長をしりぞいたが、都下の連合会がどこも経営不振となり、連合会合同・建て直しに安井都知事から要請があり、会長を引き受けられた。1953年に不渡り手形をつかまされて事実上倒産、1972年に和議・解決するまで長い苦労をされた。 
(2)に続く

【2017/10/24 12:22】 | 情報
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<Mより発信>
 日本生協連資料室は、資料室の一層の活用をお奨めするために2014年度より「土曜講座」をスタート。受講対象は、日本生協連グループで働く皆様、OB・OGの方々、生協を研究対象とされる方、生協に関心のある方まで、広くご参加いただけるようになっていますし、ディスカッションタイムも好評です。
 生協総合研究所のwebサイトでも9/14付けで「研究会情報についてのお知らせ」コーナーに案内記事がアップされました(その様子が冒頭の画像)。以下で概要をご紹介します。

【資料室より】2017年度「土曜講座」のお知らせ

<企画概要>
●開講場所:四ツ谷のプラザエフ5階会議室
  会場へのアクセスはこちら
●開催日程:4回開催。①10/7(土)、②11/18(土)、
③12/16(土)、④2018年1/27(土)
開講時間は、16時~18時
 (講義60分、質疑応答60分)
●参加費:無料

■統一テーマ:「生協運動の先駆者に学ぶ」
■開催回・日程・講義内容予定
【第1回: 10/7(土)】
テーマ:「日本生協連第3代会長・石黒武重氏から学ぶ
 -異色の大物、協同組合を愛し、力を尽くす-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第2回:11/18(土)】
テーマ:「日本生協連第4代会長・中林貞男氏から学ぶ
 -『平和とよりよい生活のために』を体現-」

講師:斎藤嘉璋氏(元日本生協連常務理事、元生協総合研究所専務理事)
ゲストコメンテーター:坪井俊二氏(元日本生協連常務理事)

【第3回:12/16(土)】
テーマ:「戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの生協活動」

講師:丸浜江里子氏(2006年に、杉並における原水禁署名運動研究に対し、平塚らいてう賞奨励賞を受賞)

【第4回:2018年1/27(土)】
テーマ:「協同組合における参加型民主主義
 -組合員参加の再生をめざして-」

講師:有田芳子氏=元エフコープ理事、
    元コープかながわ常任理事、
    元ユーコープ事業連合理事、
    元日本生協連中央地連環境委員会委員、
    元日本生協連全国組合員商品委員(第1期)、
    現・主婦連合会会長

●詳細につきましては以下をご参照ください。
 【ご案内】 (PDF 146KB)

●下記のEメールアドレスにご連絡いただければ受講申込書(WORD 36KB)を送ってくださるとのことです。必要事項を記入の上で返信するようにしてください。(半角アットマークに置き換えたアドレスで送ってください。)
E-MAIL: shiryou-toiawaseアットjccu.coop
開講日の前日まで受け付けるとのことですが、なるべく早めにお申込みくださいますようおすすめいたします。

※下は石黒武重氏による揮毫。生協役職員向け『CO・OP手帳』の表紙裏に掲載されている。
「平和とよりよい生活のために」石黒武重先生揮毫50%縮小

【2017/09/25 17:52】 | 情報
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201708ジョー・オダネル写真パネル展チラシ30%縮小.jpg
<Mより発信>
 JCCU協同組合塾の幹事仲間のSさんにお誘いいただき、銀座教会の東京福音会センターで開催されていた「ジョー・オダネル写真パネル展」最終日の8/9に行ってきた。
 ジョー・オダネルさんは元米従軍カメラマンで、軍務で終戦直後のヒロシマ・ナガサキを撮影した。その傍らに私用カメラで撮影したネガを持ち帰っていた。その後ホワイトハウス付けのカメラマンを長く務めた。凄惨な写真であり40数年トランクの中に封印していたが、被爆者への鎮魂の思いのこもったキリスト像に遭遇し、自分の国の犯した罪をさらけだし、反戦・反核の思いを伝えるために写真展・講演会を世界中で開催した。その中で知り合った日本人女性の坂井貴美子さんと結婚。原爆投下直後の広島、長崎を撮影のために歩いたジョーさんは、入市被爆者と同じように放射能障害により身体中にあらゆる病気を抱えることになり、それをおして活動され、貴美子さんはよき同伴者だった。2007年に85歳でジョーさんが亡くなられた後、貴美子さんがその遺志を引き継がれた(なんと亡くなられたのは長崎の原爆忌の8/9だという)。
 この8/9付けで『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』を出版し、その記念企画でもあった。素晴らしい内容だったので、企画をリピートしていただきたいこと、「ヒバクシャ国際署名」にも取り組んでいただけると有難い旨も感想帳に書かせていただいた。『神様のファインダー』も買い求め、さっそく読んでいる。パネルにあった文章ももちろんだが、ジョーさんの生き様も浮き彫りになっており、彼の遺産でもある写真の一枚一枚から戦争が何を人々にもたらしたか、特に原爆は二度と使ってはいけない兵器だということが伝わってくる。私たちの力になってくれる1冊だと思う。

『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』
いのちのことば社 発売日:2017/08/09
写真:ジョー・オダネル、編著:坂井貴美子
アマゾンでは、こちら
いのちのことば社では、こちら

【2017/08/10 12:49】 | 情報
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20170721講師の林田光弘さん
<Kより発信>
 7/7に国連で「核兵器禁止条約」が採択されましたが、「ヒバクシャ国際署名」はそれを全ての国に結んでもらおうという趣旨で被団協が取り組んでおり、日本生協連も全面的に応援しています。そして「ヒバクシャ国際署名」の取り組みについては、震災復興募金と同様に、日本生協連、コープ共済連、日生協労組の共同で職員に呼びかけられており、業務としての学習会を開催した上で、現在、署名の取り組みをすすめているところです(三者連名の署名用紙も作成)。
 「JCCU協同組合塾」2017年度第1回例会は、「ヒバクシャ国際署名」について学ぶ企画」とし、SEALDsメンバーとして活動され、長崎の被爆3世として被団協の役員=大学生協OBでもあり、東北大学助教授だった田中熙巳さん)から乞われてキャンペーンリーダーとなって活動している林田光弘さんからお話しいただきます。さらに、被爆体験の継承、核兵器を巡る情勢を知るなどの学習活動推進の一貫として、今回の「JCCU協同組合塾」の学習会の趣旨に日本生協連として賛同するということで協賛が決まり、職員ポータルサイトの「役職員へのお知らせ」で参加を呼びかける記事を掲載していただきました。
(以下、林田さんのfacebookでの記事より)
 核兵器や化学兵器、生物兵器は「大量破壊兵器」と呼ばれますが、核兵器以外のものは禁止条約が存在します。かつて、「対人地雷禁止条約」が作られる際、今の核兵器と同様に「条約なんて作っても主要国は参加しない、そんなの意味がない」と言われていました。しかしながら、禁止条約が出来てから、「地雷は悪いものだ」という大キャンペーンが始まりました。すると、主要国のほとんどが使用していた対人地雷が今では使用国は数カ国に激減しました。この流れの軸となったのは「禁止条約」でした。核兵器禁止条約も、同じように、まずは条約を作ることで、世界共通の「使ってはいけないもの」と言う物差しを作るところから始めなければなりません。あとは、「どの国であっても核兵器は許せない」というキャンペーンを進めていくのです。
 生協の平和活動の歴史を踏まえた企画です。署名の主旨を正確に表したタイトルに変更しました。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
【2017年度第1回例会(7/21)のご案内】
テーマ:核兵器禁止条約をすべての国に!
        「ヒバクシャ国際署名」を広げよう!
  
講師:林田 光弘 さん
     (「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー、元SEALDsメンバー、明治学院大学大学院生)
 
日時:2017年 7月21日(金)
 第1部 18:00~19:30
 第2部 19:45~21:00で簡単な交流会を行います。
 (飲み物・つまみ付き)
会場:日本生協連コーププラザ2F 震災対策室
参加費:無料
(但し、第2部交流会参加費の500円をお願いします)

<参加申込方法>
 JCCU協同組合塾には、誰でも参加できます。ご存知の幹事メンバーにご連絡ください。準備の関係上、第2部交流会の出欠もあわせてご連絡ください。
 また、「こくちーず(告知's)」というシステムを使う参加申し込みの受け付けもしています。下記のイベントページの申し込みフォームから、参加申し込み登録をお願いします。
JCCU協同組合塾イベントページ
念のため、URLは以下の通り。
http://kokucheese.com/event/index/475688/
以上

【2017/07/17 23:58】 | 企画予定
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20170721講師の林田光弘さん
<Kより発信>
 「ヒバクシャ国際署名」は、震災復興募金と同様に、日本生協連、コープ共済連、日生協労組の共同で職員に呼びかける取り組みとなります。林田さんは、SEALDsメンバーとして活動され、長崎の被爆3世として被団協の役員から乞われてキャンペーンリーダーとなって活動しています。(以下、林田さんのfacebookでの記事より)
 核兵器や化学兵器、生物兵器は「大量破壊兵器」と呼ばれますが、核兵器以外のものは禁止条約が存在します。かつて、「対人地雷禁止条約」が作られる際、今の核兵器と同様に「条約なんて作っても主要国は参加しない、そんなの意味がない」と言われていました。しかしながら、禁止条約が出来てから、「地雷は悪いものだ」という大キャンペーンが始まりました。すると、主要国のほとんどが使用していた対人地雷が今では使用国は数カ国に激減しました。この流れの軸となったのは「禁止条約」でした。核兵器禁止条約も、同じように、まずは条約を作ることで、世界共通の「使ってはいけないもの」と言う物差しを作るところから始めなければなりません。あとは、「どの国であっても核兵器は許せない」というキャンペーンを進めていくのです。
 生協の平和活動の歴史を踏まえた企画です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
【2017年度第1回例会(7/21)のご案内】
テーマ:核兵器禁止条約の制定を求める「ヒバクシャ国際署名」を成功させよう!  
講師:林田 光弘 さん(「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー、元SEALDsメンバー、明治学院大学大学院生) 
日時:2017年 7月21日(金)
 第1部 18:00~19:30
 第2部 19:45~21:00で簡単な交流会を行います。
 (飲み物・つまみ付き)
会場:日本生協連コーププラザ2F 震災対策室
参加費:無料
(但し、第2部交流会参加費の500円をお願いします)

<参加申込方法>
 JCCU協同組合塾には、誰でも参加できます。ご存知の幹事メンバーにご連絡ください。準備の関係上、第2部交流会の出欠もあわせてご連絡ください。
 また、「こくちーず(告知's)」というシステムを使う参加申し込みの受け付けもしています。下記のイベントページの申し込みフォームから、参加申し込み登録をお願いします。
JCCU協同組合塾イベントページ
念のため、URLは以下の通り。
http://kokucheese.com/event/index/475688/
以上

【2017/06/29 23:51】 | 企画予定
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日本生協連25周年記念の虹の小旗等15%縮小
<Mより発信>
 6/2のgoogleのトップページは「ギルバート・ベイカー 生誕66周年」ということで、虹の旗が縫われる動画がロゴになっていた。性的少数者(LGBT)の活動のシンボルのレインボーフラッグをデザインしたことで有名ということからだ。「世界のGoogleトップロゴ観察」さんの記事Wikipediaの「レインボーフラッグ (LGBT)」より引用しながら以下、ご紹介する。
 Gilbert Bakerさんはアメリカの美術家で、人権活動家。1951年6月2日に生まれ、2017年3月30日に逝去され、生誕66周年ということでとりあげられた。Gilbert Bakerさんは軍隊時代に「ゲイ」の人権運動が盛んなサンフランシスコに駐留。彼自身も「ゲイ」であり、除隊後にゲイの人権活動や反戦運動に参加した。1978年6月25日にサンフランシスコで行われた「Gay Freedom Day Parade:ゲイ・フリーダムデイ・パレード」で初めて使用された。
 最初は8色でデザインされ、以下のような意味が込められていたという。▼ピンク Sexuality:セクシャリティ、▼赤 Life:生命、▼橙 Healing:癒し、▼ 黄 Sunlight:太陽、▼緑 Nature:自然、▼ターコイズ(青緑) Magic/Art:魔術 / 芸術、▼藍 Serenity/harmony:平穏 / 調和、▼紫 Spirit (精神)。
 最初の一枚は、30人もの仲間が集まり、生地を手染めして縫い上げたと言われている。その後、運動は世界に広まり、レインボーフラッグも広く周知されていくが、そうなると、大量のフラッグが必要となった。そこで、どの地域でも入手のしやすい生地などの点から見直しが行われ、現在では「6色構成の旗(赤、橙、黄、緑、青、紫)」が一般的となった。(ピンクとターコイズが除かれて、藍色が青色に変更された。また、この旗の公式な向きは自然の虹と同じく横方向に色が流れて赤を上にした状態が正しいとのこと。)
 Wikipediaの「レインボーフラッグ」では、現在使用されているレインボーフラッグには以下のものがあるとする。
1.平和を象徴する旗の名称 (1961年頃考案):「平和のイタリア語.PACE (パーチェ)」と白抜きがあり下の虹は紫からの配色で7色。Flag of the Paceの画像はこちら
2.LGBTコミュニティを象徴する旗の名称(1978年発案)。
3.南アフリカ共和国の国旗 (1994年制定) の通称。
4.ロシアユダヤ自治州の州旗 (1996年制定) 。
120px-PACE-flag_svg

 かつて協同組合のシンボルだった虹の旗だが、現在では使われていないとされてしまったのだろうか?
 そもそも七色の虹が協同組合のシンボルとなったのは、第一次世界大戦後だ。旧約聖書に「ノアの大洪水のあと人々が助け合う姿を見て、神が虹をあらわした」とあることから、不戦の誓いと重ねて虹を平和と協同のシンボルとすることを数年の議論の末に決定し、1924年のベルギー・ゲントで開催された第11回ICA大会から公式に使われてきた(日本生協連の通信教育「入門コース」(2013年改訂版)の記述を確定させる際、生協総合研究所研究員の鈴木岳さんにも見ていただいて正確な表現に変更しているが、決定は中央委員会で、公式使用がこの大会)。
 冒頭の写真の上にあるのが日本生協連創立25周年記念で役職員に配布された虹の小旗で、下は1961年発行の『灘生協四十年』(合併して灘神戸生協になる前、現在のコープこうべ)が赤から紫までの7色の虹を表紙にしているのを撮影。(Wikipediaの「国際協同組合同盟」にある虹の配色と比べると、ターコイズブルーと薄紫が違っていて、これについてもまた調べる価値はありそうだ。)そしてまた、2001年決定のICAロゴでも6色の虹が基調に使われている。
2001年決定のICAロゴ
 ところが2012年の国連・国際協同組合年を契機にICAのロゴが見直されることになり、2013年に「グローバル・コープマーク」が制定され、虹を基調に使うことがなくなっていた。また「COOP」とハイフンなしの表記がデザインの基調になったのはハイフンなしだと「監獄」というスラングになってしまう英語圏中心の考え方ではなくなっていることがうかがえた。時代の変化を痛感させられる。
2013グローバルコープマーク85%縮小.jpg

 日本における虹の旗の普及については勝部欣一さんが『虹の歩み』の中で書いている(以前紹介した記事はこちら)。
 勝部さんは家庭購買組合の組合員の家庭に育った。東大生協を創設し、日本協同組合同盟に就職。協同組合運動が分断されて同盟が生協だけの指導機関になり、生協法制定を求めて実現し、日本生協連設立という最中にいた若手事務局だった。1953年にユネスコの勤労者奨学金試験に合格してイギリスを中心としてヨーロッパに留学し、国際協同組合青年大会に出席した際に会場や街中にはりめぐらされた虹の旗に感激。帰国するとすぐ、虹の旗やバッジの普及を提案し、日本のあらゆるところへ虹が出るようになったと、自著のタイトルとのからみでまえがきに言及している。
勝部欣一氏の自叙伝『虹の歩み』表紙
 残念ながら「日本のあらゆるところへ虹」という状況は今ではなくなってしまった。LGBTの活動が世界に広がる中で虹の旗(レインボーフラッグ)がシンボルとしてアレンジもされながら認知度も上がっていったため、ICA等はイメージの混同を避けるために長く使われた「虹」を象徴として使うことをやめることにしたのではないかと推測している。
 しかしながら、協同組合運動の歴史をきちんと踏まえるためにも、協同組合の象徴の虹の記憶を継承していきたいと思う。
(追記)
2011年6月にも「虹の旗(協同組合旗)の由来について(追記あり) 」という記事を書いています。そこからのリンクも含めてご参照くださると有難いです。

【2017/06/05 23:21】 | 情報
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上は中野邦夫氏。下は小澤理恵子氏。
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<Mより発信>
 2014年3月に日本生協連のコーププラザ(渋谷本部)の1階ロビーに「コープ商品ミュージアム」が開設されて3年が経過し、開設当時の担当者の多くが異動や定年退職し、語り部養成の必要で企画された連続学習会がより参加しやすい企画として「CO・OP商品の歴史を語り継ぐ講座」として月曜日の15時~17時で開講が決定。前半の2回は役職員OB・OGを講師にお願いした企画で1/30、2/6で開催され、いずれにも参加してきました。企画段階から協力し、史資料を提供講演の内容は以下、概要。
 第1回:①中野邦夫氏からは戦前からの生協の歴史の中でコープ商品の前史、1960年の連合会CO・OP商品第1号誕生から1970年代の管理価格と有害食品に対抗してきた歴史、②小澤理恵子氏からは組合員の商品活動の歴史の中からコープ商品に組合員の声を反映するしくみづくり。第2回:①日和佐信子氏からはCO・OP商品と食の安全の社会的な仕組みを生み出した組合員活動、②石飛豊氏からは1990年代にメインとなった価格重視の品揃えと別にサブブランドとして配置されたコンセプト開発の経験について。
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上は日和佐信子氏。下は石飛豊氏。
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 いずれも聞き応えがあり、定員40人の会議室は部署も年代も多様な参加者メンバーの熱気で包まれて、企画段階から資料室として協力してきた甲斐がありました。第2回終了後、第1回の講師の方にもおいでいただいての交流会を開催。参加者からの質問、講師の方からの質問もありのやりとりタイムも設けて諸先輩の経験と想いを継承し、若い世代を激励する充実した時間となりました。
後半の3/6と3/13は現役のメンバーの講師による企画が続きます。そちらの企画にも史資料を提供していくつもりです。
(参考情報のリンク)
2014年12/19「コープ商品の歴史とこれからを考える」(講師:中野邦夫氏)の簡単報告→こちら

2013年11/14の報告」(講師:小澤理恵子氏):概要編→
こちら

【2017/02/11 23:59】 | 情報
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200203『コープこうべの理念を考える』表紙縮小
<Mより発信>
 『コープこうべ創立80周年 コープこうべの理念を考える』(2002年3月発行)という資料の貴重さを見直した。年末の資料室の作業の中で書架にあった標記の冊子が目に留まり4人の方々のお名前をみてパネルディスカッションの記録とばかり思い込んでいた認識をあらためた。コープこうべ創立80周年記念事業の一つとして企画されたもので、4人の執筆者による分担執筆で構成されたものだった。ネット検索してみたが、そのようなイメージがわかるような情報は残念ながらすぐ出てこず、「国立国会図書館サーチ」では、「タイトル:コープこうべの理念を考える:コープこうべ創立80周年」「著者:高村勣 [ほか]著」「著者:コープこうべ・生協研究機構 編」と登録され、国立国会図書館蔵書として東京本館書庫にあるだけだった。( 「国立国会図書館サーチ」の情報はこちら

 その年に新理事長になられた野尻武敏氏が企画意図を「はじめに」で述べている。「第1章では創業の理念として賀川豊彦の志に思いをはせ、第2章でその創業の再認識が今なぜ必要なのかを問います。次いで第3章では、そうした生協理念が生かされるには、商品・サービスの供給事業はどうなくてはならないかに光をあて、第4章では、ことに役職員が基本の理念を日々の活動に体現してゆくにはどんな心掛けが肝要かを具体的に尋ねます。」
 そして、4人が4人ともそれぞれの視点で賀川豊彦に言及しているのが興味深い。

第1章 創業の理念:高村勣(コープこうべ名誉理事長顧問) 高村氏は、神戸と灘の「両生協とも本部を戦火で焼かれて創業以来の資料をすべて失っており、また1995年の阪神・淡路大震災でJR住吉駅前の本部が全壊し、ここでも戦後の生協史を語る貴重な資料が瓦礫と化した」こと、「コープこうべ70年史『愛と協同の志』は、創業時の記録を最大限集約した貴重な文献として伝えられていくであろう」こと、「(創立70年の)年に協同学苑ができ、そこに建てられた史料館では(中略)生協創業の理念の発信基地としての役割を果たしている」こと、「機関紙の縮刷版は現在12巻あり、この生協の歴史を知る上で極めて貴重なものである収録されているのは大正12年1月号から・・・」という言及もされている。
 日本生協連資料室にはその縮刷版が全てあるし、40年史、50年史、60年史、70年史と揃っていて、ある程度のところはこちらでわかることを再認識できたし、史資料をもとに生協理念の発信基地となるべきだということも確信をもつことができた。そして賀川豊彦の協同組合思想、その伝承について「協同組合の基本的価値論議」の中にも反映していることも含めてまとまった文章を書かれている。
第2章 今なぜ創業の理念なのか:野尻武敏(コープこうべ理事長) 野尻氏は「生協を取り巻く環境が厳しくなればなるほど贅肉をそいで事業の効率化を徹底していかねばならず、同時にそれだけ志はこれを高揚していかねばならない。どちらが欠けても生協は消えていくことになるだろう」、さらに第二次大戦後の西ドイツの復興の指導者エアハルトの言葉を踏まえて「誇りを失えば全て終わり」とし、「個人としても組織としても、できるだけしばしば生協の理念に立ち返ってみる『心のマッサージ』が欠かせない」と書く。
第3章 商品・サービスにおける「生協らしさ」とは:櫻井啓吉(コープこうべ理事) 櫻井氏は通商産業技官を経て兵庫県立生活科学研究所所長などを歴任しコープこうべの有識理事(※)となられている。「組合員ニーズと生協理念」の項では、「組合員の声が生協理念に沿わない場合は、それを拒絶する勇気も求められる。もし、組合員の声を無条件に受け入れるということになれば、生協としてのアイデンティティが維持できなくなる場合もあるからである」と言及し、「生協の商品政策は、組合員の声を優先しつつ、生協理念とのバランスをいかにとるかが今後を左右することになる」としている。
 「生協らしさ」の核心の項では「企業においても顧客満足、信頼づくりを志向しているが、企業と違う点は、生協がそのことに止まらず、よりエシカル(倫理的)である、ということ」とされている。最近になって「エシカル消費」とか「エシカルビジネス」がCSR(企業の社会的責任)に続く流行のようになっているが、生協の商品事業が組合員学習教育活動があることで、社会的なテーマ性のあるコープ商品を開発し普及してきたこと自体を「エシカル」と、十数年前に表現していたことに驚かされる。
第4章 理念の日常化:小倉修悟(コープこうべ組合長理事) 「理念の日常化こそが生協運動」、「理念の日常化は愚直なまでに基本を徹底すること」、「『コープ商品づくり』は生協運動の大黒柱で『活動と事業の一体化』の歴史そのもの」として組合員活動との関係を書いている。「生協運動」という言葉の使われ方を、今一度踏まえるべきだと思われた。

※櫻井啓吉さんは、その後、コープこうべの理事長を務められたとのこと。

【2017/01/08 23:23】 | 文献紹介
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20161212生協共済研究会80%縮小.jpg

<Mより発信>
12/12(月)16時から生協総研の共済研究会「賀川豊彦の協同組合保険の思想と実践に学ぶ」@松沢資料館に参加してきた。講師の和田武広さん(元JA共済職員、賀川フォーラム会員)から、今回初めて賀川豊彦が「JA共済の父」と呼ばれる由来をまとまってお聞きすることができた。さらにこれまで農協についてはまともな協同組合なのだろうかという偏見をもってしまっていたが、もっときちんと勉強する必要を痛感した。
 このところ「資料室土曜講座」にも参加して、戦前の協同組合がどのように戦時体制に組み込まれていったかをさらい直す機会があり、産業組合の農村組織は戦時下に統制組織として「農業会」に再編されてしまっていたことがわかってはいた。それが戦後にも大きく影響しているようだ。戦後、農協は「伝統的・自主的な協同組合」と「行政補助機関」という2つの側面を持って設立されていて、後者は「農業会」時代を大きく引きずっている。そういう歴史が農協共済にも影響していた。前者の側面による運動の大きな成果の一つが協同組合保険=共済事業ではないかという視点での展開で、その中で賀川豊彦の思想が論じられた。充実したテキストもいただいたのでじっくり読み込んでみたい。
 今回は礼拝堂を会場にしたために、パワポのスクリーンの上にステンドグラスのキリストが子どもの頭をなでているところも写っている。パワポの最後の画像に賀川の写真もあったが、「おわりにあたって」の文章が以下。(薄井清『一粒の麦は死すとも-賀川豊彦-』P282~283からの引用)
 「いま読み返して思うのは、農業協同組合は戦後にマッカーサーからあたえられたものではなくて、賀川豊彦を含めた産業組合運動家たちが、血みどろの戦いの末に勝ちとった組織である、という感慨である。いま、・・農協は、一つの岐路に立たされている。・・」
 終了後のディスカッションの中で、戦前の反産業組合運動は国内の商業者による攻撃だったが、現在はTPPなどグローバル化の中での闘いであり、相手の土俵で戦うべきではなく、協同組合理念を踏まえたものにしなければならない。戦後の農協は組合員をお客さん扱いしてきてしまった反省に立つべきという話が出た。それを聞いて、生協陣営も他山の石としなければならないようになっているし、それにブレーキをかけて「生協の理念」に基づいて事業と活動の再構築をしていかなければならないと思えた。

【2016/12/14 23:55】 | 情報
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